07年5月6日(日) 「戦争(基地)と経済(産業)」
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最近、色んな所で久間防衛大臣が「武器輸出三原則」の緩和を主張している(5/
3)。この「武器輸出三原則」の緩和に関しては、防衛省や自民党国防族だけでな
く、防衛関連産業からの強い要請があるという。確か久間大臣は長崎県選出の議
員だった。佐世保港など軍事基地や造船業(軍需産業)を抱える地元の声を代弁
しているのかも知れない。
軍事と地元産業・経済が密接になればなるほど話がややこしくなる。沖縄や米軍
基地を抱える自治体(住民)がスパッと基地を拒否出来ないのも、見返りとしての
交付金や地元の経済と基地経済が切っても切れない関係にあるからだろう。ちな
みに沖縄では年間2006億円、県民所得の5.3%を基地経済から得ているという(3/
8)。
でも何らかの形で歯止めをかけておかないと、何処かでこの負のスパイラル
を断ち切らないといけないんだと思う。軍需産業界の利益のために永遠に戦争を
し続けなければならない、そんなアメリカみたいな経済構造(軍産複合体)になって
からでは遅いんだと思う。
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読売新聞の世論調査によると、ここにきて3年連続で改憲を支持する人の数が
減少してきているという(4/5)。その原因はなんだろうか?
テレビをつければ数年前には絶対になかったような過激な発言を多くのコメンテ
ーターが繰り返すようになった。政治の場では、「従軍慰安婦」や「沖縄の集団自
決」など過去の負の歴史を歪曲しようとする動きが活発化している。日米同盟の一
体化が加速している。その他日本社会全体が右傾化しつつある。そんな動き・雰
囲気の中で、「さすがにちょっとヤバイんちゃうやろうか?」と多くの人が感じ始めて
いるのかも知れない。
現在、全国には6000団体を超える「九条の会」があるという(4/12)。ちょうど昨年
のこの時期と比べて1300団体程増えたことになる。同じ願いを持った仲間がこれ
だけいると思うだけで、なぜか元気が出てくる。
追伸:今朝の朝日新聞(関西版だけ?)の社会面に「念仏者九条の会」のことが
少し紹介されています。ご参考まで。
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憲法改定に関する非常に興味深い世論調査の結果が出ていた(5/1)。要するに
「憲法は変えてもいいけど(環境権・プライバシー権等の追加)、9条は変えない」、9
条のみに関して言えば、「自衛隊の存在を憲法に明記してもいいが(自衛軍には
反対)、集団的自衛権は認めない」ということだろう。これが現時点での改憲を巡る
大方の国民の考えと言ってもいいんだと思う。
おそらく改憲派はこの現実を踏まえた上で今後の巻き返しを図ってくるだろう。そ
の一つが今国会で審議されている問題点だらけの「国民投票法案」である(詳しく
は4/23〜27の「つぶやき」参考)。また、注目しなければならないのは、今、政府・
自民党内で議論されている解釈改憲による集団的自衛権の行使容認の動きだろ
う(4/26)。国民投票で否決される可能性も十分に考慮した上で、その前に解釈改
憲で集団的自衛権だけでも認めてしまおうという意図がありありと伝わってくる。こ
れさえクリアーすれば、たとえ否決されても、9条はほとんど骨抜きにできるだろう
し、何よりもアメリカ(4/25)からの要望に当面は応えることができるだろうか
ら・・・。
同じく私たち9条・憲法を守ろうとする側も、この世論の現状を冷静に分析した上
で今度運動を進めていくべきなんだと思う。
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07年5月1日(火) 「わたしが 兵士に引き金を ひかせる=v
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イラク人虐待の罪でイギリス軍兵士が戦犯として有罪になったという記事があっ
た(5/1)。改めて思う。戦場とは人間を人間でないもの(鬼)≠ノ変えてしまう所
なんだと。
イラクに駐留する米兵の犯罪の約3割が飲酒や麻薬がらみだという(3/14)。イラ
クやアフガニスタンからの帰還兵の約3割が「心の病」を患っているという(3/12)。
イラクに派兵させられた自衛隊員のうち、帰国後既に7名の隊員が自殺していると
いう(1/14)。
戦争に借り出される兵士は、「他人を殺し、他人に殺される」そんな極限状態の
中で常に極度のストレスを抱えながら、心を病んでいくのだろう。戦場で戦う兵士に
は勝者も敗者もないんだろう。
自衛隊員(兵士)は言う。「自分達は国民を守る!」と。では自衛隊員(兵士)を守
るのは一体誰だろうか?国民を守るのが自衛隊員(兵士)なら、自衛隊員(兵士)
を守るのは私たち国民なんだと思う。
今週の言葉「「後方支援」 銃を持たない わたしが 兵士に引き金を ひかせ
る」
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今朝の朝日新聞に次のよう記事があった。敗戦後、連合国の中から天皇の戦争
責任を求める声が強まる。ところがアメリカは日本での占領統治をスムーズに行う
ために天皇制の存続を決める。しかしそれではアジアの国々の理解を得れない。
天皇制と日本の軍隊が再び結びつくことに対する恐怖感が依然として根強い。そ
こでアメリカは戦争放棄をうたった9条を制定する。二度と天皇制と日本の軍隊が
結びつくことはない!安心して欲しい!と。つまり、憲法の第1条と第9条はセットな
んだという特集記事であった。
さて、今改憲派が主張する新しい憲法の形。それは第1条の存続若しくは強化の
一方で、9条だけは改悪するとなっている。これじゃ、かつて侵略されたアジアの
人々や戦争を知る多くの日本人から不安の声が出てきても不思議ではない。
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07年4月29日(日) 「『となり町戦争』を読む」
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第17回小説すばる新人賞受賞作品である『となり町戦争』(三崎亜記著 集英社
文庫)を読んだ。「ある日、突然にとなり町との戦争がはじまった。だが、銃声も聞
こえず、目に見える流血もなく、人々は平穏な日常を送っていた。それでも、町の
広報紙に発表される戦死者数は静かに増え続ける。そんな戦争に現実感を抱け
ずにいた「僕」に、町役場から一通の任命書が届いた…。」(本文より)。
私たち日本人は戦争というとどうしても空襲や原爆投下の悲惨さや、赤紙一枚で
若者が戦地に送られたり、残った国民が「欲しがりません。勝つまでは」みたいな
国家総動員体制下の悲惨な生活をイメージしてしまう。
しかしこれからの戦争はそんなんじゃないのだと思う。少なくても今後日本人が遭
遇するであろう戦争は。この『となり町戦争』に描かれているように、ある日突然戦
争が始まり、空襲はもちろん一発の銃声すら聞こえない。遺体はおろか敵や味方
の兵士が血を流す場面すらほとんど目にすることはない。ただたまにテレビや新
聞から敵や味方の戦死者の数が増えていることを知らされるだけで、人々はこれ
までと何ら変わらない平穏な日々を送る。そんなリアリティーのない静かな戦争な
んだと思う。
イラクでは今日もたくさんの人が命を落としている(イラク人もアメリカ兵も含め
て)(4/29)。そしていつものようにその死者の数が新聞の小さな記事に載ってい
る。でも決して今のイラクでの悲劇は私たち日本人にとって無関係ではない。直接
的にも間接的にも戦争に協力し、その恩恵を受けている。でも私たち日本人は何
もなかったかのように、他人事のように、はるか彼方遠い国の出来事のように平穏
な連休を過ごすことが出来る。
これからの平和運動に一番必要なこと、それは限られた情報の中でのいかにし
て「戦争で殺されていく者」に対する想像力を培っていけるかなんだと思う。
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日本の首相がアメリカで大統領や議会関係者に「従軍慰安婦問題」に関する自
己の発言等に対するお詫び行脚≠繰り返しているという。
でも思う。頭を下げる相手を間違っているのではないだろうか?と・・・
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07年4月27日(金) 「「国民投票法案」の問題点C」
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今回の法案では、テレビなどの有料広告が投票日前14日間を除いて野放し状態
になっている。ということは、お金があればある程、CMなどを使った大々的なキャ
ンペーンをはることが可能になる。
では、現時点においてどのような人たちが主に憲法改定に賛成し、反対している
のか?改憲を主張しているのは何も政党だけではない。日本の代表的な企業
1300社以上が加盟する経団連が9条を含めた憲法改定の必要性を提言している
(1/1)。また、日本の企業経営者が個人で参加する経済同友会なども憲法改定を
求める提言を行っている。一方で、改憲に反対しているのはほとんどが一般の個
人。明らかに両者の間には大きな資金力の差がある。
テレビなどを使った大々的なキャンペーンの影響力に関しては、普段目にする商
品の販売促進を目的としたCMや、一昨年行われた衆議院選挙(いわゆる「郵政
選挙」)でのマスコミ(特にテレビ)を上手く利用した小泉劇場≠フ効果などを見
れば一目瞭然。
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07年4月26日(木) 「「国民投票法案」の問題点B」
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なぜ今回の国民投票で白票などの無効票が大量に出る可能性があるか?それ
は「内容において関連する事項ごと」に国民の審判を問うという形になっているから
です。
読売新聞の世論調査によると、「憲法の中に自衛隊の存在をちゃんと明記すべ
きだ」と考える人が71%に達しています。一方で、もう一つの改憲(9条改定)の焦
点である集団的自衛権に関しては、「これまで通り、使えなくてよい」が44%、「憲
法の解釈だけ変更して、可能にする」が23%と、「憲法を変える必要はない」と考
える人が多数を占めます(4/3)。
この場合、前者と後者が「関連する項目」として一括して投票にかけられると、前
者には賛成だけど後者には反対という人が相当数出てきます。その時に、「○」か
「×」か二者択一の判断をせずに「白票」として投票することが十分考えられます。
しかしそれは今回の法案では「無効票」となってしまい、益々少数の国民の同意だ
けで憲法が変えれれてしまう可能性が高くなってしまいます。
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07年4月24日(火) 「「国民投票法案」の問題点A」
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現憲法には「国民投票では国民の過半数の賛成が必要」とだけ書かれている。
そこで何をもって「国民の過半数」とするかが今問題となっている。全有権者の過
半数か?総投票数の過半数か?それとも有効投票数の過半数か?と。
ところが、今回の「国民投票法案」では有効投票数の過半数でとなっている。棄
権はもちろん、白票や無効票までもが「投票数」に勘定されない。また、最低投票
率の制度も設けられてもいない。つまり、仮に投票率が50%で、そのうち白票など
の無効票が10%出るとすると、全有権者のたった23%の賛成で改憲が成立してし
まうことになる。はたしてこれで国民から承認されたと言えるのだろうか?
「投票に行けない、行かない(棄権)」の問題はおいといて、なぜ今回の国民投票
で白票などの無効票が大量に出る可能性があるのか?(つづく)
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07年4月23日(月) 「「国民投票法案」の問題点@」
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今回衆議院を通過した「国民投票法案」では、全国に500万人いるとされる公務
員・教師の「地位を利用した」運動を禁止している。罰則は設けないようだけど、行
政処分の対象になるという。確かに一定のルールは必要なんだろう。しかし、今回
の法案では、「地位を利用した」と誰がどんな基準で判断するのかが曖昧なままに
なっている。
以前、宗会議員選挙があった時に、教区の若手僧侶有志が集まって候補者に
公開質問状を出そうという話になった。初めての試みでもあり、何が選挙違反にな
るのかを関係者(選管)に問い合わせたことがある。返ってきた答えは非常に曖昧
なものだった。ただ「後でどうなっても知らないよ。負けた候補者から訴えれてもい
いの?「教師」を剥奪されてもいいの?覚悟は出来ているの?」といった忠告とも
脅しともとれるような声があちこちからから聞こえてきた。気の弱い私は「これはや
めておいたほうがいい。あれをやるとヤバイかもしれないな・・」などと勝手に拡大
解釈し、自分で自分の行動を制限(自己規制)していった記憶がある。
「これはいい。あればダメ」とはっきり言ってくれればいいけど、曖昧さが一番困
る。私のような半分自営業者のような僧侶でもそうなんだから、ましてや生活のか
かっている公務員や教師ならもっと萎縮してしまうだろう。
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現内閣の最重要課題は教育改革だという。確かに教育は改革は必要だと思う。
そのためにはもっと教育予算を増額し(日本の教育予算は先進国中でも最低水準
にあると聞く)、教員の数を増やし、少人数学級の実現や生徒一人ひとりに対する
きめ細かな教育・対応が急務だろう(文科相も同じ意見だという)。それらがあって
はじめて学力低下やいじめ問題などに対する解決の糸口も見出されてくるのだろ
う。
ところが言いだしっぺの首相は教育にこれ以上お金はかけたくないらしい(4/
20)。首相の考える教育改革とは、愛国心教育やボランティア(奉仕)の活用、教員
免許の更新制度の新設だという。つまり、エリートには金はかけるけど「非才、無
才には、せめて実直な精神だけでも養っておいてもらえればいい」(by三浦朱門元
教育課程審議会会長)。余計なことを教える教師や「君が代」を歌わない教師は排
除する。それが首相の目指す教育改革の中身のようだ。
本当にこれで日本の教育を立て直すことができるのだろうか?せめて教育改革
ぐらいは自らの趣味とは切り離して、50年後、100年後の日本社会の将来を見
据えて取り組んで欲しい。
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07年4月21日(土) 「1リットル約1360円」
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自衛隊のイラク派兵に擁した経費は約854億円になるという(4/20)。その中で
も、サマワで給水活動を主な任務としていた陸上自衛隊の経費が約721億円にな
るらしい。ちなみにその721億円の内、人件費などの必要経費が482億円。武器や
車両などの購入費が93億円。装備品の整備費が147億円になるという。これだけ
の経費をかけて自衛隊はサマワの人々に5万3000トンの水を供給したという。計算
してみると、1リットルの水代は約1360円になる。まあ、松岡農水大臣が毎日飲ん
でいるミネラルウォーターよりも安いか・・。ちみにフランスの「ACTED」というNGO
は、同じサマワで、自衛隊の600分の1の予算で5倍の給水活動を実施しているん
だそうだ。
これだけ非効率な活動をしてまでも、「日本はこんなにイラクの人のために頑張
ったんだ!」と国際貢献をアピールしたいんだろうか?日本人のいいところ(誇り)
は、評価られようがされまいが、そんなの関係なしに、他人のために一生懸命に頑
張る、みたいな精神だったんだと思う(そう、高倉健みたいな・・)。それがいつから
「俺はこれだけやってあげたぞ!」みたいな恩ぎせがましい国になってしまったんだ
ろうか?
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米海軍のイージス艦が舞鶴港に入港したという記事があった(4/19)。今、アメリ
カの艦船が民間港を含めて頻繁に日本の港に入港している。その時に大概の新
聞が書く理由は、乗務員の休養であったり、地元との交流が目的であると。でも、
日本のマスコミは米軍や日本政府から発表されるそんな理由を本気で信じている
のだろうか?
なぜ米軍艦隊が今頻繁に日本の港に入港するのか?その理由は、有事の際に
武器や食料補給のために立ち寄れる港の開拓以外の何ものでもないはず。そし
て、有事の際に米軍が入港するということは、当然そこが「敵」の攻撃目標になると
いうこと。そこまでちゃんと書いた上で、市民の理解を得るべきじゃないんだろう
か?
政府発表を垂れ流し、たまに漁船で入港に反対する人々の映像を流すだけのジ
ャーナリズムなら、あってもなかっても同じだと思う。誤った情報を広く国民に植え
付けるだけ「害」でさえある。宮崎県の東国原知事が「定例会見など必要なの
か?」と発言して物議を醸し出している。しかし、記者クラブなどに属して、広報を
垂れ流すだけの定例会見なら私も必要ないと思う。
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長崎市長銃撃事件、加藤紘一議員の自宅を放火した被告に対する判決、日経
新聞社に火炎瓶を投げつけた犯人の逮捕など、ここ数日、言論の自由に対する暴
力事件が世間の注目を集めている。
長崎の事件の動機はまだ解明されいないけど、最近やたらと「右翼」と呼ばれる
人たちの行動が過激になってきているように思う(本願寺にも灯油まかれたし
な・・)。その理由として、ある人が次のように分析していた。「最近は普通の雑誌ま
でが、かつて「右翼」と呼ばれる人たちだけが主張したような過激なこと≠平気
で書くような時代になってしまった。その結果、「右翼」の存在感がどんどんと薄くな
ってきている。そこで彼らは自らの存在をアピールするためにも、より過激な行動
に走らざるを得ないのだ」と。
なるほど。雑誌は知らないけど、テレビを観ていると、政治や時事問題をネタにし
た情報番組では、出演するコメンテータの大半が、ほんの数年前までは絶対にな
かったであろう過激な発言を好き勝手にしている。またそれらの番組が高視聴率
を獲得しているとも聞く。社会全体が右≠ノ大きく舵をきる中で、暴力に訴えよう
とする過激な人たちが現れても不思議ではない。
今朝の朝日新聞に作家の吉岡忍さんが、自らが描く社会の廃墟のイメージを次
のように表現していた。「明るくて、無知。忙しくて、攻撃的。快適で、不寛容。幸福
で、暴力的。そんな人間があふれかえる社会。それが私が思い描く廃墟のイメー
ジだ」と。
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日米で同時に銃による悲惨な事件が起きた。特に銃社会であるアメリカの事件
は起こるべくして起こった事件だと思う。
アメリカという社会は、建国以来、銃によって独立を勝ち取り、銃によって西部開
拓を果たし、銃によって犯罪から自らの身を守り、銃によって世界中に「自由」と
「民主主義」を広めるてきた。まさに銃が自由や平等、繁栄を保障する象徴になっ
てきたという。
でも果たして銃(武力)によって本当の平安や自由、平等、繁栄を築くことが出来
るのだろうか?アメリカでは年間に銃によって命を落とす人が3万人以上いるとい
う。イラクでは、アフガニスタンでは、ベトナムでは一体何人の人々が命を落とした
んだろうか?
最近英国政府要人から「英国は『対テロ戦争』という言葉は使わない。軍事力だ
けでテロに勝つことはできないからだ」(ベン英国際開発相)とか「テロには軍事力
だけでなく政治力によって対峙(たいじ)すべきだ」(ブレア首相)といった発言が続
いているという(4/16)。フラン大統領もかつて「イラク戦争はテロ拡散を進めた」と
米国を批判したことがあった(1/6)。今、人々は、失敗の中からようやく気づき始め
たのかも知れない。決して暴力で平和を築くことが出来ないということに。お釈迦様
が2500年以上前にお示し下さった「非戦」の教えに。
それなのにそんな世界の動きと全く逆行するかのように、武力によって自らのエ
ゴを通すことを目指す国がある。折角人類の宝∞未来の希望≠持っている
にもかかわらず、それをかなぐり捨て、米国のような国・社会になろうとしている国
がある。
今週の言葉:「兵器ゼロが平和への道」
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07年4月16日(月) 「血塗られたダイヤモンド∞B」
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(つづき)映画「ブラッド・ダイヤモンド」を観ながら改めて思った。私たち人間(特
に先進国の国民)が生きるということは、本当にたくさんの人々(途上国)の犠牲の
上に成り立っているのだなと。私は毎日毎日深い悪を作りながら生きているのだな
と。
よく浄土真宗のお説教では「このような悪を作らずには生きていけない私たち凡
夫を阿弥陀様はそのまま救ってくださる。何と有難いことか。感謝のお念仏申しま
しょう」と説かれることが多い。でもなぜか違和感がある。正直なところ私は全然
「有難い」という気持ちになれない。逆に、地獄や餓鬼道に落ちても文句言えない
ようなことを毎日している私が、本当にお浄土に生まれさせていただいていいのだ
ろうか?と思ってしまう。「そういうのを疑心≠ニ言うんだ!」と言われそうだけ
ど・・・。
最近強く思う。浄土真宗の教えって、一歩間違えるとすごく危険な教えになってし
まう可能性があるんだと。矛盾や怒りを感謝≠ニいう気持ちにすり替えてしまい
(高橋哲哉さん流に言えば、これを感情の錬金術≠ニ言うのかも・・)、現実を無
批判に肯定してしまう危険性を常に孕んでいるような気がする。
だからこそ「現実からの出発」を掲げる同朋運動の更なる推進が、御同朋の願い
に応える教学の構築が今強く求められているのだろう。(おわり)
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07年4月15日(日) 「血塗られたダイヤモンド∞A」
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(つづき)映画「ブラッド・ダイヤモンド」では、少年兵の問題についても詳しく描か
れていた(ちなみに現在世界には20万人以上の少年兵がいるという)。
大人の都合によって、いかにして子どもを少年兵に仕立てていくか、そんなマイン
ドコントロールの様子がリアルに描かれていた。気持ちが高揚するような音楽を聞
かせたり、褒めたり貶したり、他人を銃殺する練習をさせたり、ときにはアルコール
や麻薬などを使いながら、子どもを残酷な殺人鬼に育て上げていく。この映画(ハ
リウッド映画)では紹介されていなかったけど、実際には、ハリウッド映画の暴力シ
ーンを見せることで、子ども達の心を荒廃させていくこともあるという。
人間は、特に子どもは育った環境や教育次第でいかようにも育つ。地獄の鬼に
育てられれば地獄の鬼に育つ。逆に仏に育てられれば仏に育つ。それが親鸞聖
人がおっしゃった「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異
抄』第13条)なんだと改めて実感した。
今、日本では教育基本法を改悪し、「国のために喜んで死ぬ」子どもを育てよう
と、学校で「愛国心」「奉仕の心」などを教え込もうとしている。
大人の都合によって子どもの心が支配されていくことがいかに酷いことである
か、一人でも多くの人にこの映画を通して知って欲しい。(つづく)
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07年4月14日(土) 「血塗られたダイヤモンド=v
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映画「ブラッド・ダイヤモンド」を観た。字幕では「紛争ダイヤモンド」と訳してあった
けど、私自身は「血塗られたダイヤモンド」と訳したほうが適当ではないかと映画を
観ながら思った。
アフリカの西海岸にあるシエラレオネ共和国が映画の舞台。地元で不法に採掘
されたダイヤモンドが欧米や日本に密輸される。それで得たお金が地元の武装組
織や政府軍の(欧米諸国からの)武器調達の資金源となる。その結果、内戦は一
層激化し、永遠に悲劇が繰り返される。そんな悪循環・矛盾を描いた映画だった。
印象に残った場面があった。不正を暴こうと取材する米国人ジャーナリストの女
性が、ダイヤモンドの密売を仲介する主人公(デカプリオ演じるアフリカ生まれの白
人男性)に次のように言う。「そんな商売をして恥ずかしくないの?この人でなし!」
と。すると主人公はこう返答する。「何を正義ぶっている。あんたが書いた記事が
掲載される雑誌の読者がこのダイヤモンドを買うんじゃないか!」と。
昔、南アフリカのアパルトヘイトに対して世界各国が経済制裁を行っていたさな
か、日本だけは当時の白人政権と貿易関係を維持しダイヤモンドなどのレア・メタ
ルを輸入し続けた。そのため経済制裁は骨抜きとなり、アパルトヘイトの廃絶が遅
れ、多くの黒人達が命を落とした。一方で日本の国内はというと、「給料の三か月
分」とか「スイートテン・ダイヤモンド」などといったダイヤモンドブーム巻き起こって
いた。まさにそれと同じのようなことがシエラレオネでも起きていたことになる。
ちなみに現在では、シエラレオネの内戦は既に終結している。また「紛争ダイヤ
モンド」が世界市場を流通しないようなシステム(「キンバリープロセス」)も整備され
ているという。でも、依然として闇に紛れて流通している「紛争ダイヤモンド」はあ
り、それによって悲劇が繰り返されているという。
今、アフリカをはじめ世界の「途上国」で繰り広げられている紛争や内戦。決して
私たち「先進国」に生きる者と無関係ではないのだと映画を観ながら思った。(つづ
く)
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与党の強行採決により今日にも国民投票法案が衆議院を通過するという(4/
13)。「十分に審議は尽くされていない」という世論の圧倒的多数の声も無視した蛮
行である。
ちょっと話は変わるけど、与党案によると「(国民投票での)有効投票総数の過半
数の賛成」により改憲が成立する。すると、もし投票率が50%だとしたら、総有権
者のたった4分の1の賛成で憲法が変わることになる。さすがにそれには異議を唱
える人も多いと聞く。
でも思う。「日本が戦争を出来る国になるか、ならないか」という重要な選択を前
にして、果たして有権者の半分が投票を棄権することってあるのだろうか?
もし9条を変えるなら変えるで、自らの手でちゃんと9条改定賛成と投票すればい
い。そして、それによって自衛隊が海外に派兵させられ、もし他国の人の命を奪っ
たり、自らの命を落とすようなことがあれば、国民全員がその自衛隊員の苦しみや
心の傷を、遺族の悲しみを一生背負って生きていくべきだと思う。
棄権をしておきながら後で「俺はあのとき賛成していない!」とか、たとえ反対し
たとしても「俺は反対したじゃないか」なんて責任逃れは通用しない。日本という国
が戦争をして、他国の人の命を奪ったり、同じ日本人である自衛隊員の命を落とさ
しめたなら、その責任は私たち国民一人ひとりが、賛否によって形は異なれ、背負
うべきなんだと思う。もしそれが出来ないならば、自ら反対の意思を示すと同時に、
絶対に9条を変えさせないよう今行動すべきなんだと思う。
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『親鸞の教行信証を読み解くU 信巻』(藤場俊基著・明石書店)を読んだ。目か
らウロコが落ちた。ご本願に誓われた三心の中の欲生心=Bこれまでずっと「私
が<浄土に生まれたいと願う>心境になる」ことだと思っていた。でも違う!と著者
は言う。「私の中に<(他人を)浄土に生まれさせようとする>心(利他の精神)が
如来より回施される」ことが欲生心(=回向心)≠ネんだと。
つまり親鸞聖人の教え・お念仏の教えとは、「自分さえ救われればいい!」という
教えではなく、「(私も含めて)共に救われていく」教えだということである。困ってい
る人、悲しんでいる人、苦しんでいる人がいたら、そのまま通り過ぎるのではなく、
立ち止まり助け合いながら共に歩む。そんなお心を、自分のことしか考えないこの
私(凡夫)が如来様から頂く。それが他力の教えなんだろう。
今さら何を、と言われるかも知れないけど、本当に素晴らしい教えだな!出偶え
て本当によかったと思ってしまった。(でも、こんな感動的な教え、中仏で教えてもら
ったかな?寝ていたのかな?やっぱり日々勉強だな・・)
ちょっとマニアック(専門的)な話になってしまってゴメンなさい。でも上記の書籍
はお勧めです。
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これまでの道徳教育を正式な科目にして、子ども達に「いかに生きるべきか」とい
った規範意識を学校で身につけさせるんだそうだ(4/11)。どうでもいいけどまず光
熱費無料の議員宿舎で年間何百万円という税金を光熱費として計上している某大
臣や、「法律にのっとってやっている」といって国会で彼を擁護する某首相を教育し
なおすべきじゃないのかな?それのほうがよっぽど子どもに対する教育効果は高
いと思うんだけどな・・・
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今、教育現場では学校選択制の導入が進んでいる。それに関して国は予算面で
「人気校」を優遇する措置を考えているという(4/8)。生徒がたくさん集まる学校に
多くの予算を配分する。競争を通じで教育の質が向上する。一見すると正しいよう
に思える。
でも、誰しもが「人気校」に入学出来るんだろうか?当然、定員をオーバーすれ
ば選抜試験も行われるだろ。また人気校が遠隔地にあれば通学にもそれなりのお
金がかかってくる。結局、お金持ちで勉強が出来る子にだけ多くの税金が使われ、
貧しい家庭や勉強が苦手な子どもにはあまり税金を使わない。そんなことになって
しまわないのだろうか?
ゆとり教育≠ェ導入されたときの教育課程審議会会長であった三浦朱門氏
(元文化庁官)の言葉が思い出される。「(ゆとり教育≠ノより学力が低下するの
ではないか?という質問に答えて)いや、逆に平均学力が下がらないようでは、こ
れからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結
構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、でき
る者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引
っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけでも
養っておいてもらえればいいのです」「国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの
点数は低いけど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国になっていかな
ければいけません。それがゆとり教育≠フ本当の目的。エリート教育とは言い
にくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」(『機会不平等』斎藤貴男著より)。
一部の子どもだけが優遇され、出世の道が約束される。一方で、残りの大半の
子どもは質の高い教育の機会を奪われ、将来の成功の道すら閉ざされる。ただ学
校で「愛国心」や「道徳」(3/30)などを教え込まれて、怒らず、不平不満を言わず
従順に生きることを強いられる。そして、いざという時には、喜んで国(=一部の
者)のために命を投げ出す。そんな時代が近い将来来るのかも知れない。
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今日、4月8日はお釈迦様の誕生日・花祭りである。お釈迦様の誕生にまつわる
次のような逸話が残っている。お釈迦さまはお母さんのお腹から生まれると直ぐに
立ち上がり、7歩歩まれて、天と地を指差し「天上天下唯我独尊」とおっしゃったと
伝えれている。「嘘らしい。非科学的だ。だから仏教なんか嫌いなんだ!」という声
が聞こえてきそうであるが、嘘か本当かは別にして、これにはちゃんと意味があ
る。「7歩歩む」とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人という六道(苦しみ、迷い
の世界)を超えるという意味。その迷いを超える道・仏法を人々に説くために私は
この娑婆世界に生まれてきたのだ!という宣言なんだそうだ。
「地獄・餓鬼・畜生・修羅」の世界。まさに差別と戦争の世界である。そんな差別と
戦争の世界を乗り越える道を私達に示してくださっているのが仏教であり、お念仏
の教えなんだろう。
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今全国に3万組織あり、200万人が参加している「防犯ボランティア」(ちなみに全
国の警察署・交番・駐在所の数は約1万5千か所。警察官の数は約24万人だそう
だ)に国が財政支援する法案が検討されているという(4/7)。各地の警察がその活
動を把握・支援する。そして国家が財政面で支える。ちょっとした第2の警察組織だ
な・・・。街中に張り巡らされた監視カメラと共に、さぞや防犯効果は高まるだろう。
これで安心して生活が出来る。めでたし、めでたし・・・。
で、一体誰を監視するのだろうか?
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今、親の経済格差が子どもの教育を受ける機会に影響を及ぼし始めているとい
う(4/3)。よっぽどの事がない限り勝ち組≠フ家庭に生まれた子は勝ち組
に、負組み≠フ家庭に生まれた子は負組み≠ノ、そんな社会に日本もなりつ
つあるという。格差の固定化・世代間継承である。そしていつか、アメリカ社会と同
じように、貧困層の子どもが十分な教育の機会を得、社会的に成功していくために
は、まず軍隊に入らないといけない、そんな時代が来るのかも知れない。
今、政治家や経済界、マスコミなどで「自己責任論」や「頑張って人が報われる社
会を!」みたいな主張をやたらと耳にする。「なるほど!」と思ってしまいがちだけ
ど、気をつけないといけない。少なくても「機会の平等」が保障された上での「競争
社会」なんだと思う。
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埼玉県知事が「自衛隊員は毎日人殺しの練習をしている」と発言し物議を醸し出
している。確かに「万が一の場合には家族を守りたい。国を守りたい」と純粋な気
持ちで頑張っている隊員が聞いたら大変悔しいだろう。また、災害があった時など
に一所懸命被災者を救出している姿を見ていると「それはちょっと言いすぎだろ
う!」と私自身も思う。
でも誤魔化してはいけないのは、戦争とは人間が人間を殺す行為である。どんな
に美化しようとも、どんな理由をつけようとも軍隊はその戦争を遂行するための組
織である。だから日本が戦争をするということは、この私が自衛隊員をして他の命
を奪わしめることを意味するのだと思う。自分の手は汚さなくても済むかもしれない
けど、戦争になったら自衛隊員が他の人の命を奪うことになるんだ。そして、奪っ
た本人もそれによって一生心に傷を背負うことになるんだ。そのことだけはしっか
りと頭に叩き込んでおくべきだと思う。
本当に自衛隊員の普段の活動に感謝しているというのなら、有難いと思うなら、
私達国民が絶対に戦争が起こさないように努力すべきなんだと思う。
お釈迦様はこうおっしゃる。「他人を殺すな!」「他の人が人を殺すことを容認す
るな!」そして最後に「他人をして人を殺さしめるな!」と。
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おそらく「自衛隊など無いに越したことはない!」とほとんどの人が思っているは
ず(戦争好きや武器商人・軍需産業関係者など戦争で金儲けを考えている人以
外)。でも、現実の世界の中ではその存在も致し方がない(必要悪=jと考える
人が大半なんだろう。おそらく一般の自衛隊員だって同じ意見だと思う。自分達が
活躍しないような社会を、自衛隊が必要とされないような時代になって欲しい!と
自衛隊員も国民もみんな願っているはず。
そう考えると、自衛隊という存在が脚光を浴びれば浴びる程、必要とされればさ
れる程、それは私達一般の国民にとっても、自衛隊員にとっても悲しむべきことな
んだと思う。それなのになぜそんな存在をわざわざアピールするような施設を増や
す必要があるのだろうか(4/2)?目立たなければ目立たない程、本来はハッピー
なはずなのに・・。「国民のみなさん、安心してください。これでみなさんを守ります
から!」と言いたいんだろうけど、こんな博物館など見せられたら、私などは安心す
るどころかかえって不安になる。
今週の言葉:「戦争は戦争のために 戦われるのであり 平和のための戦争は
かつて一度も あったことはありません」
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07年4月1日(日) 「生きる力≠ニならない教えとは・・・」
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先日、門徒推進員さんの同朋研修会があった。「非戦・平和の願い」というテーマ
で話し合い法座をした。そこで出てきた意見は置いとくとして、ある門徒さんがこう
言った。「阿弥陀さんの教えは観念の世界の話であり、現実の世界では役立たな
い」と。するとほとんどの参加者が「そうだ!」と言わんばかりに頷いていた。私達
僧侶は本音と建前を上手に使い分けるけど、門徒さんはストレートに正直な気持ち
を話してくださるので有難いなと思った。これが「話し合い法座」の長所なんだろう。
この積み重ねが「僧侶と門信徒との課題の共有」にもつながっていんだと思う。
しかしそれにしても、私達僧侶はこれまで一体どんなお念仏の教えを門徒さんの
前で話してきたんだろうか?この現実の世界を生きていく力≠ニなり得ない教え
とは一体なんなのだろうか?一人の僧侶として申し訳ない気持ちで一杯になった。
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ついにこの国は元慰安婦の女性ばかりか、沖縄戦の犠牲者達も切り捨てようと
しているみたいだ(3/30)。まるで沖縄は日本(大和民族=jではないと言わんば
かりに。これで沖縄が本土の捨石≠ノされるのは何度目だろうか(@本土決戦
の時間稼ぎA戦後の米軍基地の押付け・・・)?「臭いものには蓋する」ことでしか
美しい国≠作ることは出来ないのだろうか?まさにジョージ・オーウェルの『一
九八四年』の世界が、今この国で繰り広げられている。
今回ばかりは、アジアの国々や欧米の国も怒ってはくれないだろう(3/30)。日本
人自身が怒らなければ真実は闇から闇へ葬り去られるだろう。
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将来「道徳」が「徳目」という教科となる可能性があるという(3/30)。子どもたちに
「人間、いかに生きるべきか」を国が教えるのだそうだ。
松岡農水相の不正経理問題、首相やその側近たちによる「従軍慰安婦」の否定
(3/30)、靖国合祀問題に関する国の関与(政教分離違反)と開き直り(3/29)、そ
んな不祥事を連日見せられると、「人間、いかに生きるべきか」を教えることにもな
ぜか納得してしまいそうである。
最近何でもありって感じがする。そしてマスコミも国民も誰も怒らない。何もかも
がアホらしくなってくる。好きにやって!って感じなのかも知れない。悔しいけどもう
外国から批判してもらうしか方法はないのかも知れない(3/30)・・・
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植木等さんが亡くなった。植木さんのお父さんは植木徹誠といい、大谷派(東本
願寺)のお寺の僧侶だったという。戦時中、「戦争は集団殺人だ」と戦争に強く反対
し、「なるべく人を殺すな。生きて帰ってこい」と言って出兵兵士を送り出した。その
ため「治安維持法」で逮捕されること数度という。すごい僧侶だと思う。
しかし残念ながら全ての僧侶がそうではなかった。教団をはじめ多くの僧侶が戦
争を支持し、「敵を殺し、自らも天皇陛下のために死ぬことが、仏様のご恩に報い
ることだ」と説き戦争を美化した。「人類は平和を要求する。真実に平和を確保す
るものは軍隊である。然るに世間には智慧の足らない者があって戦争と云ったら
何でもかんでも反対するものがある。これが所謂平和論者である。・・・仏教も、軍
隊も、倶に平和を目的とする。平和を目的とする為に戦争をする。これは自然の順
序として止むを得ないことである」(『教海一瀾』第八四二号より)。
なぜ私達僧侶が今戦争に反対するのか?それは過去に、戦争を支持・美化し、
たくさんの人の命を奪う手伝いをしてきたという事実があり、その反省の上にたっ
てのことなんだと思う。
私達今を生きる僧侶は、はたして植木等さんのお父さんのような僧侶になるの
か?それとも『教海一瀾』を書いた僧侶のようになるのか?今問われているのだと
思う。
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もうすぐ都知事選挙がある。いつも不思議に思うことがある。なぜ東京都民の圧
倒的多数は石原慎太郎のような差別発言を繰り返す政治家を知事にするのだろう
か(3/27)?差別はいけないとは子どもでも分かるのに・・。そのうち子どもが真似
しても知らないぞ!
ある講演会でジャーナリストの斎藤貴男氏がこう言っていた。「石原慎太郎を都
知事に選んでいることは、一人の東京都民として恥ずかしい。でも、横山ノックを大
阪知事にした大阪府民にはあまり言われたくない」。一瞬会場が笑いに包まれた
けど、その後なぜか話したほう(東京都民)からも聞いているほう(大阪府民)から
もため息が漏れた・・・
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07年3月27日(火) 「経済のグローバル化と改憲」
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憲法9条改悪に関しては、アメリカからの要求を代弁した政治家や強い日本
の復活を夢見る保守層だけでなく経済界からも強い要求がある(1/1)。その背景
を「つくる会」初代会長でもある西尾幹二氏が分かり易く説明してくれている。「大
体、海外に軍事力を展開せずに、経済的な大国の地位を維持できた国が過去に
果たしてあったでしょうか。歴史上、そういう国に日本は初めてなろうとしているの
かどうかわかりませんが、おそらくそれは通らない話だと思います。つねに軍事力
を用意して。その無言の牽制で初めて自分たちの経済的利益も保持できるという
のが国際社会の常識なのであります」(『分断される日本』より)。
新自由主義の浸透や経済のグローバル化に伴い、日本の多国籍企業が国際社
会で利益を得、生き残るためには避けて通れないのが憲法9条改悪なのかも知れ
ない。
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昨日のウルトラマンと仮面ライダーの正義の味方≠フ座をかけた戦いはどう
なったんだろうか?つくづく思う。「俺は正義の味方≠セ!」と声高に叫ぶ人程怖
いものはないと。
小さい頃、日本昔話の「桃太郎」をよく読んだ。桃太郎が犬や猿を連れて鬼退治
に行くというストーリー。好きだった。でも、あの中で描かれている鬼≠ニは、昔
の日本の被差別民をモチーフにしていると聞いたことがある。異質なもの≠
正義の味方≠ェ排除するという思想があの物語の中に流れているのだと。そうい
えば、中世ヨーロッパの「魔女狩り」にも同じ思想があるという。優秀な女性の存在
をこころよく思わない男性(社会)が、彼女らを魔女≠ノ仕立てて社会から排除
していく思想(『魔女にされた女性たち』勁草書房)。
私達は小さいうちから、昔話や物語を通して、知らないうちに正義の味方≠ノ
育てられ、排除の思想≠刷り込まれていっているんだろうな・・・。今週の言
葉:「正義はいつも 戦争の 最大の武器となる」
はたしてそれに対抗できる思想はあるのだろうか?
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07年3月25日(日) 「「平和」から「正義」に・・・」
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昔、ある友人がこんな夢を見たと話してくれた。ウルトラマンと仮面ライダーが互
いに「我こそ正義の味方だ!」と言って喧嘩を始めた。その様子を怪獣達が苦笑
いしながら眺めていたという。
先般改悪された教育基本法。その前文が、「真理と平和を希求する(人間の育成
を期する)」から「真理と正義を希求し」に変わったという(3/25)。
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『分断される日本』に、「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長であった西尾
幹二氏の次のような主張が紹介されていた。今の日本保守層が考える日本社会
の将来像を知る上で参考になると思う。
「(日本人は平等平等と騒ぎすぎる!社会には一定の不平等が必要だ!として)
アメリカという国を見ますと、不平等です。不平等が前提です。とくに誰もそのことを
取り上げたり、問題視したりしません。経済的な危機や何かが起こると必ず損をす
る階層、階級がアメリカにはあるのです。それが黒人です。それは社会の中でスポ
ンジのような役割を果たしています。彼らは国家的な事故が起こると必ず損をする
ような仕組みになっています。そこにおいてある種の圧力が吸収されるのです。不
公平な話かもしれませんが、社会の仕組み全体としてはアメリカの強さなんです。
そして、危機が去ると、またアメリカは強くなり、スポンジは元通りになり、余沢を得
ることができ、公平に戻るようになる」
近世・近代に入り、部落差別もときの為政者によってこのように利用され、強化・
温存されてきたのかも知れない。
そして現在、再び日本に新たな階層社会・不平等社会が作り出されようとしてい
る。果たしてこのままで本当に差別はなくなるのだろうか?
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解放運動団体の一連の不祥事に関して、ある地方紙が「旧同和地区云々・・」と
いう記事を書いていた。「旧」である。もう部落差別はなくなったのだそうだ。
03年5月から04年10月にかけて400件以上もの差別葉書等を関係者に送りつけ
たとして、逮捕され起訴された被告人は法廷でこう証言したという。「仕事したくても
見つらず、自分は社会の中で最下層にいる、何もできないダメ人間だと思ってしま
い辛かったので、以前から差別されている同和地区の人たちを自分より下に置
き、イライラをぶつけていました」と。
彼はこれまで被差別部落の人に会ったこともなければ、何か嫌な体験をしたわ
けでもなかった。書籍などから得た知識だけで犯行を繰り返したという。彼にとって
弱者であれば相手は誰でもよかった。だから同時にハンセン病回復者のもとにも
差別葉書を送っていたという。
もし今後このまま格差社会が進んでいったら、持てる者≠ニ持たざる者≠ニ
の格差は一層広がっていくだろう。その時、「追いやられて負組み≠フ烙印を押
された人たちは、せめて自らのよりも弱い立場の人々を見下すことで、千々に乱れ
た内面を保ちたがる」(『分断される日本』より)ということが起こりうるのかも知れな
い。否、もう既に起こっている。イラク人質事件でのバッシングや、北朝鮮問題から
派生した在日朝鮮人差別などなど。差別がなくなるどころか、今後益々差別が再
生産される土壌・危険性が高まっている。
それなのに、まるで部落問題が解消したかのように、基幹運動から「同朋運動」
という側面を見えにくくし、同朋運動から「部落差別」という文字を削減しながら、
「いのちの尊厳」や「共にいのち輝く世界」など抽象的なスローガンを掲げるだけ
で、いっこうに何をしたいのか具体的なことが見えてこない。そんな教団も私達の
近くにはある。
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『分断される日本』に、田島康彦氏の言葉を引用して、次のように日本の監視社
会の行方に警鐘を鳴らしていた。
「今や国家権力を掌握し国民を統治している国家権力層は、・・・あらゆる面で自
ら意図的、政策的に「危機」を作り出し、市民の不安感を煽り、その解決要求を取
り締まり強化による「安全要求」に矮小化し、歪曲し、これに応える形をとりながら、
社会のあらゆる単位(家族、地域、学校、職場、社会的組織など)に警察を潜り込
ませ監視体制をしくとともに、市民相互を監視させ、逸脱行為を行うものについて
は情報収集、事前予防、早期検挙、迅速処罰などを行い、逸脱者=「異端」排除
を徹底しようとしているのである」(本文より)。
「監視カメラを街中に設置して何が悪い!防犯に役立っている!犯罪者を検挙
するのが目的だ!」という人がいる。でも、イラク戦争を批判した落書きをしただけ
で40日以上も拘留される時代。勝ち組∞負組み≠ネど格差社会の到来によ
り、新たな貧困層が出現し、その不安・不満が蓄積されていく時代。「私は監視
する側≠ナあって、決して監視される側≠ノはならない!」と言い切れる人がは
たしてどれだけいるのだろうか?
確かに今はこの流れに逆らうことは難しいのかも知れない。しかし、目先のことだ
けに捕らわれて、事の本質を見失い、大切なものを失わないようにだけはしたい思
う。
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『分断される日本』(角川書店 斎藤貴男著)を読む(内容)。そこに次のようなこ
とが紹介されていた。自民党のある若手議員(既に50歳は越えているが)が、タカ
派でならした長老議員のもとに来てこう言ったという。「ねえ先生、北朝鮮がテポド
ンを撃ち込んでくるというのだから、こちらからミサイルで先制攻撃をかけるべきで
はないですか」と。それを聞いた長老議員が慌ててこう答えたという。「おいおい
君、ちょっと待ってくれ。ミサイルが落ちる先には大勢の人間が生活しているんだ
よ」と。
今、政治家も含めて私達戦後世代の日本人に一番必要なのは、たとえ僅かでも
いい、他者(殺される人・差別される)への想像力なのかも知れない。
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07年3月20日(火) 「イラク開戦4年目に思うこと」
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今日、20日でイラク開戦から4年になるという。この戦争に日本は「日米同盟維持
のため」「北朝鮮からミサイルが飛んできたら誰が守ってくれる!」と言って支持
し、未だにその過ちすら認めていない。もしかしたらこの日本の「平和」はイラクの
人々の血の上に築かれているのかも知れない。
昔、南アフリカでまだアパルトヘイトがあった頃の話。日本は黒人訴えや他の欧
米諸国による経済制裁を無視して、当時の白人政権と貿易を続けたという。黒人
の低賃金労働によって得られたダイヤモンドなどの鉱物を輸入し続けた。また本
当かどうか知らないけど、貧困に喘ぐ黒人が生活のために自分の血を売る。そし
てその血からコラーゲンを取り出し、化粧品の原料にする。それを日本が買ってい
たと聞いたこともある。兎にも角にも、黒人の奴隷労働と血によって私達日本人は
豊かな生活を享受できたと言える。また、そんな日本のお陰で南アフリカ白人政権
は世界での孤立化を逃れ、アパルトヘイト撤廃を遅らせることが出来たという。そ
の結果、黒人だけでなく有色人種に対する差別も酷かった南アフリカで、日本人が
得た勲章は名誉白人≠ニいう称号だったという・・・。
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07年3月19日(月) 「すべてを知っている、ただ自己を除いて=v
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首相の拉致問題と従軍慰安婦問題に対する態度の違いに関して、ロサンゼルス
タイムスが「首相は旧軍によって恐怖を強いられた多くの女性に対し、(拉致被害
者へのと)同じ同情を持てないでいる」と批判している(3/19)。
同感である。でも多かれ少なかれ私達一人ひとりもそんなに変わらないのかも知
れない。
少なくてもそういう自分であるという自覚を持って生きていきたいと思う。「自分だ
けが正しい。俺は正義の味方だ!」と思うことほど恐ろしいものはない。
今週の言葉:「現代人は すべてを知っている ただ自己を除いて」
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07年3月18日(日) 「怨みは怨みなきによって止む」
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今朝の朝日新聞に浄土宗の宗祖法然上人に関する記事があった。
法然上人が出家を決意されるきっかけとなったエピソードがある。武士であった
法然上人のお父さんは裏切りにあって殺害されてしまう。父親の元に駆けつけた
幼き法然上人は「必ず仇を討つ」と約束する。すると父親は「その必要はない。たと
え仇をとっても、また相手の家族がお前を殺しにくるだろう。永遠に憎しみが絶える
ことはない。お前は出家して僧侶となれ」と遺言したという。
やられたらやり返す。目には目を。それがいかに悲劇を生むかはアメリカによる
イラク戦争を見ても明らかだ。
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07年3月17日(土) 「ご本願(願い)に生きる念仏者」
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嬉しいニュースが飛び込んできた(詳しくは)。
4月14日に北海道で「念仏者九条の会・北海道(仮称)」の設立総会が開催される
という。また、6月26日には福岡で第4回「念仏者九条の会」全国集会が開催される
と同時に「念仏者九条の会・北豊(仮称)」設立総会が開催される。これで「念仏者
九条の会」の支部は全国で8つになる。そして奈良では第1回「念仏者九条の会・
奈良」学習会も開かれる。
かけ声やスローガンだけで終わらない。まさにこれが親鸞聖人がお示しくださっ
た「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」の願いに応える念仏者の姿なんだろう。
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07年3月16日(金) 「第三者的立場(中立・傍観者)」
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同朋運動でよく言われる言葉であり、でもいまひとつ納得できない言葉があっ
た。それは、「差別問題においては第三者的立場(中立)は存在しない。差別者か
被差別者かどちらかである」と。そんなものかなと思いつつも、「俺は差別を受けた
こともなければ、差別などしたこともない」とどこかで思っている人も多いはず。
『差別と真宗』(仲尾俊博・孝誠著 永田文晶堂)を読んだ。その中にノーベル平
和賞を受賞した南アフリカのデスモンド・ツツ氏の次のような言葉が紹介されてい
た。「二人の人間が争っていて、一方が他方よりはるかに強いとき、中立でいるこ
とは決して公平でも不偏不党でもない。なぜならこの場合、中立でいることは、実
際は力のあるほうに味方するのと同じだからである」と。これまでのモヤモヤが一
気に晴れた気がした。
イラク戦争を明確に支持し、その過ちを認めようともしない日本政府は論外とし
て、私達一般の日本国民の姿は、今まさに殺されていくイラクの人びとの目にどの
ように映っているのだろうか?
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シーファー駐日大使が、「日本は国内総生産(GDP)の1%以下、米国は4%以
上。米国の納税者は日本の納税者より10倍以上重い負担をしている。日本がも
っと負担してくれることを望む。国益を守ることは安くない」と述べ、日本の負担は
十分ではないと訴えたという(3/14)。まあ、当然そう言ってくるだろうとは予測でき
たけど・・・
「国土を基地として提供しろ!(米軍再編)」→「日本人も血を流せ!(9条改定)」
→「金出せ!」→「・・・・」
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なぜ念仏者(教団人)として憲法9条改定に積極的に取り組むべきなのだろう
か?戦争によっていのち≠ェ無残に奪われていくことに、一人の人間としていて
もたってもおれない。もちろんそれも大きな理由の一つだろう。でもそれだけじゃな
いような気がする。
『差別と真宗』(仲尾俊博・孝誠著 永田文昌堂)を読んだ。そこに「なぜ全教団人
の同朋運動として「同和」問題に関わるのか?」とあった。その一つの理由として、
「被差別部落の8割は真宗門徒である。その大半は西本願寺がかかえている。・・
すなわち、西本願寺は部落差別を自らの内側にほぼまるがかえしてきたということ
だ。・・教団が全体として親鸞の立場を奪還していたら、そのなかで差別・被差別の
関係ー部落差別は廃絶されていたはずなのだ。すくなくても・・全教団的に対決さ
れていたはずである。なのに教団はそうはならなかった。同じ信仰をもった人びと
の間でも差別は再生産されつづけた・・・いつから、いかなる理由のもとに真宗は
逆のはたらきをするようになったのであろうか。・・真宗者が「同和」問題に取り組
むことは、・・・自らの教団の差別性とそれを支えてきた信仰理解を問い、真宗の
本来性を回復し、現在に再生させるための営みそのものなのである。」と。なるほ
ど!と思った。
先の大戦で私達の本願寺教団は戦争に積極的に協力した歴史がある。「そうい
う時代だったのだ!そうぜざるを得なかったのだ!」と弁明する人がいる。でも本
当にそれだけだろうか?私達僧侶・教団が説いてきた教えに間違いはなかったの
か?私達が頂いてきた信仰理解に問題はなかったのか?また、現在においてそ
れら諸問題が全てクリアーされたと言えるのか?「親鸞」を取り戻すことができたの
か?真宗の本来性を回復できたのか?真の同朋教団へ向けての歩みを始めてい
るのか?
改憲問題を通して私達念仏者一人ひとりにそのことが今問われているのだと思
う。折角人間として生まれ、たまたまお念仏の教えに出遇えたのに、もしその教え
を間違って説いていたとしたら、聴いていたとしたら、これほど私たち念仏者にとっ
て悲しいことはない。
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こんな記事があった。「卒業式来賓、校長が選別 都立高 恩師も「お断り」」(3/
10)。 「「お世話になった先生なのに、何で入れないの」校長に掛け合った保護者
もいたが、取り合ってもらえなかったという。これに納得しない一部の卒業生が入
場を拒み、開始が8分ほど遅れた。 「教え子と卒業式で会うのはごく自然なこと。こ
んなのは前代未聞です」。 「出席しないでほしい」校長は「都教委の方針に従わな
い者を呼ぶことが都議会で問題になった」と説明。」。
一体誰のための卒業式なのだろうか?
国家や権力の命令に従わないものはどんどんと排除されていく。嫌な社会だ
な・・・
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07年3月12日(月) 「「殺される者」への想像力を欠いた時戦争は起こる」
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イラクでは毎日毎日たくさんの人が死んでいる(3/12)。
「イラクが大量破壊兵器を所有していると考える合理的な理由もあった。日米同
盟も考慮したうえで(イラク戦争を)支持した日本の判断は間違いなかった」(by安
倍晋三)(2/9)。「イラク自衛隊派遣、よかった49% よくなかった35%」「イラクの
復興に協力できた」46%、「国際社会で日本の存在感を示せた」30%など」(by朝
日新聞世論調査)(11/2)。
今週の言葉「「殺される者」への 想像力を欠いた時 戦争は起こる」(ロバート・
キャパ)。
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07年3月10日(土) 「人間から鬼(ロボット)へ」
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興味深い記事があった(3/9)。70年代に米スタンフォード大である心理学実験
が行われたという。実験の詳しい内容は記事に譲るとして、この実験から次のよう
な驚愕の結論が導かれたという。それは「閉じた空間で権力と服従の役割を演じる
人々は自分の性格まで役割に合わせ始め、個々の人格は状況に埋没した」と。
記事は冤罪事件について述べたものだが、戦争でも同じことが言えると思う。
先の大戦で軍隊生活を経験した元兵士の話によると、部隊に入隊するとまず上
官による徹底した新兵いじめ≠ェ行われるという。毎日のように理由もなくまる
で家畜のように殴り蹴られるという。また、中国や旧満州に駐留する部隊では、新
兵に度胸試し≠ニ称して生きた中国人捕虜を銃剣でめった刺しにさせるという。
そのような経験を通して新兵は「人間」から「鬼」に成っていったという。また、現在
でも米軍(おそらく自衛隊も含め全ての軍隊)では、まず兵士から徹底的に思考能
力を奪い取り、上官の命令に無批判に従うコマンド(戦闘ロボット)に育て上げてい
くのだと聞いたことがある。
人間が人間でなくなる。それが軍隊であり、戦争なんだと思う。
ところで今私達は兵士でもなければ、戦場にもいない。でも「私は思考停止状態
に陥っていない」と胸を張って言える人がどれだけこの日本にいるだろうか?私も
一度自分自身に問うてみようと思う。
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