新説・炎の紋章
新説・炎の紋章
第三章 「俺がアンタの死顔を背負ってやるよ」
1
フリージを抜け出したアーサーは、すぐさまシレジアへと向かった。
泣きながら出発したわりには、アーサーの行動は落ち着いていた。
「山越えか。ここまで来たんだから、もう迷ったりはしないだろう」
アーサーはそう呟くと、手頃な位置にある山小屋の中でその日は休むことに決めた。冬のシレジアは、
注意していても凍死することがあると、アーサーは心得ていた。
アーサーが暖炉の火をつけ、軽い夕食を摂っていると、山小屋のドアがノックされた。
「はい」
「……アーサー=ヴェルトマー様ですね?」
ドアを開けたアーサーに、ドアの前に立っていた人物が尋ねた。
アーサーはドアを開けたまま後ろへ跳ぶと、魔道書を手に取った。
「何で僕の名前を知っているんだ?」
「お待ちしておりました。アーサー様」
突然跪かれ、アーサーは戸惑いながらも攻撃する姿勢を解いた。
「待ってた? 僕を?」
「はい。このシレジアにて、十年の年月をお待ちしておりました」
アーサーは、声の持ち主が女性であると確信した。
しかし、まだ十一歳になったばかりのアーサーは、その女性の言っていることに思い当たる節はない。
「僕が生まれてからここで待ってた。貴方は一体…?」
「申し遅れました。代々ヴェルトマー家に使える軍人、アイーダと申します」
「アイーダ……僕を待ってたって言うのは?」
「この地にて、アーサー様が真に旅立たれるまで、お世話致します」
「悪いけど、僕はシレジア王家に話をつけに行く途中なんだ」
「時は、まだ早うございます。なにとぞ、私に従い下さりませ」
それまでは攻撃の姿勢を解いていたアーサーが、再び魔道書を構えた。
アーサーの右手に魔力が集中し、アーサーの背後に炎が見え隠れする。
「悪いけど、邪魔者は消す」
「……その程度では、アルヴィス皇帝はおろか、私にさえ通用しません」
アイーダの言葉が引き金となり、アーサーの炎がアイーダを襲うが、直前で炎はかき消された。
「えッ?」
「この程度の炎撃では、この私ですら倒せません」
「エルファイアーを……かき消した」
燻る魔力を手で払い、アイーダは再び跪いた。
「当然です。貴方の実力では、ヒルダ様にも遠く及びません。その為、私がここに参りました」
「お前は伯母上の手の者なのか?」
「いえ。とうにヴェルトマーには解雇された者。しかし、世を憂れう気持ちまで捨ててはおりませぬ」
「ヴェルトマーへの復讐のつもりなのか?」
「……いづれ、わかります」
それ以上は話そうとしないアイーダに、アーサーはついていく旨を伝えた。
「アイーダさん、よろしくお願いします」
2
アイーダの館に案内されたアーサーは、その日から徹底的に魔術を教え込まれた。
全てアイーダが教育した。
魔術、魔力の鍛錬、社会情勢、その他為政に必要なもの。
また、アーサーはアイーダの授けるものを全て吸収していった。
「まだまだ、この程度ではアゼル様の足元にも及びませんね」
「俺は父上を超える! 超えなければならないんだ!」
「これらの街は、暗黒教団の影響が少ない町です」
「それじゃ、この街をまとめれば?」
「それは無理です。今は、拠点を一つに絞り、反攻の時期を待つのです」
「シレジアの王子が出発した?」
「はい。時代が動き始めたのかもしれません。アーサー様、時は熟しました。シレジア王家の娘に、狙いを
絞って下さい」
「彼女を騙すのか?」
「……騙すかどうかは、アーサー様のそれからの行動次第です」
「わかった。アイーダ、世話になった」
「いえ。ヴェルトマー家の誇りを忘れずに」
「あぁ」
アーサーを見送るアイーダの目には、かつてヴェルトマー城を抜け出した時のアゼルの姿がダブっていた。
3
シレジア王家の娘・フィーとの偶然の出会いを果たし、アーサーはフィーと共に解放軍に加わった。
「アーサーだ。よろしく頼む」
「セリスです。我が軍には魔法使いがいない。期待しています」
セリスとの面会も終え、アーサーは一人で軍のテントの中にいた。
「……救世主、セリスか」
「いい人だったでしょ?」
誰もいないと思って呟いた言葉に返事をされ、アーサーは慌てて跳ね起きた。緊張するアーサーの目前に
いたのは、既にアーサーを信頼し始めているフィーだった。
「フィーか」
「えぇ、悪い? コーヒーがはいったから、持って来たんだけど」
そう言って差し出されたカップを受け取り、アーサーはフィーの顔を眺めた。
「俺はお前を利用しているだけなのにな」
「ん? 飲まないの?」
アーサーの呟きは届いておらず、アーサーはフィーに促されるようにしてコーヒーに口をつけた。
それを見て安心したのか、フィーは会話を始めた。
「あなた、ヴェルトマー家の人間なんですってね」
「……誰から聞いた?」
「オイフェさん。あなたのことを知ってるみたいだった」
アーサーは先程見たオイフェの顔を思い出し、彼の経歴を思い出した。
「確かに、知ってるだろうな」
「でも、あたしは知らない。教えてよ、相棒」
フィーに促されてアーサーが語った彼の経歴は、七年前、フリージを出た時に作られたものだった。
「へぇ、苦労してんだ、あなたも」
「まぁな」
二人でカップのコーヒーを啜りながら、会話は続けられた。
心を開き始めたフィーの言葉は、アーサーの胸を打った。
人を騙すことの辛さを、アーサーは胸の疼きと共に噛みしめていた。
4
解放軍を名乗るセリス軍の進撃は止まることを知らず、ついにはコノートへと達した。
「……アーサー、貴方、顔色悪いわよ?」
コノート城への総攻撃を前に、フィーが馬に乗っているアーサーの隣に天馬を寄せた。
「ハハ、少し疲れたのかもな」
「疲れただけじゃないんじゃない? 貴方、この間のメルゲン城攻略の後から少し変よ」
「ティニーを取り戻してホッとしたのかもしれないな」
「疲れてるのなら言ってね」
わざわざ天馬を歩かせてアーサーの隣を進むフィーに、アーサーはイタズラ心を覚えた。
「そこまで気にしてくれるなんて……フィー、ひょっとして俺のこと?」
「バ、バカッ。貴重な戦力だから、心配してるだけよッ」
「へぇ?」
意地悪く笑ったアーサーの視線に絶えられずに、フィーが空を飛んだ。
その後ろ姿を眺めながら、アーサーは良心の呵責に胸を痛めていた。
「利用してるだけなんだ。好きになっちゃ、いけないんだぞ、アーサー……」
アーサーの心の中には、ここまで全て自分で最後を突きつけて来た親族の死顔がある。
ティニーにも見せず、アーサーは自分一人で背負うことを望んだ。
「好きになれば、俺が彼女を苦しめる。フィーだと、俺の心の中に入ってくる……苦しみを漏らしそうになる」
アーサーの中のライザの顔が、心配そうなフィーの表情に変わる。
頭を振り、アーサーは前を見つめることにした。ブルームの待つ、コノートへと。
5
セリス軍がコノート城の攻略を開始した。
いつものように中盤戦から前線へと躍り込んだアーサーは、勝手知ったるコノート城の中を突き進んだ。
王座に座すブルームの許に一番最初に辿り着いたアーサーは、ブルームと対峙した。
「……来たか、アーサー」
「あぁ。悪いな。俺はフリージの人間じゃない」
「ふん。とうの昔に知っている。あの跳ね返りの息子に、私は期待なぞせんよ」
「なら、好都合だ。新しい時代の為、アンタの首、貰い受ける」
エルファイアーとトローンが、それぞれ共鳴しあう。
古えより戦いを見続けてきた二つの魔道書が、互いのライバルを認め合う。
「アーサー、お前がどこまで成長したか、計らせてもらう!」
「アンタこそ、老いぼれてないだろうなッ」
二人の魔力が飛び交う。
ブルームのトローンが、僅かにアーサーの魔力に打ち勝つ。
しかし、アーサーは動き回ることでブルームの攻撃をかわし、スキを伺っていた。
「ほぅ、多少はマシだな」
「ヴェルトマー家の力は、こんなもんじゃないぜッ」
アーサーの踏み込みが、ブルームの魔力に空洞を空ける。
誘い込まれるようにして更に歩を進めたアーサーに、ブルームの一撃が襲う。
「甘いんだよッ」
「何ッ?」
アーサーはトローンを食らいながら、一気に間合いを詰めた。
「……貴様ッ」
「……これが、俺の教わったヴェルトマーの戦い方だ」
ブルームの胸に、アーサーの短剣が突き刺さっていた。
自分の胸の短剣を見て、ブルームが苦しそうな笑みを見せた。
「自分の嫁に殺された気分だ……」
「アンタの死顔は、俺が背負って持っていってやるよ」
「フン……お前にずっと背負われたくはない。ヒルダの…隣に……おいて…くれ」
倒れるブルームの体を受け止め、アーサーは短剣を引き抜いた。
「すまない、伯父上。伯父上の願いは、必ず」
安らかな死顔を心の中に刻み、アーサーは徐々に迫りつつあるセリス軍から離れるように城内へ消えた。
<第三章 終わり>
<第四章へ続く>