四天王像のお話 |
今回は天部の中の「四天王」について記述いたします。天部とは天を住処としておりま |
「四天王像」はインドで誕生した当時は憤 |
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いたしました。その様式が我が国に伝わり殆どが中国風の四天王像であります。
聖徳太子が発願された「四天王寺」の本尊が四天王、また、「東大寺」は「金光明四天王 その昔、いろんな分野で四天王が選ばれ「何々の四天王」と呼ばれたものですが最近で
時代が下ると「仁王」が中門から南大門に移りましたのを受けて中門には四天王のうち
四天王の足で踏みつけるのは「邪鬼(じゃき)」ですが「天邪鬼(あまのじゃく)」といった
平安時代になると広目天が従来の巻物と筆ではなく「赤い索」を持ち、多聞天は宝塔を
鎌倉時代になると天平以前のスタイルである広目天が巻物と筆を持ち、多聞天が右手
「兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)」は我が国では数少なく中国では毘沙門天より |
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「奉先寺洞(中国・龍門石窟)」は五尊仏で本尊を挟んで弟子、菩薩像、天王像、仁王 |
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「鞍馬寺」は今年(2005)のNHK大河ドラマ「義経」の舞台の一つで牛若丸、鞍馬天狗、弁
余談ですが先月(2005.07.11)、読売新聞の『子を抱く親心』で「子を抱く狛犬」が安置 |
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![]() ケーブルカー 運賃は100円で所要時間は2分でした。オフシーズンでしたので行きも帰りも私一人の貸切でした。 |
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鞍馬山全体が大自然の宝庫。一階はその宝庫の展示室です。 |
「本殿金堂」は歴史の重さを背負った樹林を背景に色鮮やかで優美な姿を見せております。 |
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「毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)」は本殿 |
手を髪の生え際の少し上にかざし、精悍な鋭い眼で平安京を望見しております。いかに |
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「冬柏亭(とうはくてい)」は霊宝館の目の |
右の階段を登っていきますと「これより奥の院へ」で貴船神社までのルートですが私 |
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「東寺」は今までに建築物で紹介してまいりましたが後述の「兜跋毘沙門天像」が展示さ |
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「多聞天像」は講堂の東北隅に祀られ須弥壇を守護して |
鬼と地天女であれば兜跋毘沙門天だという区別が出来なくなりました。 |
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「兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)」は中国の故 |
背の高い山型宝冠の中央に鳳凰や孔雀、金翅鳥といわれる鳥の文様が前面一杯に彫 |
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「持国天像」は「九体仏」と壁との隙間に遠慮がちに |
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![]() 吉祥天像(法隆寺) |
「増長天像」は皮革製の甲冑で身をかためているようにも見えずしかも憤怒相であり
「毘沙門天像」、「吉祥天像」共に法隆寺金堂に安置されております。 |
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「持国天像」は東大寺戒壇堂に安置され、四天王は須弥 |
写実を重んじる彫刻と言えば、削り過ぎたりすると修整が難しい木彫ではなく、修 |
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「広目天像」は「東金堂」の須弥壇に安置されております。 |
邪鬼は身体が柔らかいのかそれとも重量感のある四天王に踏みつけられているた |
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「増長天像」は右手に金剛杵、左手は腰に当てるポー |
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「当麻寺金堂」の本尊が塑像で四天王が脱活乾漆像であ |