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大学卒業と同時に川島テキスタイルスクールに通うことになり、しばらくはアルバイトをしながら短期間のコースを習得していましたが、
絣に出会ってからは、そのときは全く未知というか、無知であった着物の世界へ……。
手織って一体なんだろう……?
川島テキスタイルスクール元理事長 木下先生が手織を志す仲間に送り続けたエールは、…静かな持続…であった。
当時はその響きになんとなく心を動かされはするものの、その本当の意味を理解するのは、皆一人になって手織と格闘しなければならなくなってからだろう。
手織を続けるための物理的条件もさることながら、精神的な部分に大きく左右されると思う。
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…静かな…とは、手織の喜びは一発勝負ではなく、その取り組みの積み重ねであって、器用さや、奇抜さではないということである。
…持続…は停止しないことである。停止しないためには、新鮮な発想が湧くこと、それを形にする為の設備があり、設計ができ、必要な技術が伴うこと、
そして、意志と行動がそれを支え続けることが必要である。そしてできれば、互いに励まし合い、批判しあえる仲間がいればさらによい。
これだけのものを一度に手に入れるのは不可能である。手織の世界の巡礼は、その途は遠い。
静かな持続以外ないのである、とその著書「インカネーション」にて明言しています。
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絹糸、絣、草木染、着物・・・・美しいものに惹かれてこの世界に入っていった。
工芸の祖 柳宗悦氏は、美しいものを作り出す糧は、自然への愛情、人間への、生活への愛情であると語っています。
しかし、本当に美しいものを作り出すには、否応なく自身の心の有様を見つめることを問われ、人間性を問われ、生き様を問われ、
精神的にも肉体的にも苦痛と忍耐を必要とされながらも、豊かな感受性を保ち続けなければならない…なんて書くと、私にどれか一つでも満足できるものがあるだろうか?
人間の醜さ、弱さ、目を背けるのではなく昇華して、なににもとらわれずに、ただ一本の糸に心を込めて、
…布…を織り続けることによってはじめて…美しいもの…が作り出されるのだろうと思う。
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だからこそ、手織は楽しい。ストレートに私の生き様に影響を及ぼしてくる。
人との出会い、ものとの出会い、本当にドラマチックに思えてわくわくさせられる。
生きること、人と出会うことに貪欲になる。そして、自分自身の人生を自分の意志で、自分らしく作り上げていく楽しさを味わうことができる。
まさに、ライフ・デザイニング……