タイトル未定新作長編
第2話『水の精霊』 冒頭部嬉しがり公開
 byひゅうが霄


私は王女に会ったことがある。
オルの間の封印を解き、
聖珠の力を操ることのできた王女。
彼女はその力の使い方を誤った。
だが誰に責められよう。
手にした力が大きければ大きいほど、
その力の誘惑に負けず、
自己を律するのは困難になる。
まして彼女は、十五歳でしかなかった。

『ドリール全史』所収
 「ラムール・リィ回想録」より

【Act1;帝都】

 帝都リムゼルクには雨が降っていた。すべてをしろしめす大いなる光、太陽は厚い雲の向こうに隠れ、ほんのわずかな光条も見えない。
 それでも、オルが天に昇っている間は、地上は夜の闇とは無縁なのだ。
「恵みの雨だな。出かけてきてもらうには生憎の日だが」
 皇太子ダムリスは宮殿の一角、自身に与えられた“青天宮”の私室で客を迎えていた。入ってきたばかりの客は、雨に濡れたマントを従者に渡し、ダムリスの前に跪いた。
「殿下にはご機嫌うるわしゅう。お招きいただき光栄に存じます」
「おいおい、やめてくれよ。公の場じゃないんだ。昔みたいに、『元気だったか、ダムリス』とでも言って抱き上げてもらいたいもんだね、クシィ叔父さん」
 そう言われて、叔父さんと呼ばれた客は苦笑しながら立ち上がり、ダムリスを抱擁した。
「元気そうで何よりだ、ダムリス」
 叔父さん、と言っても、クシィはまだ青年だった。弱冠二十歳のダムリスより七つばかり年上なだけだ。正確にはクシィはダムリスの叔父ではなく、父の従兄弟に当たる男だった。ダムリスの祖父である現皇帝パンタウロル三世の末の妹の子どもである。兄弟のいないダムリスは、幼い頃はこのクシィを兄と呼んで慕っていた。成人し、周囲が明確にクシィを臣下と位置付けても、その想いは変わらない。むしろ強くなっていると言っていいほどだった。パンタウロル三世の健康が優れず、皇位継承をめぐってあからさまに争い始めた宮廷内に、皇太子が心を許せる人間はいなかったからだ。
 皇帝の妹の子なのだから、クシィにも皇位継承権がないわけではない。実のところ、彼を担ぎ出したい人間達も少なくなかった。母が現皇帝の妹であるだけでなく、父も皇室の血を引き、黒獅子公と綽名された勇猛で才に溢れた人物だ。もし生きていたら、まずその父が次期皇帝に推されたであろう。宮廷内はもちろん、帝都の市民にも人気の高い男であったのだ。その父から、黒髪に黒い瞳、端正ながら精悍な顔立ちを受け継いだクシィに信を置く者は多く、ダムリス自身が冗談まじりにせよ、「代わりに皇太子になってくれないか」と言うほどであった。
 そのような周囲の期待に応える気は、クシィにはなかった。クシィの考えからすれば、現にこうしてピンピンしている皇太子ダムリスを差し置いて後継者争いが起こるということ自体が間違っている。ダムリスがまだ若すぎるというなら、率先してそれを補佐するのが皇族や重臣達の務めであって、分裂して争うなどもってのほかだ。国を支えねばならぬ者達が国を傾ける方向に動いてどうしようというのか。
 自身の意志に反して巻き込まれることを嫌ったクシィは公職に就いていない。帝都の屋敷に母を残し、領地を巡っていることが多かった。領民とともに畑を耕している方が、窮屈な宮廷で他人の思惑にまみれて過ごすよりよほど性に合っている。
 しかし近頃の帝国の情勢は、クシィにそんな気ままな生活を許さなくなりつつあった。
 病に伏せる皇帝に代わって、ダムリスには伯父に当たる左大臣、ネスティフ侯爵の力が大きくなり、それに反発する形で皇位継承争いが激しくなっていること。
 肝心の皇帝は宮廷のそんな動きを知ってか知らずか、“光の花嫁”の預言にばかり気を取られている。昨年に引き続き、今年もまた凶作で、国庫収入が大幅に減るのはもちろん、小麦や野菜の高騰、食えなくなった農民達の帝都流入が問題となっているというのに。
「早速だが、サフレンティアの様子はどうだった? あの水の都でさえ水が涸れているというのは本当なのか?」
「同じ東部だからな。雨が少ないのはこの辺りと変わるまい。しかも森や山を切り拓いたせいで水を蓄える力が減っている。私も久しぶりに行って驚いたが、かつての“水と森の都”の面影はもうない。予想以上の荒れようだ」
 サフレンティア。
 水と森の都。
 八年前までは、そこは女王の治める独立国だった。リムゼルクの北方、テルネ山脈の南に位置し、国土のほとんどを湖と森林が占める。国の名と同じ都がある他は小さな集落が点在するだけの、国家と呼ぶのもはばかられるような小国だった。
 山脈の北は再び帝国領。サフレンティアはいわば、帝国内にぽつんとそこだけ残された古代の遺跡のようなものだった。このオラディス大陸の歴史はマールから渡ってきた人々が王朝を築くことで始まるが、もちろんそれ以前に人が住んでいなかったわけではない。いくつかの部族が、国家とは呼べぬまでもそれぞれにまとまりを持って暮らしていた。水の精霊を崇め、その精霊を呼び出す力を持った巫女が治めていたサフレンティアを、歴代の王朝は自国に組み入れずに来た。攻め滅ぼすなどわけはない小国ではあったが、逆にわざわざ攻めるまでもなかったのだろう。帝国も、サフレンティアを独立国として残す。もちろん、対等な関係ではなく明らかに属国扱いではあったが、古代の巫女の末裔である女王の権利は侵さなかった。
 湖から発するいくつもの河は帝国領を潤し、森を育むことに長けた人々の産する木材は質の良いことで有名だった。豊かな水と木材を帝国に提供してくれさえすれば、無理に皇帝が治める必要はなかったのである。
 八年前までは。
 テルネ山脈には、銀脈がある。サフレンティアの領内にも、銀鉱は存在すると考えられていた。しかし女王は代々、その採掘に積極的ではなかった。銀などに頼らなくとも森と湖がサフレンティアの人々を十分に養ってくれたし、採掘のために山を切り拓くのは精霊の意に反する、と考えていた。
 しかし近年、テルネのガイ銀山の産出量はめっきり減り、大陸南部のエライダ島の銀山(ここは金も産出した)も資源の涸渇が言われるようになっていた。帝国は新たな銀鉱の開発に迫られていたのだ。
 帝国の打診を、女王は拒否した。皇帝からみれば、サフレンティアの女王など“王”には値しない。否を言える立場ではないはずだった。女王の尊大な態度に、パンタウロル三世は機嫌を損ねる。しかしその時はまだ、力ずくに訴えることまではしなかった。女王の周囲を固める重臣達に接触を図り、内から崩そうとしたのである。
 どんなに平穏に、また潤滑に動いているように見える組織でも、不満を持つ者の一人や二人はいるものだ。サフレンティアは自然に恵まれた豊かな土地ではあったが、経済的に豊かなわけでは決してなかった。大地に根ざした簡素な生活をよしとする民族性もあって、位の高い者達でさえも、大陸の他の諸都市に比べればずいぶんと“遅れた”暮らしをしていたのだ。
 帝都の華やぎに憧れる若者も出てくる。
 自然の豊かさではなく金銭の豊かさを手に入れたいと思う者も。
 そしてもちろん、どんな民族、どんな国にも、権力を欲する者はいるのだった。
 一人の大臣が、帝国側に寝返った。帝国の要請を受け容れ、銀の採掘に着手することこそがサフレンティアのためであると説いて民衆の半分(主に若年層)を味方につけることに成功した。女王が頑として彼の提案を拒むと、彼は女王の退位を要求した。帝国もいつまでも待ってはいない。拒み続ければ、いずれは力による制圧を試みてくるだろう。そうなれば、我が国に勝ち目はない。大陸最古の歴史を誇るサフレンティアは、女王の浅慮によって亡びることになろう。
 巫女である女王を廃して、サフレンティアにどのような未来があるというのか。女王派と大臣派の対立は日毎に激しくなり、事態を憂いた女王の夫、サフレンティアではダナと称される王が皇帝との直接の話し合いを求めて帝都へとやって来る。
 しかし王は、謁見の最中に剣を抜いたとして捕らえられ、牢内で自害して果てた。
 皇帝はサフレンティアに軍を送る。あとは簡単な話だった。帝国軍を味方につけた大臣派の圧勝。女王とその後継者であった王女はもちろん、女王派についた高官達もほとんどが殺された。大臣はサフレンティアの王を名乗り、銀の採掘が始められることになった。
 坑道が掘られ、精錬のための施設が建設される。銀山の稼働開始をもって、帝国はサフレンティアから自治権を取り上げた。王になったはずの大臣は、帝国の一官僚としてサフレンティアを管理することになり、民衆はみな帝国民として重い税を課されることになった。帝国内の他の農村に比べて特に高額というわけではなかったが、それまで女王に対して払っていた額がわずかであったために、その負担感は他の比ではなかった。
 そうして、水と森の都と謳われたサフレンティアは荒れ始めたのだった。
「そうか。サフレンティアの水が頼めないとなると、本当に厳しいことになるな」
 ダムリスが顔を曇らせると、クシィは軽く首を横に振って答えた。
「水以上に問題なのは、サフレンティアの民の方だ。少ないといえど、まだこの冬を乗り切るぐらいの水はあろう。しかしそれを我々が、帝国側が搾取すれば、サフレンティアはさらに荒れる。長い間自分達の部族だけで生きてきたところへ、大勢の鉱夫の流入。治安も悪化している。かつて女王を追い落とすことに加担した者達も、今ではディシダを憎み、女王の復活を待望している。あれでは早晩暴動になる」
 祖国を裏切って帝国官僚となったディシダは、王位を取り上げられたことについては不満を持っていなかった。帝国はその代わりに彼に専横を許し、彼の懐も権力欲も十分に潤っていたからだ。しかしだからこそ、民衆の敵意は彼に向く。女王を廃したあげく得をしたのはディシダ一人であると、もはや誰もが気づいていた。
 今やディシダは屈強な護衛部隊を引き連れてしか外へ出ない。民衆に殺されることを怖れ、再三帝都に軍の増強を願い出ている。銀を守るため、サフレンティアには少ないながら帝国軍が常時駐屯していた。
「勝手なものだな。一度は女王より銀による富を選んだくせに、その富が思うように手に入らなかったからといって、また女王を待望するとは」
「仕方あるまい。あの後のディシダのやり方も、そして帝国のやり方も、うまいものとは言えなかった。そりゃあ騙されたと思うさ」
「相変わらずクシィ叔父さんは民衆の味方だな。民衆がどんな愚かな振る舞いをしても、それは為政者が悪いから、なんだろ? だから私は皇帝になるのなんかまっぴらだと言うんだ」
 ダムリスの言にクシィは苦笑した。
「おまえなら悪い為政者にはならないさ。少なくとも私はそう信じている」
「もったいなくもありがたいお言葉だ。それはそうと、女王の話だが、民衆は信じているのか? 例の、王女が生きているという話を」




第1話『光の鍵』の冒頭部はこちら
第3話『風のしるべ』の冒頭部はこちら

 
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