過去ログ―2007年2月22日~3月14日


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Fagetの文章  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月14日(水)12時31分30秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病研究家の文章(2)

 中の一番気に入った文章です。
 ”勇気を持とう。我々は前進し、高く登ろう。暗黒の谷から這い上がり、困難という山々を越え、明日(あす)の光り輝く平原に出よう。”

 Courage(2)   By Dr. G.H.Faget
 The Star 42,6,1 and 16, July-August 1983 (初出は同じ雑誌である)

>その悪い名前は主に間違ったプロパガンダに基くのである。現在の雑誌などでも、間違った話が見られる。HDは、人を食い尽くす怪物(モンスター)で、患者の体を破壊し、変形し、寸断するという話などである。
 この雑誌 The Starの崇高な目的はこの疾患のグルーミイ(陰気)な病像を、正当な像へと光を当てることである。カービル病院のスタッフは その方向への努力をしていると患者さんに感じて欲しいのである。今までの悪いプロパガンダを引きづり降ろし、本当の色の病像にとって変わって欲しいのである。

 >今は現代であり光の時代である。真理をつかもうではないか。HDはきたない疾患でない。HDは感染して罹る患者からであって、罪による病気ではない。それは神からの報復ではない。それは結核、チフス、肺炎と同様、菌による病気である。これらの疾患と同様、罹患するのは恥ずかしいことはないのである。どうしてこれらの疾患と区別する必要があるのか。無知がその答である。

>そういうわけだから、我々、即ち 患者と病院スタッフは協力し、連帯しようではないか。我々が一致協力すれば成功し、ばらばらだと失敗する。HDの怖さが黄熱病、コレラ、結核と同様に消える日が来るのである。勇気を持とう。我々は前進し、高く登ろう。暗黒の谷から這い上がり、困難という山々を越え、明日(あす)の光り輝く平原に出よう。

 >新しい実験的治療はすべて、前進なのである。実験が完全な失敗であろうが、部分的な成功であろうが 同じである。いつの日か 正しい解決が発見されるであろう。そして全ての実験的治療はその解決のためのキッカケclueである。勇気だ!HDは望み無き疾患ではないのである。すでに現代的治療は疾患の進行をアレスト(抑制)しているのである。この療養所に入所した人の5人に1人はもはや社会に害はないという治癒患者として退院しているのである。

 >これら退院した患者の大多数において、疾患は永久治癒しているのである。
              (未完)

          {Fagetに匹敵する日本人研究者}

 日本におけるハンセン病治療薬の研究家の文章を書こうとしたが、ちょっと待った。

前に増田勇のことは書いた。彼はある治療薬を発見、学会でその有効性を示したのである。残念ながら 少し欠点があるといい、その名前を明らかにしていない。私が思うには、全治したのは100名中34名ということで、之は彼のプライドが許さなかったらしい。彼より少し前の伝染病研究所の北里柴三郎の成績でさえ、全治、全治見込みのものを合計しても1割に満たない時代である。(日本らい史)

 実は多数の研究家がいたのである。診断のために、光田反応を導き出した光田健輔、免疫学的手法でらいの診断方法を考案した阿部正英、ヌードマウスを使いリファンプシン患者投与後には、患者からは菌が生えないことを立証した高坂健二、薬の開発のためにらい菌の培養を志した中村昌弘(櫻根賞2回受賞)などである。佐竹芳継はDDSのアセチール化誘導体DADDS(アセタミン)を合成した。
 私の勉強不足があり、もっと役に立つ学問的結果をだした学者もいるに違いないが、ここに書けない。

 らい菌の培養には多くの学者が熱中した。私は北京のハンセン病学会で隣りに座った韓国の学者が”らい菌の培養に成功した”と興奮して語りかけてきたのを思い出す。この先生は柳博士の弟子であった。彼は論文を雑誌Natureに送ったということだが、後から考えるとどうもその論文はacceptされなかったようだ。

 セファランチンや紅波を研究した人もいる。(これらは有効でなく、志村さんから冷やかされている)しかし名も無き人々もいる。一攫千金を狙ったとは考えにくい。小さくライ病という広告を出し、入院させ、お金をふんだくるという小汚い手合いもいる。これらからは大発見は期待できないが、色々の段階の人々がいたと思うのである。これらの人々の言葉を捜すべきであろう。
 


Re: 余談:模範的官僚答弁はかくあるべし  投稿者:日本ゴルフ協会  投稿日:2007年 3月14日(水)09時53分45秒   返信・引用
  >
> とにかく、官庁詰め記者にだけは、なりたくない。ですよね・・・。私なら、切れている・・・(笑)

いやいや。忍耐強いし、そのうえ結構策士かも。
 
    (リベル) UHUHUHU!お見通しですね・・・(笑)  


余談:模範的官僚答弁はかくあるべし  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月14日(水)01時13分31秒   返信・引用  編集済
  定例事務次官記者会見概要(H19.03.08(木)14:01~14:11 省内会見場)

面白いのは、これが翌日には、
公表されなかったことです。これは異例です。何故だったのでしょう・・・(謎)


とにかく、官庁詰め記者にだけは、なりたくない。ですよね・・・。私なら、切れている・・・(笑)
 


余談:しゃっとした  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月14日(水)00時57分6秒   返信・引用
  「しゃっとしたこそ 人は好けれ」      閑吟集

中野孝次氏がその著「人生の実りの言葉」の中で、次のように解説されています。

「しゃっとした」というのは、現代語の「しゃきっとした」と同じくらいの意味だろう。この句は女の目から見て好ましい男の姿を言ったもので、いかにも頼もしげできりりとした態度ふるまいの中に、ねちっこくないさっぱりした愛情表現をする人のことを言ったもの。


私は、会社員の頃から、低山歩きを始めました。20年ほど前から、歩き方を学んできています。曰く

1)背筋を伸ばす
2)顎を引く
3)背骨を軸にして腰を回転する
4)足は踵から着地する
5)脚の血管をポンプとして血液の循環を促進する
などなど、数え上げればキリがありません。

去年、ミスユニバースで世界第二位になった知花 くららという人が、ワイドショーで言いました。

1)左右の肩胛骨を寄せ合う
2)お臍を引き上げる気持ち
3)右・左と太股を前へ出すように歩く

私は、試してみて、驚きました。これが全て、なのです。この三つだけ意識すれば、背筋(せすじ)も伸び、顎も引け、お腹も引き締まり、背骨を中心に腰が回転し・・・、とにかくこれだけで「しゃっとする」のです。これには感心しました。「教え方」も、進歩するものなのですね。

あなたも、会社の廊下なり、買い物の道すがらなりに、いや、今立ち上がって、数歩お試しください。「しゃっと」すること間違いなしです。もし手近に本が有れば、頭の上に・・・オット、これは冗談ですが・・・(笑)
 


Wikipediaの修正の実例  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月13日(火)23時42分32秒   返信・引用
  下の文字数が一杯になりましたので・・・

実例をお見せするために、今「治療」の項目にあった「石館守三郎」を「石館守三」に直してきました。上の「履歴」のタブを押すと、Libell」がこういう理由で直したと、出ています。

どうぞトライなさって下さい。今の例でもお分かりのように、不完全なところが、沢山あるはずなのです。
 


Re:提案です  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月13日(火)21時54分6秒   返信・引用
  リベル様

 ようやくやり方がわかりましたので、やっております。
 
    (リベル) いま、拝見してきました。内容の是非は、私には分かりません。でもお見事でした。

IPアドレスで表示されていますね。さらに一歩を進めるには、右上の「ログインまたはアカウント作成 」をクリックしてこの画面を出します。そこで「アカウントを作成」をクリックして
「アカウント作成」のページを出し、たとえば「Ichiro」と名前を入れて、パスワード他を記入すれば、その後の投稿は、「Ichiro」の署名入りとなるのです。どうぞお試しください。(3.13 23:24)
 


ファジェットなどの文章  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月13日(火)18時33分36秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病の治療法を発見しようした人の文章(1)

 リベル様 翻訳してみました。念のため、引用の形をとってみました。引用される文章は、全体の1/3以下であるべきである。


  Courage   By Dr. G.H.Faget   Medical Officer in Charge

The Star 42,6,1 and 16, July-August 1983 (初出は同じ雑誌であるが、記載なし)

 勇気  ファジェットGH  軍医

 書かれた時期は不明であるが、筆者は カ-ビルでプロミンの有効性を発見した医師である。この療養所は、海軍省の施設であり、軍医と書かれたものであろう。規則を重んじた性格であろうか。The Starに書かれたが、時が過ぎて、1983年に、再度同じ雑誌に掲載された。Leprosyは よく略されるHDとする。

 >HDは一般に考えられたような程度の怖い疾患ではない。治癒の希望のない疾患ではない。きたない病気ではない。このような誤った考えは中世の暗黒時代に遡る。その時代は無知と非衛生が一般的であり、そのような悪い名前を付けられたのだ。

>しかしその時代は外の疾患も怖い、治癒の見込みの無い災難であったのだ。ペスト、コレラ、チフス、黄熱病もその時代は死を意味した。それは当然ということで、体力が消耗され、慈悲深い死がその苦しみを取り去ることになる。結核は 当時の名前で白いペストという名前で呼ばれていたが、それは正当な名前であろう。

 >その後、医学は長足の進歩を遂げた。無知は一掃された。野蛮人時代の不潔も近代的な衛生と文明に取って代わった。ぺスト、コレラ、チフス、黄熱病と結核はもはや恐ろしい病気ではない。人類はそれらの疾患を制服したのである。どうしてHDのみが恐ろしい病気に留まる理由があるのであろうか。

コメント:まず、この文章を書かれた時代を考える必要があろう。
初出は残念ながらわからない。(初出を書かない文章は不完全と思う)2回目に出された文献は上記にある。
これらの文章は明確で、諸君もよく判るであろう。いや一つだけ問題がある。これらの恐ろしい病気が多数あるのであるが、ハンセン病をのぞいて、非常に悪い印象を与えない。それは何故であろうか。最近の研究によると、それは聖書にあるleprosyが悪い意味を与えられた歴史がある。それは、この問題とは別なのであるが、今後検討されるべきであろう。重要な問題と思うのである。

 彼と同様にハンセン病の薬を発見しようとした研究者がいる。ここでは増田勇の文章と比較してみよう。この文章は恐らく読者として医師やレベルの高い政府役人にたいしての文章であろう。

 >生態固有の抵抗力で発病は容易でないこと、伝染病ではあるが、非衛生的な感染実験では不可能であること。完全な固定隔離病院または隔離村を定め、専門の士に問題の解決を命じよ。...........また、予の研究によれば、まったく医術を加えざるものにして、なお第2期症の全治せるを認めるなり。

 彼の明治40年のらい予防法に加えたる批評
 >然るにこの予防政策は如何なる結末をらい病患者に与えるべきかを見よ。すなわち不幸なる患者は之によりて自由を束縛せられ、且つ天与の幸福を害われついに前途に一道の光明だに認めるなく只終生恨みを呑んで死を待つより外、術なきの境遇に陥るものなるなり。吾人は之をもって同情ある人類の美徳に反影なりと認めるのを得べきやいなや。

 文献:孤高のハンセン病先覚者 増田勇
 ハンセン病史民学会年報 2006,181-189. 少し解説を加えると、彼は研究すれば、HDは簡単に治癒する疾患と信じているのである。その根拠も十分ある。

 コメント:ファジェットと後者の文章を比較しようとしたのは、前者はプロミンがハンセン病に有効という大発見をしたのに対し、後者はある薬を開発したのだが、有効率が34%ということを恥じ、薬の発表を控えた日本人医師であったからだ。日本でも既に結核の薬として確立したリファンプシンを投与すれば、直ちに菌が死滅するということをヌードマウスで確立した医師がいたのである。次に探してみよう。
これら文章を比較するのは、当を得た企画ではない。ファジェットの文章は、The Starに書かれ、一般大衆の啓発の文章である。後者は、明治40年にでた最初のらい予防法を読み、その意義を悟り、自分の意見を主張した文章である。比較そのものは 変である。実は、引用の形をとりたかったからである。(続く)
 


提案です  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月13日(火)17時47分29秒   返信・引用  編集済
  時々、ここにも取り上げている「Wikipediaのハンセン病」。ここが、バランスのとれない、生半可な知識をお持ちの人々で、ズタズタになりつつあります。ごらんの通りです。

私も、Libellの名で(先程はログインしていなかったのでIPアドレスになっています)いろいろ口や手を出してきました(「履歴」をクリックで分かります)が、今や、もうお手上げ状態になりつつあります。皆さんも、一度お読み頂いて、どしどし変更・加筆して下さい。「編集」をクリックして、書き換えれば、終わりです。私は、必要なときは「編集内容の要約」のところに変更の理由を書いています。

先程、「事件」のところに「藤本事件」しか無かったので「宿泊拒否事件」を書き込んできたばかりです。それほど、お粗末なのです。

よく言えば、成長期にある「項目」です。注目して、エネルギーを投じて頂ければ、有り難いと思います。私ですか?  私は、正直、先程言いましたように、ギブアップ状態です、エネルギー的に・・・。よろしくお願い致します・・・m(_ _)m
 


下のスレに追記しました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月13日(火)17時25分43秒   返信・引用
   


第四回ロードマップ委員会、議事次第・資料公開される  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月12日(月)17時24分8秒   返信・引用  編集済
  シツコイですが、厚労省は、自身のHPには公表せず、WAM NETなる天下り先機関と三菱総研の二カ所にに丸投げしていますが。

「何故、同じものを、二カ所に?」というのが私達の常識ですが、これは「忍法★遁の術」と言って、要は、問題をピンぼけにしたいときに、官僚が用いる常套手段なのです。その内に、どちらからも姿が消えて、そして問題の所在が明らかで無いという理由を振りかざしつつ、有耶無耶になって、消え去っていくという・・・(三菱総研、とこの節は追記 3.13 17:23)

「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」という愚かしくも長い名前は今後「ロードマップ委員会」に統一させて頂きます。

議事録は第一回以降は出さない方針のようです。余りにも、みっともなかったですからね・・・
 


おいらはゴルフはしませんが。  投稿者:日本ゴルフ協会  投稿日:2007年 3月12日(月)16時15分41秒   返信・引用
  ゴルフはもともと野原で羊飼いが、モグラの穴に石ころを打ち込んで遊んだのが始まりとか(自信なし)。

羊飼いと羊しかいない牧場ならいざ知らず、世知辛い世間で楽しもうとすればおのずとマナーやルールなるものが出来る。棒切れの頭に比重のでかい塊をつけて遠心力でぶっ飛ばすという物騒な遊びであれば、マナーの第一は危険防止だろう。まず、キャッチボールしている人の間にボールを打ち込まないのは、基本のキというべきである。
第二は他人への想像力である。独りよがりに腕前を披露したり、みんなが日本製の道具でつつましく遊んでいるとき、英国製の道具などを自慢げに振舞うのは慎まなくてはならない。
第三はコースを荒らさない。芝刈ゴルフのゴルフの結果、他人のプレーに影響の出ないようターフは丁寧に元にもどし目土をしておかなければならない。
第四はフェアプレイ。旗色が悪くなったらプレーを投げ出してクラブに帰ってしまい、ころあいを見てまた一からティショットをはじめるようなことは慎まなくてはならない。

しかし、同じモグラの穴が発祥でも、次から次に同じ事を繰り返すのは「もぐらたたきゲーム」で、これにはルールもエチケットも通用せずただひたすら叩き続けるしかないのである。
 
    (リベル) もう一つ、ルールを書き忘れ、かな?

第五は、一緒に回っている人のプレイをよく見ていることです。全く無視して、自分のプレイに熱中するのは、いけません。これを付け加えておいても「日本ゴルフ協会」の書いたものは、読み飛ばされる可能性が強いことを恐れて・・・付記しました。でも、無駄かも知れません・・・(笑)(3.12 17:34)
 


ある建物  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月12日(月)12時38分41秒   返信・引用  編集済
  ある建物

 菊池野の3月号に、菊池恵楓園の旧本館が、社会交流会館になるご挨拶がでていました。それは意義深いものです。(ヤフーの画像で検索したが写真はない:昔の菊池恵楓園のパンフレットや「壁をこえて」などにはあるが)

 その建物は2階建て、大きいが何坪あるか知らない。その建物には、小生が関心があるのでちょっと書いてみたい。
 1)出来上がった日時が「菊池野」の本文では明らかでない。しかし「壁をこえて」の年表には記載がないが、写真には事務本館は昭和26年にできたとある。26年6月に菊池恵楓園1000床拡張工事落成式とあるが、この時期に建物も完成したのであろう。あと可能性があるのは昭和30年7月1日国立らい研究所、熊本分室恵楓園に併設とあるが、時期がずれている。(あとに述べる様に、このためにも使用された。)
どなたか50周年史かなにかの正確な日時があったら知らせてください。

 当時の園長は宮崎松記である。建設当時の熊本県庁をモデルにしたという逸話が今回の園長先生の話にあった。現在の交通センターにあった熊本県庁の建物は小生も知っているが、ちょっとロ(ろ)の形の古めかしい2階建てであり、なんとなく印象は似ている。建物の前にある、希望の塔の鐘は、退所した人が出るごとに鳴らすというのであるが、宮崎園長のアイデイアであれば素晴らしい考えであるが、寄付した建築会社の 考えと「菊池野」にはある。なお退所第1号は昭和26年11月にでている。

 2)この建物の一部は国立らい研究所熊本分室として使われた。(昭和30年7月1日ー32年7月31日)
 (建物は別として、組織があったことはハンセン病研究50年のあゆみ、に記載されている)小生が聞いた話であると、この建物の建築のために厚生省の予算をたくさん取りすぎ、外の園から恨まれたとある。建物の全予算が決まっているので、その後でも、たとえば某園のみ、3階建てにして予算をたくさんとった年では 外の園の不満が強かったことが思い出される。(全体がきまっているので)

 3)平成に入ってすぐの時代のことを書いてみたい。2階には 園長室、医局、集会場(年始や年末はここで皆が集まった。床はコンクリート)図書室(すごく規模が大きい)資料が山積みになった部屋、薬学研究室(正式の名前は知らない)階下には 大きな事務室や 電話室(最初は係りが2人いたがあとで1人) 介護員の休憩室があった。天井の高い、ちょっと寒い部屋であった。

 昭和39年から昭和45年もほぼ同様で、医局では碁が盛んであった。
 先輩の話だと昔は 医局に大風子油をとかす大きな容器があったという。

 追加:菊池恵楓園にも、高松宮ハンセン病資料館のようなものを作るべきであるという意見は、 前園長からいつだったか聞いたし、また、前園長の意思は、この菊池野にも記載されている。その時の話は 看護学校(最初は準看の学校で 次に進学コースとなり、廃校になった)を利用しようという話であった。現実には、色々の人の努力で現在の形になったが、この方が、資料的な価値も高いと思う。
 


Re: トリーア(Trier)の規則  投稿者:tama  投稿日:2007年 3月11日(日)23時11分35秒   返信・引用
  ごく簡単には、岡田晴恵『感染症は世界史を動かす』(ちくま新書、2006年)の20~21ページに記載があります。
ドイツのハンセン病について、約40ページ記されており、参考になります。
 
    (リベル) 有り難うございました。いま、アマゾンで注文してきました。岡田氏はドイツに留学して居られたそうですね。楽しみにしています。貴重な情報を本当に有り難うございました。(3.12 00:58)  


そのとおりだけれど Re: なんかヘン???  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月11日(日)12時38分16秒   返信・引用
  > どこで議論が始まってもいいのではないですか?
> 議論と文学は「棲み分け」をするものなのですか?

まあ、おいらの趣旨はどっっちかというと、BBSは志村さんとこじゃないけれどキャッチボールの場であって打ちっぱなしのゴルフ練習場ではないだんべ、ということ。
 
    (リベル) 北風さん、実は昼間、「座布団五枚!」とか、書いて、不謹慎だと思い、直ぐ消しました。

趣旨は、120%理解しております。そのことは、「東風吹かば」にも書いたとおりで、お分かり頂いていると思います。ただただ、感謝の気持ちで一杯です。(3.12 01:26)
 


余談:妻の勘違い  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月11日(日)04時29分23秒   返信・引用
  数日前、私が「進化しすぎた脳」を読んでいるのを知った妻が「最近、また脳の本を読んでるのね」と呟きました。私の読んでる本に、日頃注意を払わない彼女のセリフを、ふと聞き咎めました。「あれっ、勘違いされた」。私は純粋な好奇心からこの本に嵌っているのですが、彼女は私が認知症のことを勉強して、自分で治そうと思っている、と勘違いをしているのに違い有りません。私がそう思うのも、こんな出来事が有ったからなのです。まあお聞きください。

二ヶ月ほど前の月末に、JCBの請求明細書が来たのですが、その中に一つ良く分からない項目のがありました。amazonから5760円というもの。そんな高い本は最近買っていません。ふと気付いたのですが、Nortonの「 Internet Security 2007」かも知れない。買うときに、symantecのサイトからダウンロードする場合、近所の郊外型電気店から買う場合、amazonから買う場合、それぞれの価格比較をしたメモが有ったはずだと、探したら直ぐ出てきました。5760円です。妻に鼻高々と「ほら有ったよ」、までは良かったのです。

その夜、PCに向かって、メールチェックをするとき、amazonのフォルダが目についたので、探したら有りました。「ご注文の確認」とかいうメール。それをプリントアウトする辺りがもうおかしいですね。朝妻が起きてきて、食卓の上のそれを見て、「これなあに」「あ、昨日のアマゾンの5760円というの、分かったよ。ほらセキュリティーのを買うと言ってただろう。あれだったよ」

つまりそうです。請求明細でアマゾンの5760円を見た。それ以後の記憶が飛んでしまっているのです。メモを探してどうのこうのが、一切飛んでいるのです。

第一回目の症状については、和泉眞蔵氏の本の一頁を「こんな良いことが書いてある」と妻に、同じものを二度見せた話を書きました。その時は間に数日入っていた、いや同じか。まあ、妻は初めてのことでもあり、認めたくもなかったのでしょう。何か庇うようなことを言ってくれました。

今度は流石に違うのが分かりました。手にした紙を見たまま、一瞬、黙ってしまいました。直ぐ、「何言ってるのよ、昨日メモが有ったって、騒いでたじゃないの」と言うのが精一杯だったろう、と後で思いました。認知症第二回目の発作(と言うのでしょうか?)でした。お知りになりたいですか?その後の遣り取り。私は、心底、恐怖を感じました。第一回目の時感じた以上の恐怖感です。あとは深刻すぎてご不快を呼ぶだろうから、書けません。

そして、最近、第三度目が有ったのです。しかし、それは全く思い出せません。これは本物だと自覚したのでしょうか、自己防衛本能が働くのだと思います。そういうことは記憶しない方が良いよという。

大体私の処世訓が「誰の得にもならないことは、しない、言わない」ですから、自分の得にならないことは、記憶に留めない、のは当然ですね。


今日は悲しい話をしてしまいました。隠しておいた方が、社会生活上は、都合が良いのだろうと思います。でも、結果的に人様に迷惑をお掛けすることが予想されます。早く皆さんに、バリアを張って頂くためには、「不都合な真実」も明らかにするべきだろうと、そう思って白状しました。(T_T)
 


トリーア(Trier)の規則  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月11日(日)03時12分54秒   返信・引用  編集済
  中世ヨーロッパのハンセン病史での大きな柱は「模擬埋葬(荒井英子氏の命名か?=symbolic burial)」と「ラザレット」だと思います。この「模擬埋葬」について荒井氏が著書に「ドイツのトリーアの規則がよく知られている」と書いて居られたところから、私の難行苦行が始まりました。

「トリーアの規則」は検索しても、無いのです。いろいろ検索ワードを変えて、ようやく見付けたのが これ一つだけ。よく見ると、このサイト、かなり異様なのですが、今は置いておきます。「Trier」と「leprosy」では、見当たらず「lepra」ではかなり有望なのが有るのですが、全部ドイツ語で・・・(教授室に呼びつけられるほどの劣等生では・・・(o_ _)oパタッ! )

トリーアの近くに国境は越えますがメス(Metz)という町があります。『Virchowがこの町に「ラザレット」が有ったと立証した』と「カソリック・エンサイクロペディア(IV. LEPROSY IN THE MIDDLE AGES)」に書いてあります。

「Virchow」と言われても、これが読めなくて、フィルヒョウ(犀川氏はウィルヒョウ)という斯界の権威だと知ったのが、今年に入ってから、「こばこさん」にお送り頂いた今谷逸之助氏の文献で確認出来たのだから、まあ、お粗末、っていうか、こんな調子だから、なかなか進捗しないのです。中世の話は・・・。

とにかくトリーアは先述のメスに近いし、ドイツ最古の都市で歴史的建造物も多いので「古い御触書」も有ったのだろうな、と推察できるところで、話はストップです。それ以上前へ進むデータも本も、無さそうなのです。

長々と、「トリーア」をめぐることを書いたのも、実は以上のネタを読んで、何か情報をお持ちの方が、こんなのが有るぞ、と耳寄りの話を、ご提供くださるか、という淡い期待を抱いてのことです。

無かったら、「トリーアの規則」は取り上げないことにしました。余りにも周辺情報が少なくて、荒井氏には悪いですが、信憑性の高い「歴史上の記録」としてはペンディングにするほかありませんから。

かなり、生意気な態度です・・・反省・・・(;´▽`)アセアセ
 


なんかヘン???  投稿者:部外者  投稿日:2007年 3月11日(日)02時17分38秒   返信・引用
  どこで議論が始まってもいいのではないですか?
議論と文学は「棲み分け」をするものなのですか?
 
    (リベル) ですよね。ね(心の中で反芻している様子)。  


おろおろ→「知らぬ顔の半兵衛」+「行雲流水」?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月11日(日)00時59分39秒   返信・引用  編集済
  早く、私が書き込みに参加すれば良かったのかな、とも。「東風吹かば」に「北風さん」も吹いていることだし、関西の私は「偏西風」で、と、ハンドルネームまで決めていたのですから・・・。

ドン・キショットさん、やはり「にほひ」はあるじのためのもの。「飛梅」に因んで、あるじのもとへお帰りなるのも、また一つの「風情」ではありませんか・・・?

気になることは、やはり、置いてけ堀にしてはおけない・・・。でしょう。
 


(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 3月10日(土)18時13分41秒   返信・引用
  *リベルさん:すみません! ↓に「東風」から2件、とりあえず引っ越してきました。
(はいだてさん、やまねさんの提起された問題が気になっているのですが…)
 


引っ越し  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 3月10日(土)18時02分19秒   返信・引用
  [3230] 追加 投稿者:エミ 投稿日:2007/03/09(Fri) 13:51


時間をかけてそれを剥がしていかなくてはならないだろう。

先に言ったように、私は市民学会に入っていない。
しかし、「図書・資料部会」の設立を望んでいる。日本には、世界にも例がないほど多数のハンセン病患者さんが書かれた図書・資料が残っているという。北風さんが仰っているように、わたしたちがそこから学ぶことができるなら、“負の遺産”は、プロスペクティブな遺産としての意味を獲得し輝きを放ちだすにちがない。
活かせるか――活かさねば。



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[3229] もっと話し合うことが必要だと思う 投稿者:エミ 投稿日:2007/03/09(Fri) 12:59


>患ったことがある方々も、患ったことがなかった方々も含めた議論が、”今ある”ように思えて成らない!

はいだてさんが仰っておられるように、わたしたち――癩(らい)/ハンセン病に罹ったことがある人も、罹ったことのない人も、障害のある人も、ない人も、被差別部落に生まれた人も、そうでない人も、在日外国人も、そうでない人も――もっともっと率直に話し合う必要があると思う。

大島青松園入園者自治会五十年史『閉ざされた島の歴史』(昭和56年12月8日 第3版)
http://www.k4.dion.ne.jp/~poet/island.html
「発刊のあいさつ」のなかでも、偏見差別の問題を;
「偏見や差別は、わたくしどもに対してのみならず、在日外国人、部落出身者、身体障害者、難病患者等に対しても根強く存在していることからみて、日本人の精神構造の問題であり、重大な社会問題であります。」と提起している。

にもかかわらず、現在のところ「ハンセン病市民学会」も、「全療協」も、このような広い視座に立った活動を行っていないように思われる。全療協の活動は、敗戦後に盛り上がりをみた患者運動の頃と比較すれば退行しているとみなさざるをえないだろう。
[私は市民学会に属していないので、市民学会の内情の詳細を知らない。(間違っていたら、ご指摘ください。)しかし、市民学会が「ハンセン病」を冠しているところをみると、そういった広い視座は期待しようもないものなのか? そのあたりにもギモンを抱きつつ傍観しているのですが…。]

「癩」「らい」という語には、「ハンセン病」という現在一般的に使用されている疾患名とは異なる、より強い“負のイメージ”がつきまとう。古くは、「癩/らい」は、現疾患名で表される疾患概念と異なる疾患概念や病態/状態をも指していたわけだが、例えば、イエスの時代には、すでに明らかな差別/排除の構造が確立していた。そのような差別/排除の歴史を、世界の大方の秩序の側は、一般(=正常/健常な多数者)の日常生活の秩序を維持し、その多数者である一般を、“一般”の範疇から外れる“正常でないもの”/“異常なもの”/“broken people”から保護するためのみではなく、より積極的には、一般社会のなかで生み出される“穢れ”や“罪”が、その一般社会(=秩序の側の世界)に蓄積され噴出してくることがないように、“穢れ”や“罪”や“broken”の刻印を捺した者に担わせ一般社会の外側に放擲する、という方法をとってきた。おそらくは世界のどのような地域・社会であっても、このような“スケープゴート”的な存在がその社会集団の“外”なり“縁”なりのどこかに認められるだろう。そうした差別/排除の構造は、歴史的にあまりにも長い時間をかけて積み重ねられてきた。そのために、いまやすっかり“負のイメージ”はサブリミナルの領域にまで刷り込まれており、多面的重層的複合感情として意識化し、それを取り除く努力を意識的にしない限りは、サブリミナルにまで刷り込まれている複合感情を一朝一旦に取り除くことは困難であると思われる。
しかし、たとえどんなに困難であっても、徐々にであっても、その多面的重層的な重なりの一枚一枚を剥がし、抉りだし、ついには取り除かなくてはならないと思う。

私は、「癩(らい)」という語を使用しないことでその語に纏わりついている負のイメージを解決できるとは思わない。その語を使用しないことで負のイメージに蓋をし隠し込んでしまうのではなく、むしろ「癩(らい)」という語をひとつのシンボリックな手懸りとして捉え返し、偏見差別/排除の構造を抉っていき、人間が積み重ねてきた負の遺産を引き受け、真摯に真向かうことが重要であると思っている。

はいだてさんも仰っておられるように、「否定的観念とするなら、この観念を刷り込ませたのも人間で、取り除く行為も人間でなくてはならない、そんな思いです。」――同じ思いです。

偏見差別――人間が人間に対して行ってきた数々の暴力的なこういった行為について、わたしたち市民のひとりひとりがきちんと考え、話し合わなければならないときにきている。考えてみれば、“ヒューマンライツ”という語とその語で表現される概念がわたしたちのなかに根付いてきてから、まださほど時日を経てはいない。ヒューマンライツの曙を迎えたのは、つい先日のことなのだ。長い歴史的時間をかけて積み重ねてきたものなら、時間をかけてそれを剥がしていかなくてはならないだろう。
 


再掲 Re: 本来ここで行われるはずの議論が。  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月10日(土)12時31分9秒   返信・引用
  > 駆逐されて↓に行っちゃってますね。なにが良貨か知らないけれど。
>
> http://www.shuu.org/cgi/bbs/kochi03.cgi

大事な話が展開されています。
 
    (リベル) 北風さん、有り難うございます。お心遣い、痛いほど心に染みています。「東風吹かば」には一言お詫びを書いておきました。私は、生きている内に、やり残した作業を完成することに腐心していますので、どうか、この辺りのことは、ご放念ください。本当に感謝の言葉が見付かりませんが・・・。(3.10 17:39)  


「白々しい」とはなにか  Re: 通説?  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月10日(土)12時07分44秒   返信・引用
  >
>   北風様
>
>   白々しいことをしました。失礼しました。

ではそうでないように、やりましょうよ。
 


新しい教科書  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月10日(土)06時36分8秒   返信・引用  編集済
  新しい教科書の紹介

 総説 現代ハンセン病医学

 大谷藤郎監修 牧野正直、長尾榮治、尾崎元昭、畑野研太郎 編集
 東海大学出版会 2007

 以前の教科書「ハンセン病医学」を発展させたものでしょう。3部に別れ 1部は基礎 2部は診断と治療、3部はハンセン病対策 いわゆる社会的なことは ここにまとめてある。

 第3部を紹介する  ハンセン病の疫学 森修一 石井則久
          ハンセン病制圧計画 石田裕
          ハンセン病と日本国憲法 内田博文
          絶対隔離政策と世界の医学界からの乖離 牧野正直
          ハンセン病のこれから  湯浅洋

 序でも書かれているがこの教科書は、医学的な面が主で、社会医学的な面は人権のことしか取り上げていない。まずは紹介したい。
 


行政関係のページを新設  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月10日(土)05時06分37秒   返信・引用  編集済
  このところ、厚労省が、検証会議や対策協議会関連の情報を、アチコチに丸投げ・放り出し作戦を始めたので、こちらも追いかけるのが大変になってきました。ということで、これまで「参考コーナー」としてまとめていたものを、発展的解消して「行政関連サイト」というページを新設しました。ご活用賜らんことを・・・。

なお、こんなのが洩れてるよ、とか、こんなのが有ればなあ、というようなのがあれば、お聞かせください。宜しくお願いしますm(_ _)m

と、一応書いて置くか、と自棄糞気味・・・(笑)
 


余談:続・クオリア騒動とその欺瞞性  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月10日(土)04時53分14秒   返信・引用
  私がクオリアの問題に出会い、脳から心がどのように生み出されたのかという謎に取り組み始めてから、七年が経過していた。歳末の空港でふと耳にした女の子の小さな声をきっかけにして、私は、人間にとって仮想というものが持つ意味を、もう一度徹底的に考えてみようと思った。


これは、茂木健さんの「脳と仮想」の序章から、帯封に引き写された文章です。これをお読みいただけば、私が一昨日(3月 8日(木)02時59分27秒)ぼやいた理由が、良くお分かり頂けるのでは、と思って、引用しました。

えっ!矢張り買ったか、ですって?勿論買いません。昨日本屋で、ポケットノートに写して来たのです。くたばりかけでも、こういうことには、エネルギーを、惜しまないのです・・・。
 


Re: 療養所などの英訳  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月10日(土)00時56分9秒   返信・引用  編集済
  > 療養所などの英訳(現在)
>
> 従来、 日本で使われたのは National Leprosarium Tama Zenshoenの形式であった。
>  その例は多く使われた。例えば、National Leprosarium Kikuchi Keifuenと使われてきた。
> National Leprosarium Nagashima Aisei-en (Leprosy Review 2001,3)は比較的最近の文献である。
> National Hospital Tama Zenshoen(Leprosy Review 1997)もある。論文は比較的個人的に書かれるので、正式にこのように決定したのかどうかは知らない。
>
>  Leprosyを使わないようになって、厚生労働省から、Leprosariumを廃止し別の名前を使うように強い示唆があった。その後使われたのはSanatorium である。


実際の使用例をお調べ頂き、有り難うございました。

ただ、しかし、私の一覧表は、網羅的であることより、一般性を重視していますので、「日本ハンセン病学会」が統一的にお示しになっているものに従います。

だいたい、厚労省の指示とか示唆は兎に角「いい加減」であることが日常的で、今回、「東風吹かば」BBSで話題になっている「公共機関、関係団体等における「ハンセン病」の語の取扱いについて」にしても、「お役所仕事」の典型で、何故こうまでして、日本の恥を曝しまくるのか、疑問を感じ、また、怒りすら覚えるのです。

恐らく、この日本図書館協会さんの申し入れも馬耳東風とやらで、疾病課長の机の片隅に押しやられて、下に落っこちる日を待っている、という処遇を受けているに違いはありません・・・(;`つ´)怒!
 


療養所などの英訳  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 9日(金)17時15分31秒   返信・引用  編集済
  療養所などの英訳(現在)

従来、 日本で使われたのは National Leprosarium Tama Zenshoenの形式であった。
 その例は多く使われた。例えば、National Leprosarium Kikuchi Keifuenと使われてきた。
National Leprosarium Nagashima Aisei-en (Leprosy Review 2001,3)は比較的最近の文献である。
National Hospital Tama Zenshoen(Leprosy Review 1997)もある。論文は比較的個人的に書かれるので、正式にこのように決定したのかどうかは知らない。

 Leprosyを使わないようになって、厚生労働省から、Leprosariumを廃止し別の名前を使うように強い示唆があった。その後使われたのはSanatorium である。
 National Sanatorium Miyako Nanseien (Journal of Dermatology, 2000)などと使われてきた。
 National Hansen's Disease Sanatorium, Kuryu-Rakusenenもある。(2006,Leprosy Review 7)

 外国の例も調べたが、
 地名+leprosy hospital もある。Anandaban Leprosy Hospital (Nepal)
  Center などもある。Maria Adelaide Leprosy Center(Pakistan)
いっそ leprosyを省略して 地名(その他)+ Hospitalもある。他の病気も診るということであろう。
ネパールのGreen Pastures Hospitalは美しい名前ですね。
 リハビリテーションを重視してRehabilitation Centerもある。現在は外の疾患と共にリハビリを行うのである。(チェンマイのマッキーンリハビリテーションセンターなど)

 Stationもあるが、これは規模がちいさいのだろう。 Sanitation and Anti-epidemic Station of Jiangsu Province (China)
  Krishnapuri Colony (India)というのも見つけた。

 ロシアでは ハンセン病療養所は、昭和22年頃は レプラゾーリー と言っていた。(入江信さんの話)Leprosariumと 同じか。
 参考にしたもの:Leprosy Review, The Star しかし大抵は大学とか研究センターの投稿が多かった。
 


通説?  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 9日(金)12時31分25秒   返信・引用  編集済
  通説でないですね

 リベル様
 このサイトは知りませんでした。文章は読んでいたように思います。
 通説はまずかったですね

  「日本らい史」によると
>その後米国において1941年よりプロミンを国立らい療養所において患者に適用し、その結果が1943年11月に初めて文献に報告された、とあります。
 小生は すぐ間違えますので、昭和にするくせがあります。昭和16年に投与が開始され昭和18年に報告と思います。
 昭和17年とは書いていません。(1942)

 文献は石館守三先生の日薬協会誌 1949,1,1,6-7、とあります。創刊号ですね。

 Fagetの英文は失礼しました。原文のニュアンスを生かし、邦訳してアップしたいと思います。私の力では、難しいので、ちょっと考えています。
 彼はもっと賞賛さるべきと思います。勇気という題ですが、結果論でいえば、彼は成功したのでいいのですが、成功しなかった多くの人々のことも考えたいと思います。

  北風様

  白々しいことをしました。失礼しました。
 


Re: Fagetに関する疑問  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 9日(金)02時23分48秒   返信・引用  編集済
  >  通説であると1941年に研究開始、43年に発表とある。
>
>  The Star によると41年の方を記念すべきとある。(雑誌創刊50周年記念号で、前に述べた)これは一つにはThe Star が41年に創刊となったことと関係あると思われる。

これは、The Starのサイトに出ている、次の文章(筆者:John R. Trautman は Carville研究所の人です )によると、「通説」とは言えないと思いますが、その点如何でしょうか?

『Next was the initial use in 1941 of sulfone therapy in the form of promin by Do Guy Faget, of Carville, and the report in 1943 of its dramatic beneficial effects (11).』

注(11). Faget GH, Pogge RCC, Johansen FA, et al: The promin treatment of leprosya progress report. Pub Health Rep 58:1729-41, 1943.
 


率直に言って Re: 日本らい史の疑問点  投稿者:無風地帯@北風  投稿日:2007年 3月 8日(木)21時47分20秒   返信・引用  編集済
  >
>  コメント有難うございます。

こういう風なことをいいながら。

>  現在の小生には なかなか調べにくいので 皆様によろしくお願いします。私は私の発言を信じています。

こういうことなら、議論はいらないわけで、

>  コメント有難うございました。

こういう白々しさは、やめてほしいというのが本音です。
 
    (リベル) 無風地帯@北風さん、有り難うございます。有り難う・・・(感涙で言葉が詰まる)(3.9 01:29)  


本来ここで行われるはずの議論が。  投稿者:無風地帯  投稿日:2007年 3月 8日(木)14時29分57秒   返信・引用  編集済
  駆逐されて↓に行っちゃってますね。なにが良貨か知らないけれど。

http://www.shuu.org/cgi/bbs/kochi03.cgi
 


勇気  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 8日(木)12時36分55秒   返信・引用
  Courage   By Dr. G.H.Faget   Medical Officer in Charge

The Star 42,6,1 and 16, July-August 1983 (初出は同じ雑誌であるが、記載なし)

注:doctor in chargeは主治医を意味する。カービルは海軍省の所属であるからMedical offcer(将校、軍医)であろう。ややへりくだった印象もある。以前にThe Starに寄稿した文章である。

Leprosy is not the dread disease that it is generally considered to be by the public. It is not a hopeless disease. Leprosy is not a dirt disease. All these false notions date back to the Dark Ages when ignorance and unsanitary living gave this disease such a bad name.

But in those days other disease as well were dread and hopeless scourges of the human race. Plague, cholera, typhus and yellow fever so often meant death then that sumption' and its victims were left to be slowly consumed by it until merciful death relieved them of their suffering.
Tuberculosis was then rightly known as the Great White Plague.

But since then medicine has made long strides ahead. Ignorance has been dispelled. Modern sanitation and , civilization have replaced the squalid conditions of the barbarian age. Plague, cholera, typhus, yellow fever and tuberculosis are no longer dread disease. Man has conquered them. Why should leprosy alone remain as the dreadful disease ?

 (ぼちぼち続く)
 
    (リベル) もし「ぼちぼち続く」のでしたら、英語は止めて、日本語でお願いします。英語は、日本語の理解を補助する場合には欲しいと思いますが、そうでないときは、徒に劣等感に苛なまれますので、ご勘弁、ご勘弁。(3.9 01:58)  


Fagetに関する疑問  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 8日(木)12時27分59秒   返信・引用  編集済
  Faget GHに関する疑問

 Fagetについてはリベルさんの所でもわかるが、あまり素顔がみえない。我々は彼に感謝しても十分に感謝し尽くされないと思う。(We could not thank him enough)
 ダミアンーダットン賞は受けていないようだ。
 The StarにFagetの文章を見つけたので、後でアップしたい。

 Pubmedを検索すると4つの論文がでてくる。3つは後からの記録であるが(2006,1975,1966 昔の発表のことのようだ)一つだけ42年に発表しているのもある。内容は読んでいない。題は、下記のとおりであるが、化学療法を開始した、という印象はない:かなり長文である(12ページ)。

 気になることは 2006,1975の論文名の後に 堂々と 1942と書いてあることだ。1942年に発表したのだろうか いずれにせよ この論文を読まねばならない。早速注文しよう。

 通説であると1941年に研究開始、43年に発表とある。

 The Star によると41年の方を記念すべきとある。(雑誌創刊50周年記念号で、前に述べた)これは一つにはThe Star が41年に創刊となったことと関係あると思われる。

Faget GH:
 SYMPOSIUM ON TROPICAL MEDICINE IV. THE STORY OF LEPROSY IN THE UNITED STATES.
Bull Med Libr Assoc. 1942 Jul;30(4):349-60. No abstract available.
PMID: 16016564 [PubMed]

 なお蛇足であるが、priorityをとるために早く発表するということは無いわけではない。

 リベルさんへ 色々ご教示有難うございました。
 


余談:クオリア騒動とその欺瞞性  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 8日(木)02時59分27秒   返信・引用  編集済
  1998年に日経サイエンスの別冊で「心のミステリー」というのが出ました。そこにD.Jチャルマース(今は一般にチャーマーズ)が「意識をどのように研究するか」という論文を書いています。この論文のポイントは、「意識」を「やさしい問題」と「むずかしい問題」と二つに区分して取り上げる所にあります。

「人が目などの感覚器官で受容した刺激が、神経をどう伝わり、脳のどの部位に達して、意識が生成されるのか」。これは「やさしい問題」で脳科学が進歩すれば(厳密には脳を用いた実験が進歩すれば)、終点が見えている問題だとしています。

「脳の或る部位まで達して、”青い空”だと意識しました。それはよい。しかし、”鮮やかに青い空”だ、或いは”目にしみるような赤いバラ”というときの、”鮮やか”とか”目にしみる”というのはどの部位が判断するのか?或いはどのようにして判断されるのか?」網膜には赤・緑・青を担当する細胞が有ります。「青」や「赤」は機械的に判別されますが、「どこで、或いはどうやって、”鮮やか”だと判断、意識されるのか?」それが「むずかしい問題」だというのです。


『茂木健一郎氏は、電車の中でガタンゴトンという音を聞いているとき、セレンディピティーが働いて、「クオリア」を発見した。それは一瞬(1%)の閃きであった。その内容の説明に今、苦労し続けている。エジソンのいう99%の努力をしている。』

これは、私の思い込みです。「電車のガタンゴトン」は最近二度目を読んだ気がして、この辺に散らばっているの(五冊。他に二冊?本棚に)を、手当たり次第調べましたが、見当たりません。本屋での立ち読みも有りますから、調べる気が失せます。

一番古いのは「意識は科学で解き明かせるか」という天外伺朗氏との共著で奥付は2000年ですから、茂木さんとのお付き合いは随分長いのです。それが、すっかりそう思いこんでいたのですから、我ながら、始末に負えません。でもそれは茂木さんが悪いのです。一言で言って本を出しすぎる。財布が追いつかない。遂に本音が出ました。

「クオリア」が何かは、分かっているのです。それを追求するのが、「むずかしい問題」と切り結ぶのが、茂木さんの使命なんでしょう?それをお忘れになっている。少なくともそれに迫ろうとする内容の本が無い。周辺の題材で稼いでいなさる。どころではなく、「クオリア」で一儲けしたから次は「仮想」に乗り換えですか?

行きつけの本屋に、ズット同じ棚の右から三番目に並んでいて、時々手に取るのですが、未だ買えない、というか買わない本が有ります。それは小林秀雄賞の「脳と仮病」。近所に、一軒廃業なさった本屋さんがあります。それ以前から目を付けていて、未だ買わないのが、これです。「脳と仮病」。そう読めてしまうから、か、買いません。

こっちだって、浮気しちゃうから、ってわけで、池谷 裕二著「進化しすぎた脳」。ここ(p.148、p.171、p.318)では、「クオリア」は祭り上げられることなく、感覚の一つとして、落ち着くところに落ち着いています。それだけではなく、これは、凄い本です。絶対に目から鱗が落ちます。何枚も、落ちます。


ざまあみろ・・・(謎)
 


Ichiroさん、有り難うございました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 8日(木)01時19分3秒   返信・引用  編集済
  Testevuideで検索していたら「International Leprosy Association」が開いている、「The Global Project on the History of Leprosy 」というサイトを発見。ここのアーカイブも利用価値があるので、「お気に入り」に登録しました。よく見ると、驚いたことにこの「ILA」は、日本財団が金を出しているようで、ただし手元不如意で月報の発行が滞っているとか、不名誉な話が出ていますが。

ここのアーカイブの検索は選択制になっています。「person」のところに、Ichiroさんは出ていませんでした。光田、宮崎、浜野は見かけましたが。でも犀川、和泉氏も出ていませんから、ご存命の方は、未だなのでしょう。でも、「Leprosarium」のところでは、国立療養所だけでなく、「回春病院」や「慰廃園」まで出ているという充実ぶりです。


もう一つ驚いたのは、ここに「検証会議の最終報告書(要約版)の英語版が有ったことです。「Verification Committee Concerning Hansen's Disease Problem  Final Report」。URLを良く見ると、厚労省のHPにリンク致しておりましたが。

いやそれにしても、いろいろ、勉強になりました。本当に有り難うございました・・・m(_ _)m
 


Ichiroさんへ Re: ハンセン病に関わった外国人  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 8日(木)00時33分57秒   返信・引用  編集済
  > Testevuide, Germain Leger テストウイード(イは小文字)仏 1873-91 1849.10.2-18891.8.3 復生病院(神山) MEP
> (最後から2番目のeに仏語独特の記号( ’に似る)が上にあるが、入力方法を知らない)


「é」でしょうか?こういう場合の、狡賢い方法をお教えしますと、何かフランス語のサイトへ行って、コピペするのです。私は、Wikipediaのフランス語サイトで拾ってきました。実は、「テストウィード」の原綴を知らなかったので、確認に行ったのですが、出ていませんでした。彼は、フランスでは有名でないようです。

それから、「イ」の小文字は、ローマ字入力なさっているのでしたら、「l(エル)」と「i(アイ)」で小文字が出ますよ。

>  外にもありますが リデルさんの”人名”にでてくる人です。ちょっと残念なのは 待労院にこられた5人のシスターの名前がないところです。

私(「リデル」に格上げして貰っていますが)の「人物」のページに「マリアの宣教者・5人の修道女」として取り上げ、名前が書いてあります。でもこれは個人名ではその本には出ていないかも知れませんね。


お陰様で、テストウィードほか、原綴が分からなかった人の分が、判明しました。「人物」のページに、追加させて頂きます。貴重な資料を、本当に有り難うございました。
 


Re:ハンセン病に関わった外国人  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 7日(水)17時10分23秒   返信・引用
  ハンセン病にかかわった外国人(2)

 医学近代化と来日外国人 宗田 一ら編集
 世界保健通信社 昭和63年

つづきです。

Cornwall-Leih, Mary Helena コンウオール・リー(オは小文字)英 1908-41+ 1857.5.20-1941.12.18+ 聖バルナバ・ミッション(草津)C of E (SPG) 記念碑・墓碑(群馬県草津町)

 Corre, Jean Marie コール(コルレ) 仏 1875-1911+ 1850.6.28-1911.2.9+ 長崎 待労院(熊本) MEP 墓碑(熊本)注:以前長崎におられた

Riddell, Hannah  リデル 英 1887-1932+ 1855.10.17-1932.2.3+ 回春病院(熊本) C of E 墓碑(熊本市)

Testevuide, Germain Leger テストウイード(イは小文字)仏 1873-91 1849.10.2-18891.8.3 復生病院(神山) MEP
(最後から2番目のeに仏語独特の記号( ’に似る)が上にあるが、入力方法を知らない)

Wright, Adeleid (Edde) Hannah ライト 英 1896-1950+ 1870.2.13-1950.2.26 回春病院(熊本) C of E 墓碑(熊本市)

 Youngman, Kate M ヤングマン 米 1973-1910+ 1841.12.17-1910.7.29 目黒慰廃園 PN 墓碑(東京染井)

 外にもありますが リデルさんの”人名”にでてくる人です。ちょっと残念なのは 待労院にこられた5人のシスターの名前がないところです。
 


ハンセン病に関わった外国人  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 7日(水)17時08分23秒   返信・引用
  日本でハンセン病にかかわった外国人(1)

 医学近代化と来日外国人 宗田 一ら編集
 世界保健通信社 昭和63年

 といういい本がある。日本医史学会に所属する研究者などから書かれている。雑誌"臨床科学”に得意分野だけ割り当てられ分担執筆されたものである。巻末にあるそのリストは、本に纏める時にも加筆訂正があったという。

 医学が主であるので本文中に取り上げられたハンセン病に関わった人はベルツだけしかいないが、巻末に救らい(ハンセン病予防)事業従事者(医師以外)というリストがあり、参考になる。氏名、原綴り、片仮名表記、国籍、在日期間、生年没年月日、主たる所属、専門、在任地、所属(ミッション)、参考とある。最初の人は:

Bertrand, Joseph Jean Augustin ベルトラン 仏 1890-1916+ 1867.12.14-1916.4.12+ 復生病院(神山) MEP 墓碑(御殿場市。復生病院)

 注:+は 十字架のつもり
   MEPは 所属ミッション(この場合パリ外国宣教会)
 その他は
  CE イギリス教会(英国聖公会)
    C of E のことと思われる。
  PN アメリカ長老教会

全文をコピーするのは ちょっとはばかれるので リデルさんの”人名”に出てくる人のみ、引用ということで 少し書きたいと思う。正確には本を見てください。
 表をみたい人には 参考になるもの:
 Hansen's disease in Japan: a brief history.
 Int J Dermatol 36(8),629-633,1997.
 チェックすると、恐れ多いことにリデルさんとテストウイードさんの数字に、見てすぐわかる 間違いがあった。
 (つづく)
 


Re:日本らい史の疑問点  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 7日(水)12時41分24秒   返信・引用
  北風様 リベル様

 コメント有難うございます。

 募金する苦労を考えれば、あれやこれや言うのも 失礼かもしれません。史料にそうあるので検討する必要はあるでしょう。

 戦争が終わったから再開する筈とのお話ですが、そうもいかっようです。
 英国人の心なので 何をevidenceにするか (あまりないのですが)問題と思います。
 光田先生の発表の時期は日本国威発揚の時代で 先生のこの発言は この時代であれば、うなづけます。九州日日新聞のコメントは明治38年当時です。

北風さんのご意見も尤もであり、リデル自身、その後も資金行脚に世界を股にかけいっています。ただ、資金繰りの問題で、早急に問題を解決するために、困っていたわけで、上京したあと、3000円の問題に火がついたと、藤本桂史先生は言われていました。

 HPの記述は十分根拠があることでしょうが、以前言われたことがひっくり返ったこともあります。

 リデルの英国における評判など考えると、リデルの意見は聞けませんね。
 現在の小生には なかなか調べにくいので 皆様によろしくお願いします。私は私の発言を信じています。

 コメント有難うございました。
 


Re: 日本らい史の疑問点  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 7日(水)02時45分21秒   返信・引用  編集済
  >  明治38年11月19日付け九州日日新聞(熊本日日新聞の前身)の社説に次の文章があった。
>
> 「英国婦人の献身的事業(当地の回春病院について)という題で「然るに昨年来、戦争の結果として英国よりの寄付金も汽船捕獲のおそれがあるために、その送金を見合わせ、本邦人の寄付はますます減少し、ついに同院は今日3千余円の負債を生ずるに至り」
>
>  バルチック艦隊が日本への航路を長征中という情報に接すれば、また、長い年月に亙って戦争慣れしているヨーロッパ人にとって、汽船捕獲の恐れがあるとすれば送金を見合わせるということは極めて当然な考えでないかと思われる。この二つの考えを比較するならば、日本の声価が上がったというより、ロシアとの戦争で送金の障害が生じると考えた方がスムーズに理解できると思うのである。
>
>  ハンセン病史のある疑問点 -イギリスからの送金が途絶えた理由ー
>  日本医事新報 3834,67-68,1997.
>
>  と考えたが ご批判願います。


「リデル・ライトホームページ」というのがあります。これは、両女史の顕彰会が作っているので、史実を踏まえている(或いは両女史を美化しているか?)と思いますが、そこにも『明治38年、日本は日露戦争で大国ロシアに勝った。今まで英国でリデルの慈善事業を応援していた人達が、「日本は強国になったので今後は応援する必要はない」と送金が中止された。』と書かれています。

どうも光田健輔の「愛生」の記事は、正しいのかも知れませんね・・・。

「日本MTLについて」というページで私も取り上げていますが、事実の報告に止まっていますから、ここからは何とも・・・、ですが。上記の「リデルの慈善事業を応援した人達」がMTLを指すことは、間違いないと思います。(1905年=明治38年です)

私も、これは、北風さんのご意見に賛同します。
 


Re: 日本らい史の疑問点  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月 6日(火)10時37分20秒   返信・引用  編集済
  >  明治38年11月19日付け九州日日新聞(熊本日日新聞の前身)の社説に次の文章があった。
>
> 「英国婦人の献身的事業(当地の回春病院について)という題で「然るに昨年来、戦争の結果として英国よりの寄付金も汽船捕獲のおそれがあるために、その送金を見合わせ、本邦人の寄付はますます減少し、ついに同院は今日3千余円の負債を生ずるに至り」

当時でも送金手段として現金ではなく「為替」が使われていたことを考えれば、上記の理由とは考えにくく、また、それだけが理由なら戦争終結(9月5日)後に送金を再開すればいいだけの話です。また「戦争中」なら知らず「戦争の結果として・・・汽船捕獲」というのも論理が混乱しています。
光田の意見も、「英国民の国民感情の変化」というように理解すれば、一理あるような気がしますが。
いずれにしても、もう少し突っ込んだ検討が必要ではないでしょうか?

>  バルチック艦隊が日本への航路を長征中という情報に接すれば、また、長い年月に亙って戦争慣れしているヨーロッパ人にとって、汽船捕獲の恐れがあるとすれば送金を見合わせるということは極めて当然な考えでないかと思われる。この二つの考えを比較するならば、日本の声価が上がったというより、ロシアとの戦争で送金の障害が生じると考えた方がスムーズに理解できると思うのである。
>
>  ハンセン病史のある疑問点 -イギリスからの送金が途絶えた理由ー
>  日本医事新報 3834,67-68,1997.
>
>  と考えたが ご批判願います。
 


ハンセン病療養所の英訳  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 6日(火)07時21分45秒   返信・引用
  リベル様

 ハンセン病療養所の英訳は労作と思います。有難うございました。
 小生も調べたことがありますが いつかアップしたいと思います。北京の国際学会のプログラムで調べました。
 厚生労働省よりいわれ 現在は Sanatoriumを 使っていますが、小生自身これが一番いいのか 疑問もあります。

 レプロザリウムの終焉 日本医事新報 4026,43,2001.
 


またもや脱線を・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 6日(火)03時01分8秒   返信・引用  編集済
  「起源と歴史」のページで、「ラザレット」が出来たのは、7世紀云々と書きかけて、はたして「ラザレット」が正規の使い方(?)かどうかが、気になって、調べ始めると、これまた、一仕事。

結局、こんな一覧表を作る羽目になりました。「ハンセン病療養所の英訳について」としてまとめました。出来立てのホヤホヤです。見落としやスペルミスなど有ると思います。ご指摘を頂ければ、嬉しいのですが、ダメだろうかなあ・・・
 


Re:日本らい史の疑問点  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 5日(月)21時06分44秒   返信・引用
   明治38年11月19日付け九州日日新聞(熊本日日新聞の前身)の社説に次の文章があった。

「英国婦人の献身的事業(当地の回春病院について)という題で「然るに昨年来、戦争の結果として英国よりの寄付金も汽船捕獲のおそれがあるために、その送金を見合わせ、本邦人の寄付はますます減少し、ついに同院は今日3千余円の負債を生ずるに至り」

 バルチック艦隊が日本への航路を長征中という情報に接すれば、また、長い年月に亙って戦争慣れしているヨーロッパ人にとって、汽船捕獲の恐れがあるとすれば送金を見合わせるということは極めて当然な考えでないかと思われる。この二つの考えを比較するならば、日本の声価が上がったというより、ロシアとの戦争で送金の障害が生じると考えた方がスムーズに理解できると思うのである。

 ハンセン病史のある疑問点 -イギリスからの送金が途絶えた理由ー
 日本医事新報 3834,67-68,1997.

 と考えたが ご批判願います。
 


日本らい史の疑問点  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 5日(月)20時56分4秒   返信・引用  編集済
  リデルの経済的困窮

 日本政府は、徴兵検査時のハンセン病患者の増加に悩み、また、熊本で回春病院を開いたリデルは経済的に困窮していた。日本らい史には、病院の拡張のためとかっこいい理由を述べてあるが、実はあてにしていた英国からの送金が止まったからである。大隈侯に手紙を書いた。ある本に次の文章がある。
 ”今3000円を香港上海銀行に入金すれば、寄付金があるたびに返済するつもりでいます。3000円もの大金をを恵与してくださる方は期待できないでしょうが、低利で貸していただける方はおられるのではないかと期待しています。”ハンナリデルと回春病院 猪飼隆明 熊本出版文化会館、2005.
 この本によると、この文章は誰に宛てたのかわからないが、事実上、大隈候を目的にしたようだ。大隈候は1901年の病院拡張の際、櫻や楓を10本づつ回春病院に送っていたし、お願いできる関係であった。(手紙を書いた当時は首相ではない)

 大隈候は結局実業家渋沢を動かした。 リデルのために、銀行会館で会議を開いたのは、ハンセン病史上、重要なエポックメーキングな出来事である。この会議では ハンセン病対策を考えると共にリデルを救う目的があった。英国からの送金がなくなった理由について光田はこう書いている。

 「愛生」昭和11年11月30日 「日露戦争の勝利で日本の名声は上った。欧米諸国は戦勝文明国のハンセン病のための喜捨は必要ないとし、リデルは日本国内で喜捨を募るのやむなきに至った。」

 この文章はおかしいと私(Ichiro)は直感した。戦勝文明国になったからといって直ちに寄付を中止するであろうか。別の理由がある筈である。そこで私は当時の資料を探してみた。
 


続ハンセン病と聖書  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 5日(月)12時49分53秒   返信・引用
  続ハンセン病と聖書

 映画ベンハー ?で洞窟の中のハンセン病患者をみた覚えがあります。直感で、この疾患かなと思いました。キリストが手を触れ治ったという物語でした。

 前にごちゃごちゃ書きましたので まとめを書きたいと思います。

 聖書時代の[らい]は ハンセン病を含む 治りにくい皮膚病と思われる。明らかにハンセン病でない患者もハンセン病とされた。当時の考古学的情報には私は接していない。その後、ヨーロッパでは ハンセン病が流行し、教会などのラザレットで隔離された。理由は不明であるがハンセン病は絶滅した。考古学的検索もされていて現在のらいと同じとされる。

 leperという言葉は残念ながら 非常に悪い印象がある。ヨーロッパではその他の地域よりはleprosyは使われる傾向があるが、それは ハンセン病が忘れ去られたからであろう。
 
    (リベル) 今、犀川一夫「聖書のらい」を片手に、勉強をしながら、「起源と歴史」のところを作成しています。お気付きの所が有りましたら、どうぞ、ドシドシご教示ください。(3.5 13:02)  


平成18年版人権教育・啓発白書のあらまし  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 5日(月)00時52分0秒   返信・引用  編集済
  官報資料版(平成19年2月28日)に法務省が標記のものを発表しています。

この中で「第二節 人権課題に対する取り組み」として13項目を立てています。お読みになるのが面倒な方のために、抜粋します。

第二節 人権課題に対する取組

一 女性
二 子ども
三 高齢者
四 障害のある人
五 同和問題
六 アイヌの人々
七 外国人
八 (1)エイズウィルス(HIV)感染者・(2)ハンセン病患者等
九 刑を終えて出所した人
十 犯罪被害者等
十一 インターネットによる人権侵害
十二 北朝鮮当局によって拉致された被害者等
十三 その他の人権課題

となっています。法務省の考える「人権課題」が一覧できるので、ご参考までに、抜粋しました。

なお、「八(2)ハンセン病患者等」に書いてあることを、転載します。

【平成十七年度に講じた施策】

○ハンセン病患者等に対する偏見・差別をなくし、理解を深めるための啓発活動

 ・厚生労働省では、毎年六月下旬に「ハンセン病を正しく理解する週間」を、都道府県、社会福祉法人ふれあい福祉協会と実施している。平成十七年度は、六月十九~二十五日を当該週間としてハンセン病の正しい理解を促進し、偏見・差別の除去に努めたところである。

 また、ハンセン病に対する正しい知識の普及のため、政府広報(テレビ)の実施、高松宮記念ハンセン病資料館での展示など、様々な広報媒体を用いて、普及啓発活動を行った。

 さらに、平成十七年九月には、全国の中学生に対し、ハンセン病を正しく理解するためのパンフレット「わたしたちにできること」を配布し、平成十八年一月には、法務省等と連携し、ハンセン病問題に対する正しい知識の普及・啓発を目的としたシンポジウムを平成十六年度に引き続き実施したところである。

 ・法務省及び人権擁護委員連合会では、平成十七年八月に中学生等をパネリストとした、ハンセン病に関する「夏休み親と子のシンポジウムと映画の集い」を東京・福岡で開催するとともに、全国版の小学生新聞・中学生新聞に啓発広告を掲載したほか、インターネットバナー広告を掲載した。

 また、法務省では、テレビ特別番組「未来への道標(みちしるべ)~ハンセン病とは~」(ドキュメンタリー)を制作し、全国三十六放送局で順次放送した上で、同番組をビデオ化等し法務局に配布した。さらに、小学校高学年向けのハンセン病啓発アニメーションビデオ「未来への虹 ―ぼくのおじさんは、ハンセン病―」を委託事業で企画・製作し法務局等に配布した。

以上です。なお厚労省のこの種のものは、目下、見当たりません。
 


ハンセン病と聖書  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 4日(日)14時39分50秒   返信・引用  編集済
  リベル様

 ようやく荒井英子先生の「ハンセン病とキリスト教」が届きました。
 ハンセン病と聖書を読みましたが、はっきり言ってよくわかりません。小生のコメントを述べます。なお犀川先生はハンセン病の専門家でありまして、小生は皮膚科医として書きます。(立場が違う)重い皮膚病と換える時期に皮膚科医師に相談があったのかな。

 当時ギリシア医学において今日でいうハンセン病はelephantiasis象皮病という病名で呼ばれており、一般的な皮膚の表面に現れる鱗状の症状を示す「レプラ」とは区別されていた。
 ●鱗状の皮膚病は、治癒に赴き L型およびT型ハンセン病とは 到底思えない
  このあたりが間違いの元凶ではないかな(Ichiro) 鱗状の皮膚病には 乾癬、魚鱗癬が代表的な疾患である。稀には 魚鱗癬様紅皮症がある。これは治りにくい。

湿疹、斑点、疱疹、毛髪の白変、肉のただれ、やけど、白癬、脱毛

 ●いずれも自然治癒傾向があり 重い皮膚病とは思えない。治癒しにくいものとして毛髪の白変、成人性脱毛はあるが これは重い皮膚病とは とうてい思えない。
 肉のただれ がよくわからないが スポロトリコージス(ある種の真菌症)や
 ブルリ潰瘍は 治癒しがたい肉のただれであろう。L型ハンセン病は
 変形をもたらすが 湿潤することはないが 昔は2次感染で 湿潤することはあると思う。ジョップリング先生は戦前でも 治療することで 改善するので ハンセン病病院の意義は あると言われていた。(Ichiro) なお治療法を間違えると 治りにくい肉のただれを起こす可能性はある。

 ●年少の人に ただれ という説明は 誤解をまねくので 私はこの表現が好まない。
 (厚生労働省にいってある) 一般的にいって 湿潤性の皮膚変化を意味する。

●象皮病とハンセン病は明らかに異なり、この文章の意味がよくわからない。

 ●ヨブの病気:これは明快です。現在はヨブ症候群と呼ばれ、免疫異常の病気で生来性に全身に膿がみられ 頭髪が ぐちゃぐちゃです。ハンセン病とは別の疾患です。2例ぐらいそれらしい患者さんをみたことがありますが、子どもの病気で大人になっても治癒しません。
 私はハンセン病でこれに近い症状の人をみたことがあります。全身に膿があり 菌が多数でてきます。昔の菊池恵楓園の写真をみるとこれに近い症状の人もいるようです。
 ヨブ症候群が ハンセン病と間違われた可能性はあると思います。

 「ハンセン病とキリスト教」については内容に異論があるのですが ここでは止めておきます。

 追加:前にも書きましたが 私が恵楓園に勤務しだしたのが平成元年です。一つ不思議に思ったのは 2次感染で 悪臭がある人は いませんでした。それは治療しているからですが私が鼻が悪いからかもしれません。

 しかし実際に個人の家にいくと そういう症例もあります。また 年配の看護師さんに聞くと 以前は 臭いが悪かったといいます。そういうことで 聖書時代でなくとも、現在より症状が悪く 肉のただれも ハンセン病の可能性もあります。
 
    (リベル) 私が荒井英子氏の「ハンセン病とキリスト教」をお薦めしたのは「2月23日(金)21時56分54秒」に書いていますように、「象皮病」や「lepromatous leprosy」について、共通の地盤の上に立ちたいと思ったからです。荒井氏の著述内容の、考察や論評はお願いした積もりは無いのですが。それはまた、別の場所で、ご発表になってください。

「ハンセン病の専門家」ではない「皮膚科医」のお書きになった文章として、二読、三読しました。が、「はっきり言ってよくわかりません」。とても、私如きにはついていけない、と諦めました。ご健闘を祈ります(謎)(3.5 00:18)
 


国連とハンセン病はどうなっているのか?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 4日(日)02時47分7秒   返信・引用  編集済
  2004年の国連人権小委員会で、日本財団の笹川陽平氏が提案したのがキッカケで、2005年8月の人権小委員会で「ハンセン病と人権」と題するパネルディスカッションが開かれました。そこでは、国連で初めて、回復者の方が発言し大きな拍手が湧き起こったそうです。(参考

今、「ハンセン病対策基本法」などで、人権面の法の立法化が云々されていますが、どう動いていくのでしょう?私は、正直に言うと、日本財団というのは、余り信用していません。何か、会長の外遊と人気取りばかりが、目について。案の定というか、国連の方は、その後一年半経っても、動きが有りません

しかし、これらの国内外の人権法規への動きは、大事な問題だと思います。ウォッチングしていないと、いけないような気がして書きました。
 


Re: ペンネーム  投稿者:tama  投稿日:2007年 3月 4日(日)01時05分27秒   返信・引用
  > ペンネームが多い伊藤赤人氏

>  8巻(短歌)にこの方の収録がないのは残念です。捜せないのかもしれません。作者の名前は何種類にも亙っていますから。

伊藤さんはお亡くなりになるまで、詩のほかに、五行歌と俳句をつくっていましたが、短歌はほとんどつくっていないと思います。少なくとも『多磨』誌を見るかぎり。
 


余談:石庭粉 を読んで  投稿者:エリカ  投稿日:2007年 3月 3日(土)21時19分19秒   返信・引用
  宝塚のことが書かれていたのでおもわず書き込みたくなりました。
宝塚にお住まいなのですね。宝塚は好きな街の一つです。宝塚といえば、宝塚歌劇。よく観ました。宝塚駅周辺はわたしが子供の頃は田舎でしたが、今は駅前にはデパートや高層ビルが建ちならび、大都市に変貌しました。わたしは昔のほうがよかったなと思います。都市化により情緒がなくなったように思います。宝塚歌劇を観た後、宝塚ファミリーランドを散策するのが好きでした。しかしファミリーランドも閉鎖され、なんとなくさびしい気がします。
 
    (リベル) エリカさんのBBSへはしょっちゅうお邪魔しています。キリスト教関係の興味有るお話しに、時々感銘を受けています。福知山もご縁があるようですし、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。(3.4 01:21)  


変わりつつある恵楓園  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 3日(土)21時03分56秒   返信・引用  編集済
  犬の 扱いについて

 菊池恵楓園には 正面入り口 グランド入り口 裏の入り口(ここは前は車に対しては閉まっていた)と あと職員住宅入り口の4つの入り口がある。犬の散歩禁止の立て札があるのは 熊丸公園のあるグランド入り口だけで(立て札は2枚、木製、恐らく熊丸園長時代のもの)があるだけで 他にはなかった。
 裏の入り口のトンボ公園の近くで休んでいた入園者(以前いた時に覚えていた)が3名いたので聞いたが、現在は 犬禁止令は だんだん解除の方向にある。これはたくさんの人がこられるので いいことではないか、といっておられました。グランドなど一番多く使われる入り口にはさすがに 犬散歩禁止の立て札は ありました。裏は以前車では入れないようにしていました。
 若い人が淫らなことをするので一時閉鎖していた、ということでした。久しぶりに開いているのを見ました。大津から農業公園へいく途中の所です。

 今日はポカポカでいい気持ちでした。
 


CHAヴぁン  投稿者:無風地帯   投稿日:2007年 3月 3日(土)11時58分5秒   返信・引用
  国立ハンセン病資料館
 旧館部分を「高松宮記念館」、増築部分を「資料館」と呼ぶということです。
 
    (リベル) 「リニューアルオープンのお知らせ」に「これまでの建物の後ろに新館ができ・・・」とありますが、「これまでの建物」を「高松宮記念館」、「新館」を「資料館」という、いわば折衷案という按配でしょうか。如何にも官僚の考え出しそうな、「名案」ですね。これまでのは、確か「高松宮記念ハンセン病資料館」だったと思いますが。これ(新案)以上素晴らしい案は、とても私達国民には、思い浮かびません。(3.3 17:36)

中国官僚直伝朝三暮四的茶番行政。(3.4 01:12追加)
 


やはり、間違っていました。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 3日(土)03時23分51秒   返信・引用  編集済
  やっと入手した犀川さんの「聖書のらい」を読むと、これまで「起源と歴史」のページで『「聖書のらい」で確認中』としていた記述が、いずれも間違いであることが判明しました。やはり大きなショックです。

1)B.C.1550年頃『エジプトの「エーベルス・パピルス」に記載がある』と記していまが、犀川氏は「今日学者(S.G.Browne「聖書の中の「らい」」の著者)の間では否定的である。」と書いて居られます。

2)B.C.6世紀『エジプトのミイラにらい特有の痕跡が認められる』は間違いで、紀元前は、骨やミイラの調査で骨変化を確認できなかった(クリステンセン他の調査で)と書いてあります。

肯定説も有るので、注や参考で、明記しましたが、それにしても、やはり原典で確かめないと、とんでもないものを、遺すところでした。こうなると一層燃え上がるのが「聖書の中の「らい」」に対する欲求です。絶対に、手に入れます。(遺す、は変換ミスではありません・・・笑)


考えてみれば、上に書いた2項目について、どこからも、どなたからも指摘や疑問の声がありませんでした。お願いしていたにもかかわらず、です。でも、それがむしろ、当たり前なのでしょう。あんな鬱陶しいもの、誰も読む気にはならないのが、普通ですよね・・・(T_T)
 


Re: 「ロードマップ委員会」の広報が出ました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 2日(金)17時27分35秒   返信・引用
  > 第4回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会の開催について

厚労省のHPには「ハンセン病に関する情報ページ」というのがあります。上の情報はそこには有りません。これを見付けるためには、次の手順が必要です。

1)厚生労働省のHPを開く。

2)「行政分野ごとの情報」の「健康」をクリック。

3)「審議会・検討会」のところの一番下の「その他(検討会等)」をクリック。

4)ズート、スクロールをするか、[Ctrl]+[F]を用いて、ページ内検索をします。

5)「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」「第4回開催について2月27日」を発見して、クリック。

で初めて冒頭の「開催について」が出てくるのです。一番早いのはトップページの検索窓に「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」と入力することですが。


厚生労働省は「出来れば、広報をしたくない」としか思えません。傍聴して欲しくないのでしょう。

人間社会では、こういう野郎は、「卑怯な奴」と分類されるのではないでしょうか?厚労省の辞書には「正々堂々」という言葉が無いのでしょう・・・(;`つ´)怒!
 


犬と猫  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 2日(金)17時15分52秒   返信・引用
  犬と猫

 予防法廃止にて島を知りたるか飼犬を捨てにくる人がいる。
 鏡巧(かがみたくみ)
(いはワ行のいです。入力方法を知らず)

 ハンセン病文学全集 6 詩 一 の解説の最初です。

 大岡 信さんの説明が書かれている。この方はハンセン病療養所における生活については詳しいと思うが 私は 周辺に市民の狡猾さを指摘した彼の解説は ちょっと違うと思う。それもあるかもしれないが、飼犬を捨てに来る ということは 悪意が感じられる。失明された方も多いし身体不自由という人も多いというので  乱暴な犬は昔からハンセン病療養所では 嫌われていた。犬の禁止を謳った療養所もある。作者はこれを熟知している筈である。

 乱暴な犬に比べ おとなしい猫はよく養われている。これはいくつかの療養所での真相である。発情期には ふーふー 唸っていた。(私の勤務の時のことであった)色々な資料にも(早野さんの本など)丸々太った猫の写真はみるが 犬の写真は 無い(私が見た限り)。長年歴史ある官舎住まいをされていた菊池恵楓園の熊丸園長は 4匹くらい猫を養っておられ、毎年の年賀状に猫のことを書かれていた。

 天覧の栄誉(平成16年)を受けた宮古南静園の湧川新一氏も猫を詠っている。

 「行幸啓 待つ磯香の地 年始湧く」「皇后歌碑 かしこみて園 春を待つ」(平成16年)
 「猫首に 古の(いにしえの)金(かね) つけし春」と詠っています。この金は もちろん園券のことで、価値がなくなってからの話です。
 (私はこれを園券のエッセイの落ちにした)

 宮古島市の池間島では だいぶ昔は犬がハンセン病をうつす?とか関係があるとかで 島全体で 犬の飼育が嫌われてきた。そのことの資料もある。しかし、最近犬も養われてきたということである。聞いてみれば、単に歴史が忘れてきたのであるが、私はこういうことでもいいと思う。
 蛇足:池間島はハンセン病患者さん専用の港があり、そこから直接南静園に小船できていた時期がある。
 


ペンネーム  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 2日(金)12時37分22秒   返信・引用  編集済
  ペンネームが多い伊藤赤人氏

 ハンセン病文学全集の8でなく 6 詩1 に伊藤赤人氏についての解説がありました。

ペンネームは本名とは違うわけですが、その多さ(この方は7種、おそらくそれ以上)にビックリしました。ハンセン病の歴史と関係あるのでしょうか。identityの確立であれば、1種類でもいいような感じがします。

 ペンネームが多い意味がよくわかりません。ハンセン病以外の患者さんの場合と比較するとどうなんでしょうか。

 8巻(短歌)にこの方の収録がないのは残念です。捜せないのかもしれません。作者の名前は何種類にも亙っていますから。

 6巻97ページに白浜 広(ペンネームの一つ)の名前で路傍のうた という詩がありました。

 文学に情熱を燃やすということが 生きがいというか 生ける徴を顕したい ということかと思われます。そのためにも、療養所の雑誌その他は 役に立っていると思います。


 蛇足:学者の社会では、結婚前の業績で知られている人が結婚後もその名前を使った例がある。(夫婦別姓可能の時期の前である)
 小生の知っている、とてもいい業績のある先生が奥様の姓になられて さっぱり 業績を知られないという例がある。私はなんだか残念の思うのであるが当人は どう思うのかよくわからない。よけいなお節介か。普通であれば自分の名前を大事にするが 文学者は違うのだろうか。また 特別であろうか。

 リベル様

 短すぎて真意がわかりにくい投稿と心配しています。
 私は宮古南静園にいましたが いた時期にも 大規模に2回 その後1回 周辺住民というか有識者と懇談という、「将来構想の会議」を 開きました。当然というか厚生労働省からの参加がないのです。
 ロードマップ委員会にロードマップが要るのでは というのは 皮肉です。
 


余談:石庭粉  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 2日(金)00時55分16秒   返信・引用  編集済
  我が家は、宝塚の山の中腹にあります。結構な急坂なので、散歩の帰りはバスで、と言うことになります。片道210円です。65歳になると3ヶ月乗り放題で一万円という定期券が買えます。殆ど毎日乗りますから、買った方が得になります。

しみったれの私はポケットノートに、乗った日を記録して行きます。210円、420円、360円・・・と累計を記録するのです。三ヶ月後に見ると、大体5000円~6000円の得になっています。

ある日気付くと累計金額が「7770円」。へー、ラッキーナンバーだ。と、目を上げると、通りかかった車のナンバーが、なんと「777」。ちょっと、ドキッとしました。「二度有ることは三度ある」と言いますが、なかなか、やはり、そうは行きませんでした。

で忘れかけた頃に、毎日計る体重が「77.7Kg」。大体その辺りなので、以前にも有ったのでしょうけど、「やったあっ!」と、家内に「ご報告、ご報告」。「そおお、良かったわね」とこれは、完全に鼻であしらわれましたが。


ところで「石庭粉」はどうなった?

電卓をお手元に、「142897」を先ず打ち込んでください。これが「いしにはこな」。次にX(掛ける)を二度押します。これで連続かけ算が出来ることは、ご存知の方が多いと思いますが。それで2,3,4,5,6、と出てきた数字を書き出すとこうなります。(7と7の倍数は異なった結果です)

   285714
   428571
   571428
   714285
   857142
      :
      :

たとえば15を掛けても
   2142855(最初の2を最後の5に足すと・・・)

「142857」というのは、不思議な数字なのです。これは実は1/7、つまり7の逆数なのだそうです。0.1428571428・・・という循環小数の一部分なのです。それが何故こういう不思議な結果を生むのか?それは、残念ながら、まだ知らないのです。どなたか教えて下さい・・・m(_ _)m


宝塚の山の中腹を無惨に切り開いて作られた兎小屋的新興住宅地。
一番上が「ゴルフ銀座」の一部、その下が山嶺なのです。
「Google Earth」で住所を入れると、ポンとこんなのが出ます。
 


ロードマップ委員会  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月 1日(木)17時17分34秒   返信・引用
  A road map appears necessary for the road map committee.  と皮肉をいいたくなりますね。傍観者では いけないんでしょうが。

 Navigation system でもいいか。

 Ichiro
 
    (リベル) road map=道路地図; 手引き, ガイダンス(グランドコンサイス英和辞典)

ロードマップ委員会に「道案内」が必要になった、というように訳せば良いのでしょうか。

正に、仰有るとおりの状況にあります。民間で録音して、起こして下さる奇特なお方はいらっしゃらないのでしょうか?

昔、というか2001年には横浜の主婦、junさんという方が、裁判所へ通って録音し、貴重な記録を残して下さいました。

でも、今は、もう、無理となりました。(3.1 17:56)
 


夕焼けさんへ Re: 私の拘り!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月 1日(木)04時23分21秒   返信・引用  編集済
  熱誠溢れる、読み応えのあるご投稿を頂きました。有り難うございました。また例によって印刷して、歩きながらじっくり読ませて頂きました。

>「誰の得にもならないことは、言ったり、したりしない」

>「誰にも損を与えないことは、許す」

 多分、私に判り易くと「損・得」で表現して下さったものと考えますが・・・。

 ここに重要な問題が含まれているように思います。

 リベルさんというお立場からの言動です! リベルさんの主観的思いを否定することなど出来るはずも有りませんが、【得や損が生じる(生じた)と 誰 が、決めることが出来るのか?】という問題です。


この答えは、極めて明白なのです。これは私の発した言葉や、行った行動が他の人のプラス(得)になったか? それとも、傷付けたり、マイナスの効果(損)をもたらしたかという意味なのです。私はこれを「処世訓」にしていると書きました。いつも自分に言い聞かせている言葉なのです。だから「得」とか「損」とか、自分にしか通用しない言葉に置き換えてしまっていたのですが、それが、誤解を生んだのでしょう。ご免なさい。


 私の思いというより、拘らざるを得ないのは、「リベル」さんは「リベル」が思っている以上に影響力・・・、先駆者的お立場になっているという現実の把握です。

私は、65歳になってから、ハンセン病の被害のことを知った、一市井人に過ぎません。勉強というか、本を読み始めてから、未だ6年過ぎたばかりです。もし、もしですが、「影響力」が有るのであれば、そのことを全く考えもしなかった自分が、未熟だったと、反省しなければいけないと、思いますが。


 私が言いたいことは、今回の映画制作においてのリベルさんが導き出したという「支持・支援」というお立場が、私が想いを馳せた山下峰幸さんの、「シナリオ批判」との相違にあります。このことを少しでもチジメルことは出来ないだろうか?という思いが、私をより一層の 頑な に、した感はあるようです・・・。

私は、これまで山下氏の「シナリオ批判」に反対したり、否定的な言葉を発したことは一度もありません。逆にシナリオが良い方に修正されていくことを、歓迎し、期待するものです。そのことと、映画化を支持することは、全く矛盾するものではありません。

私が何度も書く、機関車の喩えでは、分かり難いのでしょうか?(もしそうであれば、仰有って下さい。また別の喩えを探してきて、ご説明します)走り出してしまった、機関車に飛び乗って、大声で「何故路線が変わったのですか?何故制作費がそんなに掛かるのですか?」と列車の轟音の中で叫ぶしかない、と私は思っているのです。あちらの耳に届くかどうかは分からなくとも。


 私には、リベルさんとは同じ道程を突き合いながらも、共に歩んで行けるというものを感じていましたので、しつこく書き込みをさせていただいたのかもしれません。

 しかし、先日も言いました、リベルさんの、

>>(リベル) 申し訳ありません。私は、72歳の、クタバリカケです。仰有ることが、理解できません。どうかもう、見放して下さい。こんな馬鹿に百万言を費やしても、どうしようもないと・・・。お願いします。夕焼けさんの素晴らしい熱意とエネルギーを、もっと有用な方向にお使いください。本当に、ご免なさい。努力したのですが・・・(涙)(2.8 23:46)<<

 この言葉より、自分自身の傲慢さと、うぬぼれ、そして人に伝えることの不勉強を痛いほど感じてしまいました。

「自分を何様と思っているのか!?」・・・、このことに尽きると反省させられました!

 昨日の、

 >ありがとうございました・・・・・・、リベルさん!
は、そういう意味合いも含めてた、これまでの感謝の念でもありました。

 改めまして、皆さまに・・・「多くを学ばせて頂きました・・・、心より感謝を込めて『ありがとうございました』」

 じっくり・ゆっくり日本語のお勉強に精を出し・・・、上手く伝えられる様に!と、心底感じているのです・・・・・・。確かにやること、やらねばならないこと!、山ほどあります、リベルさん!!


夕焼けさんの誠実な分析や情熱には日頃から、感じ入っています。私も私なりに、自分の赤心を吐露しています。自分の「処世訓」を明るみに出してしまったり、「それ風の若い衆」をたしなめる話では、自分の人生の恥部をさらけ出したり、「映画化」を「寛容」のモットーが後押ししていることを言わんがために、妻にも話さなかったモットーを披瀝したりしているのです。そのことは、お分かりいただきたいと思います。

「有り難うございました」を連発されていることは、「もう来ませんよ」仰有っているのでしょうか?そうとすれば、どうぞそんなことは仰有らずに、顔を見せてください。

私自身、何度も告白していますように、口下手で、人様の心情を理解する努力と能力が乏しいということは、十分承知しているのです。私がお詫びしなければならないことは、きっと沢山あるのでしょう。それは、心から反省しなければならないことです。

この様に、私自身、夕焼けさんが先に述べられたような、立派な人間では決してありません。このBBSでの真剣な遣り取りを通じて、反省し、学び、勉強し、それをこれからの(残り少ないですが)人生に生かしていこうと努力しています。そのことを、どうかお察し頂きたいと願っています。

私は、自分がどんなにペシャンコに叩き潰されようと、自尊心を踏みにじられようと、それによって人様が少しでも幸せになったり、一歩前へ進まれるのであれば、それで良い、のです。「忘己利他」。これが、70歳近くまで、世の中や、人様のためになることを、何一つやって来なかった、私の望みだからです。どうも言うことが少し抹香臭くなってきました。終わりにします。

夕焼けさん、お互いに頑張りましょう!!
 


改訂 Re: 専門的ページ作成  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月28日(水)12時13分37秒   返信・引用
  > 「用語の解説」「医学的資料」のページに、「ハンセン病」と「Leprosy」の専門的解説を追加。全て、ドン・キショットさんのご提供によるものです。未だ完成はしていませんが、殆どこの形で進めます。有り難うございました。


フォーマットを他のページと統一しました。「ハンセン病」、「Leprosy」をクリックして下さい。ご意見を戴ければ、有り難いと存じます。宜しくお願いします・・・m(_ _)m
 


私の拘り!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月28日(水)06時45分28秒   返信・引用
  >「誰の得にもならないことは、言ったり、したりしない」

>「誰にも損を与えないことは、許す」

 多分、私に判り易くと「損・得」で表現して下さったものと考えますが・・・。

 ここに重要な問題が含まれているように思います。

 リベルさんというお立場からの言動です! リベルさんの主観的思いを否定することなど出来るはずも有りませんが、【得や損が生じる(生じた)と 誰 が、決めることが出来るのか?】という問題です。

 以前より、「中庸」思想を尊んでいるからの 寛容 が滲み出ているとリベルさんのHPを、訪問するたびに、私は感じておりました。

 私の思いというより、拘らざるを得ないのは、「リベル」さんは「リベル」が思っている以上に影響力・・・、先駆者的お立場になっているという現実の把握です。

 北風さんが嫌う、「言論封じ」の様相も見え隠れする書き込みに成っている可能性も、自戒しつつ・・・・・・、

 私が言いたいことは、今回の映画制作においてのリベルさんが導き出したという「支持・支援」というお立場が、私が想いを馳せた山下峰幸さんの、「シナリオ批判」との相違にあります。このことを少しでもチジメルことは出来ないだろうか?という思いが、私をより一層の 頑な に、した感はあるようです・・・。

 私には、リベルさんとは同じ道程を突き合いながらも、共に歩んで行けるというものを感じていましたので、しつこく書き込みをさせていただいたのかもしれません。

 しかし、先日も言いました、リベルさんの、

>>(リベル) 申し訳ありません。私は、72歳の、クタバリカケです。仰有ることが、理解できません。どうかもう、見放して下さい。こんな馬鹿に百万言を費やしても、どうしようもないと・・・。お願いします。夕焼けさんの素晴らしい熱意とエネルギーを、もっと有用な方向にお使いください。本当に、ご免なさい。努力したのですが・・・(涙)(2.8 23:46)<<

 この言葉より、自分自身の傲慢さと、うぬぼれ、そして人に伝えることの不勉強を痛いほど感じてしまいました。

「自分を何様と思っているのか!?」・・・、このことに尽きると反省させられました!

 昨日の、

 >ありがとうございました・・・・・・、リベルさん!
は、そういう意味合いも含めてた、これまでの感謝の念でもありました。

 改めまして、皆さまに・・・「多くを学ばせて頂きました・・・、心より感謝を込めて『ありがとうございました』」

 じっくり・ゆっくり日本語のお勉強に精を出し・・・、上手く伝えられる様に!と、心底感じているのです・・・・・・。確かにやること、やらねばならないこと!、山ほどあります、リベルさん!!
 


専門的ページ作成  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月28日(水)05時45分6秒   返信・引用  編集済
  「用語の解説」「医学的資料」のページに、「ハンセン病」と「Leprosy」の専門的解説を追加。全て、ドン・キショットさんのご提供によるものです。未だ完成はしていませんが、殆どこの形で進めます。有り難うございました。  


「ロードマップ委員会」の広報が出ました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月28日(水)00時01分2秒   返信・引用  編集済
  第4回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会の開催について
     3月8日(木)11:00~13:30/東京ドームホテル  B1階「シンシア」(東京都文京区後楽1-3-61)
     #議案:「再発防止のための提言」に対する取組状況 (第3ー8)、その他


『「再発防止のための提言」に対する取組状況 (第3ー8)』が議案だそうです。これが全てを示唆しているではないですか?

「提言」に誰かが「取り組」んでいるのですか?「提言」をどうしようとしているのですか?「提言に基づく再発防止委員会」が、「取組状況」を議論するという、馬鹿馬鹿しさを通り越した「議案」ではないですか?この(第3―8)も何だか胡散臭いですし・・・。

傍聴申込の締め切りは3月5日(月曜日)です。
 


夕焼けさんへ Re: 踏み込んだ議論に・・・。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月27日(火)23時22分36秒   返信・引用  編集済
   リベルさん発信の、
> >この映画が、積極的に社会悪をばらまいた
> >り、子供に悪影響をもたらしたり、しない
> >限り、容認する、というのです。
>
>  を、読ませていただき、「公共の福祉」ならぬ「公共の被害」という言葉を連想してしまいました。
>
>  この部分は、私が 苦悩 している 部位 と、とても似通っていますので、敢えて提言させて頂きます。
>
>  とても乱暴な言葉の転換であるのかもしれませんが、感じるままに書き込みをさせていただきます。
>
>  「公共の被害という部分に触れていない限り、容認する、というのです」
>
>  全く、可笑しくも無く、批判されるような 概念 ではないのでしょうが・・・、北風さんの ことば を借りれば、「違和感」を、感じてしまうのです。
>
>  公共には個々ということばが、私には思い浮かばれるのですが、「個々」その立場、タチバとも言うべき箇所を、目配り・気配り・心配りといった、充分な配慮がされているのかを、必ず振り返り・立ち止まりながら「知行合一」を目指すべきだと・・・、この精査された のち の行為が必ずや多くの市民間からの共鳴に結び付くと、これまでの拙い体験・体感より感じ入っています。



ご懸念のとおり、「異議あり」です。私の書いた

「この映画が、積極的に社会悪をばらまいたり、子供に悪影響をもたらしたり、しない限り、容認する、というのです。」

と言う言葉は、前の「走り出した機関車が、当初の予定とは違うレールの上を轟音を立てて走っている。もう止まらないものを、身体を投げ出してまで止めようとは思わない。そういう、ネガティブな「賛成」なのです。」という自分の気持ちの説明を、補強する意味で書いたのです。

「特に積極的に、害悪を流す映画でない限り、私には反対する理由が有りません」と言うことを追加したかったのです。


ですから、この部分だけを取り上げて、「言葉の転換」をして

「公共の被害という部分に触れていない限り、容認する、というのです(たとえ、「個々」の立場に対する目配りが疎かになっても)」

という意味は、全く含んでいません。正確に言えば、そういう意識は私には全く有りません。

ということで、異議を申し述べさせて頂いたのですが、お分かり頂けたでしょうか?ポイントを外していたら、遠慮無くご指摘ください・・・m(_ _)m


チョット脱線かも知れませんが・・・、私は処世訓というか、人生訓というのか、いつも自分に言い聞かせることがあります。それは、

  「誰の得にもならないことは、言ったり、したりしない」

です。私は以前から告白しているように、格好良く見せたがる、ペダンティックで、自己中心的な人間であることを自覚しています。これは、なかなか抜け出しにくい性癖で、今もしょっちゅう顔を出してきます。それを「モグラタタキ」よろしく叩き潰すために、そういう処世訓を言い聞かせなければならないのです。

その裏返しに、こう言い聞かせます。

  「誰にも損を与えないことは、許す」

「この映画が、積極的に社会悪をばらまいたり、子供に悪影響をもたらしたり、しない限り、容認する、というのです。」

は、その言い換えだと説明すれば、ご理解頂きやすいかも知れません。


最後に、上に書いた悪い癖を、出します。ALSの師を看取る若いジャーナリストが書いた、ミッチ アルボム著「モリー先生との火曜日」の中で 、モリー先生がこんな言葉を言っていました。

  「大切なのは、勇気、ユーモア、忍耐そして寛容。」

私は、「ユ・ユ・ニ・カ」と覚えています。そして列に割り込んで来る、それ風の若い衆がいたら、胸はドッキンドッキン張り裂けそうになりながら、「勇気、勇気」と呟いて、歩み寄って行くのです。そして小さな声で言います・・・「

おっと、寛容の話をするつもりだったのが・・・?
 


平和祈念館  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月27日(火)20時42分21秒   返信・引用  編集済
  平和のあとは 祈念館と続くのが多いようです。

 いろいろあるようだが どれが正確なのかよくわからない。

 平和記念館もないわけではなく 戸田平和記念館 池田平和記念館 太刀洗平和記念館があり アウシュヴィッツ平和博物館もあります。嘉手納基地内のpeace parkの由来もかなり詳しくインターネットにありました。大分前でしたが。
 


Re: ハンセン病問題:風化させず 鳥取県が「記念碑」建立  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月27日(火)11時34分40秒   返信・引用  編集済
  > やはり「記念碑」ではありますまい
>
> 毎日新聞


『碑文については、元患者から「無らい県運動犠牲者の碑」の案が出ているが、県は“加害者”イメージが強く受け入れられないとの立場を表明』

「無らい県運動犠牲者の碑」を県は拒否するという。なら作らなければ良い。そもそも「記念碑」なのですか?「記念碑」というのは「ある出来事や人物を記念して建てられた碑」と辞書にあります。

付記:原爆資料館、平和記念館は有っても原爆記念館は有りません。終戦記念日は有っても敗戦記念日はありません。ハンセン病の場合を考えれば、5月11日は記念日であっても、3月18日(癩予防ニ関スル件の公布日)は記念日とは言えません。「記念日」という言葉をもっと慎重に、大事に扱って頂かないと。(この節追加2.27 17:12)


やはり「記念碑」ではありますまい。
 


誤解されやすいコトバ。それとも真意か? Re: 慰霊碑・記念碑雑感  投稿者:   投稿日:2007年 2月27日(火)10時06分58秒   返信・引用
  > 「無らい県」を記念して記念碑をたてるという。

(中略)

> 私はハンセン病がなくなったので記念碑を建てたらどうだと言ったら、そんなことを言ってはいけません。これが飯の種の人がおおいのだから と 一喝された。
>
 


Re:慰霊碑・記念碑雑感  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月27日(火)09時00分11秒   返信・引用  編集済
  追加です。

 外島保養院の記念碑訪問については 以前に書きました。川の堤防にあり、洋々たる川を見て、当時の洪水の悲劇と悲しみを偲びました。戦時の外の園の悲劇に匹敵する、最大の悲劇と思います。
 


慰霊碑・記念碑雑感  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月27日(火)06時37分51秒   返信・引用  編集済
  「無らい県」を記念して記念碑をたてるという。

  記念碑はやはり関係の所に建てるべきであろうが、そういう理由で県庁なのだろうか。

  慰霊碑は沖縄に多い。24万人の霊をまつり記銘した平和の礎(イシジ)は壮大である。各県の碑もその近くにあり、私は昭和41年にいった。熊本県の記念碑は不知火の塔という。平和の礎には何度もいったが、私は一度だけ6月23日の慰霊の日にお参りした。小泉首相が挨拶された。ハンセン病療養所で戦時期なくなった人も記銘されているのでお参りした。(その当時は1名であった)大勢の参加者の中に 4軍司令官である ヘイルストン将軍に会ったので挨拶した。(マダムヘイルストンは南静園に毎年寄付され、交流のある団体AWWAの長として、表彰されたことがある)
 江戸時代に明和大津波とよばれる津波があったが、犠牲者の慰霊の碑が石垣島にある。宮古島にもあるようであるが、探せなかった。嘉手納基地の中には、終戦をサインした(昭和20年9月)場所にPeace Parkがある。戦争の後、マラリア撲滅した記念館は石垣島にあるし、フィラリア撲滅記念碑は宮古島福祉保健所にある。私はハンセン病がなくなったので記念碑を建てたらどうだと言ったら、そんなことを言ってはいけません。これが飯の種の人がおおいのだから と 一喝された。

 記念館はいいと思う。ハンセン病療養所自体が 記念館であり、歴史であろう。
 


踏み込んだ議論に・・・。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月27日(火)06時35分3秒   返信・引用
   リベルさん、レス「ありがとうございます!」 私自身の思考も、より深まりを増している様で、感謝に耐えません。

 リベルさんの書き込みを読ませていただいていると、「中庸の精神」・・・中庸主義を連想してしまいましたが・・・、この中庸は単なる不可知論的発想と誤解されやすいですね、私はそのこととの区別が出来る 人 でありたいと、以前考えたことがあります・・・。


 リベルさん発信の、
>この映画が、積極的に社会悪をばらまいた
>り、子供に悪影響をもたらしたり、しない
>限り、容認する、というのです。

 を、読ませていただき、「公共の福祉」ならぬ「公共の被害」という言葉を連想してしまいました。

 この部分は、私が 苦悩 している 部位 と、とても似通っていますので、敢えて提言させて頂きます。

 とても乱暴な言葉の転換であるのかもしれませんが、感じるままに書き込みをさせていただきます。

 「公共の被害という部分に触れていない限り、容認する、というのです」

 全く、可笑しくも無く、批判されるような 概念 ではないのでしょうが・・・、北風さんの ことば を借りれば、「違和感」を、感じてしまうのです。

 公共には個々ということばが、私には思い浮かばれるのですが、「個々」その立場、タチバとも言うべき箇所を、目配り・気配り・心配りといった、充分な配慮がされているのかを、必ず振り返り・立ち止まりながら「知行合一」を目指すべきだと・・・、この精査された のち の行為が必ずや多くの市民間からの共鳴に結び付くと、これまでの拙い体験・体感より感じ入っています。

 私は、今回の星塚敬愛園での「胎児標本の火葬問題」より、“やまね”さん、 “ドン・キショット ”さんの 言霊 が、十二分に理解し、理解できるのですが・・・、ただ前にも述べました「成仏」という概念が私を覆っていることも事実です。標本を 物 などという見方が出来ず、以前から言っていますように「変死体」という見方で見る以上・・・、もしも、もしも 私の子ども だったら・・・、その死体をいつまでも、ホルマリンの中で漂わせておくこと事態、耐えられるであろうか・・・?が、一つの苦悩で、皆さんが言う真相究明までは、断固!火葬などにはさせてはならない!!・・・、その通りなのですが・・・。

 果たして、市民学会として公にしたという事実(※ホルマリンの中の変死体が、わが子ではないか?と、危惧されている全国に点在する関係者の苦悩!)より、その後の 交渉 なり 対応 は、迅速なものであったのか?という傲慢とも取れる思いを持ち合わせているのです!

 親子鑑定にDNA鑑定は使え無かったのか?という糾弾!や、『謝罪はすれど、検視はせず』の厚労省の方針を 究明 は出来なかったのだろうか?・・・が、公表した方々の責任に於いて、慎重に、そして、迅速という矛盾を伴う大変な行為(作業)に、しっかり汗を掻いてきたのだろうか?が、私には付いて回っているのです。


以下は、先日も貼り付けさせていただきました、この部分に触れる書き込みです!

日時: 2006/06/15 07:02
名前: 夕焼け


志村さん、横暴な意見だと聞き流してください!

 厚労省の統括責任者はその代表として、「謝罪」をしてくださいました。
 しかし、

 『謝罪はすれど、検視はせず』 との方針を打ち出し、丁重なる供養を実施するよう指示したと言う事が、報道で全国に流されておりました。

 私はこの胎児標本問題を 世間に問う という姿勢を打ち出した時より、「変死体」という捉え方として、刑事訴訟法に則った過去の不作為が、今の世の中・・・、社会に大きな提起としての 課題 となるべき!と、軌道修正しこれまでの考え方を改めておりました。

 今回の、「お詫び」を受け入れてしまいそうな風潮には、些か疑問を持ち合わせた朝となっています。

 当初、胎児標本にかかわる遺族の心情を考えれば、公にする前に十分すぎるほどの多種多様な方々による論議が成され、「胎児標本問題」がなぜ?起きたのか!!    が、現社会に大きな提起として問われ、市民の課題としての「問題提起」と成る筈!!が、私のこの問題を表面化することの 意義 で有りました!

 刑事訴訟法に基づいた方針が川崎厚生労働大臣の口から聞かれなかった事に、「これで良いのか?」が、頭の中を駆け巡っております!


 リベルさん!

 私は、これからも「民主主義の深化・進化・真価」については、目を凝らしていきたい思いですし、当然、「文章力」の勉強も、頑張っていくつもり・所存です!!

 ありがとうございました・・・・・・、リベルさん!
 


第4回「ロードマップ委員会」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月27日(火)00時44分50秒   返信・引用
  第4回「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」
     3月8日(木)11:00~14:00/東京ドームホテル  B1階「シンシア」(東京都文京区後楽1-3-61)
     #原告団全療協からの推薦でお話をする人:小林洋二弁護士
     #傍聴席:200席
     #事前に申し込みをすれば席を確保できる可能性が高くなります。
      直接厚労省に申し込んでいただくことになります。
     #厚労省の広報はまだ何処にも見当たりません。

先回、第三回「ロードマップ委員会」のとき、小林弁護士がお書きになった「傍聴の奨め」をこちらに転載させて頂いてます。ここから、第一回の議事録をお読みになれますが、呆れ果てた茶番としか言いようがありません。恥ずかしくなったのか、第二回以降は(目下の所)議事録を公表していません。議事次第と提出資料のみ公表しています。

小林弁護士の仰有るように、このまま放っておいては、委員会自身の存立が危ぶまれる状況に陥りかねません。しっかり監視の目を見開いておかないと・・・。
 


ハンセン病問題:風化させず 鳥取県が「記念碑」建立  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月27日(火)00時20分29秒   返信・引用
  やはり「記念碑」ではありますまい。

毎日新聞
 


夕焼けさんへ Re: 直面した課題・・・。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月27日(火)00時05分9秒   返信・引用
  > 映画化を、支援・支持する方々は、「映画化が再審への足がかりに成る」という思いは、皆さんが持ち合わせているのだろうか?と、気になっている点です。

まず、自分が「映画化を、支援・支持する方々」に属していると、再確認して、驚いているのだから、変な話ではありますが、これは事実なのです。このことは、しかし、後で説明します。

少なくとも、私は、「映画化が再審への足がかりになる」という思いは、全く持っていません。この映画が出発点で、どういう方向を向いていたかは、知る由もありませんが、もし「冤罪」を「科学的・実証的」に追求しようとするもので有ったら、そういう期待も持っていたかも知れません。


> 「ハンセン病問題の解決には、今、映画化することが必要なんです」 この映画化するという行為には、欠かせないと思える「遺族と共に!?」このこと抜きに※高齢で時間が無い(園内の高齢化率と、中山監督も最後の作品として・・・)のです。を理由として、映画化の正当性を訴えていましたが、到底、頷けるものではありません 。

前の話と関連するのですが、私はこの映画の「必要性」を感じたのでもなければ、「正当性」を認めているのでもありません。前に一度書きましたが、走り出した機関車が、当初の予定とは違うレールの上を轟音を立てて走っている。もう止まらないものを、身体を投げ出してまで止めようとは思わない。そういう、ネガティブな「賛成」なのです。

この映画が、積極的に社会悪をばらまいたり、子供に悪影響をもたらしたり、しない限り、容認する、というのです。

これは、非難されるべき姿勢かも知れません。がこれが(ちょっとオーバーに言えば)私の生き方なのです。小学5年の時に、敗戦による無茶苦茶に強大なパラダイムシフトを経験した子供の、「成れの果て」です。

が、恥じてはいません。戦争のせいにもしません。戦争の底知れない恐ろしさを今更ながら、噛み締めるのみです。
 


まあ、  投稿者:北風  投稿日:2007年 2月26日(月)16時49分26秒   返信・引用
  古い本ですから。
版元のキリスト新聞社は品切れ絶版。
キリスト教書専門古書店の「友愛書房」(神保町)「待辰堂」(西荻窪)に問い合わせたけれどない。ここになければ、まあ、他で見つけるのは無理かも。

昔、書店で見つからず石館先生のお宅の買いに行ったら在庫がどっさりあったけれど。
先生も今はない。手元の本も誰かに貸したまま戻ってこない。
 
    (リベル) なるほど、そんな厳しい状況なのですね。これは、諦めなければならないかも知れません。お手数をお掛けしてしまいました。ご免なさい。

インターネットで、例えば「2ch」など、欲しい、求む、など呼びかける方法は無いものなのか、今夜、調べてみます。どこかに埋もれているに違いないのでしょうから。情報を、ありがとうございました 。(2.26 16:55)
 


(無題)  投稿者:エリカ  投稿日:2007年 2月26日(月)16時04分55秒   返信・引用
  >求む!『聖書の中の「らい」』

キリスト教書専門店ライフセンターには問い合わされましたか。
http://www.kyobunkwan.co.jp/Publish/Shops.html
 
    (リベル) 有り難うございました。只今発注してきました。色々なところが有るものなのですね。有ることを祈って待つとします。(2.26 16:45)  


「聖書のらい」と「聖書の中の『らい』」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月26日(月)14時57分3秒   返信・引用  編集済
  犀川一夫著『聖書のらい』は遂に発見。古本検索のサイトなどで、しぶとく探していてやっと見付けました。「スーパー源氏」で。最近検索しても無かったのに、今日は有りました。奇跡的に。630円です。きっと送料や、振り込み手数料の方がかかるはずですが、とても嬉しくて。ところが・・・


『聖書の中の「らい」』:スタンリ-・ジョ-ジ・ブラウン著;石館守三訳 (キリスト新聞社)1981/09出版 が有りません。webcatで探しても、日本の図書館に5カ所しか有りません。


求む!『聖書の中の「らい」』

どなたかお持ちの方で、もう要らないと仰有る方、いらっしゃいましたら、価格を沿えてお知らせください。メールでも何でも、結構です。荒井英子著「ハンセン病とキリスト教」の中に、重要な部分は殆ど引用してあるのですが、それを使うと「孫引き」だらけになってしまうので、我慢が出来ません。

何卒、宜しくお願い致します・・・m(_ _)m
 


怒られるかな。  投稿者:北風  投稿日:2007年 2月26日(月)13時35分59秒   返信・引用
  「サムライ・ニッポン」といってもわからない人が多いでしょうから。歌詞をどうぞ。
二番です。

2 きのう勤皇 あしたは佐幕
  その日その日の 出来心
  どうせおいらは 裏切り者よ
  野暮な大小 落とし差し
 


余談:定年記念日を繰り上げて・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月26日(月)13時08分33秒   返信・引用
  12年前の2月28日、私は定年退職をしました。その日から「自分発見」、文字通りの「自分発見」のための第三の人生をスタートさせました。最近出た、五木寛之氏の「林住期」を立ち読みしていて「第三の人生」という言葉を見付けて、我が意を得たりと、嬉しくなりました。

その、定年記念日を三日早めて、昨夜大酒を食らいました。先程目覚めましたが、非道い二日酔いに、苦しんでいます。また深夜に出直します。お許しください・・・m(_ _)m
 


巧言令色鮮矣仁  投稿者:北風  投稿日:2007年 2月26日(月)13時03分59秒   返信・引用
  夕焼けさんの発言は、判り易いとはいえないけれど、仰ることはわかるし、何よりも言うことにぶれがない。「サムライニッポン」的弁舌爽やかよりはるかに貴重。  
    (リベル) 同感、同感!全く同感です。それと、北風さんの”太陽”の部分に、感動して、涙・・・なのです。(2.26 15:01)  


直面した課題・・・。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月26日(月)07時03分52秒   返信・引用
   「直面した課題」などという、大それた題名でとても恐縮なのですが・・・。


 私事なのです。

 以前より、私の書き込みが如何に判り辛いものであるのかは?心ある方々の心遣いより私自身も認知していました。

 そのことへの 努力 は必要と、自分なりに意識し、拙い汗は掻いてきたつもりでしたが・・・、これも自己満足の域は出てはいなかったようです!

 「学歴」の重さをたまに感じることがあります。高卒の私には、大学校で学ばれてきた方々との「差異」を至る場面・箇所で感じ取れることがあります。

 「知識」の豊富さが、如何に 人に伝える行為 としては、大事なもので、知識という宝物があるということで、活かされた創造力に結び付き育んでいくのか!?を、やはり、侮れない・・・と、感じているこの頃です。

 感性 というものは、とても大事だと思うからこそ、その知識の修練と、コミュニケーション術は必要不可欠であるということを、このBBSより私は学ばされております。

 「直面した課題」というのは、「人に上手く伝えるための、文章力への強化」という、疎かにはできない大事な課題だという点です! しばらくは、この「上手く伝えるための汗の掻き方」と、いうものに本年の課題としても取り組むべきと、思っています。


 余計なことなのでしょうが、「傾聴!徳田弁護士、藤本事件を語る!」を読み、徳田先生の「・・・再審を目指したが、遺族の強い意向もあって、断念せざるを得なくなった」という発言が、事実なら・・・、私は徳田弁護士の「恐さ・怖さ」を感じずには  いられない(おれない) と、思いました!

 この文章からの社会(世間・世論)への導きが、非常に一義的なものの見方からの示唆のように感じられるからです。
 「状況が許せばやりたい、やらなければならない」という徳田弁護士の大いなる矛盾を、私は感じてしまいます。

 再審を目指したが、遺族の強い意向(再審に対し反対)もあって、出来なかった!

 この言葉を、発するからには、それなりの事情説明、「機微」なる行為が最も必要な時だと感じています。
 「映画化制作」に対しての、疑念を市民学会に提起している方がいる以上、そこには機微成る抱擁からの言葉のあり方というものが合って、「然り」だと、思えるからです。

 この時期に、映画化と再審が同じ導きの下にあるかのように取られる、言葉の羅列にはその発信する真意というものを、疑わざるを得ない心境です。

 私たち?(私が)が今回提起している大きな矛盾の一つに、
<映画化が決して再審への道程になっていないと、思えるからこその「市民学会」に対する不満です。>
 なのに、徳田弁護士の「遺族の強い意向もあって、断念せざるを得なくなった」その真意については、一言も触れようとしていないところに「なぜ?」が、私を覆っているのです。

 リベルさんともこの点については、皆さまと、多くの論議をして来た様に思いますが、リベルさんが発する、
「やはり、「けりをつけなければ」と思って居られることを知りました。そうだったのか、諦めたわけではなかったのか・・・と」 この言葉を聞き、

 映画化を、支援・支持する方々は、「映画化が再審への足がかりに成る」という思いは、皆さんが持ち合わせているのだろうか?と、気になっている点です。

「ハンセン病問題の解決には、今、映画化することが必要なんです」 この映画化するという行為には、欠かせないと思える「遺族と共に!?」このこと抜きに※高齢で時間が無い(園内の高齢化率と、中山監督も最後の作品として・・・)のです。を理由として、映画化の正当性を訴えていましたが、到底、頷けるものではありません 。
 


Re: 傾聴!徳田弁護士、藤本事件を語る!  投稿者:北風  投稿日:2007年 2月25日(日)09時47分56秒   返信・引用
  > 「裁判のやり方など問題も多く、再審を目指したが、遺族の強い意向もあって、断念せざるを得なくなった。しかし、状況が許せばやりたい、やらなければならない、という気持ちに変わりはない。私が引退した後も、後を継ぐ人にこれだけは託したい。日本の法曹界にとって、この問題にけりをつけないでいることは許されない」(熊日企画「ハンセン病とともに」から)
>
> やはり、「けりをつけなければ」と思って居られることを知りました。そうだったのか、諦めたわけではなかったのか・・・と。

これを関原勇弁護士が言うのではなく徳田弁護士が言うことに「違和感」を禁じえない。
 


夕焼けさんへ Re: 「成仏」という概念が、私を悩ませます・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月25日(日)03時42分4秒   返信・引用  編集済
  >  「何々の為だったら、多少の犠牲は・・・、仕方の無いことだろう!」
>
>  社会に中で活かされていると、こういう判断、決断に迫られることって、ただあるのでは?と、感じています。
>
>  もし、時間がゆるされるのであれば、深められた論議の末にこの結論を導き出す努力が、より後世の 後輩諸君ら からも、支持されることにつながることだと考えています。
>
>  映画化問題でも、標本化問題でも、この部分が、蔑ろにされていた感が、私を覆い、「市民学会」と、名付けられたその真意を今一度、考えてみる必要性を感じています。
>
>  いち市民として、この「ハンセン病市民学会」と、名付けられた市民学会という響きには、期待と、決して衆愚化(力なき正義は無力だ!を、一義的に前面に押し出し愚民視された集団)などにさせては成らぬという共同代表者の 願い と、「参画型民主主義」の意義を見つめて行くといった「大義」が感じられ、当初、期待を越えたものを持ち合わせていました。
>
>  ただ、今、私の一番気にかかることといえば、冒頭に言葉にしました「正義?の為だったら、多少の犠牲も・・・」という風潮が、私には見え隠れすることです。
>  この点は、今後も「被差別化」された多くの事象に一市民ではあるけれど携わっていくのであれば、もっと、もっと 憂慮 されていかなければと思っています。
>
>  なぜなら、「何々の為だったら・・・、犠牲は・・・」 その犠牲からの「被害者」を根幹に立ち上げた「ハンセン病市民学会」であるはずだからです。
>  痛みを知り、分かち合える要因があるからこその、活かされた「市民学会」の方向性は、私たち市民の課題でもあるし、この信念からの共感が、「良好な人間関係」の 礎 のようにも感じています。
>
>
>  今回の「標本化」の問題で私を悩ませている大きなものは、わが子を守ることが出来なかったという執着からの、区切りです。
>  一つの出来事が、その人の人格までも変えてしまったという・・・、生かされていれば必ず起きるであろう事実に遭遇した時、その要因にいつまでも、思い考える行為が、いつの間にか、その人の精神構造までも・・・。
>
>  「成仏」という、広い意味での教義からの「安心」という概念が、この「標本化」の問題に触れ始めたとき、私を襲った 苦悩 でした・・・。
>
>  この「苦悩」は、今だに持ち合わせているようです。どうやればこの苦悩から逃れられるのか・・・、示唆をお願いしたい思いです。



このご投稿が、「私を悩ませ」ました。「示唆を・・・」と仰有っているのに、書けないからです。理由は、お話しのポイントがなかなか掴めなかったからだと言うことが分かりました。今、ポイントを私なりに整理しました、大胆に。

1)市民学会は、『正義(?が付いていますが、大義とかでしょうか)のためだったら・・・、犠牲はやむを得ない』という考え方(風潮)による判断が多い。「映画化問題」でも「標本問題」でも、それが見られる。

2)「成仏」という言葉で、「わが子を守ることが出来なかったという執着」から逃れられない「その人の精神構造」を有耶無耶に(犠牲に)するのは、正しいのだろうか?その「苦悩」から逃れられない。どうすれば逃れられるか、示唆が欲しい。

夕焼けさん、こういう風に受け止めても良いのでしょうか?間違っていそうで、ビクビクしていますが。間違っていたら、ご指摘くださいね。

もし正しいとすれば、私の答えは、(恐らく、答えを求めて居られるのではないと、お察ししていますが)

「逃れる方法は、無いでしょう。みんなそうなのでしょう。そういう苦悩は身体の健康を害するものではないから、(仏門にでも入らない限り)堪えていくしかないと思います」

です。


なお、市民学会の今回の星塚敬愛園の「胎児標本問題」についての緊急声明を、もう一度読んでみました。読みにくいので、勝手に小見出しを付けてみました。ご参考までに。これを読む限り、私には「夕焼けさん解釈」が読み取れませんが・・・。
 


傾聴!徳田弁護士、藤本事件を語る!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月25日(日)02時17分36秒   返信・引用
  「裁判のやり方など問題も多く、再審を目指したが、遺族の強い意向もあって、断念せざるを得なくなった。しかし、状況が許せばやりたい、やらなければならない、という気持ちに変わりはない。私が引退した後も、後を継ぐ人にこれだけは託したい。日本の法曹界にとって、この問題にけりをつけないでいることは許されない」(熊日企画「ハンセン病とともに」から)

やはり、「けりをつけなければ」と思って居られることを知りました。そうだったのか、諦めたわけではなかったのか・・・と。
 


(無題)  投稿者:ルリカケス  投稿日:2007年 2月24日(土)22時28分42秒   返信・引用  編集済
  ドン・キショット様
はじめまして、元和光園の森田です。
伊藤赤人さん2006年に帰天されたのですか?多磨の職員を通して「望郷の丘」頂きました。お礼の便りをいたし、多磨来園の折には訪ねる積りでいました。私も真似事でたまに五行歌を作り友人にメールで送りますが、今一五行歌の意味が知らないで、理解しがたいです。
今年あたり多磨「全生園」に行く積りです。私事で並里先生のクリニックを訪ねる積りでいました。多磨来訪の折には、納骨堂にお参りいたします。ではご冥福お祈りいたします。
 


(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月24日(土)13時07分52秒   返信・引用
  *Ichiroさま:伊藤赤人さんのプロフィールを(簡略ですが);

1928(昭和3)年、北海道礼文島に生まれる。3歳のとき、警察官であった父が赴任地の礼文島で死去。以後、祖父母の住まう千葉県で育つ。1944(昭和19)年、16歳時に多磨全生園に入所。18歳時、母の死去に際し一時退所したが、後帰園。2006(平成18)年9月27日帰天、享年78歳。約60年を療養所に暮らした。
入所間もなくから詩作をはじめ、主として園誌『山櫻』(後『多磨』と改題)に発表。1950(昭和25)年12月創刊された藁半紙ガリ刷同人詩誌『灯泥(ひどろ)』に國本昭夫(衛)さんらと参加(このときの筆名は白浜博史。以後の詩作では、北見洋介、白浜浩、白浜広史などの筆名を使用)。全生園の詩話会同人が少なくなったことに加え俳句にも関心があったことから、1985(昭和60)年には多磨の俳句の会「芽生会」に参加(筆名、伊藤赤人)。1998(平成10)年9月から五行歌をはじめ(筆名、伊藤赤人)、最期まで句作と作歌を続けた。作品集に五行歌集『望郷の丘』(市井社、2004年)がある.
・・・・・・・・・・・・・・・・・
よろしければ、このBBSの「投稿者」名をクリックしてご連絡ください。
(詩や俳句も少しご紹介させていただきたく存じます。)
 


再度リベル様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月24日(土)08時34分39秒   返信・引用
  おはようございます。

 新井先生の本はまだ読んでいません。早速入手したいと思います。

 話は変わりますが Wikipediaで書かれたことは100%正しいわけではないのですが、それを学生の試験でこれで勉強し間違いを回答するということが あり、禁止というか 注意が なにかに出ていましたね。(不確かな情報で申し訳ない)。

 脇が甘い。

 それから小生は一生は捧げていません。皮膚科医師と思っています。ハンセン病療養所勤務歴は14年です。
 
    (リベル) Wikipediaは、何しろ、私の書いたものが、そのまま、「権威有る記述」であるかのように堂々と存在するのだから、いけません。先ず疑ってかからなければ。試験の答えの参考にするなどとは、本場アメリカの学生の認識が甘いとしか、言いようが無いのでしょうね。2月23日の朝日新聞です。

ご免なさい、「一生」か「半生」か迷ったのですが・・・(>_<)

「新井先生」ではなく「荒井先生」ですよ・・・もう・・・(>_<)(2.24 11: 49)
 


リベル様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月23日(金)21時56分54秒   返信・引用
  リベル様

 Leprosy が現在の leprosyとは 違った病気をも指すということだと思われますが、リベルさんの研究をご教示ください。私は とんでもない 思い違いをしているようです。

 ドン・キショット様

 伊藤赤人さんは どんな方でしょうか。ご教示いただければ幸いです。

 ハンセン病文学全集 8 には 歌人1200名の説明がありますが 掲載されていません。
 
    (リベル) 私は、Ichiroさんが、「leprosy」に一生を捧げてこられたと、承知しています。その様な方に、駆け出しの私が、ご教示申し上げるようなことが、有ろう筈も有りません。「ダマスカスのジョンが憎い  投稿者:リベル  投稿日: 2月23日(金)05時03分48秒 」の書き込みを、良くお読み頂ければ、私の申し上げていることをご理解頂けると、思い、また、そう願っています。

ご免なさい、今、気付きましたが、私は、荒井英子著「ハンセン病とキリスト教」は、お読みになっていることを前提に、話をしていました。もし未だでしたら、第四章「ハンセン病と聖書」だけでも、お読み頂くと、私が何を言っているのかが、良くお分かり頂けるかも知れません。ご免なさい、思い込みが激しいものですから・・・。(2.23 22:26)
 


Re: 象皮病など  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月23日(金)17時52分16秒   返信・引用  編集済
  >エレファンチアージスは象皮病です。これは熱帯にみられるミクロフィラリアによるリンパ浮腫で、通常は下腿から足にかけてみられます。今まで知られたうちの最大のエレファンチアージスの人は奄美大島の3本足の方です。これは前インターネットにでていましたのを見ました。(捜してみてください)戦後、鹿児島県や沖縄県でも流行しましたが、現在は日本では根絶しています。

皆さんの、誤解を避けるために、書きます。Ichiroさんのお書きになっているのは、現在の「象皮病」の話で、現在は大辞林でこう説明しています。

『ぞうひびょう【象皮病】: 皮膚および皮下組織にリンパ液が鬱滞 (うつたい) して結合組織の増殖を来す病気。糸状虫や数種の細菌の感染によって起こり、患部は腫脹・硬化して象の皮膚のようになる。(中略)熱帯・亜熱帯地方に多い。 』

私の書いたのは、歴史上の話で、現在の「象皮病」の存在とは、全く関係がありません。「歴史を振り返れば、ガレンが「ハンセン病」のことをそう称した」という史実が有るだけなのです。


また、誤訳に触れて頂くのなら、「lepromatous leprosy」というのは、今の分類では、頭文字を取って LL型(らい腫型)と言う。のかどうか?むしろその辺に触れて頂けるのかと、期待していたのですが。


Ichiroさん、こういう話は、学者なのですから、誤解を招かないように、キチットご説明頂かないと、いけないのではと、愚考します。書いてあることを、もう少し良くお読み頂いて、それから、Ichiroさんがお書きになることが、どう読まれるか、医学博士の言葉が、どういう重みを持つかを、お考えの上で、お書き頂かないと。「尻拭い」は好きでやっているのではないことを、ご承知置き頂かないと本当に困ります、と・・・苦言を呈させて頂きました。失礼の段、平にご容赦を・・・。
 


(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月23日(金)15時44分14秒   返信・引用
  *Ichiroさま:他園でのことはお聞きしたことがないので、申し上げられませんが…。

多磨における胎児標本の管理は(私の聞いた限りでは)かなり杜撰だったように思われます。
在園者の方から、子供の頃園内を散歩していて、納屋みたいなところに入ったら、棚に標本が並べてあった、という話をお聞きしました。
あくまでも想像にすぎませんが、恐らくは“利用”されなくなって以降、国倍訴訟時の証拠保全や検証会議等で胎児標本問題が公にされるまで、園側はほったらかしにしていたのではないでしょうか?

『開かれた扉』p.239-240を見ますと、邑久光明園における証拠保全時には、
「臓器室は施錠されており、」「臓器室内部には多数の臓器と胎児の検体があった。」
「自治会長も数日前まで、ここに検体が保存されていることを知らされていなかったらしい。」
とありますから、園によって保管状態はかなり異なっていたかもしれません。
しかし、医学研究に供された形跡はほとんどみられないといわれていますね。
 


象皮病など  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 2月23日(金)12時45分26秒   返信・引用  編集済
  象皮病などなど

 エレファスとは何ぞや。
 リベル様 ご苦労様。

 エレファンチアージスは象皮病です。これは熱帯にみられるミクロフィラリアによるリンパ浮腫で、通常は下腿から足にかけてみられます。今まで知られたうちの最大のエレファンチアージスの人は奄美大島の3本足の方です。これは前インターネットにでていましたのを見ました。(捜してみてください)戦後、鹿児島県や沖縄県でも流行しましたが、現在は日本では根絶しています。宮古島市の福祉保健所にフィラリアを根絶したという喜びの碑がありますので、いかれた方はご覧ください。

 誤訳の源ですが、私はこれは盛り上がったもの、ということでつけたのではないかと想像します。すなわちハンセン病のL型、昔の言葉でいうと結節らいが入るのは当然ですね。味噌もくそも一緒という翻訳でしょうかね。どうも疑問をもちます。英語でいえば sweeping generalization.


 聖書あたりにある白斑はらい性の白斑でなく、尋常性白斑と思います。これは治りにくい皮膚病の代表です。現在でも治りにくい。

 なおダミアン時代でも、梅毒とらいは混同されていました。明治の初期に日本の病院を訪れたある外人は 日本人はハンセン病を梅毒と誤診しているとかかれていましたが、私はこの観察は疑問に思います。しかし、梅毒とらいは混同された時代があったのは事実で、ハンセン病を発病したダミアン師は 女たらしであるとハイドという神父から猛烈な言葉を呈せられています。(即ち 性病に罹ったと) 宝島を書いたスチーブンソンはこれに猛烈に反発して、ハイドを悪人に仕立てていました。なおダミアン神父が潔癖なことは ダットン神父が神父自身から告白を受けておられます。
(悪口の本はジキル博士とハイドといわれますが、小生は読んでいません。)

 蛇足:ハイドの文章は私はあるエッセイに引用しました。話がごちゃごちゃですみません。

 なお、leprosyは現在のHDを含むのは当然で、西洋のラザレット(寺院などにある患者の施設)を発掘した学者は、ハンセン病の変化を骨に証明しています。アレホド多数いたハンセン病患者がいなくなったのは学者が色々いっていますが、隔離のせいだけではないと思います。それより西洋の人が喜んだのはペストの消失で、ミュンヘンの市役所にある大きな時計をみるとその喜びがわかります。

 夕焼け様

 いろいろ考えることが多いですね。花見には恵楓園においでになりますか?

ドン・キショット様

 伊藤赤人の5行歌のその歌ははじめて知りました。知らせてくださって有難うございます。しかし、ショックです。
 そのためだけでは1体あればいいのでしょうが。 他の園でも、そのような使い方をしたのでしょうか。
 標本は、部屋か倉庫の片隅に蓋がある戸棚にひっそりと保管してあるだけと思っていましたが..........
 


(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月23日(金)09時36分22秒   返信・引用  編集済
  「夕焼け」さんのお名前を拝見するたびに、思い出すことがあります。それは、夕焼けさんが「風の舞い」BBSで、かよこさんに“猫パン”を注文されたときのことなのですが、あれは2003年末か2004年でしたか? こんなふうな関わり方って素敵だな、という印象があって、私のなかにはいまもしっかりと刻みつけられています。
苦悩を抱えてこられた方々とともにある問題を考えるとしたら、それに関わることによって自分自身もまた悩みつつ考えることになるのは当然なのかもしませんね。むしろ、自分自身の問題として悩まないですませるほうがおかしいかも。

(ごめんなさい。私自身しょっちゅうぐちぐち悩んでいるので、逆に、ちょっと勇気づけられました、ってことであります。)
 


「成仏」という概念が、私を悩ませます・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月23日(金)06時44分40秒   返信・引用
    「何々の為だったら、多少の犠牲は・・・、仕方の無いことだろう!」

 社会に中で活かされていると、こういう判断、決断に迫られることって、ただあるのでは?と、感じています。

 もし、時間がゆるされるのであれば、深められた論議の末にこの結論を導き出す努力が、より後世の 後輩諸君ら からも、支持されることにつながることだと考えています。

 映画化問題でも、標本化問題でも、この部分が、蔑ろにされていた感が、私を覆い、「市民学会」と、名付けられたその真意を今一度、考えてみる必要性を感じています。

 いち市民として、この「ハンセン病市民学会」と、名付けられた市民学会という響きには、期待と、決して衆愚化(力なき正義は無力だ!を、一義的に前面に押し出し愚民視された集団)などにさせては成らぬという共同代表者の 願い と、「参画型民主主義」の意義を見つめて行くといった「大義」が感じられ、当初、期待を越えたものを持ち合わせていました。

 ただ、今、私の一番気にかかることといえば、冒頭に言葉にしました「正義?の為だったら、多少の犠牲も・・・」という風潮が、私には見え隠れすることです。
 この点は、今後も「被差別化」された多くの事象に一市民ではあるけれど携わっていくのであれば、もっと、もっと 憂慮 されていかなければと思っています。

 なぜなら、「何々の為だったら・・・、犠牲は・・・」 その犠牲からの「被害者」を根幹に立ち上げた「ハンセン病市民学会」であるはずだからです。
痛みを知り、分かち合える要因があるからこその、活かされた「市民学会」の方向性は、私たち市民の課題でもあるし、この信念からの共感が、「良好な人間関係」の 礎 のようにも感じています。


 今回の「標本化」の問題で私を悩ませている大きなものは、わが子を守ることが出来なかったという執着からの、区切りです。
 一つの出来事が、その人の人格までも変えてしまったという・・・、生かされていれば必ず起きるであろう事実に遭遇した時、その要因にいつまでも、思い考える行為が、いつの間にか、その人の精神構造までも・・・。

 「成仏」という、広い意味での教義からの「安心」という概念が、この「標本化」の問題に触れ始めたとき、私を襲った 苦悩 でした・・・。

 この「苦悩」は、今だに持ち合わせているようです。どうやればこの苦悩から逃れられるのか・・・、示唆をお願いしたい思いです。
 


ダマスカスのジョンが憎い  投稿者:リベル  投稿日:2007年 2月23日(金)05時03分48秒   返信・引用  編集済
  ことの発端は、この一文でした。

In fact the Greek word lepra, derived from the biblical Hebrew word tsara'ath(ツァラアト),was not used to describe lepromatous leprosy until AD 800 by the Arab physician John of Damascus.(これの7頁です)

これを読んで、へえ、「lepra」が現在の「ハンセン病」の意味で用いられたのはAD800年頃からなんだ・・・と思いました。しかし、裏付けが無い。もう一つ、同様の記述を見付けようと、検索を始めたのです。

ここで吹き出される方を、尊敬します、と言うと、さらにバカにされるかも知れません。漁師山を見ずなどという次元ではないバカだったのですが・・・


いろいろ検索をしていると「聖ジョン・ダマスカス」という人が出てきます。あちらのWikipediaほかに。この人も中世の人で、同じ頃の人だから、間違えるのも無理はありません。実際には内科医の方は777-857年で、聖者の方は676~749年だったのですが。

そういうややこしいことが有ったものですから、ここ2週間近く、あれやこれやと探したり、悩んだりしました。そして、少しずつ分かってきたのが、この二人は全く関係のない別人であること、に加えて、ショックだったのは、最初の英文の読み違いが、判明したことなのです。こんなのが見付かり始めました。

John of Damascus, an Arabic author(777~857 CE), was the first to use the term lepra, and is said to have made one of life's biggest mistakes by describing a disease later to be known as Hansen's disease as lepromatous leprosy.( ここの94頁)

This mistake is an old one, first made by John of Damascus, an Arab doctor of the ninth century, who mistakenly took the Gtranslation(「ギリシャ語訳」の意味だと思います) of tzara'at, “lepra,” to mean “leprosy,” when in fact the Greek word for leprosy is something like “elephas.” (こちらのLeprosy in the Bibleの項。tzara'atも「ツァラアト」、elephasは「象皮病」です)

他にもあるのですが、もう止めます。何十枚も印刷して、英和辞典と何十時間も格闘して・・・。


何がバカか?

「Leprosy」が現在の「ハンセン病」の意味で使われるのは、ハンセンが「らい菌」を発見してから後に決まっているからです。この2週間は、何だったのか・・・呆然自失!

これ、無理ないでしょう・・・(o_ _)oパタッ!
 


追加  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月22日(木)12時30分32秒   返信・引用
  違和感といえば、
“ハンセン病は治る病気です”
“ハンセン病は遺伝病ではありません”
“ハンセン病は感染力が弱く、感染してもまず発症することはない病気です”
といった類の、啓発宣伝文句。
突っ込みの趣味はないけれど、このような宣伝文句のどこが“啓発”なんじゃろう?
とギモンに思うことしきり。
 
    (リベル) ご参考までに、新聞社、厚労省、法務省などの解説は、この様になっています。(2.22 17:30)  


(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 2月22日(木)12時10分5秒   返信・引用  編集済
  *未感染胎児

  生きていた    伊藤赤人
  姿のまま
  ビーカーの海に
  今も 漂っている
  未感染 胎児

赤人さんが全生五行歌会にこの歌を出詠されたとき、ある女性がこう言われた。
「わたしたちも見せられた。結婚してもし妊娠したらこうなる、という脅しだった」と。
男性も見せられたそうだ。
もし断種手術を受けずに妊娠させてしまった場合にはこうなるという、見せしめとして。

断たれたいのちは、生きることを許されなかったばかりか、療養所内で結婚する人たちに断種/不妊を強いる圧力としての役割を担わされてもいたのだ。
その役割はとうに終えてしまっている。しかし、今度は“荼毘に付す”という名目で、国と園側は犯した過ちの証拠でもある胎児標本を慌てて処分しようとしている。
身元すら確認できない胎児たち、いのち断たれた後も抑圧の道具として利用された彼らは、もはや存在することも許されないのだろうか。
なろうことなら、胎児たちよ、「まだ、焼かないで」と声に出して言ってほしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
赤人さんが堕胎児標本の“ビーカーの子”を詠まれたものは(私の知っている範囲では)あと2首ある。

  ハンセン病の    伊藤赤人
  闇の中に半世紀
  今当てられた
  光りに戸惑う
  ビーカーの堕胎児

  唯一無二の     伊藤赤人
  吾が子
  堕胎児を
  ビーカーに探す
  老女の一念

上は『多磨』2006年7月号、下は同8月号に掲載。
五行歌をはじめてからの赤人さんはハンセン病のこと、隔離のことも随分詠まれている。けれども胎児標本のことを詠まれたのは最晩年になってからであった。よく歌会などの場では「昔と比べれば、今は天国」と仰っていたけれど、これだけはどうしても詠んでおかねば、というお気持ちだったのではないかと、今にして思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○○さま

↑は、私的なダイアリーに書いたものですが、
リベルさんとこのBBSに書くことを躊躇う自分がおります。

でも、胎児標本が決して単に保管されていただけではなく、
こういうふうな残酷なかたちで使われたのだということを、
少しでも伝えたくて書いたものです。

このことについて、なぜ当事者たちがもっと声に出して言わないのかという、
私のギモンに対して、知人からこう言われたことがあります。
―あの方たちは傷ついている。あなたなどがその傷を抉る権利はない―と。
私はそのような意見に納得も加担もしてはおりませんが、
センシティヴな問題であるだけに、当事者から声をあげてほしいと思うのです。

私のようなごく普通の病気/障害もちは、
健常者の方から、こう言われています。
―あなたのような普通の障害者とあの方たち(=ハンセン病回復者の方たち)とはわけが違う、あの方たちの苦しみやご苦労が、一般の障害者にわかるはずがない。
わかるはずのない者が、わかったふうなことを言うな―と。

それを言っている健常者の方は、それこそ“差別意識のない差別”で、
一般の障害者とハンセン病後遺症の障害者を差別していることに
気づこうとすらしていません。
そういう方たちにとっては、ハンセン病だけが関心を向けるに値する“特別な病気”なのでしょうね。
ハンセン病問題に関わりはじめて最初に驚いたことの一つはそれでした。
ハンセン病問題に関心をもつ方々は、ハンセン病に特化した関心をもちやすいのでしょうか。ハンセン病という疾患が他の一般的な感染症や疾患と異なることは、
他の一般的な疾患より特別な関心をひくというところにあるような気がいたします。
その“特異性”は、非常に根深いところに発しているように思います。

日頃活動をともにしている健常者から、あなたがた普通の障害者にハンセンのことがわかるはずがない、と言われ続けていますが、一方、ハンセン病回復者の方からも同じようなことを言われます。
―ごく僅かの方(私の知っている方ではたったの二人だけ)が、“同じ社会人”で“同じ障害者”だと言ってくれていますが―この壁を、わたしはいまだに突き破れずにおります。

私がハンセン病問題に関わっておられる方々に違和感を感じている一つは、
ある人々にとっては“ハンセンがおいしい”病気(=問題)になっているということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑は、私的なメールとして送信したものですが、ここに貼らせていただきます。

私がここで、“当事者”と言ったのは、堕胎をさせられた方々のみでなく、堕胎児の標本を見せられて、こころならずも断種/不妊を受け入れ、園の“掟”に従わしめられた方々を含んでいます。彼らもまた被害者でしょう。しかし、一方、すでに断種手術を受けて園内で結婚している人たちが、同じ悩みを抱えている人たちに、「私たちもやったのだから、お前もやれ」と説得する側にまわらなかったといえるでしょうか。辛い現実を受け入れ傷を負っている者が、今度は他者にも自分と同じ立場に立つように説得することで、この“掟”に関する園内秩序が保たれてきた経緯もあったのではないでしょうか。そういったことをも考えれば、彼らが胎児標本についてあえて強く“検証”せよと言わないでいることも肯ける部分があります。
しかし、しかしです、そうした個々人の抱える哀しみ乗り越えて、やはりこの問題をまっこう問い直してほしいと思います。でなければ、胎児標本という証拠がなくなってしまえば、風化していくだろうと思います。人は歴史から学ぶことができると信じて、この件を検証し追及してほしいと思っています。
 


Ichiro さま  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 2月22日(木)07時41分45秒   返信・引用
  >>夕焼け様

 お元気で書いておられるようでなによりです。
 短くコメントしたいと思います。<<

 Ichiro先生が気遣いして下さっています、「お元気で」・・・なら良いのですが・・・。

 元気など、全くありません・・・ヨ、先生!

 このBBSを訪問させて頂いているには、何度も述べましたように、「学び舎」としての位置づけから来るものです。

 リベルさんより、
 >>(リベル) 申し訳ありません。私は、72歳の、クタバリカケです。仰有ることが、理解できません。どうかもう、見放して下さい。こんな馬鹿に百万言を費やしても、どうしようもないと・・・。お願いします。夕焼けさんの素晴らしい熱意とエネルギーを、もっと有用な方向にお使いください。本当に、ご免なさい。努力したのですが・・・(涙)(2.8 23:46)<<

 私は、リベルさんが言う「もっと有用な方向にお使いください」という思いを聞き、多くを考えさせられました。
「アクセスについては自由なのでしょうが、書き込みに対しては今ひとつ配慮するべきなんだろうなぁ~」と。

 たぶん、Ichiro先生もこのあたりを配慮してくださり、「お元気で、なにより!」と、発して下さったのではないのか?と、考えているところです・・・

 しかし、間違いなく!!このBBSは私にとっては、「学び舎」であることには違いありません!

 北風さんの、>>ひとつの違和感  投稿者:匿名希望@北風  投稿日: 2月20日(火)10時33分12秒 <<

を、読ませていただき、この書き込みに対しての「敬意」は、どうしても表したくなってしまいました!

 リベルさんの、北風さんの想いに対する、素晴しい考察・・・、
>>事実を「受け止める」ということには二段階有ると思います。先ず事実を「知り」、それから「考える」、という二段階でしょう。(先ず事実を「認識」し、次に「思考・分析」するという意味です。これは只今注釈を。)「受け止める」際には感性と、勉強や、蓄積された経験が働きます。そして、それを土台にして、「知った」事実を「考え」、分析するのだと思います。「知る」段階で未知で未経験であった者が、どう分析し、対処できるのか?これが北風さんの問題提起の根元であり、「違和感」の発生源ではないでしょうか?<<

の後に、如何なものか?とも思ったのですが・・・、以前より私には、重い提起と、捉えていた「ついでに」という昨年の書き込みにも触れたいという思いもありまして、投稿させて頂いたという訳です!

 私は、北風さんの今回の投稿より、 易経の原文に在るといわれる、『君子豹変、小人革面』の解釈を使って、改めて、敬意を伝えたいと思います。


>>※「先人の知恵を拝借」より・・・引用。

「立派な人物は、自分が誤っていると分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない」

 「君子は豹変する」という教えは、変化し揺れ動いている現代社会に当てはめてみた場合、新しい意味を持ち、応用の範囲がひろくなっています。
 現代社会の特徴の一つは 価値観の多様化であり、さらには価値基準の変革ではないでしょうか。
 たとえば、「真理の探究」や「真実一路」の求道精神は最も高い美徳として考えられてきました。孔子は、論語のなかで、「朝に道を聞かば、タペに死とも可なり」と述べ、真理の探究に人生を捧げるその学究的な姿勢こそが、最高の人生航路の指針であると教えたのでした。
 もちろん現代でも、真摯な態度で真理を追求することの大切さは変わっていませんが、真理そのものが相対化し、複数の真理が見いだされるようなことになると、あまりに一途な姿勢では、世の中がうまく渡れず、良好な人間関係を全うすることができなくなるのではないでしょうか。<<

 故事に学ぶ・・・「先人の知恵を拝借」より、引用させて頂きました!


<追記>

[良好な人間関係]の、定義!「良好な人間関係ってどういう関係のこと?」を、考察しておくことも 大事 なことのように思っています。
 



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