明石市総合選抜制度を考えるシンポジウム レポート その2

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 では次に明石市内の中学校で教鞭をとっておられる池田氏の発言。

 池田氏は、昭和41年から明石の中学校で教鞭をとっておらられるそうです。41年と言えば未だ、明石に高校が、普通科の明石高校と明石南高校と、明石商業しかなかった時代です。

 池田氏曰く、その頃から明石には極端な受験競争があったわけでなかったそうです。単純に明高(明石高校の略称)に行けるかどうかだけだったそうです。なんとなくその頃の単純な進路指導がわかるような気がします。

 その後、昭和50年頃から明石北高校の開校に続き、高校新設ラッシュが始まりました。それと同時期に高校入試に総合選抜制度が導入されました。池田氏は9年間を「単独選抜の明石」、その後の28年間を「総合選抜の明石」を中学教諭として経験したわけです。

 その経験の中で池田氏が気付いたことに、総選(総合選抜制度の略)期の同窓会メンバーの言葉に特徴があるそうです。

「明高の卒業生は先生に『出来ないヤツが入ってきた』とバカにされたと嘆いていました」

 明高は単選(単独選抜制度の略)期には、ほおっておいても優秀な生徒が入って来ていたので、特に学習指導が困難でなかった。それが総選導入後は様々な学力の生徒が入ってくるので急に指導しにくくなったのです。

 反面、当時の新設校である明北(明石北高校の略)の卒業生は「先生は喜んでいた」と言うそうです。総選制度のおかげで、最底辺校にならずに済み、そして頑張って生徒の学習指導を行なったのです。

 つまりですねえ。明石市は、総選制度導入時に高校内部で発生する単選からの変化に対し何も考えていなかったわけです。明北では先生たちが総合選抜制度の意味をよく理解し、自発的に頑張ったのでよかったのですが、明高ではそうでなかった。明高は堕落した教師の巣窟となり、みなさんがご存知ような大学合格実績の低下への道を進んだのです。(やっさん)

 池田氏は、明高のようなことは今も一部にあると言います。単選の底辺校で苦労した先生、単選の優秀校の先生、そして明石総選高の先生の間に明らかに意識の差がある。総選には維持の立場であるが、高校の先生自身が意識を変えて行って欲しいとのことです。

 次に保護者の立場からということで、明石市連合PTA副会長の中塚清氏の発言。中塚氏は総選第一回の卒業生だそうです。

「当時、明北は交通の便が悪く、明北に入学することになった同級生が不安そうだった」と中塚氏。

 中塚氏曰く、入試を控えている子供や親御さんにとっては、「どこに行くんだろうか」「希望通りにいくのか」という「不安」に尽きるとのことです。

 希望が叶えばそれで良いが、希望通りにいかなければ、今度は「不安」が「不満」に変わる。中塚氏はこれが最も大きな総選の問題だと言っています。

次に明石青年会議所理事長の戎義弘氏の発言。戎氏は総選高校経験者だそうです。

 横山教授の企業人として感じている「総選経験者と単選経験者とで差があるのか?」という質問を受けて発言。

「合格しても希望通りの高校に行けなかった者が泣いていたのを思い出します。その頃はなぜ総合選抜なのかわからなかった」と戎氏

 戎氏曰く、その時はわからなかったが、社会に入ってから総選は新設校の育成という意味で大きな役割を果たしたのだということがわかったそうです。その点は大いに認めるところであると言っています。

「しかし、そこそこの成績を取っていれば、合格できることは子供たちにとって本当に良いことなのか。」

 最近の社員の傾向として、「努力を嫌がる」「物事を決めるのを嫌がる」「自分のやる事に責任を持てない」が増えているような気がするそうです。

 次に戎氏は、「適度な競争が必要。昔の過度な受験競争の復活でなく、学校教育の中で、生徒にステップを踏ませてカベを乗り越えさせてあげることが大切である。それが社会に出てから必要なことだ。それを体験しなければ社会に入ってから苦労する。」と発言。

 横山教授の「総選経験者と単選経験者とで差があるのか?」という質問に対しては、「採用時にわざわざ聞いたりはしないが」と戎氏。制度に問題があるとするなら、「温室人間」が育ってしまうのではないか?挫折すること傷つくことに弱い人間が育ってしまわないか?と感じているそうです。

 これを受けて横山教授、「入試制度がそれに結びつくとは限らないが、受験は人間形成の場としてある考えられる」と感想を述べられました。

 社会に出てからの総選経験者と単選経験者との差…。そんなものがあるだろうか?私も総選高校の経験者ですが、大学をめざして一応、勉強していましたので、生ぬるい明石の雰囲気に飲まれなかったのですが、中学の時にぬるま湯に浸って、高校に入ってから大学受験で初めてその厳しさに気付くというのであれば問題です。受験には学ぶところが多く、どんなに辛い仕事に直面しても、根底には「受験の時を思えば…」みたいなものがあると思います。あと、以前、勉強はチンプンカンプンだったというスナックのママ(単独選抜公立底辺高卒)が「アホやったけど、貧乏だったので公立高校しか許してもらえず、受験の時は必死だった」とか「補習で先生に怒られながら勉強した内容は今でもよく覚えている」とか言っていたのを思い出しましたが、勉強から降りた人間にとっても、そういう体験は非常に重要なことではないでしょうか?(やっさん)


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