対州の河太郎    甲子夜話(かっしやわ)より
 対州(たいしゅう・対馬)には河太郎(河童)あり。浪よけの石塔に集り群をなす

 亀の石上に出て甲(こうら)を曝(さらす)が如し。その長二尺(60センチ)余にして人に似たり。老少ありて白髪もあり。髪を被り(かぶり)たるも、又逆に天を衝くも種々ありとぞ。
 人を見れば皆海に没す。
 常に人につくこと、狐の人につくと同じ。国人の患(うれい)をなすという。

    (村岡注釈:アシカだと思われます。)


 又予(松浦静山)若年の頃、東都(江戸)にて捕へたりという図を見たり、右にしるす。   

河太郎
河太郎(甲子夜話より)

  これは享保(1716〜1736)中、本所須奈村(※注1.東京都江東区砂町と思われる)の芦葦の中沼田の間に、子をそだてゐしを村夫見つけて追出し、その子を捕たるの図なり。
  太田澄元といへる本草家(※注2・本草学=狭義には薬草学だが、広義には博物学)の父岩永玄浩が鑑定せし所にして、水虎(すいこ・河童)なりという、
  又本所御材木倉取建のとき、芦薮を刈払しに狩出して獲たりいう。

<甲子夜話(巻32)吉川半七編 国書刊行会 明治43年5月発行より>
(括弧)は注釈を入れました

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甲子夜話】 かっしやわ

 随筆。肥前国平戸藩の九代藩主で、大名中の博識をもって知られた松浦清(きよし・静山)著。文政4年(1821)11月甲子の夜から書き始め、天保6年(1835)まで15年間書きつづけられた。
 正編100巻、続編100巻。大名、旗本などの逸話、市中の風習など自己の見聞を書きしるしている。


(※注1)須奈村について、河童村村議会の河童に、お尋ねしましたところ、以下の回答を得ました。

江東区に亨保年間以前から砂村新田という地名が有りました。(現在、江東区砂町、北砂町)
この村は新田という名前からも開拓地であり、砂村新四郎と言う人が開拓したことから砂村新田という名前が付いたという説と、砂地で有ったので砂村と言う説の二説あります。
しかし、須奈村では無くて砂村です。 音をあわせて須奈村と書き記したのではないでしょうか。
この当たりは、0メートル地帯と言われ昔は海岸線と陸地の境がはっきりせず、埋め立てにより、人が住めるようになった地域です。


(※注2)本草学

 中国の薬物学で、薬用とする植物、動物、鉱物につき、その形態、産地、効能などを研究するもの。日本では奈良朝以降、遣唐使によって導入され、江戸時代に全盛をきわめた。貝原益軒以後は、中国本草書の翻訳、解釈などにとどまらず、日本に野生する植物・動物などの博物学的な研究に発展した。(小学館国語大辞典)
 


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