三上陣屋

 所 在 地   滋賀県野洲市三上  別 名   ―
 遺 構   移築門  形 式   陣屋
 築 城 者   遠藤胤親  築 城 年   元禄11年(1698)
 歴  史  元禄11年(1698)、遠藤胤親が三上山の西麓に1万石で入封し、立藩する。
嘉永5年(1852)、5代目の胤緒が、江戸城西の丸造営の功により0.2万石加増される。
慶応4年(1867)、6代目の胤城が、奏者番として徳川慶喜の側近に仕えたため、戊辰戦争に際して、陣屋と領地を一旦取り上げられる。しかし同年に許されて戻される。
明治3年(1869)、遠藤胤城は陣屋を和泉吉見に移し、三上陣屋は消滅する。
歴 代 城 主 遠藤氏6代(1.2万石)


三上山の麓の陣屋の跡地。陣屋跡は民家となっており、往時の面影はない。手前の溝は掘り跡か? 陣屋の表門が、湖南市岩根の常永寺山門として移築されている。


天保13年(1842)、老中水野忠邦の命による検地検分に対して、甲賀・栗太・野洲の三郡の農民が蜂起し、検地役人が投宿する三上陣屋を包囲するという天保一揆が発生した。一揆は史上まれに見る勝利を得るが、一揆の指導者に多くの犠牲が出た。犠牲者は天保義民として顕彰されている。

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