新説・炎の紋章

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新説・炎の紋章


第一章  「あたしは最後まで、ヴェルトマーの姫なのさ」

 

 レプトールを倒し、シグルド軍がヴェルトマー城に入城した夜、アゼルは自分にあてがわれた寝所に、
誰かがいるのに気付いた。

「誰だい?」

「……お久しぶりにございます、アゼル公子」

「アイーダ将軍!」

 思わず大声を上げたアゼルの口許に自らの人差し指をあてがい、アイーダは片目を閉じて見せた。

「お静かに。人が来ては困るのです」

「……兄上の側近の貴方が、何故このような場所に?」

 気を取り直したアゼルが尋ねると、アイーダは今一度気配がないことを確かめ、アゼルを座らせた。

「公子、今より話すこと、決して他言無用に願います」

「兄上からの伝言だね?」

「はい。……公子、アルヴィス様の元にお帰り下さい」

「……僕はここまで戻ってきたんだよ?」

「今夜中にです」

 アイーダの言葉に、アゼルは口を閉じた。

 しばしの沈黙の後、アゼルはその部屋の花瓶の花を、一本だけ手に取った。

「……そう言う、ことか」

「お察し下さい。アルヴィス様の理想、しいてはヴェルトマー一族の理想の為に」

「わかっているよ。僕も、兄上の側近として長く仕えた身だ。その理想は、僕達兄弟の夢だ」

「ならば、今すぐ支度を」

「帰れないな、僕は」

「公子ッ」

 じっとアゼルの瞳を見つめるアイーダに、アゼルは首を横に振った。

「このまま僕が帰れば、ティルテュはどうなる? ヴェルトマーの独裁ととられても仕方がないだろう」

「しかし、アルヴィス様には貴方が必要なのですよッ」

「兄上に伝えて欲しい。僕は、シグルド軍の一員として、兄上の夢を手助けすると」

「何故です? アルヴィス様の意志を、無駄にするおつもりですか?」

 食い下がるアイーダには、アゼルの意志が見えていた。

 それでも、食い下がらなければならない理由が、アイーダにはあった。

「公子、貴方は暗黒教団を知っているのでしょう? 今貴方が去ればどうなるか、お考え下さい」

「僕のビジョンは、兄上を越えているよ。兄上ほどの思考能力はないけど、僕には見える」

「……わかりかねます」

「暗黒教団を叩き潰す為に、彼らをのさばらせる。既に脱出させたシグルドの息子が、彼らを倒す」

「公子ッ?」

「僕は、ヴェルトマー家の一員として、シグルド軍をコントロールする。姉上には、連絡をつけてある」

「それでは、ヒルダ様は何と?」

「了承してくれた。僕が、ティルテュを妻にすることを条件にね」

 アゼルが笑顔でアイーダに振り向く。

 それは、アゼルからの最後通牒であった。

「わかりました……決意は、変わらないのですね?」

「あぁ。僕はあくまでもシグルド軍のヴェルトマー家の一員として、戦い続ける。ティルテュも、わかってくれた」

「公子……」

 アイーダが立ち上がり、自分と変わらない背丈のアゼルの頬を手に取った。

 アゼルが瞼を閉じ、アイーダの唇がアゼルの唇を塞ぐ。

「……今生の別れです、公子」

「元気で」

「あの世で、お会いいたしましょう」

 女将軍の瞳からこぼれる涙を拭わずに、アゼルは彼女の肩を抱いた。

 

 翌日、ヴェルトマー城でアゼルはティルテュと二人きりになった。

「昨晩、アイーダが来たよ」

「そう……それで?」

「僕の意志を伝えた」

「わかったわ。義姉様も、わかってくれたわ」

「ティルテュ、本当に僕でいいのかい?」

「私だって、もう帰れないわ。お父様を殺したんだもの。アゼルの夢にのるしかないもの」

「僕達兄弟の夢に巻き込んでしまって、本当にすまないと思っている」

 そう言ったアゼルの手を、ティルテュはギュッと握った。

「好きだったから、かまわない。たとえアーサーに恨まれても、ティニーに恨まれても、私は負けないわ」

「ありがとう、ティルテュ」

「私こそ、夢に付き合せてくれてありがとう」

 二人の手は、出陣の時ですら、二度と離れることはなかった。

 

「ヒルダ様、大変にございますッ」

 珍しく執務室にいたヒルダは、一般兵がそう言って飛び込んでくるのを、夫とともに待っていた。

「どうした?」

「シグルド軍、壊滅にございます!」

「……すまぬが、伝令に走ってくれ。アルヴィス殿に、このフリージは賛同いたすと」

「ハ、ハイッ」

 一般兵が再び駆け去った後で、ブルームは隣に座っているヒルダに尋ねた。

「これで、いいのだな?」

「はい」

「まったく、久しぶりに会いに来たと思えば、これだけのこととはな」

 やや拗ねている感のあるブルームに、ヒルダは魔性の笑みと言われる微笑を向けた。

「フリージの為を思えばこそですわ。第一、何人もの妾がいるとか……」

 ヒルダに睨まれ、ブルームは咳払いをして立ち上がった。

「……今夜くらい、泊まっていってくれよ」

「はい、あなた」

 やや顔を赤くしながら執務室を去っていくブルームの後ろ姿に、ヒルダは呟いた。

「……ごめんね、ブルーム。私はいつまで経っても、ヴェルトマーの姫なのよ」

 

 ヴェルトマーの悲劇の後、ヒルダはフリージ城に戻っていた。

 フリージ城を把握したヒルダは、ボロボロの姿の若い夫婦とその子供たちを城内へ招き入れた。

「……すまないねぇ、遅くなってしまって」

「いいえ。姉上には世話をかけっぱなしで、申し訳ありません」

「バカ。謝るくらいなら、初めから大層な夢を掲げるんじゃないよ」

 ただ平伏する二人に、ヒルダは初めて笑顔を見せた。

「ま、あたしもヴェルトマーの姫だよ。アンタ達兄弟の夢に、賭けたくなったのさ」

「姉上」

「ブルームには悪いけど、あたしはあくまでヴェルトマーの姫さ。女なら、裏で御家を乗っ取るのが夢でね」

 そう言うと、ヒルダは若い女の顔を上げさせた。

「ティルテュ、頼んだよ」

「はい、義姉上様」

 意志の強い瞳を見せる若い女は、髪が短くなったフリージ公女・ティルテュ、その人だった。

 

<第一章  終わり>
第二章ヘ続く>