大阪芸大 賃貸 下宿「ミモザハウス」



2016年 3月10日
 爛柯(囲碁)

わたくし、40代半ばより、囲碁を嗜んでおります。
(タイトルの「爛柯(らんか)」とは、囲碁の別称です。)

私の趣味は、囲碁とゴルフですが、どちらも、とても楽しいですよ(●^o^●)

趣味を聞かれた時、「ゴルフ」と答えると、まわりの反応は普通ですが、
「碁」と言うと、毎回引かれます。。。

「え~??ごぉ~~~?? 『 碁 』って、あの、木の板の上に、白と黒の石、並べるヤツ?」
というリアクションが多いです。

「板の上に、5つ並べるんでしょ?」

・・・・・それ、五目並べなんですけど。。。(^^ゞ
囲碁と五目並べを混同している人も、たまにいます。
囲碁を始めた当初は、いきなり男性ばかりの碁会所に行きづらく、
対局で碁になるレベルまでは、
パソコンソフトや本で、独学しました。

私、現在50歳ですが、碁会所は、女性が少なく、60~80歳の男性が、圧倒的に多い。

私は、そんな世代の男性陣に、一種の労いと尊敬の気持ちを持っています。
社会的・家庭的な責任を、人生かけて全うされてきた方々です。

良し悪しに関わらず、今まで生きてきた御自身の人生を受け入れ、
残りの人生を、楽しく穏やかに、過ごしていらっしゃるのでしょう。
(私も、そろそろそんな世代に入っていますね(^^ゞ)

このような晩年の趣味の場に、現役時代の背景は、全く関係ありません。
○○大学卒業とか、××会社の社長だった、教授だった、部長だった、・・・etc

元大学教授さんが、元大工さんに、三子置いて、毎回楽しく打っていたり・・・(^^)

いろんな業種の人たちが、過去の職種や地位を超えて、対局しています。

思うに、囲碁にしろ、ゴルフにしろ、老後の趣味は、楽しんだ者勝ちですね。

強い弱い、上手い下手に関係なく、楽しんだらよいのですよ、
生活のかかっているプロでは無いのですから(^^)

囲碁人口は、昭和50年代、ピークの1200万人を境に、年々減り続けました。
昨今は、500万人程度でしょうか、、、40~50歳代の囲碁人口が少ないそうです。

私の囲碁友は、みんな、かなり年上。

ここ1年、少し遠ざかっておりますが、
時々、碁会所に行くことがあります。

毎回、熱心に教えて下さり、鍛えて頂いております(^^ゞ

入会当初は、初心者の私。
碁会所のみなさん、ほとんど有段者なので、全員が先生でした。

最初のうち、たくさん置いていた置き石も、うまくなると、少しずつ減っていきます。

「強うなったなぁ・・次からは、1子減らそうか。手合い変更や(^^)」
と、ニコニコ笑顔で、上達を喜んで下さいます。

最近は、置き石無し(互戦や先番)で打つこともあります。

見た目、布袋様のように温厚なお爺さん達なのですが、
中盤~終盤に鮮やかな手筋を連発し、局面を華麗に打ちまわす様は、
まるで手練れの剣士のように見えてくるので不思議、、、、。

碁会所を出るときは、普通のお爺さんに戻ってるのですけどね(^^)

例え年配でも、六段、七段格のアマチュア棋士は、渋くてなかなかカッコ良いですよ。
燻し銀のような風格さえ感じます。

私は、碁を始めたのが遅かったので、そのレベルに到達するのは無理ですが、
死ぬまでに、三段くらいになれたらいいなぁ~、と思っています。

ちょっと今日は、碁の魅力について語らせて下さい。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

「囲碁」というと、何か、お爺さん達が、難しい顔をして碁盤を挟み、
黙々と石を置く、古臭いイメージがあります。

ゲームなのに、エキサイティングな雰囲気も無く、どこが面白いのか、と感じられることでしょう。

パッと見、静かに打っているようですが、頭の中はフル回転し、
競り合いの局面では、大変エキサイトしております。

のっぴきならない切羽詰まった局面では、石を持つ手が、
震えるほどでございます(^^ゞ  いや、ホント。。。


実は、この囲碁、過去3000年に渡り、多くの人々に愛され、今や世界のゲーム “GO”に成長しています。

世界の囲碁人口は約4000万人と言われ、
毎年開催される「世界アマチュア囲碁選手権大会」には、60数ヶ国からの参加があります。

ヨーロッパ・GO・コングレス、アメリカ・GO・コングレスも開催。

囲碁が、国際的なゲームとなった一方、
日本の囲碁人口は、数十年前の1200万人から、現在は約500万人と激減。
テレビアニメ「ヒカルの碁」で囲碁人口が増えた時期もありましたが、横ばい。

(500万人と言えば、日本のゴルフ人口も、そのくらいでしょうか。。。)

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

1)囲碁の歴史

囲碁は元々、3000年以上も昔に、中国で始まりました。
日本に入ってきたのは、いつごろでしょう。

遣唐使の吉備真備(695年~775年)が、初めて中国から持ち帰ったという説もありますが、
それ以前に渡ってきたとの説もあります。

源氏物語の紫式部、枕草子の清少納言は、いずれもかなりの打ち手だったらしい。

中国でも、琴棋書画(棋が囲碁)は、文人の教養とされ、
孔子、孟子、三国時代の武将達も碁に親しみました。
日本の戦国武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人は、大の囲碁好きです。

日蓮上人、菅原道真、弁慶、徳川慶喜、伊藤博文、大久保利通、西郷隆盛、
東郷平八郎、乃木大将、数々の名将達にまつわる碁の話は、枚挙にいとまがありません。

実は、大リーグで活躍中のイチローも、小学生時代、囲碁部に所属し、
地元の囲碁教室に通っていたほどの囲碁ファンです。囲碁で集中力を養ったとのこと。

流行りのパソコンソフトやテレビゲーム、携帯ゲームが氾濫している現在、
木製碁盤に、白石黒石を並べる3000年も昔にできた古い囲碁に、
今さら面白みを感じるだろうか・・・疑問に思われる方も多いと思います。

ところが、道具はシンプルでも、内容は、実に深遠です。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

2)囲碁と脳の働き

地味に見える囲碁ですが、実は人間の能力や人間力アップに、大きく貢献すると言われています。

碁を打っている時の脳波を測定すると、前頭連合野(ぜんとうれんごうや)と、右脳が活発になっている。

前頭連合野とは・・・人間らしさの源。

人間力に大きくかかわる部分。サルや猫など、他の動物の脳と比べても、差が顕著なエリア。

感情をコントロールする自己制御能力、計画性、希望、夢、積極性、主体性など、
人類がもっとも発達している。人類はチンパンジーの6倍。

右脳とは・・・音楽・美術などの感性を司る。

コンピューターは、左脳(読み書き計算)の機能は得意ですが、
右脳は苦手な分野であるため、囲碁ソフトのレベルはアマチュア並みに低い。

最近やっと、囲碁ソフトも、プロ並みのレベルに上がってきました。

昨日、アルファ碁(ソフト)が、韓国プロ棋士 イ・セドル九段に勝ったと速報が入りましたね。

一方、将棋やチェスのコンピューターソフトは、
開発当初から、普通にプロに勝つレベル。

つまり、囲碁は、将棋やチェス以上に、感性の右脳の活用度が高いということです。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

3)囲碁と将棋

まず、盤のサイズが違います。
将棋は9マス×9マス。囲碁は19路×19路。

また囲碁は、将棋やチェスのように、兵隊の駒を使い、
王様やキングを取り合う戦争ゲームではなく、地を分かち合うゲーム。

同じボードゲームの仲間ではありますが、
将棋と囲碁とは、対照的なゲームかもしれません。

征服するのか、和平に持ち込むのか、、、程の差です。

「王駒を取り切るため、徹底的に相手を打ちのめすのが将棋なら、
全局的なバランスを考え、相手にも陣地を与えながら、自分も陣地を確保していく、、、
その道程をゆっくり楽しむのが囲碁」(石倉昇九段)

将棋は駒の役割がはっきりしており、
「王様を取れば勝ち」という目的が明確、一見わかりやすいゲーム。

一方、囲碁は、石の役割は置く場所によって決まり、自由に置ける分、盤が広すぎて、
「どこに置いていいかわからない、抽象的すぎる」との印象をもたれることも多いと思います。

実際、最初は、実に分かりにくいですものね。

さきほど「囲碁」を「和平」と表現しましたが、ここで二人の棋士のコメントを紹介します。

囲碁に「究極の調和」を求めた天才棋士、呉清源(ごせいげん)。

「囲碁は勝ち負けを争うゲームではなく、黒石と白石とで、究極の調和を求めるもの。
勝敗は単なる結果に過ぎない。」とのこと。

この囲碁観は、彼の人生観、世界観にもつながります。

彼にとっては、バランスを求める人生、調和のとれた世界こそが、真の目的なのです。

呉清源が囲碁を通して、調和や中庸を求めるのは、
例えば「東洋と西洋」「男と女」「先進国と発展途上国」・・・こうした異なるもの同士(陰陽)が、
うまく調和することこそが理想である、というイメージが強く伝わってきます。

大ヒットアニメ「ヒカルの碁」を監修した女流囲碁棋士、吉原由香里(旧姓:梅沢)四段も言っています。

「囲碁は対戦ゲームですが、相手をたたきつぶすゲームではありません。
陣取り合戦です。
相手の言い分にも耳を傾けながら、自分の取り分が、ちょっとだけ多ければいい。

互いに打つ一手一手がバランスを取る、その調和が本来の碁の姿。
「奪い合い」ではなく「与え合い」。

囲碁は、日本的な調和の精神が生かされたゲームです。」

囲碁によって培われるこの感性は、人生のいろんな場面においても、生かされますよね。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

4)世界の”GO ”

囲碁は別名「手談」といいます。

言葉ではなく、互いに打つ、一手一手で相手の意図を読み、コミュニケーションをとるのです。

パソコンを使い、インターネットで世界各地のアマチュア仲間と、碁を打てる時代になりました。

国境を越え、リアルタイムに。。。かと言って、堪能な英会話力は、囲碁には必要ありません。。

最低限の日常英会話的な挨拶で、問題無く海外の仲間と囲碁を打てます。

囲碁は二人の共同作業により、一つの作品(棋譜)を創造すること。
欧米の囲碁大会のポスターには、こう書いてあります。

「4000年の歴史を持つ、日本の神秘で哲学的な盤上競技」

美しい表現ですね、気に入っています。

現在も、国を超えた囲碁対局を通じ、国際交流の輪が広がっています。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

5)囲碁の効能

認知症予防に効果的とのことで、高齢者の間では昔から人気のあった碁ですが、
最近の研究で、うつ病やPTSDなど、心の病にも効果があるそうです。

阪神淡路大震災後に被災者向けにボランティア団体が立ち上げた囲碁教室により、
被災者の「心のケア」がなされ、今も活動は続いています。

子供には、集中力、忍耐力、柔軟性、構想力、大局観、礼儀作法、思いやりの心を培うのに
効果的とのこと。

対局中、大きな陣地がボロボロに荒らされたり、
大事に大事に温めていた地が、相手の打ちこんだ一石で、頓死したりすると(地がなくなること)、
情けなくて悔しくて、大人でも投げ出したくなる局面もあります。

そんな自分に忍耐力がつき、また、そんな相手に対し、思いやりの心が育まれます。

部分だけ見て、盤上全体を見ないでいると、足元をすくわれて大石(たいせき)が死んだりします。

だから、大局観が身に付きます。

特定の石に固執し、執着していると、その執着した石全体が、取られたり。。。

だから、捨石(すていし)という柔軟な考え方が必要です。

囲碁はまるで、戦地の作戦総本部。

無茶な作戦をとると、石(兵士)はみな、特攻隊のように死んでしまう。

逃げてばかりいると、陣地が狭められて、地が無くなってしまう。

集中して、構想を練るのです。


囲碁にはいろいろな格言があり、あまりに有名過ぎて、
日常使っている言葉が、実は囲碁が語源だった、、、というケースも多いのです。

「一目置く」「ダメ(駄目)」「八百長」「布石を敷く」「岡目八目(傍目八目)」
「先手をとる」「後手を引く」「手抜き」「白黒つける」「玄人」「素人」「玄人はだし」・・・・

囲碁の心構えを説いた中国の格言「囲碁十訣」に至っては、まるで人生訓のよう。


囲碁は、世代を超えて、柔軟な脳力と、調和の心を育みます。


国境を越えて、あるいは、すぐ身近な知人友人との乾いた人間関係に、潤いを持たせます。

考える癖、脳の持久力がつくこの囲碁を、どんどん教育に取り入れるとよいと思う。

中国、韓国、台湾の囲碁レベルは急上昇し、もはや日本の黄金時代は遠い昔となりました。

中国や韓国は、学校義務教育時期に、熱心に囲碁を取り入れ、学習塾並みに囲碁教室が盛んです。

日本も、少数の学校が取り入れ始めました。

一部の小学校や高校、他に、東大・慶応大の教養科目に囲碁があり、
プロ棋士(東大卒の石倉昇九段、慶応大卒の吉原由香里四段)が指導し、
実際に単位も認められる授業があります。

そうそう、異色のプロ棋士に、坂井秀至プロがいます。
灘高校から、京大医学部へ。

医師国家試験に合格後、京大付属病院での勤務が決まっていましたが、
棋士になる夢をあきらめきれず、プロ編入試験を経て、プロ棋士の仲間入りを果たしたのです。
棋聖も獲得し、現在も棋士として活躍中。


前出の石倉昇プロも、異色の経歴の持ち主。
麻布高校から、東大法学部へ。
日本興業銀行入行後、2年で退職し、プロ棋士に転向。
アマチュア向けの囲碁の著書多数。


日本の教育は、知識教科書偏重主義で「感性を育む面」に欠けている、と
海外からもよく指摘されるところ。

感性豊かな囲碁を教育に取り込み、しっかり考え、相手を思いやり、
強い心を持つ日本人を育成する一策になればいいですね。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

囲碁も、ガーデニングも、広島の両親から教わりました。
このきっかけが無ければ、囲碁もガーデニングもしていません。

庭は、ほったらかしだったでしょう。

マンション暮らしの長かった私は、
草木花の育て方もわからなかったし、最初、庭は雑草と害虫だらけだったので、
気持ち悪くて、虫嫌いの私は、庭に近寄りもしませんでした。

両親が、生い茂った雑草や害虫と格闘しながら、気持ち良い庭にしてくれた。

この最初の手入れが無ければ、今でも庭は放置し、庭には、出ていなかったと思う。


そして、囲碁・・・・・
私が大阪に引越してきた時、両親は、私達夫婦に、囲碁を勧めました。

テーブルに、碁石と碁盤を置いて、なんとか囲碁を打てるように、と、
乗り気になれない私達を前に、熱心にルールを教えてくれました。

でも、なかなか最初は興味を持てなくて。。。
(主人は、いまだに、興味を持てないまま(^^ゞ)

やはり、大人になってからの趣味というものは、
最初から、よほど興味があれば別ですが
時間的、経済的、精神的余裕がなければ、なかなかできないものです。

当時は、興味を持てませんでしたが、
うちに置いて行ってくれた、碁石と碁盤のおかげで
数年後、余裕のできた頃から、徐々に打つようになり。。。。

その頃には、もう両親は広島に帰っておりましたので
私の囲碁は、本とゲームソフト、碁会所の方々に鍛えられました。

でも、きっかけは、やはり両親です。

ガーデニングと囲碁は、両親のおかげ。
ゴルフは、主人のおかげ。
チェロは、ユカリのおかげ。
(音感のある娘が、チェロの音程を調整してくれました。)

本当に、「おかげ様」ですね。
どうもありがとうございます<m(__)m>

「ママのつぶやき日記」へ