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★ 第4日目7/8(水) デルフィ → カランバカ ★



ヘルメス・ホテル一階テラスから見た朝の景色、遠くにコリンティアコス湾を望み眼下一面にオリーブ畑が広がっている

午前6時起床、7時から朝食、8時50分バスで出発
朝のデルフィの狭い道の両側には車がビッシリと路上駐車、その間をおおきなバスが縫うように入ってきた、こんな狭いところを走ってきて大丈夫かなと見ていたら、案の定その路上駐車の車のサイドミラーに接触して壊してしまった。

日本なら一騒動だなと思ったが、しかしバスのドライバーは知らん顔、バスから降りて壊した車を見るわけでなし、まわりのギリシャ人も何も言わない。そんなところに止めていた方が悪いとでもいうような態度だ。国民性の違いだろうがイヤハヤたいしたものだ。
そのままホテルの玄関前に来たバスに乗り込んで何事もなかったかのように4.5分走ったすぐ近くのデルフィの遺跡へ。

デルフィ町のメインストリートの朝
デルフィの遺跡もパルナッソス山の斜面にあり、アポロン神殿を中心とする神域と劇場や競技場など古代の都市の建築物の遺構からなり、1987年世界遺産に登録されている。
古代ギリシャではギリシャの国が世界の真中にあり、その中心がデルフィーであり、従ってデルフィを世界の中心、大地のヘソ(オンファロス)と呼んでいた。

都市国家(ポリス)デルフィの名を当時のギリシャ中に響かせたのはアポロン神殿で巫女の口から発せられる神託、つまり神のお告げだった。太陽神にして予言神アポロンのお告げは当たることで有名で、ギリシャの都市国家のみならず、近隣国の支配者まで神託を聞きにやってきた。そしてデルフィの町は紀元前6世紀には最盛期を迎えることになる。

その神託は、巫女(ピュティア)が祭壇(三本足の椅子)に座り、神がかり状態になった巫女が発した言葉を神官が自分の知識・情報・経験を加味して解釈し、それを神託として授けていた。
神託の内容はさまざまで、家庭内や日常生活の問題から、ポリスの政策決定から戦争まで多岐にわたり、その神託が的中した個人や貴族、勝利した各ポリスはこぞって財産を奉納し、アポロン神殿にいたる参道の両側には、それを収納する宝庫や財産庫も築かれていた。

現在はほとんどが基礎部分を残すのみだが、参道中ほどにある「アテナ人の宝庫」は復元され、往時を偲ぶことが出来る。壁面には「アテネがマラトンの戦いでペルシャ軍に勝利した感謝のしるしとしてアポロン神に捧げる」旨の献辞が刻まれている。

神託のなかでも「サラミスの海戦」(紀元前480年ギリシャとペルシャとの戦い。神託のおかげでギリシャ艦隊の大勝利)、「オイディプス王の悲劇」(オイディプスは“父を殺し母と交わるであろう”との神託を受け、そうならないように努力したがしかし神託には逆らえなかった)、「ヘラクレスの12の功業」等々が有名な話である


アポロン神殿跡、長さ60m、幅23m、38本のドーリア式列柱が立つ壮大な神殿

アポロン神殿跡

アポロン神殿跡

大地のヘソのイミテーション

アテネ人の宝庫・マラトンの戦いで勝利した記念に建立

奉納者の氏名

参道


35段・5000人を収容する劇場


競技場跡
劇場跡からさらに急な坂道を登って行くと10分ほどで古代の競技場跡に出る。
デルフィでは4年毎のビュティア祭りという大祭が盛んだった紀元前6世紀ごろ、この競技場では
オリンピック競技に劣らない大きなスポーツ競技大会が行われていた。そして劇場では音楽や歌の演奏が行われ、それぞれ勝者には月桂冠の冠が与えられたという。

その後オリンピアの地に素晴らしい競技施設が出来上がっため、スポーツ競技大会の開催はデルフィからオリンピアへと移っていった。
左の写真がその競技場で、長さ178m、幅23mのトラックと7000人収容の観客席を誇り、トラックのスタートとゴールの位置には大理石の敷石が残されている
デルフィの遺跡見学後、遺跡から出土した品を展示しているすぐ近くのデルフィ博物館へ。
この博物館には1892年からフランスの考古学チームによって発掘調査が行われ、デルフィの遺跡から発掘された、アポロン神殿の破風のレリーフ、ナクソス人が奉納した有翼のスフィンクス、大地のへそ(オンファロス)、中でも1896年にほぼ完全な形で発掘された「青銅の御者の像」は、紀元前478年頃の古典時代における傑作のひとつで、当博物館の代表的展示品だ。

「シノフス人の宝庫」の破風のレリーフには、ギリシャ神話に出ている、ヘラクレスが巫女に神託を拒否されて怒ってアポロンと巫女の3本足の祭壇を取り合い、それをゼウスが仲裁している様子が描かれている。ヘラクレスがイフィトス殺しのあと、まだ清めを受けていないためらしい。

ナクソスのスフィンクスは エーゲ海の小さな島に住むナクソス人によってアポロン神殿の南側に立てられたイオニア式円柱「ナクソスの柱」の上に載せられていた有翼のスフィンクス像である。女性の頭部、ライオンの肢体、鳥の翼を持つ怪物で、アポロン神殿を守護するナクソス島のシンボルだった。紀元前6世紀のアルカイック期に造られたもので、アルカイック・スマイルを浮かべた頭部に特徴がある。

「シノフス人の宝庫」の破風のレリーフ、神託を断られたヘラクレスは怒ってアポロンと巫女の祭壇(三本足の机)を取り合っている


「シノフス人の宝庫」の破風のレリーフ、アポロンとアルテミスがギガース族(巨人族)と戦っているギガントマキアの図


ナクソス人が奉納したスフィンクス(正面)、頭部は女性

体はライオン、鳥の翼を持つ、神殿を守護していた

シフノス人の宝庫の女神柱・右図の2女神柱の上半身像

シフノス人の宝庫の復元予想図

大地のヘソ(オンファロス)

アテネ人の奉納・円柱の上に立つ3人の乙女

司祭・哲学者の大理石像

ハドリアヌス帝の寵愛を受けた美少年アンティノス像

アギアス像・有名な格闘技選手の見事な肢体

アルゴス人が奉納した孝行兄弟のクーロス(青年)像

アポロンの像

竪琴を弾く「アポロン」を描いた盃
太陽神にして予言神アポロンApollonとは
最高神ゼウスとティタン神族の娘レトの子。ゼウスの妻ヘラの嫉妬によって苦難の末デロス島で生まれた。アルテミス(月の女神)とは双子の兄妹。父、ゼウスに一番愛された子供だといわれる。
彼は生まれてすぐ、妹のアルテミスと共に、デルフィーの守護神であったパルナッソス山の大蛇ピュトンを退治した。その大蛇ピュトンは嫉妬と憎しみに駆られるヘラの指図で、アポロンの母親のレトをたいそう苦しめていた。その後アポロンは大蛇ピュトンの住みかデルフィに神殿を建て、巫女を置き神託を授ける神になった。
アポロンは神々の中で最も美しい神と言われ太陽神を初め多くの名を持つ。芸術の神、神託の神、医術の神、真理の神とも言われ、また竪琴の名人、弓の名人でもある。最も美しい神と言われながら、しかし女性運にはあまり恵まれ無かったようだ。
上の写真の盃に描かれている“うそつきカラス”の告げ口による恋人コロニスとの悲劇や、エロス(キューピット)の金の矢で射られたアポロンが月桂樹になったダフネに恋した神話、ヒヤシンスになったヒュアキントスの神話、予言の力を授けたトロイの王女カッサンドラの神話等が女性運の悪さを物語っている。


1896年にほぼ完全な形で発掘された「青銅の御者の像」当博物館の代表的展示品

おそらくデルフィ博物館の展示品の中で最も有名なのがこの「青銅の御者の像」。一番最後の部屋に展示されていた。紀元前478年の古典時代における作で作者は不明、シチリア島の僭主(政治主導者)ポリザロスが馬車レースで優勝したことを記念して奉納されたものという、1896年に発見された高さ180cm。保存状態が良かったためか、像には睫毛(まつげ)や目には瞳が入り、服の襞(ひだ)など細かいところまで精巧に作られていて、とても2500年も前の作品とは思えない。

博物館見学後デルフィの町に戻り、レストランで昼食(カラマラキア・イカの唐揚げ)

坂道の多いデルフイの町

昼食はカラマラキア・イカの唐揚げ

昼食後、メテオラの修道院観光の拠点、カランバカの町へ、約210km4時間のドライブ。
途中、トイレ休憩と教会の屋根に巣を作っているコウノトリ(だったと思う)を見た以外は寝ていてあまり記憶がない。というのも、昼食のレストランにデジカメを忘れてきたのか、バスの中でデイバックを探してもどこにもない。

今まではこんなことなかっただけに老化現象かボケが始まったかとガックリきてふてくされて寝ていたからで、途中の景色もあまり目に入らなかった。結局カランバカのホテルの部屋に入って、もう一度デイバックを調べたら簡単にポロッと出てきて、バスの中であれだけ入念に調べたのにと余計にがっくりだ。
添乗員さんにもレストランに電話してもらったりして迷惑をかけ、旅行に出ればいつも家内に注意・用心・忘れ物するなと言い続けていた身としては嫌味を言われても言い返せず、小さくなっていた。

夕食は午後7時からホテルレストランでスズカキャ(肉団子のトマトソース煮)、夕食後町のメインストリートを散歩し午後10時過ぎには就寝。


ホテル(オルフェアス)到着直後にホテル前から写したカランバカの町の背後にある奇岩群とかすかに見えるメテオラの修道院




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