水口城

 所 在 地   滋賀県甲賀市水口町本丸  別 名   碧水城
 遺 構   堀、石垣、櫓(模擬)  形 式   平城
 築 城 者   徳川家光  築 城 年   寛永11年(1634)
 歴  史  天正13年(1585)、羽柴秀吉の命により、水口岡山城が築かれ、水口の町はその城下町として基礎ができた。関ヶ原の合戦で水口岡山城が滅んだ後も、東海道の宿場町として発達した。
寛永11年(1634)三代将軍家光は京都への上洛に先立ち、小堀遠州に命じて、水口に宿泊用の城を築かせた。将軍宿舎であるため、城主は存在せず、城番として、幕臣の坪内玄藩などが在番した。
天和2年(1682)、加藤明友が石見より2万石で入り、水口藩を立藩した。
元禄8年(1695)、鳥居忠英が2万石で能登より移封する。
正徳2年(1712)、加藤嘉矩が2.5万石で下野壬生より移封する。以後、加藤氏が明治まで在封する。
歴 代 城 主 加藤氏(2万石)、鳥居氏(2万石)、加藤氏(2万石)


明治維新後、水口城は廃城になり、公売に付され、建物や石垣は大半が処分された。
また旧本丸は水口高校の敷地となり、運動場として利用されている。

現在再建されているのは、東出丸(下の図の右に出張った部分)の部分であり、門、櫓、塀はすべて模擬。
模擬櫓は水口城資料館として使用されている。
御成門と乾櫓(水口城資料館)
乾櫓(水口城資料館) 現地案内板


将軍の宿舎として築城されたため、方形の本丸と東出丸と、これらを囲む一重の堀のみからなる、小規模な城郭。
本丸御殿を設けた本丸には四隅に艮矢倉、巽矢倉、坤矢倉、乾矢倉があげられているが、天守は築かれていない。本丸御殿には、表向きと奥向きが設けられ、奥向きには御座所が造られた。京都二条城を小型にしたものと想像すればよい。

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