王塚台、それは歴史と文化のすてきな町
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中野紹介




西山延命地蔵尊

 出合小学校のすぐ北隣の丸山公園の中に、西山のお地蔵さんとして、人々に親しまれている地蔵様が鎮座されている。古老の話によれば、室町時代の末頃、このあたり一帯に繁茂していた竹やぶの中に既にお地蔵さんとして祭られていたそうである。
 以前は、昼でも薄暗い竹やぶの中にあり、『おこり地蔵』とも呼ばれていたこともあった。
 霊験あらたかなお地蔵さんとして昭和の初め頃に、現祭祀の先代にあたる方が、玉津町水谷(みたに)に住んでおられた吉川隆峯師のお導きにより、祭祀としてお世話されてきたそうである。
 現在では、地元と、住宅都市整備公団との共同開発による土地区画整理事業の結果西区中野という立派な住宅地に生まれ変わり、地蔵様を中心にして作られた丸 山公園は、市民の憩いの場として喜ばれている。
 立派なお堂に祭られている『西山延命地蔵尊』は、願いごとがよく叶えられるというので、付近の人々は勿論、ずいぶん遠くからも、お参りに来られるようで、参詣者の線香の煙の絶え間がないとのことです。
林崎堀割(疎水路)記念碑

出合小学校〔中野1丁目〕のすぐ西隣りともいえる場所に、明石市の浄水場の貯水池『野々池』がある。この池は、江戸時代に明石の林崎庄の村々の農民が、明石川の上流から疎水路を通じて、引いた水を貯めた灌漑池であった。
 明石市が、指定文化財とした、この記念碑には、次のようなことが記されている。〔明暦3年(1657年)早魃でくるしんでいた、和坂、鳥羽、林、東松江、西松江、藤江などの林崎地方の村々が相談して、明石川の上流から野々池まで掘割を作り、
灌漑用の水を確保した。
 元文4年(1739年)この掘割工事の経緯を長く後世に伝えるため撰文を明石藩の儒者であった梁田蛻巌に、書を田原何龍に依頼してこの記念碑を建立した。(明石市教育委員会)〕
平野町黒田から印路を経て野々池までの約6キロメートルの掘割は、340年前のままで、現在も貯水池へ水を送り続けている。
《参考》資料・・・  「西区ふるさと自慢百選」等

中野自治会

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