1914年にシカゴで生まれ、幼いときからピアノを始める。14才でChiapusso(バッハ学者?)に師事、そのころはインヴェンションをすべての調性で、かつ暗譜で弾けた。レッスンで平均律の1曲(前奏曲とフーガ)を課すと2日後のレッスンの時はもう暗譜で弾いた。毎回のレッスン毎に1曲ずつマスターして16曲を修得した。
17才で4年の奨学資格でジュリアード入学、Olga
Samaroffに師事。
審査の際に平均律の16曲を準備、入学後のその年に残り32曲をマスターした。
18才の時、ゴールドベルクを学び、5週間の内に暗譜で弾くようになった。
21才でカーネギーホールデビュー。22才、オーマンディ/フィラデルフィアとブラームスの協奏曲第2番を演奏。アメリカ各地でコンサート。
23才の時、ニューヨーク市公会堂で6週のバッハ連続演奏会を開く。平均律全曲、ゴールドベルク、英仏組曲、パルティータおよびその他のクラヴィア曲。
33才でヨーロッパでコンサート。39才でロンドンデビュー。
43才、ロンドン(アビーロードスタジオ)で演奏録音。批評家は、彼女のピアノ演奏が「バッハのクラヴィア曲から彼の意をくむのはハープシコードが基本」と言う純粋主義を無意味なものにした、と述べた。
59才、1973年12月30日のカーネギーホールリサイタル。はじめにハープシコードでゴールドベルクを演奏し、休憩の後、今度はピアノで演奏した。(14:00〜,16:30〜)
「バッハ演奏はピアノかハープシコードか?」に関して「バッハはピアノを知らなかった」と言う説があるが、彼女はそれを否定してきている。バッハの署名入りのジルバーマンピアノの領収書(1749年−5月)を証拠として所有することで。
83才、ドイツでゴールドベルク変奏曲を録音。全部で6回録音。5回はピアノ、1回はハープシコード。現在はオックスフォードに住み、後進指導にあたる。
彼女は省略や中断のない、ピアノでのゴールドベルク演奏をライフメッセージとしている。これは他の演奏と比較するようなものではないようだ。アリアを特別の曲として弾く。終わりであり、始まりであると。(エンドレスな形式は不眠対策と言う実用面?に留まらず。)ゴールドベルク、パルティータ、平均律の順に内省的な深みから開放される部分が増えていっているような演奏。
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