私がある疾患の日本第1例を書いて、2年ぐらいして次の論文がでた。私の論文を引用しなかったので当然Letter
to the
Editor欄(編集者への手紙欄:雑誌によって名称が違う)で文句を言った。研究者によっては、種々発表の機会があるから、明確にさせるべきと思う。しかし、検索が簡単になった現代では、昔の論文は無視する人もいる。先行の論文直後だと、次の研究者が知らないこともある。
ところでようやく解決しました。
やはりリベルさんが正しいようです。私はSulfanilamideがらいに有効という論文
Public
Health Report 67:Dec.11,1942 を発見し、これが、画期的な論文であるという
Public Health Report
を信用したのです。実際その雑誌は 2回に亙り public health に歴史的意義(historic significance)
があると発表されています。
「The
first of these was the discovery by Do G Armoire Hansen of Norway in 1873 of the
bacillus which causes leprosy. This microorganism was later to be classified as
Mycobacterium leprae.Next was the initial use in 1941 of sulfone therapy in the
form of promin by Do Guy Faget, of Carville, and the report in 1943 of its
dramatic beneficial effects (11).」
「(11) Faget GH, Pogge RCC, Johansen
FA, et al: The promin treatment of leprosya progress report. Pub Health Rep
58:1729-41, 1943. 」(3.25 12:17)
方法:global project on the history of
leprosy(検索).......person
1891年ー1947年。
アメリカ生まれ。25年間彼はUS Public
Health Service の distinguished officerであった。1940年にカービルのmedical
officerとなる。sulphanilamideを9名のボランテイアに試し、潰瘍がすばやく改善することを発見。1941年3月、プロミン使用開始。1943年にProminがハンセン病に著効と発表。1943年diasone,promizole使用開始する。
1947年の国際らい学会(東京)でpioneer
sulfone therapistとして公的に表彰さる。
Ichiroの質問:the 7th International
Congress of Leprology が東京で1947年にありましたか
?
ハンセン病患者の写真といえば思い出すことがあります。もう10年以上になると思いますが当時駐日英国大使Sir
John Boydの奥様 Lady Julia Boydがハンナリデルに関するいい本を出版されました。皆さん読まれたと思います。Lady
Boydは それ以前もいい仕事をされ、最近もいい著書を書かれています。邦文版は専門家により翻訳され日本経済新聞社から出版されました。英文版は有名なタツル商会です。勿論内容はidenticalと思います。
ただし、写真の数はタイヘン違っていまして、英文の方は倍ぐらいありました。問題はその1枚です。鞍鼻のある、息をのむ患者の顔でした。その写真は増田勇がリデルに贈ったものの1枚です。当然邦文版には掲載されていません。
リデルライト両女史記念館前館長の藤本先生によると、もう完売したようです。邦文版はいろいろの所にあるでしょうが、英文の方を見たいという方はリデルライト両女史記念館にあります。Lady
Boydの最近の本ですが:
●A
Korean Model for the Healing of Leprosy
-The Resettlement Village Movement by
Spiritual, Physical & Socio-Economic Rehabilitation for persons with
Leprosy.
by Joon Lew M.D. 1993. Lew Institute for Biomedical
Research.
*リベルさんへ:
先に挙げた“Faget
sign”のFagetは,Guy Fagetではなく,Jean C.
Faget由来語です.手許の医学辞典で同じスペリングのフランス人医師の片仮名表記がどうなっていたか,という例でした.(まぎらわしいことを書いてしまって申し訳ないです.すみませんでした!)
Rudolf
Ludwig Karl
Virchowについてもそうですが,辞典記載の片仮名表記にもばらつきがみられます.そして,辞典記載の表記と臨床現場での使用も必ずしも一致しているとは限らず,したがって,邦文の医学論文であっても日本人以外の人名表記は(原則的に)欧文表記が一般的になっていると思います.
医学では取り扱う範囲が多岐にわたるため,各学会が独自の“用語集”を作成していますが,こうした“用語集”では通常,欧文に対応する訳語の決定と表現に終始しているのがほとんどです.基礎であれ臨床であれ,研究現場では常に新たな解釈や知見が生まれつつあるわけで,新たな用語の使用は,その語義が一定のコンセンサスを得て定着するまでに多少の混乱を生じることがあります.そうした交絡を避けるため,また,時代の要求を反映させるためにも,各学会は“用語集”を作成し,その見直作業をしていると思います.ですから,各学会で作成している“用語集”の記載内容や表記は,医学辞典のそれと必ずしも一致しているとは限りません.現在集積中の研究知見とエビデンスにより,最新の医学知識や技術が次々に生み出され,そうして生み出された知識/技術が,推定的にであれ一般化可能なものとなったときに初めて医学辞典等にエントリーされるわけで,辞典類の記載内容や表記はたとえ最新の辞典であっても,研究現場での使用とのズレを多少なりとも含んでいます.(これは常にイタチごっこ.そして,当然のことながら,先端的・最新の考え方や解釈は辞典には含まれないこと大いにありです.例えば,日本ハンセン病学会用語委員会が「望ましい表現」として推奨している表現――(注)「らい性」とつくものはなるべく削除し,「ハンセン病性」あるいは「ハンセン病に伴う」などとする――という考え方はまだ学会内コンセンサスにとどまっていて,実際に医学界全体には敷衍されていないといっていいでしょう.)
人名表記に関しても,辞典類では改訂のたびに見直しがなされていると思います.より新しく刊行されたものの表記に従うのがベターであることは間違いないのでしょうが,結局のところ,外国人名の表記は当該国語表記がベストかもしれません.(でも,それじゃあ読めない,やっぱり片仮名表記でなきゃ,ということになると,うーん,と唸ってしまいますね.)例えば“virus”は「ウイルス」と片仮名表記するのが一般的だと思いますが,「ビールス」を間違いとはいえない.(でも,もし私が編集なり校正なりをする立場だったら,やっぱり「ウイルス」にしちゃいます.)
*Ichiroさんへ:
先生が挙げられたSir James
Pagetについては,パジェット/ページェット併記からパジェットへと移行しているようです.
Symposium
on tropical medicine
4. The story of leprosy in the United States
by Faget
GH
Presented at the 44th Annual Meeting of the Medical Library Association,
New Orleans, May 7-9,1942
Medline:Bull Med Libr Assoc. 1942
Jul:30(4):349-60.
カービルの色々な写真を出して興ある論文である。図書館の学会に招かれたようだ。質疑応答で次の文章は注意を惹く。Dr.
Faget: It is the same in leprosy as with every other disease. .....The great
majority of patients at Carville are under some definite treatment; some are
taking new experimental
treatment.勿論スルフォン剤を投与しているとは言っていない。
Sulfanilamide in the treatment of
leprosy
Public Health Report Vol.57 December 11, 1942,
No.50
G.H.Faget, Surgeon, and F.A. Johansen, Surgeon
United States
Public Health Service and Sister Hilary Ross, B.S., Medical Technician, United
States Marine Hospital (National Leprosarium), Carville,
Louisiana
Life
is mostly froth and bubble;
Two things stand like stone:
Kindness in
another’s trouble,
Courage in our own.
Ye weary Wayfarer. Finis
Exoptatus.
文献: http://www.bartleby.com/100/564.html
実は私は英文和訳は下手糞である。だいぶ前にやったのを覚えている。それは、なんと、私の英文の翻訳であった。ローカルの新聞に出した”We
change"というエッセイである。当時細川首相が提唱していた”変革”(小泉さんもいっていたな)について、日本人の性格とからめたエッセイである。
Kyushu
Time Out No.22 1994 "We
Change"
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> 国立ハンセン病資料館ですか?旧高松宮ハンセン病資料館あわせて増築部分とで、「国立ハンセン病資料館」ですか?何故でしょう!
>
> 旧資料館は全療協が各支部から寄付金を集めて作られました事はご存知と思いますが、そこに「ふれあい福祉協会」が、移転ですか?
> 何か意図があるのでしょうか?リベルさん知らないですか?まー国立だから、国が管理するのかなー???
旧資料館が全療協の寄付金で作られたことは、今回初めて知ったのですが、「首相談話」には、従わざるを得ない、と言うことで、それを逆手にとっての、体の良い乗っ取りですね。世界に冠たる、日本の官僚の得意技。頭を国民のためではなく、自分たちの生涯賃金の為にだけ使っているから、凄いです。
「ふれあい福祉協会」は一部機能の移転のようです。残念ながら、「意図」は知らないのですが、まあ、天下り先の確保でしょうか。
それから写真の藤蔭寮に私は2年と半年生活いたしました。手前の2棟は全療協宿舎でした。現在は多分駐車場になっていると思います。
>
> 北風さん写真ありがとうございます。懐かしく拝見しました。もっとも多磨の整備は全国でみると遅れていました。未だに共同風呂ですかね?奄美和光園の新しい寮は内風呂付です。
ルリカケスさんが全生園に居られたとは、知りませんでした。それも資料館の直ぐ傍だったのですね。
写真は、北風さんのご提供ではなく、「GoogleMap」という、優れものがあるのです。検索窓に「鹿児島県名瀬市和光町1700番」と入れれば、ルリカケスさんの居られた、和光園がサッと出ます。奄美は、航空写真は、未だ未導入のようですが。