神社沿革

   西葛城神社は、元 深谷神社と称しました。726年に創建された「木積観音寺」の鎮守として祀られたようです。

 御祭神は「大国主命」「須佐之男命」と記録されております。康和(こうわ)4年(1010年)に再建とありますので、創建来千年の時を経ているようです。戦国期には、この辺りは、根来攻めの近木川の合戦に巻き込まれ木積観音寺も焼き討ちにあっております。この時、奇跡的に残ったお堂が、国宝の「釘無堂」です。深谷神社は隣接しており難をのがれております(逃れたと言うか、当時の村人が、この建物は神社の建物、焼けば神罰くだるぞ・・・・・と言った可能性も(笑))  明治43年には、国の「一村一社の令」により旧西葛城村の全神社が深谷神社に合祀され、名称も「西葛城神社」と改められました。その後 大正6年には、今の孝恩寺の地から今の元楠神社跡地に移されました。相殿の楠 神社は、子授けの「楠大明神社」として知られた崇敬神社で、江戸時代には遠く、兵庫、和歌山からも歩いて祈願に来たと記録されております。   


西暦 和暦 出来事
726年頃  神亀3年 木積観音寺観音院が行基により創建された。
1010年 康和4年 深谷神社 再造営
1364年  貞冶3年 蛇谷城主 松浦氏「楠木正成公」の死を悼み木積字片山に「楠 神社」を創建
1673年 寛文13年 楠 神社 社殿再造営
1836年  天保7年 楠 神社 社殿再造営
1910年 明治43年 旧西葛城村の全神社を「深谷神社」に合祀し、「西葛城神社」と改称
1917年 大正6年 西葛城神社を現在の地(元 楠神社の地)に遷座、楠神社を相殿として祀る
2011年 平成23年 本殿の修復、相殿の再造営、境内の整備が完了