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和泉屋 いづみや |
「砂場」の発祥は大坂で、いまの大阪・西区新町にあった「津の国屋」「いづみや」というそば屋で、大坂城築城の砂や砂利置き場であったことから通称「すなば」と呼ばれるようになった。寛政10年(1798)刊行の「摂津名所図会」に「砂場いづみや」の図がある。暖簾は「す奈場」と染め抜かれ、立派な店構えが描かれている。図の2枚目にはたいそう繁盛している店内の様子が克明に描写され、臼部屋の石臼の数などから、とてつもない規模であったことが窺える。今ひとつ、「そばを打つ」という観点から興味深いのは、何人もの職人が並んで同時進行でしかも立った姿勢でそばを打っている。浪速の新町で江戸期を通じて繁盛した名店であったが、残念ながら明治に入って10年ほどの後に姿を消した。 |
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