最終話 未来へはばたけ屋久島、そしてヤクシマン、そしてあなたも
地域作り、永遠の課題
住民は自分たちの暮らしがよくなることを望む、自己本位の考えで地域づくりを考える。しかしそれでは上手く回らないのが実状でしょう。であるから実現可能な範囲で地域を作ってゆくわけですから、住民とのずれが起こってくるのは、地域づくりにおける問題で、それはどのようなコミュニティーにも見られる問題です。それは住民一人一人がが自分たちの意見も言いつつ、地域づくりのための妥協点を見出し、その地域づくりに関わってゆくことが大切です。それは地域づくりの計画段階から関わってゆくことで一定の解決は見られるはずでしょう。
しかし、実際問題として住民一人一人が地域づくりの計画に関われるわけではない。確かに環境文化村構想ではマスタープランの製作の際住民の意見の聴取などが最優先され、地元重視の姿勢が貫かれたらしく、それは非常にすばらしいことである。しかしながら、屋久杉自然館のおじさんは「島内で発言する人はもう決まっている」と言うことにみられるように、発言しない人の意思・意見というのはなかなか地域作りに反映されていないのではないでしょうか。また、本当に生活に一生懸命な人は地域づくりについて考える余裕もありません。
本当に住民一人一人の声を聞くことは非常に困難です。それはコミュニティーの規模が大きくなればなるほどでしょう。屋久島は多いのか少ないのか幸か不幸か一万四千人の人口である。それに離島ということや集落の離れ具合などからも地域というものを感じやすいはずである。そういう効果も相まって島が一丸となって政策に取り組んだなら、住民パワーが活かされ、ほんとうにすばらしい地域になることは間違いないでしょう。
そして今屋久島はそれを目指しているのだが、そこに向かい歩みとどまっていうるわけではなく、少しずつ前に進んでいるように感じられた。
しかし進んではいるのだが、急激な変化を経た屋久島では、住民が地域の変化や、外部の人との溝を埋めるなど、人の考えがかわったり、心底から納得するにはどうしても時間がかかってしまいます。その中で、絶えず話し合いや譲り合い、住民相互の理解にむけて試みていく必要があります。
屋久島の将来を担う
また、屋久島の将来を担っていくであろう子供たちは非常に新たな地域へ順応を示し始めています。社会の変化に対しても次の世代の子供たちは、小さいときから観光に触れ、環境学習も学校で行われているため意識は高い。今の問題に対する理解を深め、それを克服していくため、また島一体の意識の構築に教育は重要な要素といえるでしょう。教育は時間はかかるが最も有効な方法といえる、未来への投資なのです。環境や地域づくりに取り組む姿勢などの教育は最初は外から行われたとしても、最終的に地域内、家庭内で内発的に自然に行われていくことが望ましいでしょう。
環境学習に対してはこれからも先進的な事業として掲げられており、今回その全てを把握することは出来ませんでしたが、将来に対して希望のもてるものと感じました。
そして、子どもには環境意識と同様に新たな地域づくりに対しての理解というものも進んでいるはずでありましょう。島根性というものももしかしたら受け継がれ、また外部との溝を作ってゆくのかもしれませんが、本当に理解が進めば、島根性はこの地域づくりを進める上で、限りないパワーを与え続けるものではないでしょうか。そしてそれこそが、人々の生活や文化を活かした屋久島らしさを構築するもので環境文化村構想の目指す地域作りではないでしょうか。
環境文化は過去の遺産?
環境文化が本当に今も屋久島に息づいているかはかなり微妙な範囲なのではなかろうか、すでに前岳にも人々が生活にかかわるということはほとんどなくなっているはずである。確かに伝統行事など受け継いでいるものはあるものの、精神的なところでの自然とのつながりは薄くなってきているはずである。つまり、環境文化というものはすでに過去のものとなりつつあるということである。 環境文化というものがかつて屋久島の土壌に存在していたものであって、現在の屋久島では過去の遺産的な位置付けでなかろうか。
しかし、だからこそ今環境文化なのではなかろうか。たしかに第4話でもふれたとおり環境文化という見方や環境文化を見直そうとすることは外からの視点で住民にとって疎遠なものかもしれませんが、自然が大きくとりあげられる今、その自然を損なわずに保ってきた人々の思いもとりあげられなければならないはずである。
本当の屋久島らしさを描く際に自然だけに焦点を合わせ、そこにかかわってきた人々の歴史的なかかわりを無視することは「木を見て森を見ず」的なものではないでしょうか。そういう自然とのかかわりを踏まえなければ、本当の屋久島ではない。その本当の屋久島らしさのためにも環境文化が大切なのである。そして、現在の自然と人とのかかわり方が見えてこなければ、屋久島らしさというものが過去の遺産に頼り切ったものになってしまう。新しい人と自然のかかわり方というものが構築され、それが屋久島らしさを際立たさなければならない。そしてそれが環境文化村構想の意図するところではなかろうか。
そのために環境文化というものは過去から現在まで自然を損なうことなく人が自然とかかわってきた中で培われた文化、言葉どおりに、過去の遺産として見られるものではなく現在屋久島に流入してきた外の文化や価値観をも含んで変化していく文化でなければならない。時代にあった形に変化してゆくことがスムーズに文化を新しい形に変化させる。そのためにも屋久島の島民にも変化が求められるのではないか。
これからも自然とともに歩んでいくのであれば、それを過去達成してきた環境文化を見直すことは非常に重要なことではないだろうか。そしてその時代時代にあった文化として変化していくべきであるが環境文化の自然とともに生きるという心意気。その心意気はけして過去の文化といわれることなくつたえられるべきものだろう。環境文化は過去の遺産?いや、その形を変えつつも生き残ってゆくべきものなのです。
さいごに
屋久島が将来、イケてる地域の例として取り上げられることを期待しましょう。そして私たちヤクシマンはイケてる戦隊の例として取り上げられるでしょう。そうなればきっとあなたもイケてるはずでしょう。Oh, yes!! Yes, Takasu Clinic!!
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