【Act1:レダ】
レダとクシィは山を降り、西へ向かっていた。四年前、ハスルブ村を後に行方をくらました二人の娘、エリンとカティアを捜すために。しかし、その方角に何かあてがあるわけではなかった。街道に出て、いよいよ捜索の一歩を踏み出そうという段になって、クシィが何の手がかりも持っていないと知ると、レダは驚き、大いに怒った。
「いい加減にしろよ、あんた。一体この大陸がどれだけ広いと思ってんだい。どれだけの人間が――女がいると? 捜しに来たっていうからオレぁてっきり……。正気かい? いくらオレがエリン様とカティア様の顔を知ってるったって、お二人がいるとこまで行かないことには、見つけられやしないんだよ。顔を知ってるだけで居場所がわかるなんて、そんな器用なことはできっこないんだからな。やめたやめた、ごめんだよ、そんなの。何十年かかるかわかったもんじゃない」
クシィは素直に謝った。無謀なのは、自分でも承知している。だが、それでも。
「手がかりはない。彼女たちの情報は、帝国にはまるで入ってきていない。だが、彼女たちの行動を推測することは可能だ。少なくとも、彼女たちはサフレンティアに近づくわけにはいかない。帝都にもだ。四年前、例の不届き者がディシダのところへ駆け込んだことは彼女たちも知っていたのだろう? 結果的にディシダはその報せを生かさなかったが、しかし彼女たちにとっては脅威だ。いつ追っ手がかかるかわからない。なるべく帝都から離れた、帝国の監視の目の届きにくいところへ向かおうとするのが自然だ。それだけの頭はある娘たちだったのだろう?」
「あたりまえじゃないか! あんたより百倍も賢いよ」
レダの言いぐさに、クシィは笑みを洩らした。
「百倍も賢ければ、あるいは裏をかくということもあるかもしれんが……。しかし、まずは西へ向かうことに承知してもらいたい。西の風同盟……帝国に追われる者なら、まずは同盟の領内へ入ろうと思うのが筋だろう。それに」
「それに、何だよ?」
「西の地で、新たな動きが始まっている。もしも彼女たちがサフレンティアの未来に結びついているなら、きっとそれは西の動きとも関係のあることだと思う」
ドリールで見つかったという、預言に示された“鍵”。それが本物かどうか、まだどんな確証も得られてはいない。しかし“光の花嫁”ルティファは、それを偽物だとも言わなかった。まるで根拠のない、勘違いにすぎぬようなものなら、いくらなんでもルティファは否定しただろう。新しい動きが生じている、とルティファは言った。“鍵”の出現が世界に波紋を生んでいると。よしんばアルティウス男爵の見つけたものが“鍵”でなくても、それは“波紋”の一つではあるはず。
そうであるなら。
サフレンティアの王女もその波に巻き込まれずにはいまい。あるいは自分から、波を立てるかもしれない。もしも彼女が、王女として生きることを選ぶなら。
クシィは疑っていなかった。将軍家の二人の娘、エリンとカティア。妹のカティアは、王女フィアナの仮の姿であると。
根拠はない。勘のようなものだ。あるいは、願望の――。
「そんなのあんたの勘だろ? そんなあてにならないもんのために、大陸中引っ張り回されるのはごめんだよ」
レダは馬首を返し、元来た道を戻ろうとさえし始めた。
「君とて、あの二人に会いたいのだろう?」
さして慌てたふうもなく、クシィがその背に声をかける。
「会いたいさ! だけど――」
あんたといたって会えるかどうかわかんないじゃないか。
そう続けようと振り返ったレダの目を、クシィの漆黒の瞳が真っ直ぐに捉える。
「どんなものも、手に入れようと努めなければ、手に入るものではない。むろん、私に付き合う義務は君にはないが、見捨てるのは一年――いや、半年経った後でも遅くはないのではないかね?」
レダは返事に詰まった。
手に入れようとしなければ、手に入らない。捜さなければ、見つかるものも見つからない。
そんなこと、わかってる。
レダとて追いかけようとしたのだ。たとえ行き先がわからなくても、それでもついていこうと。二人が出ていった日の夜、レダはこっそりと荷物をまとめ、馬を準備した。今ならまだ間に合う。今を逃したら、もう二度とエリン様に会えない――。だが村の長老にしてレダの養い親であるトゥルダに見つかり、出発することはかなわなかった。あの時、レダはまだ十三歳。山の暮らししか知らぬ少女を、一人で旅に出すことなどできない。泣いて訴えるレダに、トゥルダは言った。
おまえがついていっては迷惑になると。
その言葉はレダを傷つけた。どうして。どうしてみんな、オレを役立たずの邪魔者扱いするんだ。子どもだって? これまでお二人の世話をしてきたのはオレじゃないか。お二人の服を洗い、お二人の食事の用意をし、寝床を整え――。オレがいなくて、誰がそんな雑用を引き受けるっていうんだ。エリン様にそんなことをさせようっていうのか?
レダは、エリンにも必死で頼んだのだ。自分も一緒に連れて行ってくれと。だがエリンはうんと言ってくれなかった。迷惑だとはっきり口にしたわけではない。でも目を見ればわかった。エリン様はオレを邪魔だと思ってる!
「私にはカティアを守るだけで精一杯だ。おまえまで守る余裕はない」
守ってなんかいらない、とレダは思った。レダはエリンの役に立ちたかったし、また、自分は十分役に立てると信じていた。旅には金がかかり、追いはぎの危険もあることぐらい知っている。だがレダは、だからこそエリンを守りたいと思っていたのである。エリンがカティアのためなら命を賭けることを、レダは知っていた。感じていた。そう、レダはカティアがただの“妹”ではないことを感づいていた。エリンがたった一人で、カティアという重荷を背負っていくことを知っていたから、レダはどうしても、エリンのそばにいてやりたかったのだ。たとえ何もできなくても。たとえその荷物を、ともに背負うことはできなくても。
「おまえを私たちの運命に巻き込むわけにはいかない。おまえまで、険しい道を行くことはないんだ」
そう言って、エリンはレダを置いていった。
あれから四年。二人のことを思わなかった日はない。どこにいるのか。どうしているのか。元気でいてくれるのか。時には自分のことを思い出してくれる日もあるだろうか……。矢も楯もたまらず、街道まで馬を駆ったことは一度や二度ではない。だがその先へ、レダは足を踏み出せなかった。どこへ、一体どこへ向かえばいいというのか。もはや何の手がかりも残されてはいない。行けども行けども、二人の髪の毛一筋見つけられないかもしれない。
怖かった。
見つけられないことが怖かった。
もし出会えても、やはり「おまえなど不要だ」と言われるかもしれない。オレのことなど、もう忘れてしまっているかもしれない。
それが怖かった。
「ったく。わかったよ! 西へ行きゃあいいんだな、西へ!」
レダは再び馬首を返し、その腹を蹴った。馬は駆け出した。西へ向かって。