人間にとって「変わる」とは何か。「あの頃と比べて社会はずいぶん変わった」。物質の化学変化などとは違い、こう認識することは人間の文化的な営みだといえるでしょう。もちろん、政治体制や経済制度が変わることはあります。でも、それと社会そのものが変わることとは別ですよね。また、「私、変わってしまった」、「おまえって変わらないよな」という時の「変わる」という概念も、改めて考えると同じく妙なことに思えませんか。こうしたように、社会や個人の変化というものは、時に言説であったり、錯覚に過ぎませんし、せいぜい相対的差異を表現するレトリックなのです。そして、それにもかかわらず、こうした認識はしばしば我われを掻き立て、我われの世界観を形成します。人間にとって「変わる」とは何か。
私はこの問題を、社会文化人類学の理論的背景と、北東アジア社会(特に韓国・朝鮮)の事例の分析から掘り起こそうとしています。より具体的には、社会や個人の認識が固定される様相と背景、変化の言説や流布のメカニズムなどについて、これまでのところ、「レトリック」「伝統の創造」「文化の監査(auditting)」「再帰的知識」「社会的世代」「(ユートピアなどの)可能な現実と(修正主義や希望などの)現実的可能性」といったキーワードを用いて研究してきました。
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