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★第5日目6/13(水)アッパースローター→バーフォード→ケルムスコット→バイブリー★ |
午前6時起床、早速鳥のさえずりを聞きながら朝の散歩に出る。 最初、昨日歩いたフットパスをもう一度歩いてみようと行きかけたら、芝生や草花が朝露でビショビショに濡れている。このような中を、少し歩いただけでズボンも運動靴もビショビショ、これじゃフットパスの散歩は無理だ。そういえば昨日も正面玄関に長靴が置いてあって、伝統あるマナーハウスの玄関に長靴とは何に使うのかと思ったものだ。そうかこうした時のために置いてあったのかと納得できたが、今更戻って長靴に履き替えて散歩に行く気も起こらず、そのまま早朝のアッパースローター村の散歩に向った。 アッパースローター村の人口150人、家の戸数もせいぜい50から60軒程度の村だが、ライムストーンで出来た各家は敷地も広く、ゆったりとしている。全体的に裕福そうな家の雰囲気を漂わせている。 大抵の村には、商店やパブが一軒はあるが、昨日のレストランの予約を満席で断られた時に、支配人からさも申し訳なさそうに、この村には商店もパブも無いので隣のロウアースローター村まで行って食事して下さいと言われたものだ。商店やパブはなかっても教会だけは小さくても建っている。 |
村の中を歩いていたらアイ川に架かるfordに出くわした。fordとは「馬車、自動車が渡れる川の浅瀬」をいう。歩行者は別にある小さな石橋を歩いて渡る。昔は、牛、馬、羊が渡るためのもので、英国の大学町「オックスフォード(Oxford)」は、「雄牛ox」が渡ったテムズ河の「浅瀬ford」の意に由来している。
多くのイギリスやアメリカの地名の「-ford」は、浅瀬の ford に起源があり、Stratford-upon-Avon、Burford、等々-fordという地名は近くに川が流れていることを示している。 現在こうしたfordは、車でそのままざぶんと小川を走り抜けることになる。 |
![]() 村のセント・ピーター教会 |
![]() アッパースローター村の民家 |
ローズ・オブ・ザ・マナー(Lords of the Manor)に戻って来たのは7時半ごろ、そのまま朝食に。 ハウスの前庭は広い芝生、裏庭は典型的なイングリッシュガーデン。そんな中でのフル・イングリッシュ・ブレックファーストだから大変美味しく頂いた。 話は前後するが、マナーハウスとは、中世時代の荘園領主の館のことで、もとは貴族や領主が自分たちの住居や別荘として建てた館、それが歴史の変遷を経て今は旅行者の宿泊施設として再活用されている。築300年、400年のマナーハウスを改築した宿泊施設は全国各地に点在しており、歴史と伝統ある英国ならではの宿と云える。 現在の近代的、機能的に造られた大規模豪華ホテルと比べたら、客室もせいぜい15〜20室と少なく、部屋の設備、調度品も古く、部屋や廊下を歩くだけでギシギシと音をたてるような状態だ。が、かってこの館の貴族や領主が愛し、眺めたであろう庭園、樹木、インテリア、絵画そして家具調度品などの数々が、どれだけ大切に守られ保存されているか、こうしたマナーハウスに泊ることによって英国の歴史ある伝統文化の一端を、B&Bとは又一味違う貴重な体験をすることが出来ると思う。 |
ローズ・オブ・ザ・マナーをチェックアウトし、裏の駐車場へ車を取りに行ったら、バッタリと日本人の同じくレンタカー旅行者の同世代と思われる夫妻に会う。家内をホテル正面に待たせているのであまり話も出来なかったが、連泊してこれから我々が昨日走ったウインチクームやスタントンへ行くと言うので、情報交換しお互いの健闘を祈って別れた。 午前10時過ぎにホテルを出発、ロウアースローター村の水車小屋の脇道を通りA429に向かう。この水車小屋を見渡せる場所には、一目で日本人と判る12,3人の集団が、既にキャンバスを立て、スケッチブックを広げて写生にいそしんでいた。なかなか日本人には有名な人気スポットのようだ。 A429を南下、ノースリーチ(Northleach)で左折し幹線道路のA40に入り東へ 、このまま一直線に行けばオックスフォードに行けるが、途中のラウンドアバウトを回ってバーフォードへ。 A40から少し走ると、前方の視界が急に開け、眼下にバーフォードの可愛らしい町並みが見える。村の中心部に向かって下り坂が一直線に伸びているのだ。 これがバーフォードのメインストリート(ハイストリート)で、坂道の両側には15世紀のチューダー朝や18世紀のジョージアン朝の家々やショップやレストラン、ホテルなどが軒を連ねている。 このバーフォードの町はストー・オン・ザ・ウォルドと同じくアンティーク・ショップが充実し、英国骨董の逸品をお探しなら、ここバーフォードへお越しくださいと宣伝している。 バーフォードには1時間ほどいて、次はウィリアム・モリスの聖地、ケルムスコットを目指す。ケルムスコットはウィリアム・モリスが「この世の楽園」と賞賛した場所だ。 バーフォードを南へ、A361を20分ほど走ればレッチレードの町、途中は典型的なカントリーサイドで一箇所だけ奈落の底に落ちて行きまた這い上がるような感じのなんともアップダウンの激しいところがあった。このあたりは車両も少なくチラホラとしか走ってないが皆じつによく飛ばす、こちらがノンビリと70〜80Kmで走っていたらビュンビュン追い越して行く。今まででも感じたことだが、イギリス人は絶対にスピード狂だと思う。 レッチレイドで左折し、A417を東へ4,5分走ったところにケルムスコットへ行く分かれ道がある。その道の直ぐ側にトラウト・イン(Trout Inn)と云う宿屋兼パブがある。ケルムスコットへ行く車はこのトラウト・インを目標にして来るのでちょっとは知られている所だ、ここのパブで我々も昼食にする。 |
![]() トラウト・イン(Trout Inn) |
![]() 魚料理の昼食、フライドポテトの多さに四苦八苦、殆ど残す |
![]() パブのレストランの窓口 |
![]() パブのバーの窓口 |
このトラウト・インからケルムスコット村へは7,8分ほどで着く、村の端の駐車場に車を止め、ぶらぶらと回りの景色を見ながら10分ほど歩いてケルムスコット・マナーへ。ケルムスコット・マナーの開館日は4月から9月までの毎週水曜日とその間の8回の土曜日のみで、時間は午前11時から午後5時まで、土曜日は午後2時から5時までのたった3時間のオープン。こんな調子だから、開館日と時間に合わせて訪問のスケジュールを立てるのに苦労した。 ケルムスコット村はいままで回った村の中で一番の田舎、それもド田舎といった感じ。ウィリアム・モリスが「この世の楽園」と賞賛した場所と云うが、どこが?、というのが正直な印象だ。が、テムズ川が近くを流れ、自然が豊かで何よりも静けさを愛したのであろう。 村の駐車場の係員といい、受付や各部屋の案内人といい、皆が村人のボランティアと思われるが、観光客馴れしてなくてとても初々しく素朴で、村全体でウィリアム・モリスを盛り立てる感じがして好印象を持った。当初は有名なケルムスコット・マナーの開館日が水曜日だけと判って、何故?と疑問に思ったが、こういう素人集団であれば週に一日の開館も大変だろうと納得できる。 ケルムスコット・マナーの中は思ったより広く、明るく、屋根裏部屋も立派で、内部には彼が暮らしていた当時のように家具も残されており、モリスが生活していた当時の様子を知ることが出来る。 また壁紙、刺繍、タペストリー、テキスタイル、カーテン、ベットカバー、家具など部屋ごとにデザインが異なり、モリスの傑出したデザインの世界を堪能することができる。 |
![]() ケルムスコット・マナーの庭園 |
![]() ケルムスコット・マナーの庭園 |
以下は入場の際にもらった日本語パンフレットの要約です。 ウィリアム・モリス (William Morris1834〜96) は19世紀英国における最も傑出したデザイナーであり詩人、芸術家・思想家の一人である。彼の唱えたアーツ・アンド・クラフツ運動は、当時の工業化による大量生産品に異を唱え、クラフトマンシップに則った質の高い手工芸品の製作を目指し、19世紀の建築や工芸に大きな影響を及ぼした。 ケルムスコット・マナーはそのウイリアム・モリスが、妻ジェーン・モリス、と画家のD.G.ロセッティと共同で借りたチューダー朝様式のファームハウス。1570年に建築され、地元で採れたライムストーンを使った建物は、現在歴史的建築物として政府に登録されている。 モリス一家はそれまで、ロンドンのブルームスベリーにあるテラスハウスにて生活していた。これに対しケルムスコット・マナーはモリスにとっての静養所であり、またロンドンでの激務と生活のプレッシャーから逃避する絶好の場所となった。モリス夫妻と、男やもめであったロセッティの奇妙な三角関係は有名な話であるが、この屋敷はプライバシーを保つことができ望ましいものであった。彼は1871年から亡くなる1896年まで25年間ここに住んでいた。 彼の作品には近くのテムズ川やコッツウォルズの風景が織り込まれ、織物や壁紙などの作品に数々の影響が見て取れる。モリスはまたこの地方の伝統的建築から多大なる影響を受けており、彼の工芸作品やデザインの完璧さ、また将来に利益をもたらすような古代建築物の適切な保存方法などについて信念を強めることになった。 現在、ケルムスコット・マナーはThe Society of Antiquaries of Londonが所有・管理している。 |
ケルムスコット村の駐車場を出て、今日の最終目的地バイブリーのスワン・ホテルを目指す。 A417をレッチレイドを過ぎて西へ、40分ほどでスワン・ホテル到着の予定だ。 ちょうど中間辺りの地点まで来たとき雨が降り出してきた、そして前方には真っ黒な雲、いやな予感がした。アメリカのドライブ旅行記でも書いたが、雨では怖い体験をしているので、どうも雨は好きでない。 雷は鳴ってないが、真っ黒な雲に近づくにつれ、雨がだんだんと激しくなってきた。午後5時ごろなのに真夜中のように暗い。そんな大雨のヘッドライトしか頼りにならない中を、イギリス人の車は普段どおり猛スピードで走っている。こちらは減速してゆっくり走っていると、片側1車線だから後方には車が10台ほど連なっており、煽られている感じで気分良くない。で、側に避けてやり過ごしてからまた走り出しても、少しすればまた10台ぐらいの車が後ろにピッタリとついてくる。 そんなことを繰り返しでいたら、さらに一段と激しく降り出してきたので、危険を感じて道路脇に10〜15分ほど駐車して小降りになるのを待っていた。その脇をイギリス人の運転する小さな車も大きな車もすっ飛ばして行くが、我々と危険の感覚が随分と違うようだ、それとも運動神経の差か?。 |
![]() スワン・ホテル2階客室から見た前面道路 |
ようやく雨も小降りになって、A417をサイレンセスターの近くまで走り右折、B4425を北東へ、バーンズリーを通過してバイブリーのスワン・ホテルに午後5時半頃到着。横手のパトロン・オンリー(お客様駐車場)と書かれた所に駐車。 こんな時間でも村の駐車場には4,5台の観光バスが止まり、乗用車も路上駐車していたから、バイブリーの人気振りが良くわかる。 このスワン・ホテル(Swan Hotel)は17世紀創業の老舗ホテル、21室しかない小さなホテルだが、各室のインテリアは伝統的なカントリースタイルで装飾され、ツタの葉が絡まった緑が大変美しい。 日本人にも人気のホテルで受付にいた女の子は日本語を話し、たいそう愛想良く、親身になって世話してくれた。 |
外は雨が激しく降り出してきて外出も出来ず、部屋で休憩。ホテルの部屋に入れば、右の写真のテディベアがちょこんと座ってお出迎えだ。よだれかけ?にはBibury
Swan Hotelの刺繍が金文字で入っている。 家内はこんな子供騙しみたいな人形が、いたく気に入ったみたいで買って帰ると言い出す始末。 大の大人が商魂たくましいホテルに乗せられてしまったようだ。 夕食は体調も良くなってきたので、コッツウォルズに来て初めてレストランでフルコースの食事。 シェフお薦めの鴨の足をローストした何とか何とかいう料理、いろいろ説明してくれたが結局判らずじまいで終わるが、お腹は満腹だ! シャワーして午後10時には就寝。 |
![]() ベッドに置かれていたテディベア |