4月パダンブサール

件名 : 41度
日時 : 2004年4月21日 12:15

昨日朝早く石山を出て、関空発9時50分のシンガポール航空でバンコクまで来ました。
飛行機の中でスッチーが「ただいまのバンコクの気温は摂氏41度」のたまう。
あつい、暑いバンコクで昨晩を過ごしました。
さすがに歩く気がしない、マッサージのはしごする。
まず、お顔つるつるマッサージ、きゅうりパックが気持ちよかった。
次いつもの「第一」でタイマッサージ。
前に一度やってもらった15番の女性、すごく腕を上げていた。
とっても気持ちよかったので、チップ100バーツあげる。
夜はオープンカフェでビアシンの生ビールとタイフード。

今回の旅は、汽車に乗って国境超え。
マレー半島を縦断する鉄道はオリエンタルエクスプレスが有名だけど、走るホテルといわれているこの列車のチケット、1名様20万円弱。
おまけに食事のときはスーツ着用、僕の趣味じゃない。

ところで、一般には国際急行が利用されていて、3種類の列車を乗り継ぐ。
バンコクからマレーシアのバターワースまでが最初の便。
次が、バターワースからクアラルンプールまで。
そして、最後はクアラルンプールからシンガポール。
座席は各駅で指定するので、一気に行こうと思ったら結構面倒。
最短でも、3日かかる。
で、今回ぼくは、バンコクからマレーシアのアロースターという町まで行く。
約1000キロ、20時間の汽車の旅。
チケットはバンコクに居る日本人ラッシャーさんに取ってもらって国際郵便で送ってもらった。
今日の14時45分発、夜は寝台車に変身、普通の座席がどう変化するか楽しみ。

タイとマレーシアの国境の町はパダンブサール、この駅の中に国境があり、みんな荷物を抱えて下車、タイを出国して、マレーシアのイミグレで入国。
その間汽車は待っているらしい。
短い休みなので、アロースターから先はいつか行けることを期待して折り返し、アロースターかタイ国境のどこかの町で1泊、帰りはハジャイからタイ航空。
さて、どんな旅になるか、とにかくこれからタイマッサージで身体をいたわってから出発。

件名 : 寝台車の旅
日時 : 2004年4月23日 13:11

やっと見つけたネットカフェ。ハジャイで書いています。

おとつい14時48分ほとんど定刻にバンコク中央駅を発ちました。
新幹線だとこうはいかないのんびり汽車のたび、満喫しました。
タイの寝台車なかなかお勧めです。
JRの4人向かい合わせの座席をもう少し広くした感じの座席に寝台切符持ってると2人でキープすることになります。
要するに向かい合って1人づつ座る。
網棚に当たるところには上段の寝台が折りたたまれて隠れています。
最初は普通の座席1人掛けその上足元が広いので、ゆったり。
バンコクから2時間くらいは進んでは止まりといった調子でゆっくりゆっくり進む。

調子が出てきても多分最高速度80キロくらいかなあ。

車内販売が来たのでBeer頼んだらビンで持ってきた。
手に持って飲まなあかんのか思っていたら向かいの席の女性がテーブルをセットしてくれた。
足元が10センチくらい盛り上がっていたのはここにテーブルが収納されている。
汽車の席でビンビール飲めるなんて、なんて贅沢。
そのうち晩御飯のオーダーを取りにきたので、4種類あるうちのAセットを頼む。
どれも150バーツなり。
辛くないスープ、焼き飯、鳥のフライ、海老入り野菜炒め。
食後にコーヒー付いていたけどBeer飲むから断る。
6時過ぎに持ってきてもらうようにする。
味はまあまあ、こんなもんやろ。

食事終了、7時過ぎから車掌さんが寝台をセットしに来る、よーく出来ている。
収納されていた上段の寝台をセットすると、中から下段の分のカーテン、マット、枕等一式が現れる。
てきぱき、物の2分でシーツからなにからあっという間に終了。
上段はちょっと狭そう、僕は下段、実にゆったり。
4×6(120cm×180cm)くらいある感じ、値段差はほとんど無いから下段はとても人気がある。
9時ころ就寝、何回か目が覚めるけど、身体を横にしていけるから楽チンじゃ。

上段は全く景色が見えない下段は窓を独り占め、5時半くらいから夜が白み始める。
そりゃあきれいな朝焼けを見ました。
3メートル間隔にぴっちり植えられたゴムの木と交互に現れるジャングルから靄が立ち込めて
徐々にお日様が空を朱色に染めていく、、、

ハジャイに着くころから寝台を片付けに回る今度はなかなかてきぱきといかない。
寝てる輩、片付けだしたのにゆっくり朝食を頼んでベッドで食べる人。
それでも何とか片付いていよいよ国境の街パダンブサール。
向かいの女性はマレーシア人、30歳くらい聾唖の小柄な人。
身振り手振りでいろいろ教えてくれる。
取りあえず荷物もって下車、タイのイミグレで出国。
その後ぐるっと回ってマレーシアの入国手続き、汽車の中でEDカードくれなかったのでその場で書く。
結構項目多し、あんまり込んでないからマ、エエカ。
で、荷物の中身見せてOK。
無事入国完了、再度同じ車両に乗る。
なかなか出発しない、ここまで1時間以上ダイヤ遅れていたけど、ここで取り戻したのは、結局時間の余裕見てここでの停車が長く設定されているみたい。

向かいの女性とは筆談の英語会話、喋れない聞き取れないぼくとしてはある意味ラッキー、読み書きはそこそこ出来るもんなあ、日本の英語教育のおかげというか弊害。
11時過ぎアロースター着。
歩いてモスクを見に行く、熱い(暑いでなく)。

もうすぐ飛行機の時間、ここまでにします。
続きは今日夜か明日。

件名 : その後顛末
日時 : 2004年4月23日 22:11

寝台車
ぼくの利用した座席は2等エアコン寝台下段、1110バーツ3000円ちょっと。

これが上段だと1020バーツ約2800円。
90バーツ250円の差なら、絶対下段オススメ。
バンコクからハジャイまでの値段。
2等エアコンなしだと、665バーツと595バーツ、2等座席のみだとエアコンが575バーツ、エアコンなしで465バーツ。
3等になると木のいすでエアコンつき339、エアコンなし269バーツになる。
1等個室もあるけど、ハジャイまでしか行かない。

アロースター、暑い中歩くもさすがイスラムの街ビールが無い、ない。
えらいこっちゃ、これでは1晩過ごせない。
マレーシア一美しいといわれているモスクを見て、アロータワーに昇ってもう歩くのはごめん。
ハジャイまで帰りも汽車にしようと思っていたけど、アロースターから出ているのは1日1往復国際列車のみ、こんなんでここの駅員何やってんやろ。
で、国境までのバス停を捜すも全く分からない。
タクシーで行くべく交渉、50リンギットで決める。
10バーツ=1リンギット=28円くらいなので、約80キロある距離をたった1500円弱で行ってくれることになる。
日本じゃその10倍でも行けないやろうに。

マレーシアの道はいい、飛ばす飛ばす初老のおっちゃん。
1時間20分くらいで国境の街まで戻って今度は車で国境越え。
駅のイミグレとの位置関係は分からず、そんなに離れてはいないみたい。
おっちゃん、マレーシアのイミグレ出てタイのイミグレ(結構この間が距離あって歩くのは無理)通るまで付き合ってくれた。
ぼくはパスポートチェックされているけど、彼はなんの手続きもしてない、大丈夫なんやろうか?

パダンブサール国境の街で泊まることにしてバイクタクシーの兄ちゃんにホテルまで連れて行ってもらう。
VIPのホテルいうてたけどたった600バーツ、バンコクなら1000以上はしそうな内装。
街は狭い範囲に固まっていて、怪しげなバーが赤いランプ灯してる。
ガラスドアの無いオープンバーが1軒だけあったのでそこで飲む。
Beer大ビン100バーツの明朗会計。
どうやってハジャイまで帰ろうか思っていたら丁度ミニバス乗り場発見。
40バーツで行ってくれる、朝は7時から座席分乗る人が集まったら出発するらしい。

朝8時半にミニバス乗り場へ。
あっちこっちで拾って15名きっちり全員乗車、1時間20分くらいでハジャイ着。

去年利用したネットカフェまで直行して、朝のメール送ったのでした。
で、飛行機でバンコクまで戻り今どこにいるかというと、ジョムティエンビーチです。
この暑さ、海に浸からねば、、、

あした夜10時20分のフライト、チェックアウト遅めにしてちょっとビーチします。
件名 : 後わずか
日時 : 2004年4月24日 20:49

後1時間後には空港向けて出なければならない。
夜出発で街中にコインロッカーがないもんやから、今日はデイパック抱えて最後のタイマッサージ、今回の女性はみな大当たり。
今日の「第一」8番さん、新しい技を掛けられる。

昨晩ビーチに着いてよき所を探すも、暑いため適当にゲストハウス決める。
可もなく不可もなく。
14時までチェックアウトを伸ばしてもらって、目の前のビーチでのんびり。

移動ばかりしている旅でした。
長い休みが取れるようになってから、またゆっくり今回のコースをたどってみたい。

では、皆様
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