泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察装甲車/戦車部隊(1942年〜1945年)

第14警察戦車中隊
14.Polizei-Panzer-Kompanie

 第14警察戦車中隊は1943年7月5日付けの通達により編成が開始され、編成の完了した正確な時期は不明ですが、1943年10月の時点では当初の編成を完了していました。また、1944年4月5日付けの通達によりイタリア製装甲車や突撃砲のための乗員訓練が行われていますが、実際の装備車両や編成については不明です。
中隊の当初の編成は下記のとおりでした。


第14警察戦車中隊

中隊本部
  指揮班
  輸送段列
  第28修理工場小隊
第1小隊:タトラ装甲車×3両(南東方面警察作戦司令部の戦車小隊より)
第2小隊:オランダ製装甲車×3両(車種不明)
装甲列車小隊:軽装甲軌道車×4両


 中隊は1943年10月末からベルデス(Veldes)の治安警察司令部に配属されてライバッハ地区に駐屯しており、第18軍管区の対パルチザン戦司令官である高級SS及び警察指導者「アルペンラント」の指揮下にありました。1944年中はザルツブルク警察司令官(BdO.Salzburg)の管轄地区で活動しており、第14SS警察連隊と第13(増強)警察戦車中隊、第13警察連隊と第4警察戦車中隊とともにカリンシア(Carinthia)南部での作戦行動に従事しました。

 第14警察戦車中隊は1944年9月19日付けの治安警察長官通達により増強戦車中隊として戦力が増強され、イタリア製装甲車両(AB41装甲車×3両、L6突撃砲×20両)が新たに配備されたほか、戦闘車両以外の装備車両として次のような車両が増備されました。

Stkw.8(無線通信車)×1両
Stkw.14×2両(第4、第5小隊用として各1両)
輸送トレーラー×2両
補給用トラック×9両(イタリア製捕獲トラック)

 また、増強戦車中隊としての再編に必要な要員はウィーン警察自動車学校警察予備戦車大隊より次のような要員が補充されました。

戦車小隊指揮官(突撃砲)1名
突撃砲車長6名
突撃砲通信手6名
通信小隊指揮官1名
通信手(通信小隊)1名
通信手(戦車乗員)1名
砲手4名
タトラ装甲車操縦手1名
自動車運転手12名
オートバイ兵1名
錠前師3名(第28修理工場小隊)

 これらの増強装備と要員は、1944年10月5日までに中隊に合流しました。1944年9月19日現在の第14(増強)警察戦車中隊は次のような編成となっていました。


第14(増強)警察戦車中隊

中隊本部
  指揮班
  通信小隊
  輸送段列
  第28修理工場小隊
第1小隊:タトラ装甲車×3両
第2小隊:AB41装甲車×3両
第3小隊:オランダ製装甲車×3両(車種不明)
第4小隊:L6突撃砲×8両
第5小隊:L6突撃砲×8両
予備小隊:L6突撃砲×4両
装甲列車小隊:軽装甲軌道車×4両

将校6名
事務官1名(輸送段列)
下士官43名
兵80名
運転手及びオートバイ兵119名
中隊合計249名


 中隊の装備するイタリア製装甲車両の乗員への訓練はベローナの陸軍訓練部隊(戦車訓練大隊「ジュート」)で行われました。第14(増強)警察戦車中隊はその後も引き続きザルツブルク警察司令官(BdO.Salzburg)の指揮下にあってライバッハ地区で活動しました。
 1945年になると中隊は前線での防衛戦に投入されており、1945年4月28日付けのE軍集団の報告によると、Goettenitz-Gottscheeの戦線からトップラ河沿いのグルク(Gurk)にかけての地区で次のような部隊と共に布陣していました。第14(増強)警察戦車中隊はドゥラウの橋で終戦を迎えました。

第17SS警察連隊
第28SS警察連隊(トート)の第1大隊及び第3大隊
第3SS国家地方警察大隊(自動車化)
第1警察戦車中隊
第14(増強)警察戦車中隊


2005.10.21 新規作成

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