日本トランスオーシャン航空株式会社

 1967年6月20日、アメリカ占領下の沖縄で設立された南西航空が前身、同年7月1日からを運航開始した。当初は2機のコンベア240で運航し、その後もしばらくはビーチH-18などの小型機で運航していた。以降、1968年にはYS-11を、1978年にはボーイング737と次々に機材を大型化しながらも、沖縄の島々の離島間輸送を専らとしていたが、1986年11月那覇・松山線開設で本土乗り入れを果たした。1992年には更なる機材の大型化を図りボーイング767を導入したが、航空不況のあおりを受けて、1994年にはリース元の日本航空(現日本航空インターナショナル)に返却され、同時に本土に開設した路線の一部についても日本航空に移管された。1993年7月1日、現在の社名に社名変更した。1992年と1997年には、那覇と離島間、離島間相互を結ぶ小規模路線の一部が子会社の琉球エアコミュータに移管され、一方で国内主要都市、地方都市から那覇や離島間を直通で結ぶ新規路線を1997年から1999年にかけて積極的に展開した。1999年のYS-11の退役以降は、ボーイング737のみのシンプルな機材構成となった。2003年1月1日、日本航空グループ全体の機体デザイン変更に伴い機体塗装を変更した。

これまでの使用機材


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