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SOMEWHERE I BELONG

金曜日です。イエイ!!やっぱり、週末はうれしいなぁ。今週は3連休やけど、別段予定もなく……。まぁ、のらりくらりと思いついたことをして適当に過ごそうかと思うわけです。そんな楽しげな週末を目の前に、ぼんやりと考えていました。

今日、かなり久しぶりに、それこそ3ヶ月ぶりくらいにあの古本屋さんに行ってみることにした。18切符旅のエキスパートの人とであったと前に日記にも書いた店だ。その人は、2階のギャラリーにいる。とりあえず、1階の古本屋に入って、本を見てみた。前に見つけた本がまだあればもうけもの、と思ったけどそんなに甘くはなく、本の位置もずいぶんと変わっていた。店主と、常連のような、友達のような人がしゃべっている。そんな中に一人ぽつんと私が客として入っていっても、いらっしゃいませの一言もない。まぁ、別にええけどさ。そんなかっちりした店っぽくないことはわかっているけど、ここで妙な疎外感を感じるのはなんでやろう。

それは、やっぱりここが日本やからとちゃうかという結論に達した。その「店」だか「空間」だか「居場所」のようなものを共有していて、お互いが知っていてそれがひとつの塊となっている時、彼らの心は内を向いている。つまり、車座の精神が他者を招き入れることをためらっているような。ためらっているとは言い過ぎにしても、決してその両腕は開かれてはいないような気がする。この違和感を打破する言葉は、やはり「hi, how're you doing?」的な言葉やと私は思う。格好悪く直訳してしまうと、「こんにちは。調子はどう?」という、いわゆる「あいさつ」なんやけど、残念ながら、日本には見ず知らずの人に向かって「hi」は結構、ない。しかもその関係が、店の人と客となると、ますます、ない。店に入って、「こんにちは~」といってくれるのは、スターバックスくらいなもんで、だいたい「いらっしゃいませ」が一般的やと思う。いらっしゃいませという言葉は、確かに客と店の立場を明確に分けてしまうけど、声をかけられるのとかけられへんのでは、かなり違う。だから、彼らが和気あいあいとしゃべっている中に、突如現れた私は友達でもなければ、客にもなれなかったのだ。エイリアン。私がさっと感じ取った「違和感」、つまりはそういうことなんやと思う。結局、2階をのぞいてみるのも気が引けてそのまま店を出てきてしまった。

私があの店に(というか、あの達人に)求めたのは、多分「属さない感じ」やと思う。どこかに属するのは、本当に窮屈で退屈な気が最近特にしている。そんな中で、前に訪れたときに味わった、ちょっと日本のせかせかした雰囲気からずれた旅のときにあるようなまったりした感じを期待して足が向いたんやと思う。でもそこにたどり着くまでにそこには、属さない雰囲気ではなく、明らかにそこが属するための場所みたくなってしまったその感じをかもし出していた事に、あるいは、属せない雰囲気を察知したのか、ほんの一瞬垣間見た雰囲気やったにもかかわらず、なんか勝手にがっくり来て引き返してしまった。属さないにあこがれて、属せないと感じて去るとはまぁ、矛盾もはなはだしい話やけどね。

ここまで相当うだうだと書いているけど、結局のところ私を混乱させるのは、どこに行っても「所詮はないものねだり」だという事実。どこかに所属することが窮屈である反面にはそこから得られる安心感もある。甘え。私が家族の一員である限り、どこにも属さないということはありえない。だから、属するとかしないとかについて考えるのは不毛なんやと思う。だから、上記の内容は、すべて無駄。でも、意識すればするほどその考えに囚われる。そして、サイクル化されてゆく日常への飽きや疑問や不満、その他もろもろがあいまって、どこかへ行きたいという願望が強くなる。

こんなことを書いたら何をそんなに思いつめてるんやという感じがするかもしれへんけど(実際読み返すとひどい。)、そんなことは全くない。ただ、頭の中で取りとめもなくぐるぐる考えるくらいなら、言うてることがかみあわへんでも、とりあえず文字にしておこうと思っての、本日の日記です。ではでは。おやすみ。