東大寺 |
「東大寺」は華厳宗の総本山ですが「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」という「大仏さん」が居 |
さて、注目の大仏さんですが最初、聖武天皇は近江の国(現在の滋賀県)の紫香楽宮
「金光明四天王護国乃寺」の掲額(国宝)が「西大門」に揚げられていたのはそれだけ西 |
治承四年(1180)平清盛の五男重衡による「南都焼討ち」の事件は、南都にとって史上 |
東大寺に度重なる不幸が訪れました。それは、江戸時代の永禄十年(1567)「松永久秀 |
創建当初の建造物は三月堂(正堂)、転害門、正倉院だけで鎌倉再建の建造物は南大門、 |
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「南大門」は鎌倉時代に、 |
大仏様の「貫」の技法は、柱径を細くするだけでなく柱間隔をも広げられることが出来ま |
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南大門に訪れた際には是非とも「天井」を見上げてください。天井まで見上げる方は僅かしかいらっしゃいません。 |
写真は鹿の数が少ない時に撮影したも |
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南大門の「仁王像」はわが国最大の木彫像で、像高は8.4メートルですが阿吽(あうん) |
門内安置では唯一の国宝指定と言うもので原則の南向きではないですが保存上致し |
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後者の方で考えますと正面から見れば巨大な両像が一目瞭然で拝め像に近づくにし |
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「中門(ちゅうもん)」は「大 |
がよかったからではないでしょうか。 |
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東側は兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん
・多聞天)、西側は持国天です。 |
![]() 地 天 |
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「金堂(大仏殿)」は世界最大の木造建築物です。金堂というより大仏殿の方が通りが |
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正面の「唐破風」は江戸時代に付けられたもので、創建の天平時代の姿を偲ぶには大 |
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明治時代には「奈良坂」から大砲で大 |
金堂前の参道の石は、中央の青味がか |
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巨大建造物「大仏殿」の柱になるよ |
金堂の柱に設けられた穴をくぐると、子供の |
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「盧舎邦仏像」は現在、像高14.98mですが天平当初の像は15.6mで約0.6mも高かった |
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![]() 八 角 灯 籠 |
大仏殿(金堂)の前庭にある「八角灯籠」で、 |
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![]() 唐獅子 |
![]() 音声菩薩(竪笛) |
八角灯篭の「火袋羽目板」の浮彫文様は「音声菩薩」と「唐獅子」で各四面ずつ配置され |
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大仏殿を出ると、東側の空き地に、高さ100mあった |
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「鐘楼」は「しゅろう」と読む |
楼では現存最古の遺構と考えられております。
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鐘楼には重量26トンの「大鐘」が釣られておりま |
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我が国三大名鐘の一つです。 |
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![]() A 俊 乗 堂 |
![]() B 念 仏 堂 |
「俊乗堂」、「念仏堂」は鐘楼と隣
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屋根形式で錣葺(しころぶき)屋根と言うのがありますがそれには三形式があり、写 |
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「俊乗坊重源坐像(俊乗堂)」は80歳代の肖像 |
重源上人は当時、巡礼でさえ辺路(今は遍路)と言われたように「死の白装束」「墓標 |
![]() 坂の上では鹿が迎えてくれています。 |
幅広い緩やかな石段を上って行く |
上院には本尊として雑密観音がお祀りされており、「二月堂が十一面観音像」、 |
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「法華堂」は建物、諸尊像とも修復のため、拝観できない尊像がありますので調べてからお訪ねください。 「三月堂」は、創建当初は「羂索堂」と呼ばれておりましたが、ここで
「法華会」を行 名建築の誉れ高い三月堂ですが北側の建物は「正堂」で奈良時代の創建、南側の建物 和様(正堂)と大仏様(礼堂)の建築様式の違いが一目で理解できる貴重な資料です。 |
「正堂」に安置された仏像は、16体(国宝12体、重要文化財4体)にも及び、一瞬息を |
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三月堂の本尊「不空羂索観音像」でありますか |
「合掌手」は両手を男性的にぴったりと合わせ、「お手手の皺と皺を合わせて幸せ」 |
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「梵天・帝釈天立像」は脱活乾漆造で本尊より大きく本尊「不空羂索観音像」が3.6
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俯きかげんの帝釈天とは逆に梵天は顔を上げてぐっと睨みつけ、体躯は堂々たる恰 |
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![]() 吽形像(仁王像) |
「仁王像」は「南大門の仁王像」と同じように「阿吽」の位置が逆になっております。執 |
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天平時代の「四天王像」だけが軽快に動き回れる様相で |
匹の邪鬼は平伏して降参状態です。
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「日光・月光(がっこう)菩薩像」は奈良では人気ベストテンにはいる仏像で、観光ポ
日光菩薩、月光菩薩という名称の初見は江戸時代でそれ以前は梵天、帝釈天と呼ば |
写実を重んじる彫刻と言えば、削り過ぎたりすると修正が難しい木彫ではなく、修 |
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「執金剛神(しゅこんごうしん)立像」は天平時代 |
口はかっと開いた大喝一声、右手の浮き出した血管は破裂しないか心配されるくら |
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「二月堂」は昨年末(2005.11)に目出度く国宝に指定されました。二月堂とは旧暦の |
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舞 台(二月堂) |
「二月堂の舞台」からは同 |
![]() 二月堂茶所 |
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![]() 説明板「閼伽井屋」 |
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「お水取り」は他の堂で行われることがあっても一度も休むことも無く続けられてお |
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![]() 大仏様の繰型の付いた木鼻 |
「開山堂」は東大寺の初代別当、良弁僧正(ろうべんそうじょう)の尊像をお祀りする |
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昔、「手向山八幡宮」は大仏造立の際東大寺守護神として大分の宇佐八幡宮から勧請 |
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裏参道の石畳を降りて行きますと古都奈良の息吹きが感じられることでしょう。 |
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間もなく、左側には大仏殿の鴟尾が見えてきます。 |
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![]() 大仏池(正面は金堂) |
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![]() 戒 壇 院 |
大仏殿の裏を通って行きま |
されないことになりました。その国が認めた正式な僧になるため受戒するところが戒 |
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「四天王像」は須弥壇の中心に向かって安置されており |
ます。冑(かぶと)は皮革製で、「羽(赤矢印)」の付いた珍しいものです。 |
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![]() 転 害 門(てがいもん) |
「転害門」は、天平 |
中央の注連縄は宇佐の「八幡大神」を迎えたためです。宇佐八幡大神の「神輿」を置く |
画 中 西 雅 子 |