<一年B組担任、数学科、矢沢詠子のその日>

 私は、いつものように学校に向かっていた。
「中谷君、おはよう!」
 私のクラスの中谷君が、横を歩いている。いつものように寝ぼけ眼の彼を、私はにっこりと挨拶して追い越していくことにした。
 教職員の朝のミーティングの話題に今日はイヤな話があった。
 男子生徒の一人が、昨日の放課後屋上で煙草を吸っていた姿が目撃されたというのだ。男子生徒は一年生の、ごく限られた数しかいない。断定できたわけではないのだが、話を総合していくと私には、その生徒は私のクラスの高橋君のように思えた。
 高橋君はたしかに「ワル」っぽい雰囲気を自分で意識して演じていると思う。本当はそんな不良というタイプではないし、なにか悩み事でもあるのだろう。現場を押さえたわけでも断定したわけでもなく目撃情報だけなので本人に確かめるのは早いが、職員室では結構な問題になっていた。
 小島先生が、放課後、礼拝堂での全校集会を提案した。全校生徒で聖母様にお祈りを捧げ、純心の生徒のあるべき姿を生徒一人一人に考えさせるべきだと主張したのだ。そして、学園の風紀が乱れないように、男子生徒たちも聖母様から女性であることのすばらしさを授かるべきだとの意見だった。
 小島先生の提案に、私も含めて反対はなかった。よい機会かも知れない。昼休みに全校放送でその旨を伝えることになって、教職員の朝のミーティングは終わった。


 夕方、男子生徒も含めて礼拝堂に生徒たちが入っていくのを確認した。男子生徒のうち、今日欠席していないのに集会に来ていないのは二人だった。男子生徒は人数が少ないのですぐ誰かわかる。
 悪い予感は的中した。いない生徒は二人とも私のクラスの生徒だったのだ。一人は中谷君、そしてもう一人は、喫煙疑惑のある高橋君だ。
 私は生活指導の右田先生とともに、校内を回った。昨日目撃された屋上も見回ったが、高橋君の姿も中谷君の姿も見当たらなかった。
 諦めて礼拝堂に戻ろうとしたときだった。ふと礼拝堂の脇の細い通路を見ると、そこに男子生徒の影が見えた。体格からしてどうやら高橋君だ。彼は夢中で礼拝堂の中をのぞき込んでいる。
 いい加減近付いたところで、彼は振り返った。
「・・・おまえは?!」
「高橋君、覗き見はいけないわね」
 私の声にびくり、とした感じの高橋君。やはりワルぶっていても根は普通の高校生だ。
「昨日も、屋上で煙草吸ってたでしょ」
 右田先生が、そう言いながら彼が逃げ出さないように反対側に回り込む。彼は諦めたのか開き直った。
「ああ、吸ってたよ。説教しても無駄だぜ。早く停学にでも何でもしろよ」
 言うことだけは一人前だ。やはり聖母様に、純心生のあるべき姿と心を与えていただかなくては、と私は思った。
「高橋君、なにもそんなことを言ってるんじゃないのよ」
「お昼休みの放送、聞いてなかったの?」
 どうやら本当に聞いていなかったようだ。昼も屋上で煙草を吸っていたのかもしれないが、この際それはどうでもいい。大事なのは、彼がちゃんと聖母様にお祈りを捧げ、女性であることのすばらしさを与えていただくことなのだから。
「今日は全校でお祈りの日よ。高橋君もいらっしゃい」
 私は少し強引に彼の左腕を掴んだ。右田先生も右腕を掴む。
「おい、ちょっと待てよ」彼はその腕を振りほどこうとして暴れたが、通路が狭いのが幸いしたのか、彼はうまく振りほどくことはできない。また、狭い通路の前後を塞いで腕を掴んでいるので、あまり逃げられる心配もなかった。もっとも、彼が本気になって暴れたり、刃物でも持っていたら大変なことになるので、私たちは努めてにこやかに彼を礼拝堂へ連れていった。
「やめろ!放せよ!」彼は必死で抵抗していた。二人でなんとか押さえながら扉の前まで連れてくると、誰かが扉を開けてくれた。そのおかげで、私たちはなんとか彼を礼拝堂の中に連れていくことができた。そして、腕を放すと同時に、扉は閉ざされた。
「さあ、ひざまずいて、祈りなさい。そしてあなたの穢れた心と体を聖母様に清めて頂くのです」
 努めてにこやかに私は高橋君に言った。周りでは、他の男子生徒たちが、臍の緒を通じて聖母様から御慈愛を授かり生まれ変わっている最中だった。
 呆然としている彼の腹にも、程なく聖母様の臍の緒が繋がった。私たちはそれを見届けると、皆と同じように祈りを捧げることにした。
 祈っている私の横で、高橋君が穢れた男から乙女に生まれ変わっていく。純心の生徒は皆そうあるべきなのだ。穢れた男子たちも、みんな聖母様の御慈愛を授かって身も心も清らかな乙女に生まれ変わらせて頂き、女の子であることの素晴らしさを感じられるようになるのが正しい純心の学園生活だ。
「高橋さん、お祈りの時間は終わったわよ」
 びっくりしたような顔で立っている彼女に、私はそう一言だけ言った。まだ戸惑っているようだ。男子生徒たちはみんなそうだが、べつに気にすることはない。はじめは誰もが戸惑うが、すぐに迷いはなくなる。聖母様の思し召しのおかげで、彼女たちはもちろん私たちですら、彼女たちが男子生徒だったなどと思わなくなるのだ。これを奇跡と言わずしてなんと言おう。
 全校生徒が下校したのを確認した後、私たちは引き揚げることにした。しかし、一つ仕事を思い出した。今日の集会に、私のクラスの中谷君が来ていなかった。男子生徒で来ていないのは、彼一人だ。
 彼にも、聖母様から御慈愛を授けていただかなくては・・・


<一年B組:中谷 光彦>   <一年B組:高橋 佳一>   <一年B組:山田 明乃>

<翌 日>