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★第7日目7/13(木) グランドティトン国立公園→デンバー→サンフランシスコ★ |
日の出とともにティトン山頂が赤く染まりだす
午前5時半過ぎ起床。窓の外を見たら今日は晴れのようだ。 日の出の午前5時50分前後から、ティトンの山頂が赤く染まり始め、赤色はティトンの山全体からだんだん下のふもとまで下り、ジャクソンレイク、湿原に広がり、まもなく太陽が顔を出すとその赤みも消える。 その間10分ほど、ロッジに泊まった者だけが味わえる感動的な景色だ。 午前7時前、直ぐにチェックアウトも出来るように、スーツケースも車に積み込んで乗馬の事務所へ。 “イレブンサーティ?!オーノー!” 事務所の若い兄ちゃんに、何時ごろ帰ってくるのか聞いたときの返事だ。帰りが午前10時30分でもギリギリだと思っているのに、それより1時間も遅れたら中止しかない。 あ〜ぁ、乗馬も楽しみにしていたのに残念!こんな快晴の日なら、野外でカウボーイスタイルの朝食も美味しいに違いないのに・・・。 余談になるが、この Breakfast Ride-horseback の集合場所がロッジの外れのコラル(Corral)となっていた。昔、映画で「OK牧場の決闘(Gunfight at the O.K.Corral)」というのがあったのを憶えておられると思う。西部劇の定番として複数回ほど映画化されている。実話に基づいた映画で保安官ワイアットアープ組とカウボーイ組が二手に別れ、OK牧場で決闘するという内容だ。 このO.K.Corral の日本語訳が“OK牧場”であるが、しかしコラルとはいわゆる牧場のことではなく、馬や家畜を入れておく狭い囲みのこと。誤訳したのかそれとも牧場の方が判り易く、通りが良いから意図的にそうしたタイトルにしたのか判らない。まあ多分後者の方だろう、“OK馬囲いの決闘”ではサマにならないコトは確かだ。だが集合場所のコラルを見れば、それは牧場ではなく、馬を狭い囲みに入れた場所という意味であることは一目瞭然だ。 |
さて、乗馬の朝食ツアーもダメになって、いったんロッジの部屋に戻り、部屋のコーヒーメーカーでコーヒーをつくり、有り合わせのもので簡単に朝食だ。 午前8時半すぎメインロッジに行きチェックアウト、そして2階のロビーラウンジへ上がり、大窓越しにティトンの山々、ジャクソンレイク、湿原、草原に別れを告げロッジを後にした。 昨日は右往左往したティトンパークロードを、今日は快晴の下、ゆったりと名残惜しげに走り、空港へ向かうが返却にはまだ時間があるので、初日に立ち寄った映画「シェーン」の撮影現場へもう一度行くことにした。初日同様グランドティトン山がクッキリと見え、草原では今まで見たことも無い数のバイソンが 草を食んでいた。高原のとてつもなく清楚なオゾンいっぱいの空気に包まれた、この美しい景色を見ていたら、その場を離れるのがイヤになったほどだ。 |
高原のすがすがしいオゾンいっぱいの空気に包まれた「シェーン」の撮影現場辺りには、多数のバイソンがいた
まだまだこの景色を見ておきたかったが、そうもいかず空港に向け走り、約10分後レンタカーリターンの午前11時ジャストの20分前に空港の駐車場に到着。 ところが駐車場のどこを見ても、レンタカーリターンの事務所なり場所の表示がない。 仕方なく適当に空いている駐車場に車を止めてロックをし、走行距離だけメモ書きする。そしてスーツケースを転がして空港内のレンタカー事務所まで行き、若い女の子にメモ書きとキーを渡したら、パソコンに何か簡単に打ち込んで“イッツ OK”でお終い。この間1分ほど、オイオイ!駐車した場所も聞かず、返却時の車の点検も何もしなくてOKなのか・・・?と思って訊ねたが、田舎の小さな空港ではこれが普通のやり方らしい。まぁ今はドアの施錠・解錠も無線で出来るし、駐車位置も無線で特定出来るのだろう。 グランドティトン国立公園は、元来はアメリカの大富豪ジョン・ロックフェラー2世が1920年代に、この美しい自然を永久保存するために、国立公園として登録することを条件に、私有地約130平方キロを国家に寄贈し整備されたものです。 2001年5月には、その子供である大富豪ローランス・ロックフェラーさん(91才)が、グランドティトン国立公園に隣接して所有する家族用牧場4.4平方キロ(約36億円相当)を連邦政府に寄付している。この牧場も整備してグランドティトン国立公園に組入れられた。 ローランス・ロックフェラーさんは贈呈式で「父は75年前、この景色の雄大さに心を奮い立たせた。私の牧場が加われば、父の眺めた風景もよりすばらしいものになる」と語ったとか。(朝日新聞記事より) なんともスケールの大きい話である。 |
離陸後旋回した機内から見たグランドティトン、スネイクリバー、レイク
午後1時26分ユナイテッド航空UA426便でジャクソンホール空港を離陸、午後2時50分デンバー国際空港のコンコースBに到着。ここで次のサンフランシスコ行の乗継ぎ出発まで約3時間弱の待合わせになる。 初日の時に書いたように、成田空港の約20倍の広さがあるデンバー国際空港は、1日の発着は1300便を超え、84のゲートを備え、5本の滑走路がある。 コンコースBはユナイテッド航空専用のコンコースで、46ゲートを有し全長1000メートル、22万平方メートルを誇る世界最長の建物といわれる。関空と比較すれば、その違いにあ然とする。 このコンコースBで3時間ほど過ごすのであるが、初日に一通り歩き回っているので、今回は同じように歩き回る元気も無く、待合室の椅子に座ってうつらうつらとしていた。 定刻の午後5時40分(現地時間)ユナイテッド航空UA426便デンバー国際空港を離陸。約2時間20分の飛行の後、サンフランシスコ国際空港に午後7時05分(現地時間)に着陸。 この飛行機の座席は最初、非常口のすぐ横だった。前にシートは無いので足を自由に伸ばせると喜んでいたら、スチュワーデスが来て突然早口の英語で、座席をチェンジするような内容のコトを言い出した。 ところがこちらがキョトンとしていたからか、英語を理解しないと思ったのだろう、近くにいた同胞と見えた中国系アメリカ人に応援を求め、彼に説明しだした。 その彼が来て片言の日本語で説明した。“この席は緊急の場合、非常口を開けたりするので、規則で英語を理解する者しか座れない”、なるほどと納得して直ぐに2、3列後ろのアメリカ人と交代する。 後で飛行機の説明書を見ていたらその通りの事がキッチリと書いてあった。今まで何回となく飛行機に乗っているのに、こんな経験も始めてで個人旅行なればこそだろう。 空港よりタクシーでホテル日航サンフランシスコへ、約20分で着いた。タクシー代金はチップ込みで45ドル。このタクシーの運転手は40才前後のアジア系アメリカ人。簡単な会話には充分な日本語を話すので聞いたところ、ミャンマー人で、自国の軍事政権に嫌気がさして日本へ政治亡命し、7、8年日本で暮らした後、アメリカへ来たとのこと。 今はアメリカで永住権も取得し、何とかアメリカ人として生活しているが、やはり望郷の念を抑えることはできないような話し振りだ。人種のルツボのアメリカではありふれた話の一つなのだろうが、何かホロリとさせられる、と同時に平和な日本を有難く思う。 住んでいる所を聞いたら、このホテルから近い、あまり評判の良くない地区の名前を言ったので、苦労しているのだろう。 ホテル日航サンフランシスコの部屋は広く、バスルームと別にシャワールームがあり洗面所も広く快適だ。いったんホテルの部屋に入ったら外出も億劫になって、夕食はホテル内のレストランANZUで寿司の盛合わせを注文。久し振りの和食にほっと一息入れる。午後11時半過ぎ就寝。 |