脱力で、ココロとカラダを徹底リセット!!


スポーツ・習い事の上達に

力みのない合理的な身体運動を身に付けられます。
動作や姿勢上の注意点が分かり、練習の効率が上がります。
詳しくは、脱力と上達をお読みください。

才能開花


頭痛・肩こりの解消に

筋肉の緊張を取り去る運動で、アタマもカラダもスッキリ!!
カラダに溜まった日々のストレスがリセットされます。
詳しくは、脱力と健康をお読みください。

元気復活


落ち着いた、静かなココロを感じる

「カラダをゆるめてココロをゆるめる」とは?
具体的な方法を通して実感してもらえます。
詳しくは、落ち着くカラダをお読みください。

安心落着


脱力と上達

スポーツや芸事に取り組んでいる人にとって「上手くなりたい」という気持ちは、プロアマ問わず誰もが持っていると思います。
脱力トレーニングはきっと、そんなあなたの「上達」のための力になります。
ここではなぜ脱力が上達のための近道だと言えるのか、その理由を書きたいと思います。

最初に一つ、質問です。
スポーツでも芸術でも、料理でも仕事でも何でも構いません。
「上手い人」と「下手な人」の違いは、どこにあると思いますか?
もちろん、サッカーにはサッカーの、野球には野球の、書道には書道の、特有の技術があります。
それらの技術の巧拙が、上手下手の違いを生んでいるのは間違いありません。
では、その技術の上手下手の差は、どうしてできるのでしょうか?
仮に同じ時間、同じように懸命に練習しても、残念ながら上達の速い人もいればそうでない人もいる。
そして、一般的にはそれを「センス」や「才能」という言葉で片づけてしまう。
「あいつは天性のものをもってるから」「彼とはセンスが違うから」
それで納得できる人は、この先を読む必要はないと思います。
でも。
わざわざこんなマニアックなサイトに立ち寄ってくれたということは、おそらくあなたはあきらめの悪い人なのでしょう、私と同じように(笑)
だとすれば、「センス」や「才能」なんてありきたりな言葉で問題を誤魔化してはいけません。
「センス」や「才能」の有り無しとは一体、何の違いを指している言葉なのか。
それをハッキリさせることが出来れば、少なくとも努力の方向は分かるはずですよね。

「見取り稽古」ということばがあります。
武術においては型があり、スポーツや芸事にもそれぞれ基本となる動作があります。
まずは師が行なう型や動作を細部まで徹底的に見取る。
それは何かを学ぶ上で最も基本となる部分であり、これが上手いだけでも周囲より一歩前に出ることが出来ます。
ただ、見取り稽古で本当に得たいものは、視覚から得られる情報だけにとどまりません。
私の師である武颯塾の茂呂師範からの指導に次の言葉があります。
「見取り稽古の本質は師の姿を見ることではなく、師が見ているものを見ることにある。」
ある動きを行っている師が、何を見て、何を感じているのか。
それを感得することこそが、見取り稽古の神髄なのです。

私はいわゆる「才能の有無」というのは、この本当の意味での「見取り稽古」の出来不出来だと考えています。
言い方を変えれば、「何を見て、何を感じているのか」の違い。
とても残酷な言い方に聞こえるかもしれませんが、才能のある人とそうでない人とは、同じことをしているつもりでも、実は全然違うことをやっています。
考えてもみて下さい。
見ているものが違い、感じているものが違うのだから、やっていることが違うのは当然ですよね。
そしてこの違いは、本当に基本的な部分から始まっています。
ほとんどの人が行っている「立つ」「座る」「寝る」「歩く」という日常動作。
あるいは、「腕を曲げる」「脚を伸ばす」「腰を落とす」「身を屈める」という、当たり前すぎる動き。
こういった部分のやり方が、そもそもセンスの有無によって全然違うのです。
にもかかわらず、多くの場合はもっと複雑なテクニックにおいて、有名選手の真似をしようとする。
動きの土台が全く違うまま、表面だけを真似ようとするから上手くいかないのです。
私の場合で言えば、サッカーの三浦和良選手のようにボールをまたぐフェイントをただ真似た所で、相手を振り切ってのドリブルなど出来はしませんでした。
なぜなら、そのフェイントを成立させるための重心移動の方法が、そもそも違うのですから。
カラダを扱うセンスに乏しい私は、武颯塾での脱力修練をはじめて相当年月が経つまで、このことが分かっていませんでした。
だから、学生時代に取り組んだ剣道やサッカー、格闘技においての成績はサッパリ。
こうやって他人様のカラダの使い方についてアレコレ言うなんて、当時の自分を省みれば全く信じられない思いです。

けれども。
最初に書いた通り、「センス」や「才能」の有無という言葉が指しているもの、つまり「見ているもの、感じているものが違う」ことが分かれば、その差を埋める「努力」は出来るのです。
だとすれば、「この人はスゴイなぁ」と感じる人の見ているものを見て、感じているものを感じて、その結果しようとしていることをすればいい。
その為に必要なことは、何はともあれ「自分の感覚を磨いていく」ことです。
見ているものや感じているものの差は、感覚の磨かれ方の違いにあります。
センスがある人というのは、そうでない人が見えないものを見て、感じられないものを感じているのです。
だから、その差を埋めるためにはとにかく自分の感覚を磨くしかない。
それには、ただ上手い人の動きを見ているだけでは、残念ながら不十分です。
なぜなら、人の理解というのは、自分の知識や感覚がフィルターとしてかかってしまうから。
そもそものカラダの使い方が違う人の動きを見ても、その本質が見えることはありません。
そこで、「脱力」が必要になるのです。
「脱力」、つまり力を抜くということは、「今の自分の動き方を一旦やめる」ことに他なりません。
「脱力」で今の自分の動き方というフィルターを外すことで、初めて自分とは違う動きの本質に近づける。
そういう意味では、「脱力」は上達のための必要条件だと言えるでしょう。

ここまで書いたことを理解するまでに、私は長い年月を要しました。
それでも師の後を必死に追うことで、本当に少しずつですが自分のカラダの扱い方が変わってきたと感じています。
そして、私の後輩達を見ている限り、新しく「脱力」に取り組む人が上達するのに、私と同じような時間は必要ないようです。
本修練会においても、私が気づいたことを伝えて受け取ってくれた方は、2年程で卓球という競技において県予選1,2回戦レベルから全国レベルの大会に出場できるようになりました。
そういう意味では、これから「脱力」に取り組む方は本当にラッキーだと思います。
上達のための近道が、すぐ目の前にあるのですから。

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あの人は一体何を見て、何を感じているのか。


脱力と健康

1.肩こりがひどい

肩こりになる原因は、いくつか考えられます。
目の酷使、耳の状態が良くない、手先を使った細かい作業、 慢性的なストレス、睡眠不足、などなど。
全く当てはまらないという人は、ほとんどいないのでは?
今の日本で生活する以上、これらの原因をすべて取り去るのは、 なかなかに難しいと思います。
でも、肩こりを直接的に引き起こすのは、 肩や首回りの筋肉の緊張です。
ということは、これらの筋肉を緩めてあげれば、肩こりは治せます。
私達が普段行っている基本的な修練の中に、「鞭手」というものがあります。
文字通り、脱力した腕を鞭のように扱うという修練です。
肩・肘・手首の力を抜いて腕を紐のような状態にして動かすことで、 重力と遠心力が大きく働きます。
結果、今まで固まって動かなかった部分がほぐれて動き出し、 肩こりの原因となっていた筋肉を緩めることが出来ます。

肩凝改善

2.腰痛がひどい

腰痛の原因もいくつかありますが、ほとんどの人に共通するのが、 「股関節の固さ」と「お腹の固さ」です。
股関節周りの筋肉、特に中臀筋の脱力が出来れば、 腰への負担は随分と軽くなります。
また、お腹の奥にある大腰筋という、背骨と脚をつないでいる筋肉を 脱力することで、腰椎のカーブが自然と楽な形に整います。
私たちの修練においては「骨盤旋回」という、骨盤を三次元的に 動かす運動を行うことで、股関節とお腹を緩めることが出来ます。
初めは思ったように動いてはくれませんが、上手くなるにつれて その効果を実感できることでしょう。

腰痛改善

3.膝が痛い

ある程度の年齢になると、多くの方が悩む膝の痛み。
そのツラさは私にはよくわかります。
なぜなら、左ひざの前十字靭帯は完全に断裂しているし、 半月板も損傷したままだからです。
ただ幸い、武颯塾の修練を続けていたおかげで、 特別な不都合を感じることはありません。
大切なことは、膝に負担のかからない身体の使い方をすること。
脚を脱力して動くことが出来るようになれば、 膝の痛みは大きく軽減されます。
私たちの修練においては、脚振りという、脚を鞭のように扱う運動や、 地面を蹴らない歩き方を練習することが、その役に立つでしょう。

膝痛改善

4.自律神経バランスの崩れ

脱力による武術修練が最も効果的だと思われる不調、 それが自律神経系の問題です。
自律神経の問題は、それが交感神経に傾いているのか、 副交感神経に傾いているのかで、対応が真逆になります。
そして、どちらの働きも無くてはならない必要なものであり、 その「切り替え」が上手くいっていないことが不調の原因です。
脱力して身体の緊張を取り去ることは、副交感神経の働きを促してくれます。
武術的な集中したキレのある動きは、交感神経を活発にしてくれます。
大切なことは、状況に応じて身体が自然に対応してくれること。
武術の修練を続けるにつれて、自律神経のスイッチが今までよりスムーズに切り替わるようになるでしょう。

自律神経

5.血行改善

血液とリンパ液の循環を促して、血行を改善する。
これも脱力してカラダを動かすことで期待できる効果の一つです。
血行が悪くなる理由に、「筋肉の緊張」があります。
血管が筋肉の間を通っているので、筋肉が緊張すると、 その幅が狭まってしまうのは想像しやすいですよね。
ただ、それだけが問題ではありません。
筋肉が緊張し続けていると、組織の間にあるリンパ液の流れも滞ります。
そしてリンパ液が正しく流れてくれないと、実は血液も手足に行き渡らないのです。
ちなみに手足の血液の流れは、以下の通りです。
「左心室→動脈→細動脈→毛細血管→各組織→毛細血管→細静脈→静脈→右心房」
ここで問題となるのは、「毛細血管→各組織→毛細血管」の部分。
動脈と静脈が直接つながっている訳ではないということです。
手足の組織に余分なリンパ液が溜まっている状態では、 血液を流したくても思うように流れてくれないのです。
ですから血行を改善しようとするならまず、 リンパ液が流れやすい状態を作る必要があります。
そしてリンパ液を流す大きな役割を果たすのが筋肉のポンプ作用。
「だから筋肉を鍛えましょう」というのはよく聞くと思うのですが、 多くの人の筋肉は必要以上に緊張したままになっています。
「固い筋肉をこれ以上固くしてどうするのですか?」
というのが私の正直な意見です。
血行の改善をしたいのであれば、まずは脱力して筋肉を緩めること。
そうして通りを良くした状態で動かしてあげれば、 血行は間違いなく改善します。

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血行改善


落ち着くカラダ

私が武颯塾で脱力トレーニングをする最大の目的がこの「カラダをゆるめて、ココロをゆるめる」という点です。
「心身一如という言葉が示す通り、ココロとカラダは一つのもの。
そしてココロという形の無いものをココロで変えることは難しい。
だから、カラダを緩めて変えていくことで、ココロを変えていこう。」
というのが、武颯塾の基本的な理念にあります。
…と書いたものの、正直、つい最近まで私自身にこの実感はありませんでした。
師範から指導いただける修練はもちろん休まず、自分でも毎日それなりの時間を脱力に費やしてきたにもかかわらず。
カラダを扱う技術は、成長速度に個人差はあれど、やればやっただけ上手くなります。
武術の修練を始める前と比べれば、多少は上手くなったとの自負もあります。
ところが、ココロについてはどうかと問われれば、返答に困ってしまう。
そんな時期が長い間続いてきました。
ところが最近、ふと気づいたのです、今までの脱力修練に対する取り組み方がそもそも間違っていたことに。

武颯塾には、「養体」というカラダの状態をチェックする修練があります。
それは、カラダを持ち上げられたり押されたりする中で、どれだけ脱力して安定した状態でいられるかの確認。
当然、押されたくないし、持ち上げられたくないわけです。
だから、学んだカラダの使い方を駆使して、加えられた力を受け流したり、抵抗したりする。
という「間違ったやり方」を、延々と繰り返してきました。
その「間違い」は、修練年数が長くなり、帯の色も変わり、後輩が増えるにつれて、さらにひどくなります。
「修練の成果を見せなければ」という気持ちから、余計にテクニックに走ってしまうのです。
形だけ見れば出来ているように見えても、自分自身、全く納得は得られない。
そんな時期が長い間続いていました。

変化が表れたのは、自分の修練場所を借りて半年近くが経ってからです。
「俺って、そもそも落ち着いていなかった。」
それは新鮮であり、恐ろしくもある気づきでした。
気付いてからは、「養体」の修練のやり方を大きく変えました。
これまでは、「どれだけ強い力に耐えられるか」を測る修練だったのですが、それをやめました。
代わりに、「どれだけ自分が落ち着いていられたか」を測るようにしました。
自分の落ち着き度合を測るためには、当然ですがまず落ち着くことが必要です。
だから、相手が押したり持ち上げたりする前に落ち着く時間を一拍置きます。
そこから徐々にゆっくりと力を加えてもらい、その時の自分の変化に意識を向ける。
そういった修練を続けていると、少しずつですが「落ち着く」というココロの状態とカラダの状態がどうつながっているのかが感じられるようになってきたのです。
するとどういうわけか、それ以外の例えば技を掛ける修練なんかが、今までよりも上手くかかる。
「馬歩站椿功」という、傍目には空気イスのような修練があるのですが、突然楽に立てるようになる。
それは自分でも不思議だと思いながらも、確かな実感なのです。

というわけで武颯塾神戸修練会では、「落ち着くカラダ」という修練を重要視しています。
「落ち着く」という切り口からココロとカラダのつながりを感じることで、将来的には「あるがまま」「ただ、いる。」といった老荘の境地にまでたどり着きたいと考えております。
ここまで書いたように私自身がまだまだ取り組み始めたばかりではありますが、その有効性からぜひ、一緒に取り組んでもらいたいと思っております。
カラダをゆるめて、ココロまでゆるめてみませんか?

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カラダをゆるめて、ココロをゆるめる

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