〜ガンにかかったら〜 私の死生観

  人間は誰しも「生きていれば病気になり、ある時は障害を持ち、ある時は事故に遭い、そしていずれ最後は必ず死ぬことになる」のが自然の節理です。

 そう考えてみると、この年になると今までボケッと何も考えずに生きてきた自分が恥ずかしくなります。今をしっかりと大切に生きなければならないとつくづく感じます。

 今回はいずれ訪れる「死」それも「ガンによる近々の死、そしてガンの告知を受けた場合」ということにスポットを当てて私の「死生観」を述べてみたいと思います。皆さんもそれぞれに「死生観」をお持ちだと考えます。それに対して私の意見が少しでも考える一助になれば幸いです。
 
 告知を受けると言うことはある程度の死期が確定してきます。その時の心の動きに対して、キュブラー・ロス氏はその著「死ぬ瞬間」の中で死に直面した多くの人々に面談をして、被告知者の心理を段階的に書いておられます。

第1段階 衝撃
否認・隔離
医師により致命的疾患が告知されると当然ながら大きな「衝撃」を受ける。
患者の第一の反応は「そんなことはないはずだ」という「否認」である。
そして孤立化(隔離)するようになる
第2段階 怒り 「どうして私がこんな目に遭わなければならないのだ」という「他の誰でもない自分に悲劇的な運命を与えたもの」への怒り
第3段階 取引 「延命への取引き」である。「もう6ヶ月生かしてくれればどんなことでもする
とか「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」という絶対なるもの(神?)に対する取引き
第4段階 抑うつ 「思い残し、やり残しがあるのに死んで行かなければならない自分の運命に失望しつつ抑うつ症状に入る
第5段階 受容 部分的悲嘆のプロセスと並行して、死を受け入れる「受容」の段階に入っていく


 詳しくは原著をお読み下さい。基本的にはこのような段階を踏まえて、受容(あきらめ?)を経て平常心に至るのだと思います。しかし平常心に至れず悩み苦しみから解放されない人も多いようです。

 私の考えは結論から言いますと「
癌で死ぬのも悪くないなあ」と言うことになります。その心はガンにかかれば、ある程度死期が確定するし、その時期が来れば必ず死ねるからです。私ががんになったら・・・病名は必ず知って残された時間を考えながら、やりたいことをひとつひとつこなして行こうと考えています。しかし、そんな悠長なことを言っていられない場合も考えておかなければなりません。

 私のお薦めはそんな場合に備えて「日本尊厳死協会」に入会することが一番、楽で簡単だと思います。尊厳死とは患者が「不治かつ末期」になったとき、自分の意思で延命治療をやめてもらい、安らかに人間らしい死をとげることです。ですからガンだけに限られたものではありません。しかし、この会に入会するにはそこそこの費用がいります。気持が変わって書き換えたくとも色々と面倒です。

 それではほかの方法は何かないか、と考えてみますと「事前指示書1」を作成する手があります。岡田玲一郎氏がつくられたのがそのスタンダードだと思います。これを改変したいろんなサンプル→事前指示書2」、「事前要望書3」、「ウイルカード」などがありますのでそれを利用されたらいいかと思います。またそれらを参考にしてご自分でつくるのも一法かと思います。
そして指示書は家族全員に同意をしてもらい、毎年、誕生日など記念日に更新しておくのがベストだと思います。

 死はマイナス部分ばかりではりません。死があるからこそ、今を大切に出来るのです。毎日生活できるのは、牛さん、魚さん、トマトさん・・・のおかげ。感謝していますか?もしその気持ちがあるのなら、何か自分に出来ることを、他人にでも、地球にでも恩返しをしませんか?自分の生きている証として・・・。

 生きて行くに当たって、リビングウィルと言う概念があります。リビングウイル(Living Will)とは、生前の意思という意味の英語の翻訳であります。

 1.死の道程を自分で決めたい
 2.延命治療を拒否する自己決定権を大切にしたい
 3.将来は積極的安楽死も検討したい

 上のようなことを意味しています。
死生学』とは死と向き合うことの重要性を考える事であり、自分の無力さや限界を知って他者への優しさをはぐくむ学問でもあります。余裕がありましたら私の発表した“終末期患者の求めるもの” “終末期医療を考える”を御覧下さい。
この機会に一度「死」についてじっくり考えてみませんか?
                                    白畠俊治

としちゃん55の部屋
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