太田心平     

last update: January 10, 2010
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 こんにちは。太田心平です。私は社会文化人類学をバックグラウンドとして、韓国・朝鮮をはじめとする北東アジア社会の研究を行なっています。
 社会文化人類学は、文化人類学とも民族学とも読み替えていただいて構いません。私がこの分野に惹かれはじめたのは、世界情勢が激動していた1980年代後半。世界各地で共産圏が崩れ、民主化勢力が軍事政権に勝利し、日本でもバブル経済が破綻したあの時代です。あのころ私は、「社会が変わっていくなかで、人間は何を考えているんだろう」という問いをもつようになり、この分野の研究者を志しました。この問いは、やがて「人間にとって変わるって何だろう」というものに深化しました。

F. カフカ
『変身』



沼正三 『家畜人ヤプー』
 
 人間にとって「変わる」とは何か。「あの頃と比べて社会はずいぶん変わった」。物質の化学変化などとは違い、こう認識することは人間の文化的な営みだといえるでしょう。もちろん、政治体制や経済制度が変わることはあります。でも、それと社会そのものが変わることとは別ですよね。また、「私、変わってしまった」、「おまえって変わらないよな」という時の「変わる」という概念も、改めて考えると同じく妙なことに思えませんか。こうしたように、社会や個人の変化というものは、時に言説であったり、錯覚に過ぎませんし、せいぜい相対的差異を表現するレトリックなのです。そして、それにもかかわらず、こうした認識はしばしば我われを掻き立て、我われの世界観を形成します。人間にとって「変わる」とは何か。
 私はこの問題を、社会文化人類学の理論的背景と、北東アジア社会(特に韓国・朝鮮)の事例の分析から掘り起こそうとしています。より具体的には、社会や個人の認識が固定される様相と背景、変化の言説や流布のメカニズムなどについて、これまでのところ、「レトリック」「伝統の創造」「文化の監査(auditting)」「再帰的知識」「社会的世代」「(ユートピアなどの)可能な現実と(修正主義や希望などの)現実的可能性」といったキーワードを用いて研究してきました。
 
崔泳美『30歳、宴は終わった』



『ハンギョレ』誌の挿絵
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 近年の社会文化人類学では、かつてのように「未開人」や「構造」といった「変わらないもの」を想定して研究の対象とすることが、いまや必ずしも不可欠ではありません。しかし、かといって、社会がコロコロ変わることを主張し、それを追って描き続けることも、我われには不可能です。なぜならば、描くということ自体、変化を止めて、読者に提示する行為だからです。私にとってこの問題は、少年時代に覚えた素朴な疑問に端を発していつつも、もしかしたら社会文化人類学の重要な部分にも関わり、かつ人間の認識の過程や様相そのものにも迫りえる課題なのではないかと思えてしまいます。
 

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