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〒667-0041 養父市八鹿町八木1312
八木城跡は、中世の但馬国を代表する有力国人である日下部姓八木氏の城館跡です。麓には鎌倉期以来の居館跡、山頂部には室町期の遺構、中腹部には戦国期から豊臣期の石垣が残され、中世の各時期の遺構が連続して良好に遺存していることから、平成9年3月6日に、国の史跡に指定されました。
かつて11世紀半ば、源義家の重臣、閉伊四郎頼国が八木に土城をつくり館を構え、以後約130年間勢力を誇っていましたが、1194(建久5)年から1200(正治2)年頃、日下部氏を祖とする朝倉高清が、頼国の後裔、閉伊十郎行光を攻め滅ぼし、土城の東部の峯に新たに城を構築し、三男の重清を城主に置き地名をとって「八木」を名乗らせたのが、八木城の起こりであるといわれています。
以来八木氏は約400年に近い歳月にわたって、この地に君臨し、南北朝期には権勢をふるった山名氏に従い、「山名四天王」とも呼ばれていました。しかし、1580(天正8)年、十五代豊信の時に、羽柴秀吉の第二次但馬攻略にあい降伏、落城しました。1585(天正13)年にはお国替えが行われ、八木城には別所孫右エ門重棟が入りましたが、その子吉治が1601(慶長6)年に、丹後の国、北由良城に移され、その後八木城は廃城になってしまいました。標高325mの山頂には約300mにわたって城砦が築かれ、また本丸、二の丸は延べ約100mの石垣が巡らされた大変重要な遺構です。
・八木城跡と別所重棟
初代 八木安高 朝倉高清の子。八木を分け与えられ、八木氏を興す。八木 との屋敷に館を構える。
二代 八木高吉 八木三郎と名乗る。
三代 八木家高 次郎と名乗る。
四代 八木泰家 又二郎と名乗る。
五代 八木重家 弥二郎と名乗る。法名・覚恵。初めて築城という。
六代 八木家直 孫二郎の名乗る。
七代 八木高重 法名・蓮阿
八代 八木直重 法名・常光寺殿宗栄。
九代 八木重秀 法名・宝林院殿道彗。
十代 八木頼秀 法名・臨川院殿宗林。
十一代 八木重頼 法名・曹源院殿宗材。
十二代 八木宗頼 法名・大樹院殿長川宗久。花八重立老翁。
十三代 八木貞直 法名・済川院殿宗森
十四代 八木直信 法名・惰琳孺院宗松
八木豊信像(養父市HPより) 十五代 八木豊信
1585(天正13)年にお国替えが行われ、八木城には別所氏が入る。
初代 別所重棟
二代 別所吉治
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