北アルプス・飛騨沢から槍ヶ岳
           槍沢源頭部と中岳から南沢滑降

飛騨沢核心をを登高する
◆【山行日時】 2013年5月3〜5日
□5月3日

新穂高〜槍平〜飛騨乗越〜槍ヶ岳・肩の小屋

□5月4日

槍ヶ岳の肩〜槍ヶ岳山頂往復

□5月5日

槍ヶ岳・肩の小屋(〜大喰岳往復)〜槍沢滑降

                 〜飛騨乗越〜大喰岳〜中岳〜南沢滑降〜槍平〜新穂高



5月2日夕方、自宅を発ち、クラブ活動を終える(あ)。と合流するため大阪、天満橋へ向かう。

彼は大学生になって以来、通学のため毎日大阪に足を運んでいるので、三回生になった今ではそこの地理にはかなり詳しいようだが、こちらはほとんど足を運んだことはなく、ましてや下道を車を走らせないといけないとあって、かなり不安もあったが、iphoneというツールを得た今、カーナビのない車ででもかろうじてその音声案内の力も借りて目的地まで到達することができた。

彼と合流して大阪を出発できたのは21時になっていた。

合流すればiphoneの手はほとんど必要なくなり、彼の音声に従い新御堂へと車を走らせ、名神・吹田から高速に乗車する。

出来れば今日中に目的地の新穂高に着きたかったが、これでは無理。

渋滞もなく順調に走ったように見えたが、新穂高に着いたのは深夜2時になっていた。

奥美濃は「意外と近いかも?」なんて思わなくもなかったが、そこと比べても、そこからまだもう少し距離がある感じで、やはり遠い。

深山荘の無料駐車場は意外にも空いていた。

停めた車の脇にテントを張り、とりあえず朝まで寝る。
◆【第一日(5月3日)の記録】

5時起床し支度する。

今日は槍の肩までの片道なので、そう焦る必要はないだろうと高をくくっていたが、後々この精神的な余裕が悪さをすることになった。

昨夜、当地に着いたとき、すでにテントを張っていた隣の人もごそごそし始めていた。

山スキーの彼ら、話せば今日は穴毛谷方面へ日帰り、明日から双六方面へテント泊で向かうとか。

いやはや連休ともなれば色んなコースを考えた人たちが集うものなのだと感心する。

駐車場で準備中
駐車場で準備中

パトロールに登山届を提出したら右俣林道を歩き出す。

穂高平を過ぎ、柳谷を回り込んでしばらくして、ようやく雪が現れた。

一昨年は穂高平からしばらくしてスキーを使えたのだが、昨年来、融雪の時季を迎えれば早々に工事車両が除雪を行っているようで、ここまでは林道に雪はなくスキーは使えない。

さらには、気温がずいぶん下がっているようで、特に除雪区間での歩行は凍てついた路面に足をとられ歩きづらかった。

折角履いたスキーも白出沢で脱ぎ、短く歩いたら再度履き、林の中を河原へとシールのまま降りる。

白出沢よりジャンダルムを見上げる ブドウ谷手前より見上げる南岳
白出沢よりジャンダルムを見上げる ブドウ谷手前より見上げる南岳

ブドウ谷のデブリは丸い堆積物でしかなく綺麗なものだった。

チビ谷のそれは少しはデブリらしかったが、ここも問題ない。

滝谷を右に見て槍平へと向かうと、ようやく高山の中っぽくなってくる。

右からの小さなデブリはあるものの、ここでの沢筋も綺麗なもので問題なし。

滝谷を囲む北穂〜涸沢岳とジャンダルム稜線
滝谷を囲む北穂〜涸沢岳とジャンダルム稜線

間もなく南沢の末端出合。見上げるとルンゼ付近までが見上げられ、この時点ではここを滑るに問題はなさそうだ。

槍平でこれからの本格的な登りに備え、持参のおにぎりとカップラーメンで腹ごしらえ。

家でにぎったおにぎりは何時どこで食べても旨く、 別に持ってきた味付けノリも塩分たっぷりの美味で、このロケーションならこの上なし。

中崎尾根でテン泊するという女子二人、男子一人の三人パーティーと槍の肩での再会を約束し別れたら飛騨沢へ向け緩やかに歩き出す。

槍の肩への登りはまだまだこれから。

飛騨沢へ向け登高する 命名、見返りディアー
飛騨沢へ向け登高する 命名、見返りディアー

眼前上方に見える三角の岩峰は千丈沢乗越のピーク。

ここは、そこですらまだまだ見上げなければならない地点。

ふと見上げると中崎尾根の斜面に生えるダケカンバが、ある形を成していることに気付いた。

これは正にそのものじゃない?!

振り返るシカとでも言おうか、どう見てもそんな風にしか見えない。

この際、『見返りディアーのダケカンバ』とでも命名しておこう。

雪原に悲しく横たわるカモシカの亡骸をみて先に進むと、次の目標は中崎尾根に生える一本のダケカンバ。

中崎尾根上部と千丈沢乗越のピーク 奥丸山と乗鞍遠望
中崎尾根上部と千丈沢乗越のピーク 奥丸山と乗鞍遠望

やがて飛騨沢全景を見渡せるところまで来たが、ここから飛騨乗越までが長い。

この頃から天候が悪化気味で、風が強くなりだしたのと、標高を上げたことも手伝って雪面の状況が良くなくなってきた。

やがて滑落の危険が増したのでアイゼン歩行に切り替え飛騨乗越を目指す。

飛騨沢の全容を見る 振り向けばようやく笠ヶ岳と同じほどの高さ
飛騨沢の全容を見る 振り向けばようやく笠ヶ岳と同じほどの高さ

ここからでも飛騨乗越までは遠かった。

飛騨乗越に着いたのは17時ちょうどで、駐車場を出てから11時間が経っていた。

槍沢側に足を運ぶと・・・、

「お〜っ!!

曇天ではあったが巨大な穂先がそこに聳え、鳥肌モノの景観に二年前の感激が見事に蘇った。

飛騨乗越より大槍を見上げる
飛騨乗越より大槍を見上げる

ところで(あ)。は何をやってんだか。

あまりに遅いので迎えに行くことにした。

そう言えば、かつて西穂に行った際、山荘から「ちょっと西穂まで行って来るわ。」と出かけた自身の帰りがあまりに遅いので、丸山付近まで一人で迎えに来てくれたことを想い出した。

あの時(あ)。はこんな想いで自身を迎えに来てくれていたのか・・・。

それはそれは不安一杯だったろう。

しばらく下っても姿は見えない。

飛騨沢上部には急斜面のトラバースがあり、時間の経過とともにカリカリのアイスバーンになることは想像できたので余計に不安になった。

声を張り上げても吹き付ける風にかき消され、どこかに消えてしまう。

「まさか・・・。」

不安もよぎったが、ほどなくして担いだスキーの先端が見えてきた。

「あ〇〇〜っ(彼の名前)」

張り上げた声が彼に聞こえたかどうかは定かではないが、当の本人は平気な顔で

「遅なったわ・・・。」

良からぬことを思わなくもなかったが、親とすれば無事であってさえすればそれで良かった。

時間の経過は親子の立場をも逆転させるものだと感じた時だった。

一昨年の日帰りの時とは違い、とりあえず一日で登りさえすればいいと思っていた精神的な甘さに加え、背負うザックの重さが負担増となり思わぬ時間を費やしてしまった。

残念ながら飛騨乗越から見上げると、すでに槍の穂先はガスの中で見えなくなっていた。

大槍をバックに小屋前で
肩まで上がると」大槍が姿を現せてくれた

肩まで上がり小屋に入るとそこは天国。18時になっていた。

強風下、テント場に張ってあるいくつかのテント泊の人たちの行いには閉口するばかりだった。


◆【第二日(5月4日)の記録】

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◆【第三日(5月5日)の記録】

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◆【ブログ】

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