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★ 第3日目7/7(火) オリンピア観光 → デルフィ ★


午前6時起床、午前7時過ぎから朝食、午前8時50分バスにてすぐ近くのオリンピア遺跡へ。
現在のオリンピックの起源が、紀元前にギリシャ・オリンピアで開かれていた古代オリンピックであり、フランスのクーベルタン男爵の提唱で1896年に近代オリンピックが復活したことは良く知られている。

その昔、オリンピアは全能の神ゼウスの聖地として繁栄していた。その全能の神ゼウスにささげるスポーツの祭典として、当時の都市国家(ポリス)が競って参加して繰り広げられたのが古代オリンピックだった。競技種目には戦車競争、短距離走、円盤投げ、レスリングなどがあった。参加出来るのは男子のみで、それを証明するために全裸で競技していたという。

その古代オリンピックは紀元前776年に始まり、4世紀末にキリスト教がローマ帝国の国教になり、異教禁止令が出て393年に廃止させられるまで、原則4年ごとに開催され計293回も行われていた。
オリンピアの遺跡には、全能の神ゼウスと妻のヘラをまつる神殿のほか、スタジアム(長さ192m、幅30m)、体育館(ギムナシオン)、闘技場、迎賓館、食堂、宿泊施設などがあり、今と規模はまったく違うが、基本的なところは変わってなくて、昔の栄華をしのばせてくれる。1989年世界遺産に登録された。

ゼウス神殿は、長さ64m、幅27m、正面に6柱、側面に13柱のドーリア式で、柱の高さは10m。この中にはフィロンによる世界の七不思議の一つに数えられていた、金と象牙で造られた高さ13.5mのゼウス像が存在したことでも知られる。神殿跡には地震で倒壊した石柱の大きな土台石が横たわり、アテネのパルテノン神殿に匹敵する大きさといわれるが、廃墟同然の跡からは元の威容も想像できない。
しかし1950年代に彫刻家フィディアスの仕事場とされる遺跡がゼウス神殿付近で発見され、ゼウス像が神話の世界だけでなく実際に存在した可能性が大いに強まった。

ヘラ神殿は現存しているドーリア式では最古の神殿で、オリンピア考古学博物館に展示されているヘルメスの像もここに飾られていた。今日ではオリンピック聖火の採火式はこのヘラ神殿跡で行われ、テレビで見るように古代の儀式にのっとって巫女(みこ)に扮した有名人が、太陽光を凹面反射鏡で集めて採火し、この聖火がオリンピック開催国に運ばれている。


パラエストラ(闘技場)の跡

ゼウス神殿の廃墟

パルテノン神殿に劣らぬ壮大なゼウス神殿の跡

ゼウス神殿の廃墟

ヘラ神殿跡

ヘラ神殿前の聖火の採火場

オリンピック優勝者の名前の書かれた碑

トロス(円形神殿)戦勝記念にアレキサンダー大王が建立

ローマの皇帝ネロが建てたアーチ型の凱旋門

スタジアムにてアメリカ人のおばさんと、敷石はスタートライン

オリンピア遺跡見学後、歩いてすぐそばにあるオリンピア博物館
オリンピア博物館は遺跡から出土したオリンピックの歴史を物語る貴重な品々を展示している。
代表的なものは、ゼウス神殿を飾っていた「東西の破風」のレリーフ(浮き彫り)、幅は25mほどあり、神殿に飾られていた当時と同じ順序に並んでいる。破風は神殿の屋根の下の三角部分をいう。
東側には「オイノマオス王とペロプスの戦車競争」の彫像がある。
婿になるものに殺されるというデルフィのアポロンの神託を受けたオイノマオス王が、一人娘ヒッポダメイアの求婚者であるペロプスに対して、戦車競技を持ちかけた。そこで、なんとしても勝とうと考えたペロプスが、王の御者を買収して勝利するのだが、左の方に膝まづいているのがその御者だそうです。
この戦車競争を記念し、ペロプスがゼウスへの奉納試合として競技会を始めたのが、古代オリンピックの起源だという。
西側には「ラピタイ族とケンタウロス族の争い」が描かれている。テッサリアに住む人間達の種族ラピタイ族と半人半馬の種族ケンタウロス族との間には和睦の条約が結ばれていた。ところがある日、ラピタイ族の結婚式の宴に呼ばれたケンタウロス族は初めて飲んだ酒に悪酔いし、その本性である乱暴で好色な面をさらけだし、ラピタイの娘達に乱暴し花嫁を誘拐しようとしてしまった。それに怒ったラピタイ族は彼らと戦い、とうとうテッサリアの国から追い出したという。
「東西の破風」のレリーフは共にギリシャ神話の話を題材にした彫像です。

その他、この博物館で人気の双璧を成すのがヘラ神殿の「赤子のディオニソスを抱くヘルメス」と翼を広げた「勝利の女神ニケの像」です。また古代オリンピック競技で使用した用具も多く展示されている。


ゼウス神殿西側破風のレリーフ「ラピタイ族とケンタウロス族の争い」を描いている、真中に立っているのがアポロン


ゼウス神殿東側破風のレリーフ、「オイノマオス王とペロプス

の戦車競争」の図、これが古代オリンピックの起源だという。

「赤子のディオニソスを抱くヘルメス」教科書や歴史書
にも載っている古代ギリシャの傑作

地上に降り立つ有翼の「勝利の女神ニケ」


ギリシャを愛した、ローマ時代のハドリアヌス帝

ガニュメデスを連れ去るゼウス

有翼の「勝利の女神ニケの像」はオリンピアにふさわしい出土品だ。
オリンポスの神々の最高神であるゼウスの随神であり伝令役をつとめる有翼の女神ニケは、ゼウスの意思を具現する者として勝利を祝福する時にのみ地上に降り立ち、贈り物として人々のもとへ勝利をもたらすと言い伝えられていた。後にはゼウスの娘にして知と戦の女神であるアテナの随神になっている。

有名スポーツブランド のナイキは、このニケ(NIKE)の英語読み、またオリンピックのメダルのデザインにも女神ニケが採用されている有名人だ。勝利の女神ニケの像はパリ・ルーブル美術館の至宝サモトラケのニケが超有名だが、ここオリンピア博物館のニケの像も、それに負けず劣らない立派なものであると思う。ただサモトラケのニケもオリンピアのニケも顔部分が発見されていないので、想像するしかないがそれもまた楽しいかも知れない。

昼食はイエミスタ(トマトのライス詰め)

ペロポネソス半島(向う側)と本土を結ぶ唯一の橋
オリンピア博物館の見学を終わったらお昼、オリンピアの町にもどりレストランでイエミスタ(トマトのライス詰め)の昼食。
昼食後デルフィへ約210km、3時間半のドライブ。
オリンピアの小さな町を抜け、ペロポネソス半島を北へ走りだすと、すぐにイオニア海コリンティアコス湾が見えてくる。今日はバス左手にず〜っと海を見ながら走ることになる。1時間半ぐらいでギリシアで3番目の都市パトラを通過。そしてリオの町を通り2004年のアテネオリンピックの開催直前に完成したという、近代的なリオ・アントリオ橋Rio-Antiro Bridge全長2882 mを渡る。この橋はペロポネソス半島とギリシャ本土を結ぶ唯一つの橋。それ以前はリオ・アントリオ間はフェリーで20分以上かかったらしいが、今は2分もかからずに対岸に渡れる。

二階建てにしか見えないヘルメス・ホテル
アントリオ側のレストランで休憩後、デルフィへ向け出発。今度は右手にコリンティアコス湾を眺めながら、曲がりくねった海岸線沿いに走る。そして次第に山道に入り最後はいっきに急峻な山道を駆け上がる感じで走行。
デルフィの町はパルナッソス山の中腹斜面にへばりつくようにあった。今晩泊まるヘルメス・ホテルもメインストリートの南斜面に建ち、通りから見れば二階建てにしか見えないが、ホテルの中に入れば、下の斜面にまだ二階あり、計4階建てのホテルだ。
ホテル一階のテラスや部屋のバルコニーからは遥か遠くにコリンティアコス湾を望み、眼下一面にオリーブ畑が広がっている。静かで神秘的な感じのする町だ。
夕食は午後7時から歩いて3,4分のレストランで、食後メインストリートを散策、午後10時就寝




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