「従軍慰安婦など存在しなかった!」などという詭弁がいつまで続くのだろうか(3/
8)?これではいくら駐米大使が「日本は既に誠意ある対応をしているのに、蒸し返
して注文を付けている」と米議会の「従軍慰安婦」決議案を批判しても説得力がな
い。案の定、公聴会で唯一決議案に反対を表明していた議員が、慰安婦問題をめ
ぐる一連の首相発言などを踏まえて、賛成に転じたという(3/9)。
拉致問題解決を世界中の世論に訴えながら、その一方で「従軍慰安婦は存在し
なかった」という詭弁などは通用するはずがない。それなのに「なぜ?」としか言い
ようがない。マスコミも日本国民ももっと怒るべきだ。
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鬱などの心の病を患う自衛官が増えているという(3/8)。イラクに派兵された自
衛隊員5500人の内、これまでに7名のもの隊員が帰国後自殺しているという。ちな
みに、米軍の場合、イラク帰還米兵のうち約3割が精神疾患の症状を訴えている
んだそうだ。戦場に派兵される強度のストレスが原因だという。
今、自衛隊では若者の入隊希望が減少傾向にあり、何とかして隊員を確保しよう
と様々なPR活動が行われていると聞く(1/18)。おそらく今後もどんどんと入隊希望
者は減っていくだろう。防衛省への昇格に伴い自衛隊の海外活動が「本来化」され
た。今度も海外派兵のための「恒久法」の制定や憲法9条改悪となれば、その流
れは止まらないだろう。
その時にどうやって隊員の確保をするのだろうか?徴兵制の復活だろうか?
否、格差社会の進行により、働く意欲があるのに正社員になれず派遣やパートとし
て働かざるを得ない若者や働けど働けど最低限の生活しか出来ない若者(ワーキ
ングプアー)、生まれた家庭環境によって十分な教育の機会すら与えられずに低
賃金労働を強いられる若者が今後増えるかも知れない。そんな社会になれば個人
の意思とは関係なく軍隊に入隊せざるをえない若者がいくらでも出てくるだろう。今
のアメリカ社会(超格差社会)と戦場に送られる米軍兵士の構成を見れば一目瞭
然である。
国を守る(?)ことは何も全ての国民に平等に課せられたものじゃない。改憲を強
く叫べば叫ぶ人ほど決して自らは戦場には立たないだろう(3/7)。
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07年3月7日(水) 「日本の誇り(宝)とは・・」
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大阪で少年グループによるホームレス襲撃が多発しているという(記事)。このニ
ュースを聞いて、大阪市内にあったホームレスのテントを市職員が強制撤去した
様子を思い出したのは私だけだろうか?
「「南京大虐殺はなかった」=自民県議が発言−熊本」(3/6)。従軍慰安婦問題
を否定しようとする首相・政治家といい、なんなんだろう?この国は・・・。どうすれ
ばこの国に誇りを持ち、愛することができるの誰か教えて教えて欲しい。
ただ今日の記事の中で二つ希望を与えてくれるニュースがあった。それは、来日
中のモラレス・ボリビア大統領が首相と会談した時に「(戦争放棄をうたう日本の憲
法を念頭に)ボリビアは日本のような大国ではないが、似た点もある。人々が手に
手を取って平和に生きる社会。そういう観点から、戦争放棄を憲法改正で掲げた
い」と語ったことである(3/6)。
また、英BBC放送と米メリーランド大学が行った世論調査で、「世界に好影響の
国」として日本が1位になった(記事)。その理由として、「(日本が)ソフトパワー(非
軍事的影響力)を連想させる」からなんだそうだ。逆に、軍事力を行使したり、追求
したりする国への評価は否定的になる傾向があるというニュースである。
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昨日から朝日新聞で「子ども 弧の時代」という連載記事が始まった。昨日は「い
じめ問題」についてだった。最近のいじめは「大勢が一人をよってたかっていじめ
る」という特徴があるんだそうだ(昔からそうか・・)。その背景として、「(最近の子ど
も達は)むすびつきが弱まり、孤独感が強まっている」「(そこで皆で)一緒にいじめ
ることで仲間意識を保って」いるという。
記事を読みながら思った。これは今の私達大人の社会にも当てはまるなと。例え
ば、3年前位前に起きたイラクで人質となった若者に対するバッシング。最近の北
朝鮮問題に関する在日朝鮮人に対する嫌がらせ等々。
大勢でよってたかって少数者・弱者をいじめ、差別することによってしか、自らの
居場所、心の平安を保つことができない時代。またそれを政治的に煽る人たち。
あまりにも悲しすぎる。まさに「五濁悪世」とはこのような時代・社会を言うのかもし
れない。
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米議会に提出されている日本政府に対する「従軍慰安婦決議案」。議会の中に
は決議案に反対する議員も多いという(3/5)。その理由は「日本政府がすでに慰
安婦問題への軍の関与を認め、そのうえですでに謝罪をしたという認識があるか
ら」だそうだ。
ところがここに来て雲行きが怪しくなってきたという。一部の自民党議員だけでな
く官邸内や首相までが河野談話を否定するような発言をしたため、決議案に反対
する根拠が薄れてきたんだそうだ。「世界(世間)の認識と日本(保守)の認識のズ
レ」「こちらを立てればあちらが引っ込む」。そんなジレンマが今朝の産経新聞の記
事にもよく表れていた。
でもいつも不思議に思うことがある。この「従軍慰安婦」問題を否定する議員ほ
ど、北朝鮮による拉致問題に積極的に関わっている。なぜだろうか?拉致被害者
やその家族の痛みに共感できる人間が、どうして元慰安婦の悲しみに寄り添うこと
が出来ないのだろうか?拉致問題を解決するのに一番大切なこの時期に、なぜわ
ざわざ「河野談話見直し」などを蒸し返して、韓国や中国・台湾、しいては北朝鮮の
人々の気持ちを逆撫ぜする必要があるのだろうか?
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今私たちの教団(本願寺派)では「差別・被差別からの解放」を目指して同朋運
動を推進している。でも正直なところ数年前までは、一体何をする運動なのかよく
分からなかった。「差別をなくそう!」という趣旨は理解できた。でも、積極的に運動
に取り組む人達のやたらと教団を批判する姿勢にはあまり共感出来なかった。「そ
んなにガミガミ言わなくても・・。もっと仲良くすればいいのに・・」なんて思っていた。
ところが最近、本願寺教団の差別の歴史やこれまでの同朋運動の経過などを自
分なりに学ぶ中で、どんどんと腹が立ってきた。何も知らないときには「そんなに怒
らなくても・・」と思っていたのに、知れば知るほど無性に腹が立ってくる。
最近、この「つぶやき」を書くときも腹が立つことが多い。毎日イライラしぱなっし
である。こんなに腹ばっかり立てていたら長生きできないだろうなと思う。もっと和
やかに日々を過ごしたいと思うことがある。
そこでどうすれば平穏な日々を過ごせるか考えてみた。そして分かった。腹を立
てずに済む方法が。それは無関心になることだと。現実に起きていることに目を向
けなければいいと。ご法義だけを心の中で喜び、今の自分のことだけ考えて生きて
いけばいいと。そうすれば今のように腹を立てずに生きていけるだろう。
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「河野談話」見直しを訴える一部自民党議員やそれに関する首相の曖昧発言に
対して韓国の外相が不満を述べたという(3/3)。でもなぜこの時期に「河野談話見
直し」が出てきたのだろうか?ちょっと穿った見方をすれば、この問題を蒸し返すこ
とで韓国・朝鮮の人々を刺激し、やっと下火になった反日感情を再燃させる。それ
によって再び日本人のナショナリズムを刺激しながら、それに毅然と立向かうリ
ーダー≠演出して、ジリ貧の支持率回復でも考えているのだろうか?
同じく「従軍慰安婦」など存在しなかったと嘯く埼玉県の上田清司知事が元慰安
婦の女性と面会したという(3/2)。そして自らの持論を堅持したままで彼女にこう言
ったんだそうだ。「お気の毒に」。私が言われた訳じゃないけど無性に腹が立つ。
相手の苦しみや悲しみに全く寄り添うこともなく、自らを一段高い所において、そこ
から同情の言葉を投げつける。そして、そんな自らの態度を全く恥じようとしない姿
勢に。「お気の毒に」。この言葉はまさに彼が自分自身に向けた言葉なのかも知れ
ない。
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嫌な時期が到来した(3/1)。卒業式や入学式での「君が代」」強制。また東京や
広島で狂気の沙汰が繰り広げられるのだろうか・・
このままいけば、河野談話は覆され、教科書からだけでなく、歴史の中からも「従
軍慰安婦」という言葉は消し去られてしまうのだろうか・・(3/1)。
いくら北朝鮮が嫌いだからといって、何も北朝鮮と同じ土俵の上(非民主主義)で
喧嘩などしなくてもいいのに・・(3/1)。
確か心理学の用語に「投影」というのがあった。他人の中に自分自身の嫌いな部
分を無意識の内に見て、その人を毛嫌いする行動を言うのだそうだ。
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今、私たちの教団では「仏弟子としての名告りをしよう!」と帰敬式推進運動
みたいなのをやっている。でも何かスッキリしない。
『親鸞の教行信証を読み解くT』(明石書店 藤場俊基著)を読んだ。その中に
「名告り」について書かれていた。著者は、浄土真宗は「名告り」の教えだと言う。
「名告ることは、自己確認、自己決定の宣言」だと。そして、被差別者のカミン
グ・アウト≠例にしながら、その「名告り」にはリスクを伴う可能性があると言う。し
かし、リスクを伴う可能性があるからこそその「名告り」には意味があり、リスクのな
い「名告り」には意味はないと言う。被差別者は「カミング・アウト」によって新たな差
別を受ける可能性がある。しかしその「名告り」によって差別解放に向けての一歩
を踏み出すことが出来るのだと。「水平社宣言」は被差別部落の人々の差別解放
へ向けての「名告り」であったと。
今、教団で進められている帰敬式推進運動=Bはたしてそれにはどんなリスク
があり、どんな意味があるのだろうか?なぜ「法名の本来化」が叫ばれ、「仏弟子
としての名告りをしよう!」という運動が始められたのだろうか?本願の平等精
神≠拠り所として、教団の、私の差別体質を明らかにし、克服し、御同朋の社会
を目指して一人ひとりが歩み出すための「名告り」ではなかったのか?
今の帰敬式推進運動(遠慮文字・「あなたの名前は何ですか?」問題等)≠
見ていると、「お念仏の教えを拠り所として生きる仏弟子・私は絶対に差別をしませ
ん!許しません!」という信仰宣言≠ニいうよりも、単なる教団・僧侶による教
勢拡張運動(門徒囲い込み運動)≠ノしか見えない。
最初私はこのHPを匿名で開設した。自信がなかった。間違いを指摘され、批判
されるのが怖かった。でもある人から「念仏者として実名を名告れ!」と言われた。
しぶしぶ名告った。でも、今、その意味が少しずつ解り始めてきた。
「私・藤満智徳は念仏者として生きていきます!念仏者は絶対に戦争を許しませ
ん!戦争をなくすために立ち上がります!誰に何と言われようとも!」そんな自己
確認・自己決定の宣言だったのかも知れない。
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朝鮮総連が主催する集会の公園使用許可を東京都が取り消したという(2/27)。
理由は「街宣車」が来るからだそうだ。以前にも倉敷市で同じようなことがあった。
その時は確か裁判所が決定の仮指し止めをして事なきを得た。おそらく今回も司
法が常識的な判断を下してれるだろう(?)。
でもいつも思う。もしこんなことがまかり通ってしまったらどうなるのだろうか?暴
力によって言論の自由を制限することが可能になる。そんなことを一度でも許すよ
うなことがあれば、それは民主主義の否定以外の何ものでもない。そんな重大な
出来事なのに、判断した行政も行政なら、今回のことを大きく報道しようとしないマ
スコミもマスコミだ。一体この国はどうなってしまったのだろうか?
平和や民主主義は何もせずに実現されると思ったら大間違い。国民一人ひとり
の不断の努力によってしか実現できないはずなのに・・・
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07年2月26日(月) 「作られた差別(バッシング)」
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なぜ被差別身分が作られたのか?ずっと疑問だった。ある本にその理由が次の
ように説明されていた。被差別身分を作り出し、人々(民衆)に彼らを(被差別民)
を差別させることによって、ときの権力(為政者)がその体制強化、秩序維持を謀
ったのだと。
なるほど!と言いたいところだけど、正直、どういうことかよく解らない。でももし
かするとこういうことなのかも知れない。
今、日本社会は「勝ち組」「負組み」といった言葉に代表されるように経済格差が
急速に拡大している。また、「官から民へ!小さな政府!」のかけ声のもとに社会
福祉がどんどんと切り捨てられている。その他にも、会社における年功序列制度
の崩壊や年金制度に対する信頼の低下、「テロ」や犯罪に対する恐怖等々、今国
民の間に漠然としつつも大きな不安が生じつつある。
本来であるならば、それらに対する国民の不平や不満は政府に向かうところであ
る。なぜならそれらの不安を作り出した原因の大半は政府の政策やその失敗にあ
るから。ところが今なぜかその矛先(不平や不満)は政府に向かっていない。どこ
に向かっているかと言うと、外に対しては北朝鮮であたり、内に対しては公務員や
教職員、解放運動へのバッシングとなって現れているような気がする。一連のバッ
シングが誰かによって意図的に作られたものなのかどうかは判らない。でも少なく
てもそれらが今私たち国民が抱いている不平や不満のガス抜き≠ニなっている
ことだけは確かだと思う。
そんなことを考えていると、なぜときの為政者によって被差別身分が作られ、彼
らに対して厳しい差別がなされたのか、その理由がなんとなく理解できるような気
がする。
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07年2月25日(日) 「平和とは築くものです=v
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クラスター爆弾を禁止するための条約締結を目指した「オスロ」宣言が採択され
た(2/23)。クラスター爆弾がいかに非人道的な悪魔の兵器≠ナあるかは映画
「Little Birds」でも周知の通りである。残念ながら軍事大国である米国、中国、ロ
シアは参加していない。強制力もないという。でも、時間はかかるかもしれないが、
このような世界の国々・NGOが協力した地道な取り組みこそが将来軍事大国の変
化を促し、世界平和を実現していくのだろう(「対人地雷禁止条約」締結が示すよう
に)。今週の言葉「平和とは初めから あるものではなく 築くものです」。
ところで「世界の宝」・「日本人の誇り」・「武力によらない世界平和実現を目指す
平和憲法」を戴く日本は今回の宣言に対してどのような姿勢を示したのだろうか?
(ちなみに専守防衛を任務とする自衛隊もこのクラスター爆弾を装備しているとい
う。)
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先日ある研修会に参加して、まさに「目からウロコ」の話を聞いた。
親鸞聖人がお念仏の教えを明らかにされて以来、約750年間、その教えが語ら
れ伝えられてきた。しかし、その語られてきたお念仏の教えは、いつでも、必ずしも
平等の教えではなかったという。確かに被差別者からすればそれは平等の教えで
あった。しかし差別者からすればそれは差別を肯定する不平等の教え(業論・真俗
二諦論など)であったと。また、必ずしも命の尊さを説いた教えでもなかったという。
どちらかと言えば、「人を殺せ!」と説いてきた時期の方が長かったかも知れない
と。
格差社会という名の差別社会が作られようとしている昨今。社会全体が戦争
の出来る国≠ノ向かおうとしている昨今。私たち念仏者は、これまで教団や僧侶
が語ってきた差別や戦争を肯定する教えに耳を傾けるのか?それとも被差別者・
被抑圧者がその悲しみ苦しみの中で出遇ってきた平等と平和の教えに耳を傾ける
のか?今歴史から問われているのだと思う。
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07年2月23日(金) 「「NO!」と言えない日本=v
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「米副大統領:「日米はベスト」強調…日本の復興支援に圧力」(2/22)。えらい国
に好かれたもんだ。今日本にとって一番の「テロ」対策はアメリカの「テロとの戦い」
に一定の距離を置くことぐらい誰でが分かっているのに・・・(1/6 2/22)。どうやら
「嫌!」とは言えないらしい。このままお付き合いを続けるみたいだ(2/23)。このま
ま両国で「心中」ってことにならなければいいけど・・・
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先日ある勉強会で驚愕の事実を聞いた。戦前の「説教本」を調べると、真宗の法
話のご讃題になんと「教育勅語」が使われていた事実があるという。「教育勅語」を
ご讃題にして一体どんなお取次ぎをしていたんだろうか?
先日ある布教使の研修会で、一人の布教使さんが「最近は権利!権利!とばか
りを主張過ぎだ!けしからん!」みたいな発言していた。「自分さえよければ他人
はどうなってもいい」という近頃の自己中心的な風潮に警鐘を鳴らし、今こそ真宗
の教えを!と言いたかったのだろう。気持ちはわかる。
でも権利を主張することはそんなに悪いことなんだろうか?戦前の国民には権利
といえるものはほとんどなかった。戦後、それらの権利を求めて国民が立ち上が
り、今の民主的な日本を築き上げてきたはず。そのことには触れずに、ただ「権利
を主張することは悪い!」と言うだけでは、納得できない。せめて何がダメなのかも
う少し具体的に説明すべきだと思う。そういえば国民の権利を制限し、義務を拡大
しようと憲法改悪を叫ぶ人たちも同じようなことを言っていた。「最近は権利!権
利!とばかり主張し過ぎだ!けしからん!」と・・・。
私たち僧侶(布教使)が再び過ちを繰り返さないためにも、一体今何をすべきな
のか、あらためて考えようと思う。
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07年2月21日(水) 「『それでもボクはやっていない』を観る」
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映画『それでもボクはやっていない』を観た。今の日本の司法制度の下では、検
察に起訴されたら最後、99,9%が有罪になるという。また、裁判官も中々「無罪」
判決を出す勇気がもてないという。なぜなら「無罪」を出すということは、警察の捜
査、検察の判断、つまり国家権力を否定することになるからだそうだ。
「君が代:伴奏拒否訴訟、教諭の処分「合憲」が確定へ」(2/20)。「「死刑囚100
人」めぐり法相と議連が会見」(2/21)
ちょっとびっくりしたことがあったのでおまけ。
本願寺教団が、宗会で採択されれば、この4月から黒以外の布袍・カラー布袍
の導入するという。所属僧侶の約6割が反対する中、本山参拝者にアンケートをと
ったところおおむね好評だったからという。また「宗祖親鸞聖人は薄墨色を着用さ
れ、蓮如上人も黒い衣には否定的だった」からいいのだそうだ(2/21)。
この理由を聞いてびっくりした。いつから本願寺教団は権威主義的な教団になっ
てしまったのだろうか?そんなにカラー布袍を導入したいなら、同朋精神にのっと
った理由を正々堂々と僧侶・門信徒に説明すべきだと思う。それを「ご開山が・・蓮
如上人が・・」とはあまりにも情けなすぎる。
「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」(『歎異抄』第6条)とおっしゃったご開山が今の
教団の姿を知ったらさぞかし嘆かれるだろう。
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イラクでは毎日のようにたくさんの人が命を奪われている(2/19)。関連する記事
を集めている私が言うのもなんだけど、ただ死者の「数字」だけが頭の中を通り過
ぎていく、そんな感覚に陥ってしまうことがある。全然「人が死んでいる」というリアリ
ティーが湧いてこない。「イラク陸自活動、71.5%が評価=内閣府調査」(11/2)み
たいな結果が出るのもある意味仕方がないのかも知れない。
でも「だから仕方がない」と言って自分に免罪符を与えたくはない。これからもた
とえ「数字」であっても関心を持ち続けようと思う。そしてその中から、少しでも殺さ
れていく人々の苦しみや悲しみを想像できる、共苦・共感できる、そして連帯してい
ける人間に成っていきたいと思う。試行錯誤を繰り返しながらも一歩一歩・・・
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「アーミテージ報告2」が出された(2/17)。
それによると、●防衛予算の増額●ミサイル防衛の予算特別枠創設●F22、F
35など新型ステルス戦闘機の導入●武器輸出3原則のさらなる緩和●米太平洋
軍司令部に防衛駐在官、統合幕僚監部に米軍代表がそれぞれ常駐●効果的な
決定が下せるような政府組織の強化●同盟関係の抑制要因を論議する憲法改正
論議の促進●国連安保理常任理事国入り●自衛隊の海外展開を規定する恒久
法の制定などが挙げているという。
今後日本の安保・外交政策はおそよこの報告内容に沿って進められていくのだ
ろう。
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07年2月18日(日) 「『ハンセン病差別と浄土真宗』を読む」
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『ハンセン病差別と浄土真宗』を読んだ。その中で、教団内で起きたS布教使ハ
ンセン病差別法話問題に関して、非常に考えさせられることがあった。
S布教使さんはハンセン病についていくつかの正しい知識を持っていたという。し
かし、「差別とは何かを理解していなかったため、その正しい知識も、ハンセン病に
対する偏見と差別を批判するためではなく、逆に差別するために使用」した。S布
教使さんは「差別される者の痛みを知ることがなかった。・・・差別問題を単なる知
識理解に終わらせ、自分に関係ない他人事として捉えていた」。その結果差別法
話事件が起きたという。
毎日、新聞記事を集めながら戦争反対・憲法改悪反対を呼びかけている。でも、
いくらそのために最新の動きを列挙しても、逆に益々改憲を支持する人がいる。な
ぜだろうか?
ビデオジャーナリストの綿井健陽さんの言葉が忘れられない。「「戦争を知る」と
はどういうことなのでしょうか?国際情勢を知ることも当然重要だと思います。しか
し、それだけでは足りないのではないでしょうか。それは、戦火の中で傷ついてい
るのは生身の人間だからです。戦火の中で、人々がどうのように暮らし、どう傷つ
き、どうのように泣き、怒り、その中からどう自らを取り戻そうとしているのか・・。そ
の現実を知り、その痛みを想像する、人としての「イマジネーション」、他人のことを
静かに想像する力が、戦争を本当に知るためには必要なのではないでしょうか?
そして、そのためには、人々の声を聞き、痛みを共感し、想いを預かり、そして伝
えることが大切ではないかと思っています」。
同朋運動とは、差別の現実から出発する運動として始まった。なぜか?その理
由がこの差別法話事件に関する学びを通して、そして私自身の今の非戦・平和の
取り組みを通して何となく頷けるようになってきた。
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2、3日前に、「戦後日本社会の中で平和や人権の尊さを主張してきた組織や
人々が、ここに来て個々のスキャンダルを理由に攻撃を受け、弱体化させられて
いる」と書いた。
次はどこだろうか?と思っていたらやっぱりあった。どうやら次の餌食は各地の
教育委員会であり(2/17)、メディアのようだ(2/17)。同じく個々の不祥事を理由に
世論を味方につけ、それらに対する国家統制を強めようとしている。
メディア統制はともかく、なぜ教育委員会も?と一瞬思った。でも何となく推測が
つく。確かに都教委など問題のある教育委員会はある。でも、「つくる会」の教科書
採択を拒むなど、まだまだ常識的な教育委員会は各地にたくさん存在する。それ
らを一網打尽にしようとでも考えているのかも知れない。
昨日の「つぶやき」にも書いたけど、本当に為政者のやることは狡猾且つ巧妙だ
とつくづく思う。「気づいたときはもう全て遅かった!」そんな状況にならないように
何とかしなければならないんだけど・・
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07年2月16日(金) 「戦争の出来る国≠フ作り方」
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以下は、ヒトラーの右腕で軍事参謀のヘルマン・ゲーリングの1945年の言葉と
いう。
「もちろん人々は戦争を欲しない。しかし結局は国の指導者が政策を決定する。
そして人々をその政策に引きずりこむのは、実に簡単なことだ。それは民主政治
だろうが、ファシズム独裁政治だろうが、議会政治だろうが、共産主義独裁政治だ
ろうが、変わりはない。反対の声があろうがなかろうが、人々が政治指導者の望む
ようになる簡単な方法とは・・・。国が攻撃された、と彼らに告げればいいだけだ。
それでも戦争回避を主張する者たちには、愛国心がないと批判すれば良い。そし
て国を更なる危険にさらすこと、これだけで充分だ。」
60年以上前の発言だけど、最近の日本社会の様子(北朝鮮問題・愛国心教育・
「テロ」との戦い等)を見ていると、決して昔の出来事でもなければ、遠い国の話で
もない。
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先日、ある方の話を聞く機会があった。テーマは最近の「解放運動バッシング」に
ついて。
社会党の自滅(?)以来、日本社会ではまず公務員バッシングが起こり、それに
続いて教職員バッシングが起きる。公務員や教職員とは要するに自治労であり教
職員組合である。そして今回の解放運動バッシングへという一連の流れがあると
いう。何が言いたいかというと、つまり戦後日本社会の中で平和や人権の尊さを主
張してきた主な組織や人々が、ここに来て個々のスキャンダルを理由に攻撃を受
け、弱体化させられているということである。そして、おそらく「戦後レジームからの
脱却」「美しい国づくり」を叫ぶ首相が現れたこともこの大きな流れの中の一コマな
んだろう。はたしてこの先に待っているの日本社会とは一体どんな社会なんだろう
か?
ちなみに今教団内で行われている同朋運動潰しもこの流れの一部なのかな・・・
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07年2月12日(月) 「他を生かす道こそ己の生かされる道=v
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「見えないところで つながりあって 生きているのは 竹だけではない」(東井義
雄)
竹というのは表面だけ見れば一本一本が独立してバラバラに生えているように
見える。しかし、実は土の下では大きな根っこによって繋がっているという。だか
ら、もう少しすると竹の子が出てくるけど、実は竹の子というのは周りにあるたくさ
んの竹から栄養分をもらいながら伸びてくるんだそうだ。また、根っこによって繋が
っているので、竹の子を掘るときには、そのつながっている根っこを傷つけないよう
に掘らなければならない。もし傷つけてしまうと周りの竹まで枯れてしまう危険性が
ある。このように、竹は、土の下、目に見えないところで繋がり合い、互いが互いを
支え支えられつつ生きている。
それは、何も竹だけではない。
「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道。他を生かす道こそ己の生かされる道」(『阿弥
陀経のことばたち』本願寺出版より)
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最新の科学によると、私が私としてこの世に生まれてくる確率は250兆分の1であ
るという。女性が生涯のうちに作り出す卵子。男性が生涯のうちに作り出す精子。
その中の一つが偶然に出会い、この私となってこの世に生まれてくる確率なんだ
そうだ。そういえば、2500年以上前、仏教を開いて下さったお釈迦様も、私たちが
この世に人間として生まれてくる確率は、ガンジス川の全ての砂の内のほんの一
掴み分ぐらいだとおっしゃった。
そのように考えると、私も含めて、全ての人間一人ひとりが今ここに生きていると
いうことは本当に奇跡というか、不思議なことなんだと思う。それなのに戦争はそ
の不可思議な命を一瞬のうちに奪ってしまう。
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今、世界中から、そして当事国からもイラク戦争開戦やその後の駐留政策に対
する批判が起きている(2/9 1/6)。今さら何を!と特にアメリカには言いたい。で
も、自らの判断・行為を全く反省することなく、開き直る国がある(2/9)。自らの過
去の過ちから目を逸らし、隠蔽しようとする国がある(2/10)。私自身「武士道」とい
う精神にはあまり興味はない。でも、これでも武士道の国なのか!?と思わず突っ
込みたくなる国がある。
「過去を否定する人は、過去を繰り返す危険を冒しているのです。」(ヴァイツゼッ
カードイツ元大統領)。
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昨夜ある情報番組を視ていて驚いた。なんと世界中で1秒間に軍事費として支出
される額は400万円にも上るという。今こうしてワープロを打っている最中にも、そ
の額はどんどんと増え続けている。
その一方で、今、世界中でたくさんの子どもたちが飢えで亡くなっている。確か4
秒間に1人だった(1秒間に0.25人)・・・。また、今も刻一刻と地球の気温が上昇して
いて、温暖化の影響で取り返しのつかない事態に一歩一歩近づいている。
来年度の日本の防衛予算は総額で4兆8000億円だという(12/20)。たとえこの半
分の額でも、飢えや温暖化の問題解決のために使うことができれば・・・。ミサイル
や戦闘機を買うよりよっぽど安全保障になると思う。平和と安全を築くのは何も軍
隊だけじゃない。
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帰国した元中国残留孤児の7割以上が生活保護を受け、厳しい生活を強いられ
ているという(2/7)。よく比較されるのが帰国した拉致被害者の方々に対する国か
らの支援とである。なぜこんなにも違いがあるのだろうか?同じ日本人なのに・・・
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民間の港に続いて今度は空港か・・・(2/5)。こうしてどんどんと日本列島全体が
米軍基地化され、民間人が戦争に協力させられていくんだろうな・・・。
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今、ハンセン病問題に関する連続研修会(5回)に参加している。ちなみに、この
研修のすごいところは、門徒さんと僧侶が一緒に同じ研修を受けているということ。
まさにこれが「課題の共有」なんだと思う。このような研修に参加するのは初めてだ
った。研修主催者側のこれまでの地道な取り組みが可能にしたんだろう。
前回、入所者の方の話を直接聞かせて頂いた。病気や偏見・差別の苦しみ、悲
しみ、そしてそれらに立ち向かっていかれたご自身の体験を話してくださった。その
中で一つ裏話をしてくださった。熊本地裁での勝訴後、小泉首相が原告団と会い
控訴断念の決断をした。当時の報道では首相の英断として大きく取り扱われた(実
際に小泉人気に拍車をかけた)。でも実際には判決後から決断までの間に、たくさ
んの人から「控訴断念」を迫る電話やFAXが官邸に届けられていたんだそうだ。そ
れを受けての決断だったという。
当時、首相の英断だけが注目され、私も含めて多くの国民が首相に拍手喝采を
送った。でも、本当は元患者さんたちによる人権の回復を求める長い長い闘いと、
それを支持する人々がいたからこその控訴断念だったことがわかった。
確かに一人ひとりの力は微力かも知れない。しかし、諦めずに闘いつづけると
き、いつか必ず大きな力となり、やがて社会を変えていくことができるのかも知れな
い。
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日本の国会議員数名がわざわざ他国(アメリカ)の議会にはたらきかけてまで、
自らの過去の負の歴史(従軍慰安婦問題)を有耶無耶にしようと計画しているとの
報道があった(2/1)。
「自らの歴史と取り組もうとしない人は、自分の現在の立場、なぜそこにいるのか
が理解できません。過去を否定する人は、過去を繰り返す危険を冒しているので
す。」(ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領)。
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いつ聞いても馬鹿げた額である。日本の国家予算を超える額だという。何が?ア
メリカの国防費が(2/3)。
先日『幸せのちから』という映画を観た。基本的には実話に基づく「アメリカンドリ
ーム」を描いた映画だったけど、その中でアメリカの貧困層の状況がリアルに描か
れていた。超格差社会=Aそれがアメリカという国なのかも知れない。
最近、地球温暖化が再注目され始めている。様々な弊害が報告・予測されてい
る。でも、世界最大の二酸化炭素排出国アメリカは、京都議定書から離脱したまま
だ。
もちろんいいところもたくさんある。でも、本当に不思議な国だ。そしてその不思
議な国に追従する日本はもっと不思議だ。久間防衛大臣が思わず本音を漏らした
くなるのも理解できる。
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裁判員制度に対して消極的な人が増えているという(2/1)。理由は、「自分たち
の判決で被告人の運命が決まるため責任が重い」、「冷静に判断できるか自信が
ない」など。
私もどちらかというと参加したくないな・・。上記の理由プラス、今の司法制度では
検察に起訴されたら最後、ほとんどが有罪になるという。まだ観ていないけど『それ
でもボクはやっていない』という映画はそのことを題材にしている。また、冤罪事件
もあるし、そして何よりもこの日本には死刑制度がある。もし無実の人の命を自分
の判断で奪ってしまったらと考えるとゾッとする。
でも忘れてはならないのは、現時点では私たち国民の大多数は、そんなことを十
分に考えることもなく、その時々の感情で「死刑賛成!」と叫び、裁判官にその判
断を委ねているということ。
やっぱり私たち人間というのは、自らがその立場に立ってみないと真剣に考える
ことができないのだろうか・・・
「憲法9条改定賛成!」「日本も軍事面での国際貢献を!」と叫ぶ人たち。おそら
く彼らの大半はまさか自分が戦場に行くとは考えていない。戦うのは自衛隊員だ
と。
他人の立場に立って物事を考えることは難しいのかも知れない。私たち凡夫に
は。でも、せめて「人間は間違いを犯す生き物である」ということだけでも頭の隅に
置いておけば、死刑制度に関しても、9条改悪に関してももう少し違った意見が出
てくるのかも知れない。
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最新の『本願寺新報』に掲載されていた法話を読んだ。本当に有難い法話だっ
た。一生浄土真宗の教えを拠り所として生きていこう、一生同朋運動を自らの取り
組みとして生きていきたいと、あらためて確信した。
阿弥陀様は私たちに願い(お前(衆生)の悲しみは私(仏)の悲しみ。お前の喜
びは私の喜び=jを届けてくださっている(=本願力)。そのご本願に出遇ったと
き、その仏様の願いが今度は私たち凡夫の願いとなって、この私をお浄土へ、差
別のない御同朋の社会へ、兵戈無用の世界へ間違いなく導いて下さる。
「この私に何が出来るのか?」と弱気になることがあるけれど、全てを阿弥陀様
の本願力に任せれば(その願いに生きれば)何も心配することはないと思った。元
気が湧いてきた。
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『共に生きるいのちとは 私の中で動き出すハンセン病問題』(高山教区寺族青
年会刊)という本を読んだ(参考)。教団や私たち僧侶とハンセン病問題との関係
が分かり易く書かれていて、非常に参考になった。
その中で特にある寺族会員が書いたレポートの一部が印象に残った。「ハンセン
病の差別は「作られた差別」である・・・国の政策や、誤った知識や情報、さらには
宗教家の活動までもが、隔離政策を支え、間違いを正す時期を遅らせ続けまし
た。そして何よりも、私たち一人ひとりの無知、無関心がそれを容認し続けてきた
ことを忘れてはなりません」と。
「差別とは煩悩である。だから煩悩がなくならない限り差別はなくならない」と言う
人が特に僧侶の中に多い。でも思う。差別とは意図的に作られるものだと(特に部
落差別やハンセン病差別はその典型)。そしてその差別を支えるために宗教(上
記の発言もそう)であったり、迷信であったりなど様々なものが利用される。しか
し、それだけでは不十分である。その差別を温存・助長し続けるためには何よりも
私たち一人ひとりの無知と無関心がなければならない。逆に無知と無関心さえ何と
かすれば、差別を解消する道も開けてくるのかも知れない。
このことは日本を戦争の出来る国≠ノするしないにも通じるのだと思う。
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「政治に弱いNHK」を明確に認めた画期的な判決が出た(1/30)。
圧力をかけていたとされる当の政治家達は、「これで無実が証明された」と嘯い
ているけど、予算など当時の政治家とNHKの関係を考えれば何が圧力になるか
は明白なはず。圧力をかけたほうはそうは思っていなくても(「公正・中立にや
れ!」by安倍晋三)、受けたほうがそう感じたらそれは立派な圧力になる。詳細に
ついては『国家とメディア』を参照。
差別事件でも、差別者はほとんどの場合自分が差別したことに気づいていないと
いう。被差別の訴えがあって初めて差別事件が明らかになる。だからこそ、被差別
の声を聞く必要があるのだ!と聞いたことがある。
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07年1月29日(月) 「差別発言を生み出す土壌」
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いつの時代にも「最近の若者はなっていない!何を考えているか理解できな
い!」という大人のボヤキはあったという。しかし、この時代の多くの大人は、「子ど
もは社会の鏡」「子どもは親の背中を見て育つ」ということを忘れて、国家権力によ
って半ば強制的に子ども(若者)を自分達の都合のいい存在に変えることを望んで
いるらしい(1/29)(そんなに子どもに社会奉仕させたいなら、まず自分(大人)が自
発的に社会奉仕しろよ!と言いたい)。
もしかしたらそんな社会の雰囲気が、厚生大臣をして、「子どもを産み育てやす
い環境をつくってこなかった所に(少子化の)原因がある」にもかかわらず 、それを
棚に上げてあたかも女性が全て悪いかのような差別発言をさせているのかも知れ
ない(1/28)。
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『ダーウィンの悪夢』というドキュメンタリー映画を観た。グローバリズムの悲惨さ
を描いた映画なんだけど、ちょうど学生時代に読んだ『エビと日本人』(村井吉敬著
岩波新書)で描かれていた状況を映画にしたという感じだろうか。否、もっと酷
い。
ある時、アフリカ最大の淡水湖・ヴィクトリア湖にナイルパーチと呼ばれる外来の
巨大肉食魚が放たれる。以後、湖周辺ではその魚を捕獲・加工して海外に輸出す
る一大産業が誕生する。一見すると、街が活気付き、人々の生活も安定したかの
ようにみえる。ところが実際には、湖の生態系を壊すばかりか、一部の金持ちを除
いて、人々の暮らしはどんどんと貧しくなり、街は暴力や売春、ドラック、HIV、ストリ
ートチルドレンなどが溢れかえる。
加工された白身はヨーロッパや日本に輸出され、残った頭や骨を飢えに苦しむ
地元の人々が食べる。その場面を映したシーンは、正直ちょっと目を背けたくなる
ような悲惨な状況だった。
また、加工された白身は飛行機でヨーロッパに運ばれるんだけど、なんとその飛
行機で密かにヨーロッパからアフリカへ武器が密輸されているという。その飛行機
のロシア人(西欧の中の貧困層)パイロットの次のような証言が印象に残った。「ア
ンゴラへ戦車らしき物を運び、ブドウを積んでヨーロッパへ戻ったことがある。アン
ゴラの子どもはクリスマスに銃を贈られ、ヨーロッパの子どもはブドウを贈られる。
世界中の子ども達の幸福を望むが、どうすればいいんだろう。言葉が見つからな
い。これがビジネスなんだ・・」と。
この映画を観た後しばらく気が重くなった。あまりにも悲惨すぎる。辛すぎる。観
なければよかったとさえ思った。自分自身の無力さ、ちっぽけさ、卑怯さをあらため
て思い知らされた。よく私たち僧侶は言う。「阿弥陀様のように被差別者や被抑圧
者の苦しみ、悲しみに寄り添えるような僧侶になりたい」と。でも、今回初めてわか
った。他人の苦しみ、悲しみに寄り添うということは、言葉で言うほどそんなに容易
いなことではないと。苦しくて、気がおかしくなるぐらい辛いことだと。
阿弥陀様の五劫思惟、兆載永劫の修行の物語が私たちに一体何を伝えようとし
ているのか、初めて少し頷けた気がする。
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教師や教育委員会の不祥事に関する加熱報道を受け、今、国民の間で教育に
対する不安が急速広がっている。一方、政府はそれらの不安をすくうかたちで国
家による教育への介入を強めようとしている(1/24)。
確かに問題のある先生や教育委員会(都教委はその典型)はあると思う。以前、
京都の旅館でアルバイトをしていた時、修学旅行生が宿泊した。仕事で生徒の部
屋に入ると、若い先生が生徒達を前にして何やら厳しく注意をしていた。一段高く
なった床の間に腰をかけて・・・。
もちろん不祥事を起こしたり、問題のある先生はいると思う。でも、一体先生って
日本中に何人いるんだろうか?問題を起こす先生はほんの僅かだと思う。それは
それで個別に対応すればいいはず。それなのにマスコミの過剰報道を聞いている
と、あたかも日本中の全ての先生がダメ≠ナあるかのような錯覚に陥ってしま
う。
野田正彰さんの『気分の社会のなかで』という本があった。何か今の日本の社会
を見ていると、多くの人がその時その場の「気分」だけで動いているような気がして
ならない。もちろん悪いのは一つの事象を必要以上に煽るマスコミであり、それを
利用して自分達の都合のいい社会をつくろうとする政治家である。しかし、私たち
一人ひとりももっと多方面から物事を見て、自分の頭で考える、そんな自立した人
間にならなければならないんだと思う。
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興味深い世論調査の結果が出ていた(1/25)。自らには「大いに愛国心がある」
と答える人ほど、先の日本の侵略戦争や植民地支配に対して「大いに反省する必
要がある」と答えたという。「自虐史観だ!」と言っては自らの負の歴史(闇の部分)
から目を逸らし、「これが愛国心だ!」と叫ぶ政治家達とは大違いだ。
でも安心ばかりもしておれない。今、どんどんと私たちの中から戦争の記憶が薄
れていっている。その結果、戦争の「悲惨さ」が伝わらなくなり、戦争というものが
益々「美化」される傾向にあるという。その象徴が昨今の「戦艦大和」ブームなんだ
そうだ(1/25)。
物事には何でも「明」の部分と「闇」の部分があるのだと思う。確かに「闇」の部分
に目を向けることは辛いことである。だからどうしても「明」の部分に関心は向きが
ちである。しかし、その「闇」の部分にこそ何か私たち人間にとって大切なものがあ
るんじゃないのかな・・・
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映画『不都合な真実』を観た。アメリカ合衆国元副大統領アル・ゴア氏が地球温
暖化に対して様々なデーターを示しながら警鐘を鳴らすドキュメンタリー映画。ゴア
氏は、大統領選敗北後、自らの新たな仕事として、これまでに世界1000箇所以上
で人々に温暖化問題についての講演をしてきたという。内容は映画に譲るとして、
是非一人でも多くの人に見て欲しいと思う。決して他人事じゃない。
映画の題名にもなった『不都合な真実』について、ゴア氏はこう言っている。「真
実の中には耳が痛いものもあります。なぜなら、本当にそれらに耳を傾け、真実だ
と認めれば、あなたは変化を起こさなければならないからです。そしてその変化
が、人には非常に都合の悪い場合があります。」と。色々な意味で非常に印象に
残る言葉だった。
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今、教育改革が叫ばれている。その中で「ゆとり教育」の見直しが論点となってい
る。
私自身受験狂騒$「代の一人として、「詰め込み教育」の是正や自立した個
人を育てることを理念とした「ゆとり教育」には当初否定的な考えはなかった。
しかし、今や教区現場では、公立学校の授業数は減る一方で、私立学校では授
業時間はもちろん教育内容も格段に充実してきているという。その結果、例えば東
大合格者の大半が私立の卒業生であったり、親の収入が比較的高い子息であた
りするなど、親の経済格差が子どもの学力格差に比例するという現実がある。まさ
に格差の世代間継承であり、固定化である。
将来私たちはどんな国を作りたいのか?私自身教育問題に関しては素人だけ
ど、決して無関心ではおれなそうだ。
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今朝の朝日新聞の「声」の欄にこんな投稿があった。
今、在日の朝鮮系の学校では、民族衣装であるチマ・チョゴリの制服を着る生徒
が少なくなってきているという。その背景には、拉致問題や核・ミサイル問題を理由
に在日朝鮮人に対する嫌がらせがあるという。子ども達に危害を加えられるので
はないかと心配する親が増えているんだそうだ。
もちろんそんな心無いことをする輩はほんの一部の人だろう。でも、そんな人を
生み出す社会、もっと言えばそのような行為を許してしまう(見て見ぬ振りをする)
社会が一番怖い。
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正直驚いた。米軍のイラクでの戦費が月額1兆円になるという(1/19)。年額では
ない。月額である。数え切れないほどのイラクの人々を殺し、たくさんの自国の兵
士を犠牲にしながら、さらにアメリカ国民はこの戦争のために税金から月に1兆円
払っているという。
こんな愚かな戦争をして誰が得をするのだろうか?一般の国民が得をするはず
がない。得をしているのは、兵器をつくる会社であったり、一部の石油関連会社だ
ってことは明らかなはずなのに・・・。
こんな馬鹿げた戦争に、これから日本も協力していくという。
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他人曰く、私は偽善者だと。あながち嘘でもないので否定はしない。でも、絶対に
今の反差別、非戦・平和の取り組みは止めない。同じ偽善者なら最後まで「偽善
者」を貫いてやる。死ぬまで「偽善者」であり続けてやる。
でも、「偽善者」であり続けることもそんなに簡単なことではないのかも知れない。
私たち凡夫にとっては。
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イラクでは毎日毎日たくさんの人が命を奪われている(1/17)。
アメリカによるイラク戦争をいち早く支持し、戦争の大儀がなかったことが明らか
になっても、当の米国が「間違った戦争であった」ことを認めざるをえなくなっても、
あの戦争が世界中に「テロ」をより一層拡散したことが分かっても(1/6)、自らの過
ちを認めようとしない日本。「イラクの人々のため」「人道援助」「国際貢献」と手放
しで喜ぶ日本。
確かに学校で強制的に「愛国心」を教え込まなければ、一体誰がこの国を愛する
だろうか・・・
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NHKの受信料未払い問題に関して、総務大臣が受信料支払いを「義務化」する
法案を今国会に提出するという。「払っている人と払っていない人との不平等を解
消するため」という理由や受信料の減額もあり、意外と支持する人が多いという。
でも何か誤魔化されているような気がしてならない。これだけ未払いが増えたの
は、もとはというとNHK内部の不祥事や国家権力の介入を許す体質が明らかにな
ったからである。もし未納問題を解決したいなら、それらをちゃんと改善し、国民の
信頼を取り戻すことが先じゃないの?それを「(払っている人と払っていない人と
の)不平等」という問題にすり替えて、国民の目を問題の本質からそらせようとして
いる。そんな気がしてならない。
それにしても、今の総務大臣は、先の拉致問題に関する「命令放送」や今回の
「義務化」といい、気をつけたほうがいいのかもしれない。
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「強制連行訴訟 中国人側、逆転敗訴へ 最高裁が弁論再開」(1/15)。「第二小
法廷は、72年の日中共同声明で中国人個人の損害賠償請求権が放棄されたか
どうかについて初判断を示すとみられ、従軍慰安婦訴訟など中国人の戦後補償訴
訟すべてに決定的な影響を及ぼすことになる」。
誰かが言っていた。「本当に自分の(加害)行為を反省している人とは、たとえ相
手(被害者)が許す、忘れると言っても、自らのは絶対にその行為を忘れず、謝罪
し反省し続ける人だ」と。
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今朝の朝日新聞の「オピニオン」の欄に「いじめのメカニズム」としてある識者の
意見が載っていた。「だれかを「われわれとは違う」存在として排除することで「われ
われ」の連帯を強化するという力学がはたらいている。攻撃という形であれ庇護と
いう形であれ、だれかを異例の者とし、その者に視線を結集することで「われわれ」
という結束が固まるというメカニズムである」と。
どこかで見聞きしたことのあるメカニズムだな・・。部落差別は言うまでもなく、ま
るで反北朝鮮や反中国・韓国キャンペーンをはってナショナリズムを煽ろうとしてい
る昨今の政治・社会状況によく似ている。
自分のことは棚に上げて、教師が悪い!学校が悪い!いじめっ子が悪い!と言
って、教職員の管理強化や「奉仕」の義務化(1/15)などを叫ぶ人たち。彼らに「い
じめ問題」を語る資格があるのだろか?
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今、自衛隊と米軍との一体化(1/13)や自衛隊の海外派兵への地ならし(1/14)
が着実に進行している。
今朝の情報番組で、防衛庁の「省」昇格問題に関して「シビリアンコントロール」に
ついて考える場面があった。「シビリアンコントロール」。戦前、軍部の暴走を許して
しまった反省から、戦後、政治家や官僚(文民)が軍人の暴走を監視・制限するた
めにつくられたもの。今回の防衛省への昇格のときも「シビリアンコントロール」を
強化しなければならない!という声が大勢を占めた。私自身も「その通り!」だと思
っていた。
しかし、番組のあるコメンテーターの発言を聞いてハッとした。「今、コントロール
しなければならないのは、暴走しているのは、軍人ではなく、シビリアンの方だ!」
と。「シビリアンのトップである首相を筆頭に、国会であり、官僚の暴走を止めない
といけない」と。そして「そのシビリアンを選んでいるのは、誰であろう、私たち国民
一人ひとりだ!私たちしかそのシビリアンをコントロールできるものはいない!」
と。
自分のことは棚にあげて、「軍人はけしからん!」「あいつらが悪い!」ではなか
ったとあらためて気づかされた。
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毎日関連する記事や関連する書籍を読んでいて、暗い気持ちになってくる。私た
ちは本当に日本をこんな国にしたいのだろうか?
昨年奈良教区で開催された平和の集い。そこで仏青メンバーが「未来からのメッ
セージ」という朗読劇をした。その中で未来の若者が、現在を生きる私たちに向か
って「自分達だけが平和な時代を過ごせればよかったのですか?」と問いかける場
面があった。
戦争に行かされるのも、格差社会の中で苦しむのも今の私たち大人ではない。
私たちの子どもや孫である。私たちは自分達だけが平和で豊かな暮らしを享受で
きればそれでいいのだろうか?本当にそれでいいのだろうか・・・
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