Courage(2)
By Dr. G.H.Faget
The Star 42,6,1 and 16, July-August 1983
(初出は同じ雑誌である)
>その悪い名前は主に間違ったプロパガンダに基くのである。現在の雑誌などでも、間違った話が見られる。HDは、人を食い尽くす怪物(モンスター)で、患者の体を破壊し、変形し、寸断するという話などである。
この雑誌 The
Starの崇高な目的はこの疾患のグルーミイ(陰気)な病像を、正当な像へと光を当てることである。カービル病院のスタッフは その方向への努力をしていると患者さんに感じて欲しいのである。今までの悪いプロパガンダを引きづり降ろし、本当の色の病像にとって変わって欲しいのである。
二ヶ月ほど前の月末に、JCBの請求明細書が来たのですが、その中に一つ良く分からない項目のがありました。amazonから5760円というもの。そんな高い本は最近買っていません。ふと気付いたのですが、Nortonの「
Internet Security
2007」かも知れない。買うときに、symantecのサイトからダウンロードする場合、近所の郊外型電気店から買う場合、amazonから買う場合、それぞれの価格比較をしたメモが有ったはずだと、探したら直ぐ出てきました。5760円です。妻に鼻高々と「ほら有ったよ」、までは良かったのです。
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通説であると1941年に研究開始、43年に発表とある。
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> The Star
によると41年の方を記念すべきとある。(雑誌創刊50周年記念号で、前に述べた)これは一つにはThe Star
が41年に創刊となったことと関係あると思われる。
これは、The Starのサイトに出ている、次の文章(筆者:John R.
Trautman は Carville研究所の人です )によると、「通説」とは言えないと思いますが、その点如何でしょうか?
『Next was
the initial use in 1941 of sulfone therapy in the form of promin by Do Guy
Faget, of Carville, and the report in 1943 of its dramatic beneficial effects
(11).』
注(11). Faget GH, Pogge RCC, Johansen FA, et al: The promin
treatment of leprosya progress report. Pub Health Rep 58:1729-41,
1943.
Courage By Dr.
G.H.Faget Medical Officer in Charge
The Star 42,6,1 and 16, July-August
1983 (初出は同じ雑誌であるが、記載なし)
注:doctor in
chargeは主治医を意味する。カービルは海軍省の所属であるからMedical offcer(将校、軍医)であろう。ややへりくだった印象もある。以前にThe
Starに寄稿した文章である。
Leprosy is not the dread disease that it is generally
considered to be by the public. It is not a hopeless disease. Leprosy is not a
dirt disease. All these false notions date back to the Dark Ages when ignorance
and unsanitary living gave this disease such a bad name.
But in those
days other disease as well were dread and hopeless scourges of the human race.
Plague, cholera, typhus and yellow fever so often meant death then that
sumption' and its victims were left to be slowly consumed by it until merciful
death relieved them of their suffering.
Tuberculosis was then rightly known
as the Great White Plague.
But since then medicine has made long strides
ahead. Ignorance has been dispelled. Modern sanitation and , civilization have
replaced the squalid conditions of the barbarian age. Plague, cholera, typhus,
yellow fever and tuberculosis are no longer dread disease. Man has conquered
them. Why should leprosy alone remain as the dreadful disease
?
The
Star によると41年の方を記念すべきとある。(雑誌創刊50周年記念号で、前に述べた)これは一つにはThe Star
が41年に創刊となったことと関係あると思われる。
Faget GH:
SYMPOSIUM ON TROPICAL MEDICINE IV.
THE STORY OF LEPROSY IN THE UNITED STATES.
Bull Med Libr Assoc. 1942
Jul;30(4):349-60. No abstract available.
PMID: 16016564
[PubMed]
Testevuideで検索していたら「International Leprosy Association」が開いている、「The Global Project on the History of Leprosy
」というサイトを発見。ここのアーカイブも利用価値があるので、「お気に入り」に登録しました。よく見ると、驚いたことにこの「ILA」は、日本財団が金を出しているようで、ただし手元不如意で月報の発行が滞っているとか、不名誉な話が出ていますが。
Bertrand,
Joseph Jean Augustin ベルトラン 仏 1890-1916+ 1867.12.14-1916.4.12+ 復生病院(神山) MEP
墓碑(御殿場市。復生病院)
注:+は 十字架のつもり
MEPは 所属ミッション(この場合パリ外国宣教会)
その他は
CE
イギリス教会(英国聖公会)
C of E のことと思われる。
PN
アメリカ長老教会
全文をコピーするのは ちょっとはばかれるので リデルさんの”人名”に出てくる人のみ、引用ということで 少し書きたいと思う。正確には本を見てください。
表をみたい人には 参考になるもの:
Hansen's
disease in Japan: a brief history.
Int J Dermatol
36(8),629-633,1997.
チェックすると、恐れ多いことにリデルさんとテストウイードさんの数字に、見てすぐわかる 間違いがあった。
(つづく)
In fact the Greek word lepra, derived from the
biblical Hebrew word tsara'ath(ツァラアト),was not used to describe lepromatous
leprosy until AD 800 by the Arab physician John of Damascus.(これの7頁です)
John
of Damascus, an Arabic author(777~857 CE), was the first to use the term lepra,
and is said to have made one of life's biggest mistakes by describing a disease
later to be known as Hansen's disease as lepromatous leprosy.( ここの94頁)
This mistake is an old one, first made
by John of Damascus, an Arab doctor of the ninth century, who mistakenly took
the Gtranslation(「ギリシャ語訳」の意味だと思います) of tzara'at, “lepra,” to mean “leprosy,”
when in fact the Greek word for leprosy is something like “elephas.” (こちらのLeprosy in the
Bibleの項。tzara'atも「ツァラアト」、elephasは「象皮病」です)
中の一番気に入った文章です。
”勇気を持とう。我々は前進し、高く登ろう。暗黒の谷から這い上がり、困難という山々を越え、明日(あす)の光り輝く平原に出よう。”
Courage(2) By Dr. G.H.Faget
The Star 42,6,1 and 16, July-August 1983 (初出は同じ雑誌である)
>その悪い名前は主に間違ったプロパガンダに基くのである。現在の雑誌などでも、間違った話が見られる。HDは、人を食い尽くす怪物(モンスター)で、患者の体を破壊し、変形し、寸断するという話などである。
この雑誌 The Starの崇高な目的はこの疾患のグルーミイ(陰気)な病像を、正当な像へと光を当てることである。カービル病院のスタッフは その方向への努力をしていると患者さんに感じて欲しいのである。今までの悪いプロパガンダを引きづり降ろし、本当の色の病像にとって変わって欲しいのである。
>今は現代であり光の時代である。真理をつかもうではないか。HDはきたない疾患でない。HDは感染して罹る患者からであって、罪による病気ではない。それは神からの報復ではない。それは結核、チフス、肺炎と同様、菌による病気である。これらの疾患と同様、罹患するのは恥ずかしいことはないのである。どうしてこれらの疾患と区別する必要があるのか。無知がその答である。
>そういうわけだから、我々、即ち 患者と病院スタッフは協力し、連帯しようではないか。我々が一致協力すれば成功し、ばらばらだと失敗する。HDの怖さが黄熱病、コレラ、結核と同様に消える日が来るのである。勇気を持とう。我々は前進し、高く登ろう。暗黒の谷から這い上がり、困難という山々を越え、明日(あす)の光り輝く平原に出よう。
>新しい実験的治療はすべて、前進なのである。実験が完全な失敗であろうが、部分的な成功であろうが 同じである。いつの日か 正しい解決が発見されるであろう。そして全ての実験的治療はその解決のためのキッカケclueである。勇気だ!HDは望み無き疾患ではないのである。すでに現代的治療は疾患の進行をアレスト(抑制)しているのである。この療養所に入所した人の5人に1人はもはや社会に害はないという治癒患者として退院しているのである。
>これら退院した患者の大多数において、疾患は永久治癒しているのである。
(未完)
{Fagetに匹敵する日本人研究者}
日本におけるハンセン病治療薬の研究家の文章を書こうとしたが、ちょっと待った。
前に増田勇のことは書いた。彼はある治療薬を発見、学会でその有効性を示したのである。残念ながら 少し欠点があるといい、その名前を明らかにしていない。私が思うには、全治したのは100名中34名ということで、之は彼のプライドが許さなかったらしい。彼より少し前の伝染病研究所の北里柴三郎の成績でさえ、全治、全治見込みのものを合計しても1割に満たない時代である。(日本らい史)
実は多数の研究家がいたのである。診断のために、光田反応を導き出した光田健輔、免疫学的手法でらいの診断方法を考案した阿部正英、ヌードマウスを使いリファンプシン患者投与後には、患者からは菌が生えないことを立証した高坂健二、薬の開発のためにらい菌の培養を志した中村昌弘(櫻根賞2回受賞)などである。佐竹芳継はDDSのアセチール化誘導体DADDS(アセタミン)を合成した。
私の勉強不足があり、もっと役に立つ学問的結果をだした学者もいるに違いないが、ここに書けない。
らい菌の培養には多くの学者が熱中した。私は北京のハンセン病学会で隣りに座った韓国の学者が”らい菌の培養に成功した”と興奮して語りかけてきたのを思い出す。この先生は柳博士の弟子であった。彼は論文を雑誌Natureに送ったということだが、後から考えるとどうもその論文はacceptされなかったようだ。
セファランチンや紅波を研究した人もいる。(これらは有効でなく、志村さんから冷やかされている)しかし名も無き人々もいる。一攫千金を狙ったとは考えにくい。小さくライ病という広告を出し、入院させ、お金をふんだくるという小汚い手合いもいる。これらからは大発見は期待できないが、色々の段階の人々がいたと思うのである。これらの人々の言葉を捜すべきであろう。