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“長生きしたくないね” ![]() 高齢者の集まりで「長生きしたくないね」とよく聴きます。 何故でしょう。この言葉を聴くたびに寂しくなります。 「楽しい人生長生きしたいね」の言葉に変えたいものです。 昨年は、ガン治療に費やした一年でした。 抗癌剤と手術(腎臓片方・胃三分の一)病のお蔭で小さな幸せを感じる日々です。 朝起きて笑顔で「おはようと」と言える幸せを実感しています。 昔から「ただより高いものはない」と言われています。 高齢期の私達も自分から努力し、小さな幸せを感じるこころも必要でしょう。 ![]() 「長生きしたくないね」の言葉が出る方は、、、 第一に寂しい方、第二に常に不満を持ちそれを他人の所為にしている方、 第三に超高齢社会の到来に関する記事を毎日目にしている方。 独居高齢者は、寂しさを常に感じていることでしょう。しかし、それを自身で 受け入れて友だちを作り、自ら社会と接触して解決している方々も多くいます。 第二の常に不満を持っている方は、その責任が全て他人にあるような話し方を されます。 笑顔や幸せ感は他人に写るものです。人には笑顔で接しましょう。 又こちらの不満が他人に写り、それが自分に写り、結局は不満の輪となり、 常に不満に囲まれている状況となっているようです。 独居高齢者同士が、仲間となり、月に1~2回は会話しあったりお茶を飲んだり と楽しい時間を持っている方も多くいます。 そのような方々は、不都合を他人の所為にはしないようです。 仲良しグループの人たちは、何時お逢いしても笑顔が素晴らしい。 不満や不服を他人の所為にしないで自らが解決する努力をしているようです。 相手に求める前に自分で解決できるような努力が必要でしょう。 一人でも多くの高齢者から、楽しいから長生きしたいとの言葉を聴きたいもの です。不満を解決する努力も楽しみの一つです。 福祉や医療にお金がかかることは充分に理解していますが、それが、 現在高齢者と言われている方々の全て所為にしないで下さい。 このような社会は戦後すぐに判っていた筈です。政治の対応の遅れでもあります。 ![]() 私は高齢者の集まりの会を主催していますが、ある独居高齢女性の言葉の中に、 花に水をやっていると、今は亡きご主人が「花の気持ちになって水をやるように」 とよく言われたそうです。 この言葉より何かを思い浮かべることが出来ないでしょうか。 多くの高齢者の会合はありますが、本当に高齢者が望んでいる会合となっている と思いますか・・・。 当然、望み通りの会合も多々あると思いますが、 主催者側の一方的な運営もあるようです。 「あの集まりにはもう行かない」の言葉も多く聴きます。 その原因を考えてみますと、 子ども扱いをする、主催者が一方的にしゃべる、会合を不満の捌け口としている。 不満の捌け口は当然に必要ですが、常に自分は正しくて他人が悪いと言う言葉には 何時かは人は離れてゆきます。 街中で高齢者のための、高齢者に必要な、高齢者の気持ちにそった会合を望みます。 「花の気持ちになって水やりを」お願いしたいものです。 ![]() この世に生を受けている生き物は何時かは老い、何時かは別れが必ずやって来ます。 これは、どれだけ頑張っても努力しても避けることはできない確実なことです。 それだけ確実に判っていても準備をしないのが人間かも知れません。 日々死を考えていましたら、生活ができないし、楽しいことは全くありません。 しかし、いつかは必ず来ることに対してこころがけと言うか、その準備は必要です。 準備も楽しく出来ることが最も求められることではないでしょうか。 その第一は、高齢期に誇りをもって日々過ごすことだと考えます。 年をとれば「みじめなことばかり」と言った女性がいますが、 その惨めさは、誰の所為でしょうか。それは、自分自身の責任です。 幾つになっても遅いと言うことはありません。 長年一生懸命に生きてきたのです。それだけでも立派な誇りだと思います。 人間は、どれだけ頑張っても年だけは追いつくことはできません。 老いに誇りを持つためには、小さくていい、自分一人でいい、自分が自立できる 何かを目的として持つことだと考えています。 社会に対して、家庭内に対して役割意識を持つことが大切です。 独居の高齢者は、他人に迷惑をかけずに一人で生きているのです。 これも立派な役割ではないでしょうか。 一人で頑張って生きている方々には手を差し出す方や公的な支援はあります。 そのおりには素直にその行為を受け入れることも大切です。 ![]() 幸せは、向うからやって来ません。これから先の自分自身の幸せをイメージ してみましょう。 小さな幸せを肌で感じ取ることが最高の幸と思います。 前述しましたが、朝元気な挨拶が出来ることが最高です。 これは、ガンを患い、治療の日々より感じ取ることが出来ました。 抗癌剤等で苦しんでいる時には痛みのない時間が幸せですし、贅沢や大きなこと は望みませんでした。現在も病との共生生活です。日々元気に妻や友との会話が 幸せです。 お金も必要でしょう。贅沢なものも必要でしょう。 しかし、それらは元気に笑顔があってこそ有難味が判ることです。 小さな幸は、自分で自分を感じ取り、感謝するこころが大切と考えています。 今ある自分の現状を受け入れて、いい方向にイメージし、それに向けて楽しく 努力することだと思います。 現在不幸と考えている方々は、それを解決することは大変な苦労と努力が 必要でしょう。 しかし、努力すること、その苦しみを受け入れて楽しむ余裕があればそれは幸せ。 今の苦しみも何時かは楽しみに代わることでしょう。 ![]() 年を取りますと確かに、瞬発力、判断力、耐力、持久力、理解力などは落ちます。 しかし、長年生きてきたのです。 一人一人が何かを持っています。 多くの経験則を身につけていることでしょう。 それは、あなた一人の宝物です。 高齢期になれば日常的な力は衰えます。それを補う過去の実績を持っていると 思います。 高齢者一人の力は若者には勝てないと思いますが、 力を併せることで、チーム力を発揮することでまだまだ社会的に大きく役立つと 考えています。 幸いに高齢者には時間的な余裕がたっぷりとあります。時間をかけて楽しみながら チームつくりに頑張ってみませんか。 高齢者が、自分のマイナス面を助けてもらい、自分のプラス面を社会に差し出し、 そこには何かをすると言う楽しみが発生すると考えます。 高齢者は、決して無力ではありません。 身体に気をつけて楽しみを見つけて、楽しい残りの人生を謳歌しようではないですか。 シニア ライフ アドバイザー 岡島 貞雄 Top page |