新作長編『光の書』(仮)
第5話『光と影の輪舞』 冒頭部嬉しがり公開
 byひゅうが霄


王は光の魂を集めた
王こそが光そのものとなるほどに

光の力もて王は争いを鎮め
大地を一つにまとめあげた

光はあまねく地に行き渡り
大いなる実りがもたらされた

なすべきことがすべてなされた後
王は光を封印した

光は闇を生み
強すぎる光は強すぎる闇を生むゆえに

   『ラームハイの歌』より

【Act1:囚われの巫女】

 レダとクシィはティーレンにいた。“光の花嫁”の故郷と言われながら、今ではさびれた小さな宿場町に過ぎぬティーレン。だが光の神“オル”は自身の花嫁の生まれた地をやはり見捨ててはいなかったのだろう。再び現れた“光の巫女”の力で、ティーレンは賑わいを取り戻しつつあるという。
 日没には、まだ間があった。
 クシィは早速神殿に赴き、“光の巫女”に会ってみようと決めた。クシィがそう決めた以上、レダに否やはない。もちろんクシィはレダに強制はしなかった。宿で待つなり、市場や他の場所へ行くなり、自由にしていいと言った。レダは“山の民”。“山の民”は“オル”よりも“大いなる四”を信奉する。“光の花嫁”だの“光の巫女”だのという存在に彼女がうさん臭さを感じていることは承知していた。“オル”の最高神官である皇帝の血を引くクシィ自身、故郷とは言ってももはや辺境でしかないこのティーレンに現れた“光の巫女”とその教団に、強い興味こそ覚え、信仰心は感じない。
 だがレダはともに神殿に行くことを選んだ。もちろん、宿の主人が言ったような“神託”を期待してではない。宿にじっとしていてもつまらないし、ちょっとした好奇心だ。生まれ育った山にはない“神殿”という場所。神官だの巫女だのという人種。そして、それらにクシィがどう対するのか。
 クシィその人に対する好奇心が、おそらく最も強かった。
 神殿に足を向ける前に、二人は一度部屋に入った。もちろん一人ずつ、別々の部屋だ。宿の人間が不審がったり、二人部屋の方が得だよ、とにやにや笑いながら勧めるのにも慣れた。どこの宿場の部屋も、たいして変わりはない。一人部屋は狭いし、清潔ではあってもベッドやシーツはくたびれている。夜になれば下の食堂の音がうるさく響き、何のために壁があるのかわからぬほど大きく、隣の男が立てるいびきの音が聞こえてくることもしばしばだった。
 案内された部屋に既視感を覚えながら、レダは無造作に荷物を放り投げた。壊れて困るようなものは入っていない。最低限必要な着替えやタオルを詰め込んだだけの袋だ。まったく、年頃の娘がいつ終わるとも知れぬ旅に出ているというのに、そこには鏡一つ、紅の一つも入ってはいない。唯一娘らしい持ち物といえば、髪をとく櫛ぐらいなものか。もしも留守の間に盗人が部屋を荒らしたとしたら、さぞがっかりすることだろう。財布や高価な宝飾品などは肌身離さず持ち歩いているのが当然とはいえ、若い女の荷物なら絹のスカーフの一枚や二枚、飾り箱の一つや二つ出てきてしかるべきものだ。
 しかしうっかり財布を落としておいたところで、やはり盗人は舌打ちすることだろう。なんだ、これっぽっちかと。
 村での暮らしに、大金は必要なかった。レダは“自分の金”というものを持ってさえいなかった。旅立つレダの身を案じ、旅費を持たせてくれた長老トゥルダとて、自由にできる貨幣はたかが知れていた。
 まったく、旅をするには金がかかる。レダには驚きの連続だった。こんなちっぽけな部屋でさえ、一泊するにはけっこうな額が必要だ。このところの不作で、食事代も上がっている。馬にだって、餌をやらなければならない。ただで馬の世話をしてくれる奇特な宿などなかった。
 もちろん、宿の費用はすべてクシィ持ちで、レダが払うわけではない。もしもクシィがいなければ、レダは三日ともたずに路頭に迷う羽目になっていただろう。かつて一人でエリン達の後を追おうと考えたことが、どれほど無謀だったかよくわかる。何もかもクシィに頼りっぱなしというのは癪に障るけれど、自分の金は使わないにこしたことはなかった。クシィも言っているとおり、万一はぐれたり、別れて行動しなければならない時のために、自分の金は取っておくのが賢明というものだ。
 壁の鏡を見もせずに髪を結わえ直しながら、ふとレダは胸の守り袋がほつれて、下げ紐から落ちそうになっていることに気づいた。
 色褪せた赤い守り袋の中には、銀の十字飾りが入っている。純銀に、五粒の碧玉をちりばめたそれは、レダの持ち物の中でもっとも高価な代物に違いなかった。
 ものごころつく前から首にぶら下げていたお守り。母からの贈り物。そしてそれは、父が母に遺したものだという。父の顔を、レダは知らない。父もまた、レダのことを知りはしまい。大怪我をして村に逃げ込んできた盗賊。母が身籠もっていることなど知らずに、彼を探しに来た一味の者達とともに去っていった。
 見たこともない父を、レダはどう思えばいいのかわからない。父の形見、父がおまえを守ってくれる、と母は言っていた。レダにとっては、その“母”の形見だ。村人全部を敵に回してまでも一人の男を愛し、子を産み、守り育てた女の。
 既にクシィは身支度を調え、階下でレダを待っていた。「悪い。先に行っててくれ」と声をかけ、レダは主人に針と糸を貸してくれるよう頼んだ。荷物を盗まれ、財布をなくすことがあったとしても、この守り袋だけは落とすわけにいかない。
 そういうものは女房に聞いてくれ、と奥を示されたレダは、厨房へと入っていった。夕飯の支度をする頃合いだ。湯気と良い匂いが立ちこめる中、女三人が忙しく立ち働いている。
 客に裁縫道具を貸し出す役は、一番若い、まだ子どもと言ってもいいぐらいの娘に回ってきた。食べさせてもらう代わり、何でもやらされている下働きの娘なのだろう。女将ともう一人の女にあれこれ指図されて、それでなくても走り回っている娘に、レダはまた一つよけいな用事を増やしてしまった。
「ちょっと、ちょっとだけ待っててもらえますか? すぐに持ってきますから」
 ざるいっぱいの野菜くずと重たげな鍋を二つ、いっぺんに持って裏口へ向かおうとする娘の後を、レダは追った。
「手伝うよ」
 その手から、さっと鍋を取る。
「お客さん!」
 たちまち罵声が飛んだ。
「よしてください、そんな。イーラ、先に裁縫箱取っといで! お客さんの用事が先に決まってるだろ!」
 レダは思わずむっとして女将を振り返った。
「俺が手伝いたいんだ。かまわないだろ?」



第1話『光の鍵』の冒頭部はこちら
第2話『水の精霊』の冒頭部はこちら
第3話『風のしるべ』の冒頭部はこちら
第4話『炎のさだめ』の冒頭部はこちら

 
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