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慈性日記
 
江戸におけるそば切りの初見。慶長19年(1614)2月3日の条『常明寺へ、薬樹・東光にもマチノ風呂へ入らんとの事にて行候へ共、人多ク候てもとり候、ソハキリ振舞被申候也』とある。そばの書物では「多賀大社の社僧が書いた日記」と説明するのみであるが正確でない。(一介の)社僧などではなく若き超エリート天台僧であり、正しくは「尊勝院住持と多賀大社別当不動院を兼務する慈性の日記」であり、そば切り振る舞いもまた、そばの通説とはまったく異なる場面で展開されているのである。ちなみに、父は京都の公家権大納言・日野資勝で、徳川家康の知遇を受け、三代将軍家光の時には武家伝奏も努めた。慈性はその次男。
 
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