新説・炎の紋章
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第二章 「私を恨みなさい、アーサー」
1
フリージ城に匿われたアゼルとティルテュは、髪形を変え、その風貌を変えた。
ヒルダ同様、紅い髪のアゼルは長く伸ばした髪で片目を隠し、ティルテュはその美しき髪を短く切りそろえた。
「変わるもんだね」
風貌を変えた二人を見たヒルダはそう呟くと、二人を自分の部下に会わせた。
「最近手に入れた新しい文官だよ。皆も、新人も、この私についておいでよ」
「ハイッ」
一斉に答える部下に、持ち場へ戻るように告げて、ヒルダは二人に早速相談を始めた。
「アスベル、アルヴィスにはお前達の生死は未確認と言ってある。バレないようにしなよ」
「当然です。姉上を巻き込んだ以上、ミスは許されないものと心得ております」
アスベルと呼ばれた紅髪長髪の男は、そう答え、隣にいる銀髪短髪の女も同時に頷いた。
アスベルとルーティと名を変えた二人は、ヒルダの側近として召し抱えられている。
「シグルドを抹殺して、その報酬を与えざるをえなくなったらしいよ、アルヴィスは」
「暗黒教団、ですね?」
「あぁ。フリージとドズルは御咎めなしらしいね。ま、ドズルには再建能力はないと見ていい」
「ランゴバルト卿はいませんからね。ダナン卿では、あまりにも統率力に欠ける」
「その判断は正しいだろうね。ウチのダンナには鳴りを潜めるように言ってある」
二人は情報を掻き集められた書類に目を通しながら、今後のことを話し合っていた。
「マンフロイが目をつけたのは、ユリウスの方だね。アルヴィスはファラの血の方が濃い」
「すると、兄上が耐えている間に……」
「反攻の礎を完成させなきゃダメだろうね。ルーティ、イザークの方はどうだい?」
「オイフェ君の話だと、ようやく流星剣をマスターしたところだとか。ウチのアーサーの成長を待たないと」
「大した戦力にはならない、か。レンスターはトラバントが侵攻を開始したそうだよ」
ヒルダの報告を聞いて、ティルテュは額を抑えた。
「フィンのバカは止められなかったのね」
「仕方ないよ。フィンとナンナじゃ、とても対抗できない。生きていることを願うしか……」
「うーむ……トラバントの動きがどこで止まるかだね。アルヴィスに注進しておくよ」
他人には微笑を絶やさぬ妖艶の美女と呼ばれるヒルダも、二人の前では何の衒いもなしに渋面を見せる。
ヒルダにとって、アルヴィスとアゼルと言う自分の弟たちは、数少ない信頼できる人物だった。
2
アゼルとティルテュを迎え入れ、ヒルダはフリージ領内の掌握に奔走した。
いかなる情報をも掴み、領外へ漏れる情報を意識的に操作する。そうすることによって、ヒルダは二人の
正体が露見することを防いでいた。
「……何だって? 子供狩り?」
いつものように執務室で仕事をしていたヒルダは、部下の持ってきたその情報に視線を上げた。
「はい。何でも、アルヴィス王からの御達しだとか」
「バカな……子供は国の宝だよ。それをどうして……」
「この情報の裏は取れてはおりませんが、どうも暗黒教団の息がかかっているものかと」
「マンフロイのオイボレが……やってくれる」
苦々しく吐き捨てたヒルダに、部下は今後の方針を尋ねた。
「いかがいたしましょう?」
「最初から突っぱねる。このフリージ領で子供狩りなんて、許すわけにはいかないね」
「そう言われると思っていました。では、返答にはルーカスを立てましょう」
「頼むよ。ルーカスなら、波風を立てない断り方を心得ているだろう」
「では、早速」
一礼して下がった部下と入れ替わり、アゼルが中に入った。
「来ましたね」
「あぁ。本音はシグルドの遺児を見つけ出すことだろう。シグルドの意志を継ぐ者は、彼らにとって脅威だ」
「オイフェには連絡をつけましょうか?」
「いや、動かない方がいい。今は連中も、各公爵家の動向に目を光らせているだろう」
「彼らが見つからないことを祈りますか」
「そうするしかないよ。取り合えず、フリージ領内での子供狩りは禁止だ」
ヒルダの決断を聞いて、アゼルは軽く頷いた。
「暗黒教団に意識を支配させないように、フリージは頑として抵抗する。どんな手段を用いてでも、この領内では
子供狩りをさせない」
「……いつまで、抵抗できますか?」
「あたしが死ぬまで、さ」
圧倒的な自信に裏打ちされた微笑は、ヒルダ本来のものであった。
その微笑を見て、アゼルは踵を返した。
「では、僕も仕事に戻ります」
「あぁ。例の学校の件、検討を急いでくれ」
「承知しました」
この時、ヒルダの頭の中には、既に子供狩りに対抗する策が練りあがっていた。
3
子供狩りを拒否したのは、フリージだけではなかった。
エッダはその宗教性の違いから完全なる対立の意を表明し、グランベル王国に取り込まれたヴェルダンも、
子供狩りは拒否の態勢を貫くと宣言した。
この表明は意外なものであったが、ヒルダの読みは正しかった。
暗黒教団を中心とした帝国側は、エッダを批判したりはせずに、可能な地域での子供狩りを進めた。
このことは、子供狩りの真意がどこにあるのかを暗に示すものとなった。
「やっぱり、シグルドの遺児たちが狙いか」
「そのようですね。エッダやウェルダンには逃げていないと踏んだんでしょう」
「マンフロイも詰めが甘いな。せめてエッダだけは罰すべきだった」
フリージにいる三人の見解は似たようなものだった。
ヒルダはこの事を誰に告げるでもなく、ただ時を稼ぐことにした。
シグルドの遺児であるセリスの年齢を考えても、まだまだ時間が必要だと考えたのだ。
だが、事態は意外なところから豹変した。
子供狩りの御達しが出て一年後、アゼルが流行病に倒れたのだ。
病床のアゼルを診察した医者は、アゼルの生命が長くないことを告げた。
「……お気の毒ですが」
「そうかい。下がっていいよ」
診察を終えた医者を外に出し、ヒルダとティルテュはアゼルの枕許に立った。
「……姉上、申し訳ありません。これからという時に……」
「心配するな。お前は少しでも長く生きることを考えろ」
ヒルダなりの励ましに、アゼルは軽く首を振った。
「自分の体です。わかります」
「……長く、ないそうだ」
ヒルダが絞り出すような声でそう告げると、ティルテュはアゼルの手を握り締めた。
「アゼル、やだよ……死んじゃ、やだ……」
「ティルテュ、ゴメン。アーサーとティニーを頼んだよ」
「うん……でも、生きて」
「……ずっと、君の傍にいたい。死んでも、君を守りたい」
「アゼル」
ティルテュが握り締めた手を額に当てる。
アゼルの手首に、幾筋もの流れができた。
ティルテュの髪を撫でる力もなく、アゼルは静かに目を閉じた。
ティルテュを部屋に残し、ヒルダは自分の私室へと戻った。
鏡台の前に座り、薄く腫れた目許を見ながら、鏡に額を押し付けた。
「……無力だね」
ヒルダの熱が鏡を曇らせる。
「魔法も万能じゃない……わかってたはずなのにねぇ」
ヒルダの愚痴は続く。
「こんな時に、見守ってやることしか出来ない。しかも、葬式すら出してやれない」
拳が、鏡を叩いた。
「クソッ、何がヴェルトマー家の夢だッ。肝心のお前は、愛する弟の死水すら取れないじゃないか!」
ヒルダが思わず叫ぶのも無理はなかった。
アルヴィスにこの事を知らせることは出来ない。同じ夢を追い、同じ夢に生きた兄弟の死を、知りながらも
伝えられない。
「……アゼル、アンタの死は無駄にはしないよ」
鏡に映ったヒルダの目は、更に鋭さを増していた。
4
アゼルの死後も、ヒルダは子供狩りを拒否し続けた。
理由は、”アゼルの遺児を探すため”である。
「子供狩りなんかしたら、探せるものも探せなくなる。あたしはね、強引なやり方は好きじゃないんだよ」
いつまでたっても子供狩りに応じないフリージに、マンフロイが来城しても、ヒルダはそう突っぱねた。
「バカをお言いでないよ。子供狩りしたら、余計に隠れるだろうが」
「ホッホ。ヒルダ様も甘いようで……子供が消えれば、いる場所には噂がたちまする」
「アンタこそ、このヴェルトマーの女城主をナメてんじゃないのかい?」
「ほぅ……では、どうやって探すおつもりで?」
「悪いけど、教えられないね。アンタみたいな下衆野郎は、神殿の中でお経を唱えるのが似合ってるよ」
「……その言葉、後悔なされますな」
「おとといきなッ」
マンフロイに嫌われても、フリージがその咎を追求されることはなかった。
アルヴィスがマンフロイを必死で抑えた為である。
「あの女には、何を言っても通じんよ」
「しかし、皇帝の威厳と言うものもお考えなされませ」
「我がヴェルトマーの女は、頑固でな」
その他の権限では皇帝をも上回るとされたマンフロイですら、ヒルダに手出しは出来なかった。
その中で、流行病は定期的にグランベル各地を襲い続けた。
全ては荒廃した国土と、その抜本的対策に立ち遅れた為である。
それは、フリージも例外ではなかった。
アーサーがようやく十歳となり、ユリウスが十五で実権を握り始めた時、ついにティルテュが倒れたのだ。
「ティルテュ、よくやったよ」
「……申し訳ありません、義姉様」
病床にて謝るティルテュの額に手をやり、ヒルダは微笑んだ。
「何を謝る必要があるものか。アンタはあたしの妹だよ。それも、たった一人の妹だ」
「姉様……」
「あとのことはあたしに任せて、アンタはアゼルのもとでゆっくり休みな。夫婦水入らずもいいもんさ」
ティルテュの涙を拭き取って、ヒルダは口付けた。
「子供狩りは絶対に許さない。アンタの案を使わせてもらうよ」
ティルテュは倒れる前に子供狩りへの対抗策として、すべての子供が入れる学校を提案していた。
ヒルダとアーサーに見守られる中、ティルテュは美しく伸びた髪で、最愛の夫のもとへと旅立った。
5
「……アーサー、入ります」
「よく来たね、アーサー」
ティルテュの火葬を済ませた後、アーサーはたった一人でヒルダの私室に入っていた。
「アーサー、今から私は、お前の両親をこの手で惨殺した、お前の仇だよ」
「伯母上? 言っている意味が分かりません」
素直に答えるアーサーに、ヒルダは一枚の地図を渡した。
「シレジアの地図だよ。お前は今から、シレジア王家の者を舞台へ引き入れる役を受け持ってもらう」
「……使いですか?」
「使いじゃない。お前は反逆者の息子として蔑まれた生活をして来た、アーサー=ヴェルトマーになるんだ」
「僕は蔑まれてもいませんし、伯母上の力になりたいと思っております」
「それはダメだ。お前には、お前の役目がある」
「伯母上の御力になること以外に、ですか?」
アーサーが地図を握りしめながら、ヒルダの瞳を覗く。
「お前は、この世を変える、ヴェルトマー家の夢を担わなきゃならないんだよ」
「僕が? それは、父上の申されていたことですか?」
「あぁ。聞いたことがあるだろう? お前はもう一度聖戦を組み立てて、暗黒教団と今の支配体制を崩す役目を
担っているんだよ」
アーサーはヒルダの瞳を見続けたまま、答えを返した。
「それでは、僕は伯母上を殺すことになります。イシュタル姉様も、アルヴィスの叔父上も」
「そうさ。今から、あたしたちは敵同士。全力で殺しあわなきゃならない」
「それが……僕の使命?」
震えるアーサーの肩を抱き、ヒルダはアーサーに魔道書を渡した。
「これが、お前の父の使っていたエルファイアーだよ。持ってきな」
「伯母上……」
「泣くんじゃない! お前は誰の子だいッ?」
泣き顔に崩れるアーサーを睨み付け、ヒルダはそう叱責した。まるで、自分の子供を叱る母親のように。
「僕は、僕は…ッ」
「行きな! 行って、ここまで生きて帰って来な。あたしは待ってるよ。お前が聖戦士を連れて帰って来るのをね」
「伯母上ッ、僕は、僕は、伯母上を恨みます! フリージの皆も恨んで、僕が、僕がッ」
「出て行けッ」
「必ず、必ず僕がこの手で伯母上を…!」
泣きながら私室を飛び出したアーサーを見送ったヒルダの目からは、とめどなく透明な水が滴り落ちていた。
<第二章 終わり>
<第三章へ続く>