新説・炎の紋章

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新説・炎の紋章


第二章  「私を恨みなさい、アーサー」

 フリージ城に匿われたアゼルとティルテュは、髪形を変え、その風貌を変えた。

 ヒルダ同様、紅い髪のアゼルは長く伸ばした髪で片目を隠し、ティルテュはその美しき髪を短く切りそろえた。

「変わるもんだね」

 風貌を変えた二人を見たヒルダはそう呟くと、二人を自分の部下に会わせた。

「最近手に入れた新しい文官だよ。皆も、新人も、この私についておいでよ」

「ハイッ」

 一斉に答える部下に、持ち場へ戻るように告げて、ヒルダは二人に早速相談を始めた。

「アスベル、アルヴィスにはお前達の生死は未確認と言ってある。バレないようにしなよ」

「当然です。姉上を巻き込んだ以上、ミスは許されないものと心得ております」

 アスベルと呼ばれた紅髪長髪の男は、そう答え、隣にいる銀髪短髪の女も同時に頷いた。

 アスベルとルーティと名を変えた二人は、ヒルダの側近として召し抱えられている。

「シグルドを抹殺して、その報酬を与えざるをえなくなったらしいよ、アルヴィスは」

「暗黒教団、ですね?」

「あぁ。フリージとドズルは御咎めなしらしいね。ま、ドズルには再建能力はないと見ていい」

「ランゴバルト卿はいませんからね。ダナン卿では、あまりにも統率力に欠ける」

「その判断は正しいだろうね。ウチのダンナには鳴りを潜めるように言ってある」

 二人は情報を掻き集められた書類に目を通しながら、今後のことを話し合っていた。

「マンフロイが目をつけたのは、ユリウスの方だね。アルヴィスはファラの血の方が濃い」

「すると、兄上が耐えている間に……」

「反攻の礎を完成させなきゃダメだろうね。ルーティ、イザークの方はどうだい?」

「オイフェ君の話だと、ようやく流星剣をマスターしたところだとか。ウチのアーサーの成長を待たないと」

「大した戦力にはならない、か。レンスターはトラバントが侵攻を開始したそうだよ」

 ヒルダの報告を聞いて、ティルテュは額を抑えた。

「フィンのバカは止められなかったのね」

「仕方ないよ。フィンとナンナじゃ、とても対抗できない。生きていることを願うしか……」

「うーむ……トラバントの動きがどこで止まるかだね。アルヴィスに注進しておくよ」

 他人には微笑を絶やさぬ妖艶の美女と呼ばれるヒルダも、二人の前では何の衒いもなしに渋面を見せる。

 ヒルダにとって、アルヴィスとアゼルと言う自分の弟たちは、数少ない信頼できる人物だった。

 

 アゼルとティルテュを迎え入れ、ヒルダはフリージ領内の掌握に奔走した。

 いかなる情報をも掴み、領外へ漏れる情報を意識的に操作する。そうすることによって、ヒルダは二人の
正体が露見することを防いでいた。

「……何だって? 子供狩り?」

 いつものように執務室で仕事をしていたヒルダは、部下の持ってきたその情報に視線を上げた。

「はい。何でも、アルヴィス王からの御達しだとか」

「バカな……子供は国の宝だよ。それをどうして……」

「この情報の裏は取れてはおりませんが、どうも暗黒教団の息がかかっているものかと」

「マンフロイのオイボレが……やってくれる」

 苦々しく吐き捨てたヒルダに、部下は今後の方針を尋ねた。

「いかがいたしましょう?」

「最初から突っぱねる。このフリージ領で子供狩りなんて、許すわけにはいかないね」

「そう言われると思っていました。では、返答にはルーカスを立てましょう」

「頼むよ。ルーカスなら、波風を立てない断り方を心得ているだろう」

「では、早速」

 一礼して下がった部下と入れ替わり、アゼルが中に入った。

「来ましたね」

「あぁ。本音はシグルドの遺児を見つけ出すことだろう。シグルドの意志を継ぐ者は、彼らにとって脅威だ」

「オイフェには連絡をつけましょうか?」

「いや、動かない方がいい。今は連中も、各公爵家の動向に目を光らせているだろう」

「彼らが見つからないことを祈りますか」

「そうするしかないよ。取り合えず、フリージ領内での子供狩りは禁止だ」

 ヒルダの決断を聞いて、アゼルは軽く頷いた。

「暗黒教団に意識を支配させないように、フリージは頑として抵抗する。どんな手段を用いてでも、この領内では
 子供狩りをさせない」

「……いつまで、抵抗できますか?」

「あたしが死ぬまで、さ」

 圧倒的な自信に裏打ちされた微笑は、ヒルダ本来のものであった。

 その微笑を見て、アゼルは踵を返した。

「では、僕も仕事に戻ります」

「あぁ。例の学校の件、検討を急いでくれ」

「承知しました」

 この時、ヒルダの頭の中には、既に子供狩りに対抗する策が練りあがっていた。

 

 子供狩りを拒否したのは、フリージだけではなかった。

 エッダはその宗教性の違いから完全なる対立の意を表明し、グランベル王国に取り込まれたヴェルダンも、
子供狩りは拒否の態勢を貫くと宣言した。

 この表明は意外なものであったが、ヒルダの読みは正しかった。

 暗黒教団を中心とした帝国側は、エッダを批判したりはせずに、可能な地域での子供狩りを進めた。

 このことは、子供狩りの真意がどこにあるのかを暗に示すものとなった。

 

「やっぱり、シグルドの遺児たちが狙いか」

「そのようですね。エッダやウェルダンには逃げていないと踏んだんでしょう」

「マンフロイも詰めが甘いな。せめてエッダだけは罰すべきだった」

 フリージにいる三人の見解は似たようなものだった。

 ヒルダはこの事を誰に告げるでもなく、ただ時を稼ぐことにした。

 シグルドの遺児であるセリスの年齢を考えても、まだまだ時間が必要だと考えたのだ。

 

 

 だが、事態は意外なところから豹変した。

 子供狩りの御達しが出て一年後、アゼルが流行病に倒れたのだ。

 病床のアゼルを診察した医者は、アゼルの生命が長くないことを告げた。

「……お気の毒ですが」

「そうかい。下がっていいよ」

 診察を終えた医者を外に出し、ヒルダとティルテュはアゼルの枕許に立った。

「……姉上、申し訳ありません。これからという時に……」

「心配するな。お前は少しでも長く生きることを考えろ」

 ヒルダなりの励ましに、アゼルは軽く首を振った。

「自分の体です。わかります」

「……長く、ないそうだ」

 ヒルダが絞り出すような声でそう告げると、ティルテュはアゼルの手を握り締めた。

「アゼル、やだよ……死んじゃ、やだ……」

「ティルテュ、ゴメン。アーサーとティニーを頼んだよ」

「うん……でも、生きて」

「……ずっと、君の傍にいたい。死んでも、君を守りたい」

「アゼル」

 ティルテュが握り締めた手を額に当てる。

 アゼルの手首に、幾筋もの流れができた。

 ティルテュの髪を撫でる力もなく、アゼルは静かに目を閉じた。

 

 

 ティルテュを部屋に残し、ヒルダは自分の私室へと戻った。

 鏡台の前に座り、薄く腫れた目許を見ながら、鏡に額を押し付けた。

「……無力だね」

 ヒルダの熱が鏡を曇らせる。

「魔法も万能じゃない……わかってたはずなのにねぇ」

 ヒルダの愚痴は続く。

「こんな時に、見守ってやることしか出来ない。しかも、葬式すら出してやれない」

 拳が、鏡を叩いた。

「クソッ、何がヴェルトマー家の夢だッ。肝心のお前は、愛する弟の死水すら取れないじゃないか!」

 ヒルダが思わず叫ぶのも無理はなかった。

 アルヴィスにこの事を知らせることは出来ない。同じ夢を追い、同じ夢に生きた兄弟の死を、知りながらも
伝えられない。

「……アゼル、アンタの死は無駄にはしないよ」

 鏡に映ったヒルダの目は、更に鋭さを増していた。

 

 アゼルの死後も、ヒルダは子供狩りを拒否し続けた。

 理由は、”アゼルの遺児を探すため”である。

 

「子供狩りなんかしたら、探せるものも探せなくなる。あたしはね、強引なやり方は好きじゃないんだよ」

 いつまでたっても子供狩りに応じないフリージに、マンフロイが来城しても、ヒルダはそう突っぱねた。

「バカをお言いでないよ。子供狩りしたら、余計に隠れるだろうが」

「ホッホ。ヒルダ様も甘いようで……子供が消えれば、いる場所には噂がたちまする」

「アンタこそ、このヴェルトマーの女城主をナメてんじゃないのかい?」

「ほぅ……では、どうやって探すおつもりで?」

「悪いけど、教えられないね。アンタみたいな下衆野郎は、神殿の中でお経を唱えるのが似合ってるよ」

「……その言葉、後悔なされますな」

「おとといきなッ」

 

 マンフロイに嫌われても、フリージがその咎を追求されることはなかった。

 アルヴィスがマンフロイを必死で抑えた為である。

「あの女には、何を言っても通じんよ」

「しかし、皇帝の威厳と言うものもお考えなされませ」

「我がヴェルトマーの女は、頑固でな」

 その他の権限では皇帝をも上回るとされたマンフロイですら、ヒルダに手出しは出来なかった。

 

 

 その中で、流行病は定期的にグランベル各地を襲い続けた。

 全ては荒廃した国土と、その抜本的対策に立ち遅れた為である。

 

 それは、フリージも例外ではなかった。

 アーサーがようやく十歳となり、ユリウスが十五で実権を握り始めた時、ついにティルテュが倒れたのだ。

「ティルテュ、よくやったよ」

「……申し訳ありません、義姉様」

 病床にて謝るティルテュの額に手をやり、ヒルダは微笑んだ。

「何を謝る必要があるものか。アンタはあたしの妹だよ。それも、たった一人の妹だ」

「姉様……」

「あとのことはあたしに任せて、アンタはアゼルのもとでゆっくり休みな。夫婦水入らずもいいもんさ」

 ティルテュの涙を拭き取って、ヒルダは口付けた。

「子供狩りは絶対に許さない。アンタの案を使わせてもらうよ」

 ティルテュは倒れる前に子供狩りへの対抗策として、すべての子供が入れる学校を提案していた。

 ヒルダとアーサーに見守られる中、ティルテュは美しく伸びた髪で、最愛の夫のもとへと旅立った。

 

「……アーサー、入ります」

「よく来たね、アーサー」

 ティルテュの火葬を済ませた後、アーサーはたった一人でヒルダの私室に入っていた。

「アーサー、今から私は、お前の両親をこの手で惨殺した、お前の仇だよ」

「伯母上? 言っている意味が分かりません」

 素直に答えるアーサーに、ヒルダは一枚の地図を渡した。

「シレジアの地図だよ。お前は今から、シレジア王家の者を舞台へ引き入れる役を受け持ってもらう」

「……使いですか?」

「使いじゃない。お前は反逆者の息子として蔑まれた生活をして来た、アーサー=ヴェルトマーになるんだ」

「僕は蔑まれてもいませんし、伯母上の力になりたいと思っております」

「それはダメだ。お前には、お前の役目がある」

「伯母上の御力になること以外に、ですか?」

 アーサーが地図を握りしめながら、ヒルダの瞳を覗く。

「お前は、この世を変える、ヴェルトマー家の夢を担わなきゃならないんだよ」

「僕が? それは、父上の申されていたことですか?」

「あぁ。聞いたことがあるだろう? お前はもう一度聖戦を組み立てて、暗黒教団と今の支配体制を崩す役目を
 担っているんだよ」

 アーサーはヒルダの瞳を見続けたまま、答えを返した。

「それでは、僕は伯母上を殺すことになります。イシュタル姉様も、アルヴィスの叔父上も」

「そうさ。今から、あたしたちは敵同士。全力で殺しあわなきゃならない」

「それが……僕の使命?」

 震えるアーサーの肩を抱き、ヒルダはアーサーに魔道書を渡した。

「これが、お前の父の使っていたエルファイアーだよ。持ってきな」

「伯母上……」

「泣くんじゃない! お前は誰の子だいッ?」

 泣き顔に崩れるアーサーを睨み付け、ヒルダはそう叱責した。まるで、自分の子供を叱る母親のように。

「僕は、僕は…ッ」

「行きな! 行って、ここまで生きて帰って来な。あたしは待ってるよ。お前が聖戦士を連れて帰って来るのをね」

「伯母上ッ、僕は、僕は、伯母上を恨みます! フリージの皆も恨んで、僕が、僕がッ」

「出て行けッ」

「必ず、必ず僕がこの手で伯母上を…!」

 泣きながら私室を飛び出したアーサーを見送ったヒルダの目からは、とめどなく透明な水が滴り落ちていた。

 

 

<第二章 終わり>
第三章へ続く>