織物を始めた頃は、タペストリーやマットといったインテリアに興味がありましたが、絣を習うようになってからは、
日本で絣といえば着物、着物といえば絣といわれるように、自然に着物を織るようになりました。
それとほぼ時を同じくして、川島テキスタイルスクールに長期間通うために仲居さんのアルバイトをすることになり、
着物を着るということが生活の一部に加わりました。
はじめは、着物を織ることと、着物を着ることが全く別々の所で始まり平行線のまま進行していたのが、
だんだん二本の線が近づいてきて、いまではピッタリと重なってどこまでも延びています。
着物を着ることがとても好きになり、自分で織った紬の着物、自分で染めた半襟、帯揚げ、帯も白生地を絞りをして染めたり、
染めた帯地に刺繍(6年ほど前から刺繍を習っています。)を施したり、もちろん自分で織った帯も…(売れ残りですが…)。
ちょっとお出かけの時はやっぱり着物かな?という感じです。
生まれ育った環境の中でさほど着物は存在してはおらず、大学卒業の時に一枚あったら充分ねと地味派手のちょっといい着物を作ってもらったくらいで、
どうしてこんなに着物が好きになったのか…と自分でも不思議に思うことがよくあります。
その理由の一つは、この鳩胸、寸胴の着物体型かな?
結婚して子どもが出来ると洋服に気を遣っていられなくて、加速度的におばさんになっていく日々の中で、
着物を着ると突如別人のように蘇るその快感?着物を着ていると普段は外股の足も内股に…
立ち居振る舞いもおしとやかになって…(これはやっぱり仲居時代の鍛錬のおかげ?)日本人であることを再認識する瞬間でもあります。
もう一つの理由は、着物の美しさ…。
染めの着物、織りの着物それぞれに日本のはぐくんできた伝統を垣間見ることが出来る。
名も無き職人たちのこだわりが作る側、作ってもらう側それぞれの思い入れの深さが見え隠れする。
手間暇を惜しまず、家族やその向こうにいる人の喜んでくれる顔を思い浮かべながら作る。
そうして心を込めて作ったものだから長きに渡って大切に着る。
着物としての用は果たさなくなっても半纏にしたり、帯にしたり、座布団にしたり…。最後は裂き織りに…。親から子へ、子から孫へその思いを受け継ぐ。
着物のコーディネートも楽しみのひとつ。
杜仲の葉で染めたほんのり赤みがかったベージュの地に書の先生に書いていただいた字…おたいこには花びら、花びら…、前には椿、椿…。
少し地色にむらが出たのでそれを隠すために思い立ったのが、文字に邪魔にならない程度に同色系で刺繍を施すアイデア。
どんな刺繍にしようかとあれこれ思い悩む楽しさ。着物は風合い、柄行、色などが日本の四季折々の自然と密接に関わっていて
これだと思うコーディネートが出来ると本当にうれしくなってしまいますね。
決まり事やしきたりにとらわれることなく、自分の思い描いているイメージやその時の気分を大切にして着物を楽しめると良いですね。
私たちの体を覆う布は、物量的には充分すぎるくらいに満たされていて、豊穣の中であたりまえのように暮らしているが、
何だか正体のわからない布もどきにぐるぐる巻きにされて、目も鼻も口も肌も鈍感になっているんじゃないか?
静電気まみれの化繊、ヨレヨレになったり、ケバケバになったり、不愉快な布も多くある。
本当に心地良い布ってどんなものなんだろう?
なくては困るものだけど、今の世の中、その布は私たちを心底心豊かにしてくれているのだろうか?
美しい布を織りたいと思う。
素材、色、風合い…どれひとつ欠けても美しい布にはならない。素材が良いからといって必ずしも心地良い美しい布になるとは限らない。
素材が良ければ、草木染の発色も美しいが、色だけに頼ってもだめ…。素材、色、風合い…一つ一つと真剣に向き合っていかなければと思う。
でもそれだけではない。 最も大切なのは、使い込まれた手を通して心を布に吹き込んでゆくことだと思う。 信念と愛情をもって、時間をかけ、たゆまず努力を傾けて、手を巧みにしてゆくことで創り出される美しさがあるのだろうと思う。 そしてそういう布を追い求める過程がまた、心を培い、私自身の生き様を映す鏡となることだろう。
どこまでも織り三昧の人生かと思いきや、不覚にも近所では子ども五人の肝っ玉母さん。
こんなはずではなかったのになあ……。
でも子どものことも、織りの仕事も何とか時間のやりくりをして欲張りなほどにどちらも一生懸命頑張ってきたという自負があります。
ふと気が付くと、今年長男は二十歳に…。長女は来年振り袖を着る…。(ちなみに次男は高一、次女は中一、三女は小一。)
忙しさの中で時折思い描いていた娘の振り袖…。
むかし、紫根染をしたときの紫の美しさが目に焼き付いていて、娘の振り袖は藤色で織ると思い続けていました。
現実に振り袖の準備にかかる今年の春に、梅の木を沢山分けていただいたので、梅の赤みのベージュと紫ってとても相性がいいなと思い、
経糸は梅のベージュの地色に梔子の黄色、臭木の水色、それぞれを掛け合わせた黄緑色、梅の柿色を細い縞のグラデーションにして、
緯糸は紫根の紫をかせのままぼかし染めにして織り上げました。
美しい、なかなかの出来映えにホッとしています。しかしこれからが大変。日本刺繍も習って八年…。
先生曰く、せっかく習っているのに…娘が三人もいるのに…一枚くらい刺繍の振り袖つくらんでどうすんの?と言われ…、
しかし時間的なことを考えると総刺繍はとても無理。そこで五つ紋のところに花丸の飾り紋を刺繍することになりました。
あと一年と少し、できあがりを楽しみにしていてくださいね。
手織の精神性を思う。
手仕事の世界はなんでも大変なことだけれど、特に制作に長い時間を要し、全工程にわたり一人で携わり、完結することは本当にすごいことだと思う。
何ヶ月もの制作の間には、体調の悪いときもあれば気が乗らないときもある。
苛立ったり、落ち込んだり、やりきれないこと、しんどいこと…繰り返し繰り返し押し寄せてくるが、それでも手は少しずつ動いている。
手はあくまで冷静だ。手が心を支えてくれていると思うときがある。多分、心の半分は手に神経を届かせているんだろう。だから感情に飲み込まれることはない。
そうして一枚の着物が出来上がる。
いろんな思いが交錯したことがうそのように凛としてそこにある。よく作ってくれたね…と言ってくれているようだ。
こちらこそ、お礼を言いたい…ありがとうと。この満足感がたまらない。
染織に出会って30年……天職と思って必死に走り続けてきました。
その30年の間に織りました着物は68反、帯は織帯、刺繍帯とで30本余りとなりました。
川島テキスタイルスクールの恩師 笠井先生(当時80歳)が口癖のように言われていたのが、「百反織って、やっと一人前やで。」
その言葉が脳裏から離れずにおりましたが、百反なんて織れるだろうか…と思っていました。
でももしかして、もしかして・・・ずーっと向こうの方にかすかな光が……。
百反織った向こうには何が見えるんだろうか…百反目の着物っていったいどんな着物なんだろうか。
そんなことを考えながら、ここらでもう一回気合を入れ直して…さあ、まだまだこれから……。
着物を一反織るには、デザイン、設計、染め、織り全ての工程を含めると半年以上を要することも多く、その一つ一つに思い入れがあり、思い出があります。
家事、育児、教室…誰もが何かしらを抱えていて、その限られた時間の中でその時その時なりに精一杯作品と向き合い、制作してきたその結果として、
たくさんの思い出とともに着物という形が存在していることに、今はとても喜びを感じています。
手織の世界でよく言われるのが「静かな持続」です。
それは高速に大量にものが作られる時代への反発から、より自分らしい生き様を求めてのスロースペースと、一過性ではなく、歩み続けること、積み重ねていくこと。
ただひたむきに作り続けてきたことで、鍛えられ叩き込まれた手が、心を支え、本当に美しいと思うものを創り出す力を与えられて、
着物という形がここに存在するのであれば、それと共に思い出す、しんどかったこと、悲しかったこと、楽しかったことも、
手に力を与え、心を培う糧であったとうなずけるのではないかと思っています。
これからも着物を幹として、もっともっと枝を広げ、新しいことにも挑戦していきたい。
また家族を軸に、共に歩む工芸の仲間たち、手織の世界を志し、教室に通ってくれる生徒たちを叱咤激励しながら、ともに人生をデザインしていく。
下界の喧騒も不安も一時でも忘れさせてくれるぬくもりがある、心の豊かさがある、心ときめく瞬間がある、笑いあえる仲間がいる。
本当に美しいものを作るにはその道は険しく遠いが、創意と努力の先に自由で個性的な生き方を繰り広げることができる。
これこそが、― ライフ・デザイニング ―
それまではのんびり、、ゆったりとしていた教室も、前回(第11回)展前から生徒が少しずつ増えてにぎやかになってまいりました。
手織と二人三脚で歩もうとする方を少しでもお手伝いできれば、、と始めた教室です。
仲間が増えるのは大変うれしいことですが、なんせ自宅で細々とやっている教室なのでどこまでご期待に沿えるか、、、という気持ちを抱えながら日々奮闘しています。
第12回展は11名の出品となり見ごたえのある展となりました。
梅雨のさなか、ご高覧いただきました皆様、本当にありがとうございました。
吾亦紅の教室は①、来たいときに来る。②、自分で出来ることは自分でする。③、織りたいものを織る。 というスタンスですので各自の状況に合わせて、織るものも来る頻度も様々ですが、教室では楽しくにぎやかにおしゃべりをしているとあっという間の一日です。
慣れてくると「機を持ちたい」と思うのは人の常ですが、いざひとりで作業をするとなるとなかなか思うようにはいかず、自身と向き合うことを必要とされます。
その時に頼りになるのは私を含めての「織仲間」、、相談でき、お互いに励ましあえる仲間づくりを含めての教室だと思っています。
自分が何のために機に向かうのか、、ものづくりの楽しさもさることながら、自分自身に何かを作り上げていきたいという思いからではないでしょうか、、。
織の世界で の座右の銘「静かな持続」・・・織り続けることは手先の器用さでもなければ、一発勝負の奇抜さでもない。
手織の心の喜びと作品の楽しさは取り組みの積み重ね、いわば静かな持続の長さに比例する。
この言葉をしっかりと受け止めていただいて、これを実現するためにも少しづつ、、でも貪欲に仲間、道具、技術、センス、、積み上げていっていただきたいと思います。
copyright 草木染・手織工房「吾亦紅」 川崎寿喜