ユースホステルは宿泊のたびにスタンプを押します。
そのスタンプは一番最初に泊まった石和温泉YHのように4泊すると「友情の鐘」となったりいろいろ遊びがあります。
また、スタンプ用の台紙も各YHで凝ったものを作っていたりしてそれをもらうことも楽しみでした。
48.7.23〜48.8.5
1 | 石和温泉YH | ![]() |
川崎市から約30日で中央道から南近畿、四国一周のサイクリングを予定し出発しました。運動不足のため一日目の国道20号線のだらだら坂や二日目の塩尻峠ががなかなか進まずに苦労しました。その上、石和町内で自転車の後輪にバイクが追突し、リムを曲げられてしまいましたが、事故を目撃していたおじさんがYHの近所の自転車屋さんを紹介してくれ明朝までに直してもらいました。その後一度だけ英虞湾の近くのじゃり道でリムが驚くほど曲がってしまいましたが、足でしごいたら復活し、護摩壇山の故障まで無事に進むことができました。 サイクリングは車の排気ガスによる汚れと、非常に体力を消耗することにより、原則として来るものは拒まないことと、ご飯は食べ放題のYHが最適です。潮岬の朝食でどんぶり三杯を食べた時は周りのホステラーに驚かれましたが、他のユースでサイクリストが来たら多めにご飯を炊くとペアレントが言っていましたので自分だけではなかったようです。 道路事情では当時は奈良県が非常に悪く、舗装道路が県境から突然未舗装のでこぼこ道になっていたりすることが多く、細めのタイヤだったため苦労しました。なお和歌山県にある現在は高野竜神スカイラインができている旧道の護摩壇山は悪路のため路線バスも廃止されていましたが、そこを通ったのが間違いで、頻繁に発生するパンクの上、前輪のブレーキが最後には吹き飛んでしまいました。自転車はプジョー製でフランス製部品が簡単には手に入らないために竜神温泉で旅行を断念しました。今から思えば大阪にはきっと修理できる自転車屋があったに違いないので、そこで旅行を終了したのが悔やまれます。なお、この自転車は後日盗まれてしまいました。 |
2 | 名古屋YH | ![]() |
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3 | 御在所YH | ![]() |
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4 | YH愛宕山 | ![]() |
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5 | YH大江寺 | ![]() |
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6 | 伊勢志摩YH | ![]() |
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7 | ![]() |
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8 | YH熊野市青年の家 | ![]() |
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9 | 潮岬YH | ![]() |
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10 | ![]() |
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11 | 河鹿荘YH | ![]() |
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12 | 遍照尊院YH | ![]() |
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13 | YH理智院 | ![]() |
49.3.6〜49.3.14
14 | 別府YH | ![]() |
東京発急行桜島・高千穂号に乗って九州旅行です。時期的にホステラーが多くなかなかYHの予約がとれず長崎等ではYH以外のYH風の施設に泊めてもらいました。 父親の唯一の旅行写真と絵葉書に別府の地獄があり、別府を中心として九州にはずっと一度行って見たいと思っていた所です。日豊本線経由西鹿児島行の高千穂号で最初臼杵で下車。国東半島の石仏を見て別府へ。血の池地獄、竜巻地獄等当然ながら父親の絵葉書通りの風景を見てなぜか感動。 それ以降は同宿のホステラーの情報を頼りに翌日のYHを予約、いきあたりばったりの旅行が始まりました。 特に霧島周辺が観光もYHも抜群に良く。霧島では3月に霧氷が見ることができるというのでえびの高原からすぐの唐国岳に登ってみると、霜ではない空中の霧が枝に凍ったものを確認することができました。霧氷という話を聞いていなければ単なる霜として見過ごされてしまうものです。 この頃はまだ温泉の楽しさに目覚めておらず、九州は温泉の宝庫であるにもかかわらず、入浴したのは僅かでした。 |
15 | 阿蘇YH | ![]() |
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16 | 岩戸ふるさとYH | ![]() |
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17 | YH清流荘 | ![]() |
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18 | 桜島YH | ![]() |
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19 | 圭屋YH | ![]() |
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20 | 霧島高原YH | ![]() |
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21 | えびのYH | ![]() |
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22 | YHてんぐ旅館 | ![]() |
49.7.28〜49.7.30
23 | 東山YH | ![]() |
京都へ神社仏閣見学の旅です。大学の写真部に属していましたので何か題材をと考えましたが土門拳のようには行きません。 無宗教ですが、仏像を見ているとそれを作った人々の心が思い浮かび感動するものがあります。 YHで自転車を借りて回りました。京都の夏は暑かったのですが、寺に入るとひんやりしていて、お茶をいただくと暑さも忘れ心が落ち着くものです。当時大学の合ハイ等で茶道部の方々とつきあいがあり、飲むほうだけは作法を知っていたので助かりました。 東山YHはペアレントが挨拶等にきびしく、この時から、YHに来た時には「ただいま」帰る時には「行ってきます」という習慣が身につきました。なお、毎朝チェリッシュの曲で目を覚ましたのが記憶に残っています。 |
24 | 東山YH | ![]() |
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25 | 東山YH | ![]() |