- 老子">老子 講談社学術文庫 1278 金谷治 講談社 ISBN:9784061592780 ASIN:4061592785
無欲のすすめ
- 道は万物の根源 老子 道編 4章 p26
道冲、而用之又不盈。淵兮似萬物之宗。
挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵
あたごやまたぬき による解説
ここで語られている事を解りやすく説明すると「空席がある」という言葉の意味を考える場合を想定しよう。
たとえば、この「空席がある」の空席を「上野発の夜行列車の空席」とする。
やがて、東北新幹線が青森まで開通したとしよう。
すると、これまで必要不可欠で脚光を浴びていた「上野発の夜行列車」が価値を失う。
これがこの部分の「和光同塵」だったのである。
これは、どの産業のどの製品もそうなのである。
地デジ化すると、アナログテレビ自体はあなたの家から無くなる訳ではないのだが、価値は低くなる。
これがこの部分の「和光同塵」だったのだ。
そして、いつかリニアが引かれることになれば、東北新幹線だって同じ目に遭うのである。
これが「道冲、而用之又不盈。淵乎似萬物之宗」なのである。この競争は、どこまでも尽きないのである。
銃が発明されて、刀の切れ味が重要でなくなったように。
石に文字を削って書いていたのが、墨を使って紙に書くようになり、活版印刷が発明され、そして電子書籍に。
ビデオテープからDVD、そしてBlu-rayへ。
紙テープからフロッピー、USBメモリ、そしてSDカードへ。
道の作用
- 多言數窮 老子 道編 5章 p29
多言數窮。不如守冲。
状況は刻々と移り行くので、過去の発言が自分の足かせになることもあるだろう。言わないに如かず、である。
多言數窮
- 無私 老子 道編 7章 p33
天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。
是以聖人 (中略) 非以其無私邪。故能成其私。
天は長生きで、地は悠久である。
天地が長く久しくいられるのは、それらが自分は生きたいと思ってないから、長生き出来るのである。
是をもって、聖人は無私であるからゆえに、私を成し遂げるのではないか。
無為自然
- 上善如水 老子 道編 8章 p35
上善如水。
水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。
居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不争、故無尤。
最上の善は、水に似ている。
水は万物の助けとなり、しかも争わない。人の好まざる所にいる。故に、道に似ている。
住むには地面の上が善く、心は淵のように深いのが善く、与えるには仁が善く、信頼出来ることを言うのが善く、正しくするには道筋をつけるのが善く、事を行うには有能であるのが善く、動く場合は時にかなっていることが善い。
水はただ争わないので過ちがない。
上善如水
- 玄徳 老子 道編 10章 p40
載營魄抱一、能無離乎。
專氣致柔、能孾児乎。
滌除玄覽、能無疵乎。
愛民治國、能無以知乎。
天門開闔、能爲雌乎。
明白四達、能無以爲乎。
生之、畜之。生而不有、爲而不恃、長而不宰。
是謂玄徳。
玄徳
- 寵辱は驚くが若し 老子 道編 13章 p49
寵辱若驚。貴大患若身。
何謂寵辱若驚。寵爲上、辱爲下。得之若驚、失之若驚。是謂寵辱若驚。
何謂貴大患若身。吾所以有大患者、爲吾有身。及吾無身、吾有何患。
寵愛を受けるか、恥辱を受けるか、を心配し驚くさまは、まるで、自分の身にある大きな病のように貴ぶためだ。
寵愛を上とし、恥辱を下として、これを得ては驚き、失っても驚く。これを寵辱は驚くが若しという。
大患があるのは身があるからなので、自分の身に危害が及ばないのに、どうして患いがあるとするのか?
天下皆知美之爲美。斯惡已
- 有 老子 道編 25章 p90
有物混成、先天地生。寂兮寥兮。獨立而不改、周行而不殆。可以爲天下母。吾不知其名。字之曰道。強爲之名曰大。大曰逝。逝曰遠。遠曰反。
「有」とは、物が混じりあって成り立っているもので、天地よりも先に生じていると考えられる。
おぼろげで、実体はつかめないが、独立していて改変されることはなく、あまねく行きわたって、とどまることはない。
なので、これは天下の母である
吾はその名前を知らないので、「道」と字をあてたように、強いてこれに字をあてれば、「大」である。
「大」とは「逝」である。「逝」とは「遠」である。「遠」は「反」である。
有
- 「反」とは 老子 徳編 41章 p139
反者道之動。弱者道之用。
天下萬物生於有、有生於無。
「反」は「道」を動かすものであり、「弱」は「道」を利用する方法である。
天下の万物は「有」より生じ、「有」は「無」から生じる。
有
- 物事の優先順位 老子 徳編 44章 p145
名與身孰親。身與貨孰多。得與亡孰病。
名誉と我が身はどちらを愛すべきか。
我が身の安全と貨幣ではどちらがまさるか。
ものを得るのと失うとのでは、どちらを病むべきか。
足るを知る
- 不善者吾亦善之、徳善 老子 徳編 40章 p156
善者吾善之、不善者吾亦善之、徳善
信者吾信之、不信者吾亦信之、徳信
「善」とされている者を「善」とするが、「善」ではないとされている者にも「善」とする。そうすると「善」を得る。
信頼出来る者を信じ、信用出来ない者も信じると、信じあえるようになる。
萬物將自化 不善者吾亦善之、徳善
- 大国は下流である 老子 徳編 51章 p187
大国者下流、天下之交、天下之牝、牝常以静勝牡
以静為下。故大国以下小国、則取小国。小国以下大国、則取大国。
故或下以取、或下而取
大国不過欲兼畜人、小国不過欲入事人
夫両者各得其所欲、大者宜為下
大国はいわば川の下流であり、天下の集まる所、天下の「牝」である。牝はじっとしているだけ常にでオスに勝つ。
静かにしているだけで、へりくだっていることになるのだ。
だから大国は小国にへりくだることで小国と取引ができる。小国が大国にへりくだることで大国と取引ができる。
大国は、小国の人を小国の代わりに養いたいと思っているだけに過ぎず、小国は大国に取り入って仕えたいと思っているに過ぎない。
その両者の望むところを得るには、大国がへりくだるのがよろしい。
隣国と交わる道
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