屋久島の人々は昔から自然を損なうことなくそれを利用して生活してきました。しかし近代に入り、大量伐採が加速されました。そのおかげで屋久島の自然は大ダメージを負うことになります。そこで人々は自然を危惧し始め、自然保護を訴えました。と、同時に屋久島の自然は希少で特異的なものとして、注目を浴びました。九十年代に入り、それは加速され、また、人々の自然に癒しを求めようとする傾向からか、屋久島の観光が盛んになりました。
そんなおり、屋久島環境文化村構想が打ち立てられました。しかし、そのようなものは市域産業振興等、住民の生活のための施策の側面はあるものの、(外の動きにより始められてもので、)外からの視点で描かれている部分が多く、住民にはとっつきにくいものなのではないでしょうか。そういったところで、地域づくりを進める上で住民とのひずみがあるのではないのか。また外の文化の流入や観光客の増加などが屋久島にもたらした変化に住民たちは追いつけていないのでしょうか。そのような外の視点にさらされ、また外の文化が入ってきたということと、それに伴う生活の変化に対する住民のとまどい・不満・寂しさを感じさせるようなことを今回見聞きすることが出来ました。
島民の自然観
屋久島は洋上の孤島にいきなり急な山岳部が成っており島の外輪部のほんとに狭いところにしか人の生活の場がありません。そこより内側に入れば山々がすぐ切り立ち、外側にはすぐ海があります。つまり周囲の人の周りにごく普通に自然が存在しています。そのせいもあり、屋久島に長く住んでいる人にとって、屋久島の自然は生活の場に溶け込んだあたりまえなものなのです。
熱の差、外部とのずれ
ところが、島民にとって‘あたりまえ’なものでも島外の人にとって見れば「超自然・屋久島」となるわけです。あたりまえに身近に存在していた自然が、とりざたされて賞賛を浴びている。屋久島古来の空間認識では海も山も里も一体であると捉えていたほどだが、最近では自然だけがういてしまっている状態になっているのではないでしょうか。
屋久杉自然館にお勤めで、話を伺った方(安房出身)の話では、外がヤレ素晴らしい自然だ、ヤレ屋久杉だ、ヤレ世界遺産だとか言われ騒がれても島民にとっては元から普通にあった自然がそんな風に言われだして「そんなにすごいかぁ?」と思うらしい。引いてしまうのです。外が屋久島のことを素晴らしいと評価すると島民はそれに対して口をつぐんでしまうということです。
島に長く住んできた人にとっては、自分たちの自然に対する見方は外の人とは異なるため「世界遺産?知らないねぇ。勝手に言っときな。ワシらはワシらで生活しとくわ。」という人もいるらしい。
また、昔から絶やすことなく受け継がれてきた自分たちの自然が国有林になり、伐採され破壊されてきました。回復してきたと思ったら世界遺産になり、皆の注目の的となってしまいました。自分たちの身近な自然が自分たちのものだけではなくなったということで、島民、それも年配の方は特に疎外感や寂しさは否めないとおもわれます。
屋久島島民の中には、このような自然を賞賛する外部や地域に対して熱の差を覚える人もいるようです。
島民にとって観光は身近なものではない
屋久島ではその自然を対象とした観光業が主要なものになっています。また屋久島では他の地域と比べてエコツアーが盛んに行われているといってよいでしょう。
観光客も増加し、それによるゴミなどの環境負荷の問題がある一方で、島に利益をもたらしています。しかし、観光は夏に一極集中しており、島が人で溢れる夏の風物詩と化しており、他の季節では島は閑散としています。
今でこそ屋久島の自然というものは非常に特異的で希少な豊かで素晴らしいものだということを認識しているだろうが、かつては‘あたりまえ’、要するに自然を「自然」として意識することがあまりなかったのではないでしょうか。
島の人々はまさか、屋久島の自然がこれほどに評価され観光の資源などになるとはまったく思ってもみなかったといいます。
そういうこともあったのでしょうか、観光業についている人というのは島に元々住んでいたという人よりも島外からの移住者も多いと耳にしました。そのような背景もあってか、元々屋久島に住んでいたが観光に携わっていない人たちにも観光は「何かしらめぐって恩恵をあたえるが、観光は別物としてとらえている。」(自然館の館員のおじさん談)
と、あるように屋久島の産業基盤となりつつある観光であるが島の経済活性による恩恵を観光によるものとしては捉えにくいという問題があります。
観光の実態と住民意識のずれ
先ほどの環境省の調査では住民の六割が登山客の増加を好ましくないと感じているが、その理由としては登山客が主として山の自然にもたらす問題、入山人数の多さによる登山道の荒廃とゴミの持込と糞尿問題による山の環境悪化がありますが、その他の理由としてまず、島の経済へのメリットが少ないということがあります。
登山客は山小屋やテントで宿泊し、食料は島外から持ち込むといった利用が多いという認識が住民にあります。そのため、島の経済への効果は薄いと考えるわけです。
ところが、実際は登山を目的とする利用者の島内消費額は、他の目的の利用者よりも高いことが調査からわかっています。
このような住民の意識と実際とのずれは、十数年の変化によるとまどいを大きくする一因となっています。
移住者・観光客の増大がもたらした軋み
平成12〜14年に環境省の屋久島住民を対象に行った調査では登山客が増えたことや集落以外の場所に住宅や別荘が増えたことを「よくない変化」と感じる人もいます。ここ十数年の変化として、移住者や観光客の増大があり、このことを意識する住民は多い。外部の文化・生活様式、価値観の相違は住民にとまどいや軋みをもたらしています。
偶然、観光パトロールをしている屋久島出身の方にお話を聞く機会がありましたが、その観光パトロールのおじさんは最近の屋久島の観光化を快く思っていないようでした。観光客・登山客が多く山に入りすぎて、昔の伐採のように自然を破壊させてしまうことを懸念していました。
また、観光に目をつけてやってきた島外の人々が屋久島の人本来のゆっくりとした気質とは異なる、資本主義的な気質というか、せこせこしたものを島に持ち込むことを嫌がっていました。そして、島の人間はのんびりしているから観光の仕事を島外の人間にとられてしまったとも言っていました。おじさんは島に職がないことを嘆いています。
島外からの観光業者には自分の利益のために屋久島の素晴らしい自然を観光のエサにしているとおじさんには写っていると思われます。
教育や医療を中心として、現金の必要な島の暮らしに対し、屋久島ではまだ十分な収入が得られているとは言いがたく、依然として仕事の確保と所得水準の向上が強く求められているという背景があります。そのなかでの外部者の観光業への流入は、島民のとまどいを生む要因ともなっているようです。
環境政策に対する島民のとまどい
屋久島では人が長い間暮らして来たにもかかわらず、すぐれた自然が今も残されています。自然を損なうことなく暮らしてきた独自の生活文化(屋久島環境文化財団でもこうした何千年も積み重ねられてきた自然と人との関わりを「環境文化」とよび、これを軸にしているほどです。)があったからです。そしてそれは今も息づいているというが…。
しかし「環境文化」という、うけつがれてきた自然保護文化は現在における生活様式では自然を守るための主なポイントがすこし異なるように思えます(その思想は同じであるが取り組み方が少しことなる)。そのため島民たちの現代に必要な環境意識はまだまだ到達すべきレベルには達していないと思われます。
島民の環境意識をしめす例があります。
自動車のオイル交換で交換したオイルをその場でそのまま流してしまったり、泊川では現在でも橋の下にゴミを捨てに来る人がいる。また、観光客の来るところのないつりスポットでもゴミがあふれている。お店にも環境付加の少ない洗剤はおいていません。
ウソかホントかこういう話があります。
海の空き缶清掃のため、舟で海へ出て空き缶を拾い集めた。空き缶拾いも無事終わり、おつかれさんってことで船上で缶ジュースがくばられみんなで飲んだ後、その空き缶を海に投げ捨てたという。
環境学習・保護についてはまだまだ始まったばかりであり、このような例にも見られるとおり一部の島民の環境意識というものは低いといえます。島民にとって屋久島の自然は懐の大きいもので、川にごみを捨てても皆海に流してくれるぐらいの感覚でしょう。昔の生活ではそのようなことも可能だったのかもしれませんが、しかし現代社会においてはゴミの形も変化し、自然にダメージを与えてしまうのです。環境文化村構想の「環境」を軸に地域づくりを進めていくことに対してもともと住民の環境意識とのギャップがあったのではないだろうか。いままでどおりの感覚でゴミもすてれなくなってしまい。さらには環境の島という位置付けにされたためゴミの捨て方一つにしても変わってしまい、現在ではゴミの分別にはもうなれたかもしれませんが、分別施行当時は住民も暮らしにくさを感じたのではないだろうか。
だが逆に、若い世代では自然保護の風潮が高まってきたときに生まれ育ってきたり、学校で環境について学習する機会もあってか、環境意識も高いといえます。
住民の納得のゆく地域へ
上述のように、屋久島では、「環境の島」へと変貌をとげる地域に戸惑いを覚える住民が少なからずいるようでした。これを解消し、皆の納得のいく地域になるためには住民が政策の意図や、屋久島の現状をしっかりと理解し、地域作りに積極的にかかわってゆくことが望まれます。
そして地域作りを進める上で住民のコンセンサスをどのようにして得ていくかというところは地域の重要な課題といえます。そして永遠の課題ともいえます。
屋久島のように大きな変化を経、また文化や産業、環境保全・自然保護などこれから地域の変革に取り組んでいる地域では特にです。産業の基盤づくりは現在の生活や、将来までの方向性を決めるものであり、その上で住民の意見をどうまとめていくかは非常に難しいところはいうまでもないでしょう。
これまで述べてきたように、屋久島環境文化村構想など屋久島が現在取り組んでいる政策というのは、住民の今までの文化を見直し、それを地域づくりに役立てようということです。しかし、その実態は文化の新しい形への昇華ではないでしょうか。その文化を形作り、引き継いでいくのは住民であることに間違いありません。
住民の中には世界遺産登録や観光に対して不満を持つ人もいることは事実です。
自然環境保全を前提とした産業が成立し、地域の持続発展が進んでいくためには、住民自身が変化し新しい屋久島文化や価値基準を作り出すことが必要になっています。産業、生活、交流のスタイルを島の人々が納得し、主体的に選んでいくということであり、それが住民参加による地域づくりの推進力ともなるでしょう。
第一話
第二話
第三話
第四話
最終話
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