芹川(妛原付近)
芹川(権現谷への入り口)
芹川、権現谷入口 雨の後
宮前、安養寺付近の芹川
中村付近の芹川
下村付近の芹川- 2013/03/20
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今年は雪が少なく春の訪れが早いように思います。芹川の水量も多く、奥山の雪解けも進んでいるのでしょう。でもまだ花の咲いている様子は見られませんでした。
彼岸の中日なのでお墓詣りに故郷を訪れる人が多いです。お墓はお花でいっぱい一足先に春の様です。久しぶりに会った旧住民!なつかしさに喜んだり、歳月による変化に戸惑ったり・・・
河内地区の事をホームページに載せたいと思いますが、住民以外には解らない村の歴史や、言い伝え、行事について教えてもらえる人があればいいなと思います。
- 2012/6/15
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芹谷14ヵ村の内、河内地区は芹川に沿って家々が並んでいます。清らかで、静かな流れの時はいいのですが、谷幅が狭いため、ひとたび雨が降ると濁流となって家々を人々を怯えさせます。この芹川の治水のため計画された『芹谷ダム』は知事が代わって中止となりましたが、洪水対策はどうなるのでしょう。
『コンクリートから人へ』?でも人柱で洪水を防ごうとは江戸時代でも考えなかったでしょうに。
- 河内地区『宮前』にある『河内の風穴』、妛原の奥『権現谷』はハイキングなどで訪れる人の多い、自然と野趣あふれる観光地である。。
- 河内地区は、芹川の両岸に沿って民家が立ち並んでいた。集落の形成も古いと思われる。戦国前期には文献にも登場し、河内城も存在したらしい。。京極氏や織田信長に睨まれた高宮氏の一族が幽居したとも伝わる。
- 牛蒡や芋などの畑作もの、炭、薪などの林産物を古くから彦根方面に出荷していた。養蚕業も盛んに行われた。
- 「彦根市領『明幸』からお嫁に来た」と言うお婆さんの話。「河内はなんと賑やかな村だろうと思った。」いつの時代の話だろう?