1.北京の概要7月8日(月)     
北京は中華人民共和国の首都であり,全国の政治・文化の中心で河北省の中央部に位置する。人口1250万人,総面積1万68平方km、その広さは日本の四国に匹敵する。また、北京は近年飛躍的な発展をとげ今日の北京はなおのこと東北古都の魅力を持つ都市であり、原始的な古都の風貌もあれば、近代的都市の風上もある。青空と白雲の下では,赤い塀と黄色い瓦の古い風貌と高層ビルの新しい姿が互いに照り映え、観光客がそれを見るとうっとりして帰るのも忘れるほどである。
・天安門広場       
都市の広場としては、世界最大のもので1度に50万人収容できます。この広場では1949年に建国式典が催され中華人民共和国が誕生した。そして、毎朝荘厳五紅旗が朝日が上ると同時に掲げられ夕日が沈むと同時に下される。
「中国の国旗」は大きな星は中国共産党・小さな4つの星は人民大衆をさします。中国共産党の指導のもとに革命的な人民大衆が団結する様子を描いている。

  



・万里長城

紀元前三世紀、北方諸民族の侵入を防ぐため秦の始皇帝が構築した世界最大の建造物。城壁の高さは平均6〜9メートル、幅は4.5メートル前後、東は渤海湾に臨む参山海関から西は甘粛の嘉峪関まで、全長は6,000キロメートルに及ぶといわれている。









・記念植樹

日中友好親善訪問の支援活動、北京緑化委員会が促進する八嶺長城(万里長城)に植樹記念を行った。3人ほどがが1組でそれぞれにスコップで穴を掘り、ヒノキの植え付け作業を行い「友好と地球環境保全」の一役を努めた。   






・中国雑技観覧

夕食後は、中国が誇る雑技公演に足を運んだ。開演後は多彩な演技に酔い、惜しみない拍手と声援が続く。また、観客席の殆どが外国人で埋め尽くし、活気に満ちたもう一つの國際都市、北京を見たような気がした。

中国雑技は、2500年以上も続いている中国の民族芸術で、雑技演目は誕生当初は力技中心で、力持ちの勇敢な技に人気があり、日本の相撲の原型とも云われています。
「現在の演目は大きく分けて9種類」
(1)倒立を中心とした形体演技(2)バランスを重視した平衡演技(3)道具を使った演技(4)空中演技(5)動物の 演技(6)口技・物まねの演技(7)手品の演技(8)ユーモアの演技(9)獅子舞に代表される仮想動物演技です。
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2.北京・抗日戦争記念館会7月9日(火) 
この記念館、日中戦争の歴史館で蘆溝橋事件50周年を記念して公開されたものです。同記念館には当時の写真を中心に、地図、新聞記事、その他遺留品なども多く展示されており、特に衝撃を覚えたのは「銅鉄の長城」とう巨大な彫像には銃で身体を支え力をなくし生き絶えていく姿を痛ましく感じた。「ちなみに、蘆溝橋事件から65周年の今年、開館15周年を迎え、同館にはこれまで国内外から1200万人余りの人々が来館しているそです」。



・頤和園 
北京の中心部から、約15キロ離れた位置する頤和園は、総面積290万uを有する中国を代表する皇室庭園であり、世界の最も有名な古典公園のひとつである。すべての建築が山と湖の形に基づいて巧みに配置され、借景・造形の芸術も採用され景色が変化に富んでいる。







晩餐会
北京最後の夜は、今回の慰霊訪問を終えた各「班」の全員が7日ぶりに北京に合流し、ホテル全日空新世紀飯店32階「金沙閣」において、日中友好親善の晩餐会を開きました。 ホテルバンケット


来賓に、日本大使館の代表・中華全国青年連合会の代表の皆様をお招きし、双方の自己紹介。そして、懇親を深める中、各班ごとのアトラクションが始まり、我が「東北班においては女性人はチャイナドレスで臨み、だしものは唱歌「ふるさと」を歌いながら同時に手話をこなすという演技を披露しました。


晩餐会のフィナーレは「北国の春」を中国語の歌詞で全員が合唱、この歌はチチハル〜牡丹江への移動列車中に覚えたもので、この日の為のものとは知らなかった。
北国の春は、アジアの国々でその国に訳され、多くの人に愛唱され友好の役目を果たしているそうです。

3.天壇公園 7月10日(水)
天壇は273万uと云う面積は北京旧城部の3分の1を占める。ここは皇帝が天に五穀豊穣を祈願する場所。現存する中国最大の祭祀建造物で、1421年に造られ、1998年には世界遺産にも登録された。
全体の構成は天円地方思想により、祈念殿、圜丘(かんきゅう)皇穹宇(こうきゅうう)などの建築物を配置している。祈年殿は皇帝が豊作を祈願するところで、丸い瑠璃瓦の屋根を持つ建物。天壇の中でも壮厳で美しい。三層の屋根は全部で28本の木のはしらだけで支えられており、ほかには粱と釘を1本も使わず建築されている。


・帰国の途へ
天壇の観光のあとは、最後の土産物を買うチャンスです。中国では、ホテルやレストランでは100%近く日本語が通じなかったが、土産店だけは言葉がよく通じた。そのため、商品に興味を示すと、付きまとわれるので断るのにひと苦労である。スルーガイド
 
そして、北京に名残を惜しみ空港へと向かた。滞在中は好天に恵まれたものの日本では台風6号が接近、関西地方は暴風圏内に突入、大荒れの天候になっているとの速報が入り関空へのフライトが危ぶまれたが、定刻の15時05分、全日空機は無事北京空港を飛びたった。上空は台風の影響を受けて雲一色に覆われたが飛行機は遥か上空を飛んでいるため揺れることはなく変わり行く雲景色のすばらしさに見入っていた。そして雲の切れ間に日本列島が見え隠れしながら関空に近づいていた。それがこの旅の終わりを告げるかのように寂しさがこみ上げた。

                              

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