永原御殿
所 在 地 | 滋賀県野洲市永原 | 別 名 | ― |
遺 構 | 曲輪、堀、石垣、移築門、移築御殿 | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 永原氏、徳川氏 | 築 城 年 | 慶長6年(1601) |
歴 史 | 永原御殿は、徳川将軍が上洛する際の宿泊施設として、朝鮮人街道沿いに築かれた居館である。御茶屋とも呼ばれる。 慶長6年(1601)に、最初に徳川家康が宿泊し、以後、家康が6回、二代将軍秀忠が2回、宿泊した。寛永11年(1634)に三代将軍家光が宿泊したのを最後として、10回の宿泊に利用された。 この後、徳川幕府の権力に確立に伴って、将軍の上洛はなくなり、永原御殿は貞享2年(1685)に廃止された。 |
歴 代 城 主 | 永原氏 |
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本丸、二の丸、三の丸からなり、櫓が配されていたとされる。本格的な城郭であったようだ。 遺構は竹藪と化しており、入ることはできない。堀の跡は認められるが、一部残されているとされる石垣については、私有地や畑に遮られて、確認することができない。 |
堀の一部と思われる遺構 | 浄專寺に移築された門 | |
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永原氏は、佐々木六角氏の一族の国侍。 将軍専用の御茶屋御殿は、近江の国内に、永原御殿の他に、東海道沿いに水口城、中仙道沿いに柏原御殿、朝鮮人街道沿いに伊庭御殿の4箇所がある。 永原御殿の遺構としては、門が浄專寺に移築され、御殿が芦浦観音寺に書院(重文)として移築されている。 |
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三の丸の一部の発掘現場 (2007.10.21現在) 寛永11年(1634)に改修した際の設計図を参考に、米蔵や馬屋があったとされる三の丸の場所が発掘調査された結果、礎石や瓦が出土。 礎石の一つには、二体の阿弥陀仏が彫られた石仏が転用されていたことが判明。 |