過去ログ―2007年3月15日~4月2日

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ルリカケスさん、こんばんは Re: 国立ハンセン病資料館  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 2日(月)00時39分37秒   返信・引用  編集済
  > ややこしいですね!
>
> 国立ハンセン病資料館ですか?旧高松宮ハンセン病資料館あわせて増築部分とで、「国立ハンセン病資料館」ですか?何故でしょう!
>
> 旧資料館は全療協が各支部から寄付金を集めて作られました事はご存知と思いますが、そこに「ふれあい福祉協会」が、移転ですか?
> 何か意図があるのでしょうか?リベルさん知らないですか?まー国立だから、国が管理するのかなー???


旧資料館が全療協の寄付金で作られたことは、今回初めて知ったのですが、「首相談話」には、従わざるを得ない、と言うことで、それを逆手にとっての、体の良い乗っ取りですね。世界に冠たる、日本の官僚の得意技。頭を国民のためではなく、自分たちの生涯賃金の為にだけ使っているから、凄いです。

「ふれあい福祉協会」は一部機能の移転のようです。残念ながら、「意図」は知らないのですが、まあ、天下り先の確保でしょうか。


それから写真の藤蔭寮に私は2年と半年生活いたしました。手前の2棟は全療協宿舎でした。現在は多分駐車場になっていると思います。
>
> 北風さん写真ありがとうございます。懐かしく拝見しました。もっとも多磨の整備は全国でみると遅れていました。未だに共同風呂ですかね?奄美和光園の新しい寮は内風呂付です。


ルリカケスさんが全生園に居られたとは、知りませんでした。それも資料館の直ぐ傍だったのですね。

写真は、北風さんのご提供ではなく、「GoogleMap」という、優れものがあるのです。検索窓に「鹿児島県名瀬市和光町1700番」と入れれば、ルリカケスさんの居られた、和光園がサッと出ます。奄美は、航空写真は、未だ未導入のようですが。
 

国立ハンセン病資料館  投稿者:ルリカケス  投稿日:2007年 4月 1日(日)21時51分8秒   返信・引用
  ややこしいですね!

国立ハンセン病資料館ですか?旧高松宮ハンセン病資料館あわせて増築部分とで、「国立ハンセン病資料館」ですか?何故でしょう!

旧資料館は全療協が各支部から寄付金を集めて作られました事はご存知と思いますが、そこに「ふれあい福祉協会」が、移転ですか?
何か意図があるのでしょうか?リベルさん知らないですか?まー国立だから、国が管理するのかなー???

それから写真の藤蔭寮に私は2年と半年生活いたしました。手前の2棟は全療協宿舎でした。現在は多分駐車場になっていると思います。

北風さん写真ありがとうございます。懐かしく拝見しました。もっとも多磨の整備は全国でみると遅れていました。未だに共同風呂ですかね?奄美和光園の新しい寮は内風呂付です。
 

Re: 国立ハンセン病資料館あるいは官僚の狡猾ということについて  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 1日(日)18時12分48秒   返信・引用  編集済
  > ところでリベルさん、得意のこれ忘れていませんか。東村山市青葉町4丁目です。
> 写真は、「増築」前のものですが、この左部分の駐車場からから下(南)にかけて「増築」されました。
> この資料館のすぐ右下の森の中に小さく(実際は堂々たるもんですが)写っているのが納骨堂です。


これはしたり。お面一本、取られました。罪滅ぼしというわけではありませんが、こんなので、ご勘弁を。


北風さんの解説を読みながら、ご覧下さい。
下のURLもご参考に。

http://www.hansen-dis.or.jp/guide/guid.html

 

Re: 国立ハンセン病資料館あるいは官僚の狡猾ということについて  投稿者: 北風  投稿日:2007年 4月 1日(日)16時27分3秒   返信・引用  編集済
  > 2)「国立ハンセン病資料館」というのは「増築」されたのですが、新しく「別館」としての増築なのか、「旧館」にくっついての増築なのか、どちらなのでしょう。1)もこの地図からは判読できませんので。
>

ところでリベルさん、得意のこれ忘れていませんか。東村山市青葉町4丁目です。
写真は、「増築」前のものですが、この左部分の駐車場からから下(南)にかけて「増築」されました。
この資料館のすぐ右下の森の中に小さく(実際は堂々たるもんですが)写っているのが納骨堂です。
 

Re: (無題)  投稿者: 北風  投稿日:2007年 4月 1日(日)13時04分52秒   返信・引用
  > > 「高松宮ハンセン病記念館」から「高松宮」を取って要求貫徹と思ったら、旧館部分を「高松宮記念館」と称し隣接して増築した部分を「資料館」といい、両方を併せて「国立ハンセン病記念館」というわけです。
> > しかも、「ふれあい協会」(無らい県運動をになった「癩予防協会」の後身「藤楓協会」の後身がこれ)は、物理的には「高松宮記念館」部分に事務所を構え、実質的に「国立ハンセン病資料館」を管理・運営することになります。「国費の投入の下に作業が進められ、今日を迎えることにな」ったいま「運営委員会」はお役御免というわけです。
> >
> > 「国立ハンセン病資料館」の「リニューアルオープンを迎えて」を読むと衣の下の鎧が透けて見えます。隔離政策についての言及がなく、したがって国の「責任」については全くほっかぶりです。これから「資料館」は変わっていくでしょう。

>
> 有り難うございました。良く分かりました。
>
> 参考:ふれあい福祉協会(住所など、更新されていませんね)
>       「リニューアルオープンを迎えて」

言葉が足りませんでした。「ふれあい福祉協会の一部が、資料館に移転・入居」です。
 

先行研究者への尊敬  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 1日(日)06時34分45秒   返信・引用  編集済
  医学論文においては 当然引用すべき 論文を引用しないのも非礼とされる。

 私がある疾患の日本第1例を書いて、2年ぐらいして次の論文がでた。私の論文を引用しなかったので当然Letter to the Editor欄(編集者への手紙欄:雑誌によって名称が違う)で文句を言った。研究者によっては、種々発表の機会があるから、明確にさせるべきと思う。しかし、検索が簡単になった現代では、昔の論文は無視する人もいる。先行の論文直後だと、次の研究者が知らないこともある。
 

ハンセン病資料館が再開  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 1日(日)05時55分28秒   返信・引用
  ハンセン病資料館が再開というニュースが流れています。

 確か、日本財団の山口さんが、各国をまわり、所内通用券(いわゆる園券、金券、代理貨幣)を展示用に集められたので、実際に行かれた方に見てきて報告して欲しいですね。
 自分がいけば いいのでしょうが。
 

余談:女房曰く「職員室を思い出す」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 1日(日)03時47分30秒   返信・引用
  先日、郊外型の雑貨屋、ドンキホーテという店のようなものです、へ行って「綴込表紙」と「セル先の綴り紐」と「ホワイトマーカー」を買ってきました。先の二つは耳慣れない単語でしょう?今、調べたのです。商品自体には、そういう名は全く記されていませんでした。

そして、作ったのが、下の写真のものです。北風さんのご厚意に、ズバリ甘えてしまった結果、憧れの「聖書の中の『らい』」のゼロックスをお送り頂き、製本したのです。その中身の輝きには、およそ相応しくない形ですが、これはこれなりの威厳を備えています。私は、職員室へ呼び付けられたときの光景が、脳裏を過ぎったのですが、女房も長年教師をしていたので、昔を思い出したようです。

出来上がったとき、紐を何度も、ギュット締めました。何度も。この紐の方が、長生きするに違いないと、感慨が有りました。


まあ、下手な字を、臆面もなく・・・
 

Re: 無断転載  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 1日(日)00時06分42秒   返信・引用
  > > 第一、第二はプライバシーの問題の指摘ですが、
>
> プライバシー問題についての指摘ですが、藤野さんはこの先行研究者に全くリスペクトを欠いている。
> 滝尾さんも書いているように、藤野さんの「発掘した」とする資料はすでに先行研究者にとっては周知の事実だった。それを先行研究者の論文の中に発見し「学恩」を蒙りながら一切言及していない。
> 自分のことだから滝尾さんは控えめだけれども、全て自ら「発見」したカのように振舞うのはいかがなものだろうか。
> 2006年度の市民学会の「年報」に載る「日本の委任統治下に『南洋群島』におけるハンセン病政策」という論文にも全く「先行研究」への言及はなく、情報提供者への謝辞が述べられているが滝尾氏の名前はない。
> 藤本事件における、関原弁護士に対する態度と一対をなす。


そうでしたか。いや、今日は、驚いてばかり、です。これは、学者として「非礼」の誹りを免れ得ません、です。確かに、仰有るとおり好一対をなしていますね。


> >第三について特に首を捻りました。この3月30日付けの文書が、見当たらないのです。「記者発表」で配られた、「寝ぼけた文書」などと有りますが、事実だとしたら誠に信じがたいことなのですが。
> >
> > この辺が、確認出来ないと、何とも申し上げようが有りません。市民学会に電話をしようにも、今日は休みでしょうし。
>
> これは、確かなことらしい。厚労省に「先手」を取られたけれど、市民学会が「行動」すること意義があるとして事務局長が一人で厚労省にでむき一人で記者会見をしたとのこと。


そうとすれば、これは全くの番茶、じゃない茶番ですよ。だから、市民学会のサイトにその30日付けの文書が、出ないのでしょう。いや、非道いですね、これも。しかし28日の朝日新聞毎日新聞に、こうも堂々と出ているのにですか、信じ難い、ですね、いやはや。
 

Re: (無題)  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月31日(土)23時53分24秒   返信・引用  編集済
  > 「高松宮ハンセン病記念館」から「高松宮」を取って要求貫徹と思ったら、旧館部分を「高松宮記念館」と称し隣接して増築した部分を「資料館」といい、両方を併せて「国立ハンセン病記念館」というわけです。
> しかも、「ふれあい協会」(無らい県運動をになった「癩予防協会」の後身「藤楓協会」の後身がこれ)は、物理的には「高松宮記念館」部分に事務所を構え、実質的に「国立ハンセン病資料館」を管理・運営することになります。「国費の投入の下に作業が進められ、今日を迎えることにな」ったいま「運営委員会」はお役御免というわけです。
>
> 「国立ハンセン病資料館」の「リニューアルオープンを迎えて」を読むと衣の下の鎧が透けて見えます。隔離政策についての言及がなく、したがって国の「責任」については全くほっかぶりです。これから「資料館」は変わっていくでしょう。


有り難うございました。良く分かりました。

参考:ふれあい福祉協会(住所など、更新されていませんね)
      
「リニューアルオープンを迎えて」
 

1943年論文入手  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月31日(土)21時36分35秒   返信・引用
  あまり遅いといわれそうですが、FagetらのThe Promin Treatment of Leprosy, A Progress Report を入手しました。感激しています。

 この論文こそ、ハンセン病の歴史を変えた論文ですね。
 
    (リベル) 良かったですね。おめでとうございました。

私はまた、別の物を発見して、喜んでいます。長い間探していた物が、こんなところに有るとは。「年表 日本のハンセン病」、
1941年のファジェットの項の最後に「参考」として付け加えてあった、この文章を、何処かに有った筈と、随分探し回っていたのです。フランク・マックリーリ氏が行った実験の事が、詳しく書いてあります。(4.1 01:02)
 

Re: 無断転載  投稿者: 北風  投稿日:2007年 3月31日(土)19時34分7秒   返信・引用  編集済
  >
> 第一、第二はプライバシーの問題の指摘ですが、

プライバシー問題についての指摘ですが、藤野さんはこの先行研究者に全くリスペクトを欠いている。
滝尾さんも書いているように、藤野さんの「発掘した」とする資料はすでに先行研究者にとっては周知の事実だった。それを先行研究者の論文の中に発見し「学恩」を蒙りながら一切言及していない。
自分のことだから滝尾さんは控えめだけれども、全て自ら「発見」したカのように振舞うのはいかがなものだろうか。
2006年度の市民学会の「年報」に載る「日本の委任統治下に『南洋群島』におけるハンセン病政策」という論文にも全く「先行研究」への言及はなく、情報提供者への謝辞が述べられているが滝尾氏の名前はない。
藤本事件における、関原弁護士に対する態度と一対をなす。

>第三について特に首を捻りました。この3月30日付けの文書が、見当たらないのです。「記者発表」で配られた、「寝ぼけた文書」などと有りますが、事実だとしたら誠に信じがたいことなのですが。
>
> この辺が、確認出来ないと、何とも申し上げようが有りません。市民学会に電話をしようにも、今日は休みでしょうし。

これは、確かなことらしい。厚労省に「先手」を取られたけれど、市民学会が「行動」すること意義があるとして事務局長が一人で厚労省にでむき一人で記者会見をしたとのこと。
 

(無題)  投稿者: 北風  投稿日:2007年 3月31日(土)18時29分31秒   返信・引用  編集済
  「高松宮ハンセン病記念館」は1993年に民間や入園者の寄付で建設開館したと理解しています。この収蔵物なども入園者の皆さんが、全国の療養所を回ってあつめた。
(高松宮はその5年前になくなっています)
恒久的な運営費はこれを国に寄付する形で引っ張り出したんでしょうね(そう聞いていますが)。それで国の外郭として「藤楓協会」が運営の責任は持ったのですが、増築する前は入園者を主体とする「運営委員会」に運営を任せていた。

施設がこじんまりしていたときには、官僚の「利権」としてはお目こぼしにあづかっていたのは、かつての「パチンコ産業」と同じ。警察からいじめられていたパチンコ屋も一兆円産業になったとたんプリペイドカードに導入などをとおして警察の利権となった。
運営費が少ないから「運営委員会」に任せていたのか、安く上げるために「運営委員会」利用したのか、おそらく両方でしょう。

「高松宮ハンセン病記念館」から「高松宮」を取って要求貫徹と思ったら、旧館部分を「高松宮記念館」と称し隣接して増築した部分を「資料館」といい、両方を併せて「国立ハンセン病記念館」というわけです。
しかも、「ふれあい協会」(無らい県運動をになった「癩予防協会」の後身「藤楓協会」の後身がこれ)は、物理的には「高松宮記念館」部分に事務所を構え、実質的に「国立ハンセン病資料館」を管理・運営することになります。「国費の投入の下に作業が進められ、今日を迎えることにな」ったいま「運営委員会」はお役御免というわけです。

「国立ハンセン病資料館」の「リニューアルオープンを迎えて」を読むと衣の下の鎧が透けて見えます。隔離政策についての言及がなく、したがって国の「責任」については全くほっかぶりです。これから「資料館」は変わっていくでしょう。
 

Re: 国立ハンセン病資料館あるいは官僚の狡猾ということについて  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月31日(土)18時03分31秒   返信・引用  編集済
  >しかも、その実態は「旧館」を「高松宮記念館」とし「資料館」を増築したのだといっている。全く、狡猾な官僚に虚仮にされたのだね。

> 要求を入れる形で増築をしながら、「ふれあい協会」を入居させ入所者主体の「運営委員会」から管理・運営権をとり上げ、「館長ポスト」に天下り先を確保した。


全くもって怪しからん話ですね。切歯扼腕してももうどうしようもない。官僚は、こうやって国民の口を封じて来ています。余り怒ると、脳で血管が破裂してはいかん。


ちょっと、今の情報の範囲内では、知り得ないことが有りますので、申し訳ありませんが、教えてください。誠に初歩的な質問なのですが、よろしくお願いします。

1)これまで有った「高松宮記念ハンセン病資料館」の建物が、そのまま「旧館」として残され、「高松宮記念館」と名前を変えたのでしょうか。

2)「国立ハンセン病資料館」というのは「増築」されたのですが、新しく「別館」としての増築なのか、「旧館」にくっついての増築なのか、どちらなのでしょう。1)もこの地図からは判読できませんので。

3)「ふれあい協会」が入ったのは「高松宮記念館」か「国立ハンセン病資料館」かどちらでしょう。


現地へ行けば一目瞭然なのでしょうけど、こちらで、この辺を確認したいと思います。ご面倒をお掛けしますが、宜しくお願いします。どうせ、腹立ちに輪を掛けるだけのことでしょうけど。お願いします。
 

Re: 無断転載  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月31日(土)17時46分3秒   返信・引用  編集済
  >しかし、今年の3月28日に、「告示」が改正され、新たに南太平洋のにあった療養所である「ミクロネシア四島の療養所」も対象になった。そのことは、3月28日のニュースや、翌日の新聞にも朝刊で報道された。

>それが、なぜに3月30日になって、ハンセン病市民学会は藤野豊事務局長名で、『旧「南洋群島」のハンセン病回復者への補償を求める要請書』(2007年3月30日、・ハンセン病市民学会)が、厚生労働大臣 柳沢伯夫宛の文書を提出し(後略)



第一、第二はプライバシーの問題の指摘ですが、第三について特に首を捻りました。この3月30日付けの文書が、見当たらないのです。「記者発表」で配られた、「寝ぼけた文書」などと有りますが、事実だとしたら誠に信じがたいことなのですが。

この辺が、確認出来ないと、何とも申し上げようが有りません。市民学会に電話をしようにも、今日は休みでしょうし。
 

うら話  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月31日(土)15時02分21秒   返信・引用  編集済
  先週の土曜と違って今日は天気がいいので

 恵楓園にでかけました。桜は満開ですが、花見する人はちらほら。幸い志村さんが家におられたので、四方山話。

 高松宮記念がはずされた裏話をうかがってきました。それは、大激論であったそうです。反対も強かったのですが、全療協が押し切ったということでしょうか。経緯としては、実は、記念館を作る時に、高松の宮を利用したのでした。

 高松の宮ご自身のご遺志もあり(もう皇室が拘わる時代ではないだろう、というお話は以前聞いたことがあります)それは 藤楓協会がなくなる事とも関係があります。狡猾かどうか知りませんが、どこかに名前を残すのは私の考えではいいと思います。業績もあり、皇族の名前を利用したということがありますので。

 資料館が天下り先である、というお話もされていました。熊本工業の野球をちらと見て、小生の方は失礼しました。
 

国立ハンセン病資料館あるいは官僚の狡猾ということについて  投稿者: 北風  投稿日:2007年 3月31日(土)11時13分53秒   返信・引用
  もともと、「ハンセン病と天皇制」の問題意識を持って「高松宮」をはずせという要求が為されたはず。
しかし、厚労省はこの要求を逆手にとって「高松宮」をはずし、すっきり「国立」にしてしまった。しかも、その実態は「旧館」を「高松宮記念館」とし「資料館」を増築したのだといっている。全く、狡猾な官僚に虚仮にされたのだね。

これは、資料館の増築に関しても全くおなじ「構造」といえる。
裁判の敗北、和解の結果、国の失政・責任をあきらかにする場としての「資料館の充実」を飲んだ(呑まされた)官僚は、この機会を見逃さなかった。
要求を入れる形で増築をしながら、「ふれあい協会」を入居させ入所者主体の「運営委員会」から管理・運営権をとり上げ、「館長ポスト」に天下り先を確保した。
相手の要求を逆手にとっていつの間にか都合よくもっていく官僚の必殺技にはなまじのことではかなわないのだ。
 

無断転載  投稿者: 北風  投稿日:2007年 3月31日(土)10時51分3秒   返信・引用  編集済
  『旧「南洋群島」のハンセン病回復者への補償を求める要請書』(3月30日、「市民学会」)が、厚労大臣宛の文書を読んでの所感  投稿者:  滝尾 英二  投稿日: 3月31日(土)03時09分46秒     編集済
      -


『旧「南洋群島」のハンセン病回復者への補償を求める要請書』(2007年3月30日、・ハンセン病市民学会)が、厚生労働大臣 柳沢伯夫宛の文書を読んでの私の所感

                 人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二
                         (2007年3月31日、広島にて記す)


 はじめに

 昨日(3月30日)の夕刻、見出しの『要望書』など7枚の文書が、「ハンセン病市民学会事務局長 藤野 豊」として、東京の知人から「記者会見で藤野さんが配布された資料を送ります」として、滝尾宛てに届けられた。私は、いままで「ミクロネシアのハンセン病問題に関わってきたひとり」として、絶句してしまった。

 いまの私は、藤野 豊さんを批判・非難する意思をもっていない。しかし、同じく植民地における日本のハンセン病政策による「被害事実とその責任問題」を問うてきた者として、なぜ、藤野さんと私の間に、このような「認識・意識の相違」、そして言動・行動の相違などができてくるのかを考えてみたいと思い筆をとった。(正しくは、パソコンのキーをたたいている。)この一文は、『滝尾英二的こころ』、および『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲示する。 また、ハンセン病市民学会事務局(熊本市)宛のも、送信する。同会の事務局長である藤野さん、および同会の代表の方がたのこの「私の所感文」対してのご意見をいただきたいと、せつに思う。


 第一に、藤野さんが2006年12月26日(ハンセン病市民学会発2006年度第10号)で、厚生労働大臣 柳沢伯夫宛の文書中の「‥‥私たちが掘り起こした事実」という「南洋庁関係文書(国立国会図書館憲政資料室所蔵)所収の南洋庁警務課『南洋群島警察之概要』などの文書なども見てきた。今回、藤野さんが「ハンセン病市民学会事務局長」として、『旧「南洋群島」のハンセン病回復者への補償を求める要請書』(2007年3月30日、・ハンセン病市民学会)諸史料もその内容も知っている。『 我南洋群島々民の癩症に於ける赤血球沈降速度に就て 』南洋庁医院医員 西川嘉久登(南洋庁パラオ医院)             (南洋庁『南洋群島地方病研究医学論集』第4輯、1938年)の記述も、下記のように書いた。

 「‥‥而して癩病に就ては柳瀬の南鮮(ママ)地方に於ける癩患者50名に就ての詳細なる報告あるのみにして、寡聞なる余は他にこれを聞かず。茲に於て余は数年来パラオ島に於てカナカ族の癩患者に就て本現象を検し、聊か新知見を得たるを以て茲に其の概要を報告すべし。」(98ページ)

「癩症に於ける隔離所に収容せる癩患者男16名、女5名計21名につき赤沈速度を測定せり。今その主要症候により之を分類すれば斑紋癩7名、結節癩2名、神経癩2名、全身癩(斑紋、結節、潰瘍の混合せるもの)10名なでども、判然たる区別あるにあらずして殆んど斑紋癩に他のものが合併せるもの多し。個々の癩患者につき症状を簡単に記すれば

01、A 男 大正元年(1912年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢21
02、B 男 大正04年(1885年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢18
03、C 男 明治18年(1885年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢48
04、D 男 明治09年(1912年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢58
05、E 男 明治36年(1903年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢41
06、F 男 明治22年(1861年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢44
07、G 男 文久元年(1912年)生  昭和6年(1931年)1月15日収容 年齢72
08、H 男 大正12年(1923年)生  昭和6年(1931年)1月15日収容 年齢12
09、I 男 文久元年(1861年)生  昭和6年(1931年)1月24日収容 年齢60
10、J 男 大正03年(1914年)生  昭和6年(1931年)1月27日収容 年齢19
11、K 男 大正09年(1920年)生  昭和6年(1931年)12月1日収容 年齢13
12、L 男 明治18年(1885年)生  昭和8年(1931年)9月22日収容 年齢18
13、M 男 大正11年(1922年)生  昭和9年(1934年)2月23日収容 年齢12
14、N 男 明治04年(1871年)生  昭和9年(1934年)4月02日収容 年齢50
15、O 男 明治38年(1905年)生  昭和9年(1934年)7月3日収容 年齢35
16、P 男 明治25年(1892年)生  昭和9年(1934年)9月28日収容 年齢43
17、Q 女 明治24年(1891年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢42
18、R 女 明治02年(1969年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢33
19、S 女 大正04年(1919年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢18
20、T 女 明治30年(1897年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢37
21、U 女 大正03年(1913年)生  昭和6年(1931年)1月10日収容 年齢21
    (本患者Uは、昭和8年=1933年12月10日死亡)

としか、書けなかった。そして次ぎのように書いている。<‥‥01~21のパラオ島・癩隔離所の入所者の固有名詞が書かれている。また、「不明=2」、「埋葬=3」、「生存=1」、「死亡=3」の名前に注記された人がある。(プライバシーを考慮して、以下「原文中 記述内容を<*****>とか、<####>を記号に変え、また、一部を適宜省略したことを、お断りする。=滝尾)>と、注記した。ところが、東京の知人から届けられた『旧「南洋群島」のハンセン病回復者への補償を求める要請書』(2007年3月30日、・ハンセン病市民学会)には、その全文が、実名でまた固有名詞も、病状も書かれている。

 さらに、「(昭和四年四月十日現在)ヤップ本島 癩病患者分布図(罫丸中ノ数字ハ症例番号)」の相川助松『「ヤップ」島癩調査並ニ其治療効果』(南洋庁『南洋群島地方病調査医学論文集』第一輯、1933年)まで、藤野さんによって記者会見の席上で配られているという。こういうことを日本国内のハンセン病患者の歴史・調査の発表や、記者会見の場合でも、藤野さんは行なっているのであろうか。


 第二に、私は『滝尾英二的こころ』、および『滝尾英二的こころPart2』というホーム・ページの掲示板に、<「ハンセン病問題・改正補償法」に、ミクロネシア(南洋庁所轄)の四島が、厚労大臣「告示」の追加で補償対象に改正>を五回に分けて、連載文を書いている。藤野さんが資料としてあげている。「(昭和四年四月十日現在)ヤップ本島 癩病患者分布図(罫丸中ノ数字ハ症例番号)」の相川助松『「ヤップ」島癩調査並ニ其治療効果』も、「昭和十九年(=1944年)十月二十八日付けの南洋庁西部支庁長・竹岡健治宛の巡査・坂内金一郎「癩病患者所在調査ノ件」その他も複写ながら所蔵していたが、不特定多数を対象としたホーム・ページには、その実名をあげている史料の紹介は、できないと思い紹介しなかった。

 研究の自由、言論・発表の自由も節度というものが要求あれる。人権を主張すれば、「他民族」であり、かつ、差別や偏見のなかで人権を奪われているハンセン病・元患者やその遺族・親族などの人権・プライバシーを侵してよいということには、ななないと考える。しかも、藤野さんが配ったという史料のなかには、今回の記者会見には不必要な史料が、あること、さらに、公表することを当事者の了解をもらった上でしたのだろうか、という疑問がある。

 私は、そんなことは出来ないと思っている。その点が人権を扱う私と、藤野さんとの意見・見解の相違のように思う。いかがなものであろうか。ここ何日も睡眠不足がつづくなかで、高齢者ゆえの頭脳の明晰さを欠くなかでの小論である。いま、午前2時半である。その中で書いたものであることを、少々考慮していただきたい。


 第三に、「ハンセン病補償法」が改正され、昨年2月10日付けで制定された「厚生労働大臣の告示」は、当初は1945年8月15日以前の小鹿島更生園(韓国)と楽生院(台湾)の二箇所が、海外の対象の療養所であった。しかし、今年の3月28日に、「告示」が改正され、新たに南太平洋のにあった療養所である「ミクロネシア四島の療養所」も対象になった。そのことは、3月28日のニュースや、翌日の新聞にも朝刊で報道された。

【速報】NHKニュースでは、3月28日 14時54分には、『ハンセン病補償 南太平洋でも』で報じられ、そのニュースは、繰り返して報じられている。「‥‥戦前日本が、海外につくったハンセン病療養所の元・患者に対して行なっている補償について、厚生労働省は新たに南太平洋のにあった療養所の元・患者に対して、補償することに決めました」との報道である。

 それが、なぜに3月30日になって、ハンセン病市民学会は藤野豊事務局長名で、『旧「南洋群島」のハンセン病回復者への補償を求める要請書』(2007年3月30日、・ハンセン病市民学会)が、厚生労働大臣 柳沢伯夫宛の文書を提出し、そのなかで「残念ながら、現在までも実現されておりません。‥‥『ハンセン病補償法』の新たな対象地として、ミクロネシア地域を大臣が告示してください」など、「寝ぼけた文書」を厚生労働大臣 相沢伯夫宛に出すのだろうか。さっぱり理解できない。だから、市民学会は粗末に扱われるのではないか、と余計なことまで考えてしまう(笑い)。なんとしても、おかしで不思議で、かつ、人権への配慮を欠いた「差別的」な『要請書』であるといえるだろう。
 

今年のハンセン病学会  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月31日(土)06時22分10秒   返信・引用
  今年のハンセン病学会のプログラムを見つけました。

 
http://www.geocities.jp/hansen802007/program.htm
 
    (リベル) 有り難うございました。早速「イベント情報」に追加しました。(3.31 07:05)  

一階の改装終了です  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月31日(土)03時24分25秒   返信・引用
  「ハンセン病のリンク集」がこう変わりました。一階部分だけ。えっ?どこが?という程度ですが、本当は凄く変わっています。

新しい情報を探したい方には、便利になったはずです。まあ、これは鳥羽口。これからが、ドラスティックな変わりようになるはずなのですが、今構想を練っている段階なので、やはり夏休み頃になりそうです。あまり大きく期待せずに、お待ち下さい。いや、お待ちにならなくても・・・なんて余計なこと書くから、嫌われるのです、ね。
 

余談:ベストセラー  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月31日(土)00時58分8秒   返信・引用  編集済
  新潮新書が発売された時、書店に駆けつけて、10冊の中から選んで、最後に残ったのが「バカの壁」と北野武の「裸の王様」の二冊でした。結局タケシを選んで、以後「バカ・・・」は読みません。

でも、常にそのことが頭に有って、娘の家から持って帰ってきて、トイレに置いておいたり、養老孟司さんの「異見あり」という、如何にも性格の真っ直ぐでない人間が惹かれそうな題の本を買って来て、呼び水にしようとしたりするのですが、結局は、未だ読んでいません。

大体、昔から天の邪鬼でベストセラーと聞くと、もう読まない性格なのですが。いや承知しています、最近まで「国家の品格」とやらが、ベストセラーで、450万部とか、しかし堅い名前の本がよく売れるモンだ、「バカの壁」なら分かるけどなどと、横を向いていました。

でもやはりこれも、横目で見ている訳で、安野光雅さんと共著の「世にも美しい日本語入門」を、まあ安野さんは「算私語録」で好きだしとか理由を付けて買ったら、これに嵌りました。もう付箋だらけで、付箋の意味が無くなったほどです。藤原正彦氏については勿論十分調査済みだったのですが、こんなに話の合う人だとは、ということで、そうなのです、でも、あくまでひねくれていて、他の本と一緒に、アマゾンで、しかも中古を、どうですかこの、ひねくれ方は。

しかし、やはり嵌りました。もうドップリです。参りました。嵌りっぷりは、また、機会が有ったら、いや、もう沢山、ですよね、こんな話。例の改装が有りますので、今日はこれで。


しかしアップしてから思ったのですが
「すべての日本人に誇りと自信を与える」は適切でないでしょう。
「すべての日本人に反省と自己批判を促す」でしょう。
「画期的!」は認めますし、繰り返しますが中身、大好きですが・・・
 

世論誘導に惑わされてはいけません  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月30日(金)23時49分33秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病補償、パラオなど追加 厚労省、4施設指定(朝日新聞3月28日)」を引き金にして、「パラオハンセン病療養所 元患者が語る実態(東京新聞3月30日)」、「パラオ虐殺 県人犠牲/1944年 ハンセン病施設(沖縄タイムス3月30日)」と関連記事が、後を追います。

藤野先生のお仕事は、重要なのでしょうが、厚労省は流石に悪知恵では目を見張らせるものがあります。それを、上手く利用して、現下の苦境を乗り越えようとしています。何とか、南方洋上に、私達の目を逸らさせようと、懸命なのです。

はあ?何から目を逸らさせる?

実は、それが分からないから、困っているのです。いや、お役所にとって、この時期は正に年度末そのものでしょう。大変な時期だろうということは、想像に難く有りません。何故そんな時期に、突拍子もないことを言い出したか?これはオカシイ。何かあります。こういう予言は、当たらない方が良いのですが。

思わせぶりに、引っ張っていますが、心当たりは全くありません、本当に。「第4回 ロードマップ委員会」で、何か有ったのかな、程度です。何もなければ良いですが、本当に。
 

Re:提案  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月30日(金)17時48分17秒   返信・引用
  北風様

 皆のゴルフ場です。反省します。

 提案ですが、北風様にもWikipediaにぜひ参入して頂き、ご協力していただきとうございます。

 リベル様

 せっかくのご提案ですが、Wikipediaに集中したいと思います。Wikipediaのノートの題はどのようにして作るのでしょうか。
 
    (リベル) まず「ノート」をクリック。次に「編集」をクリックします。出てきた画面の一番上に「==ファジェかファジェットか==」とあるのをコピーして、一番下へ持ってきて貼り付けます。そして「ファジェかファジェットか」の代りにIchiroさんの書きたい題を入れれば、タイトルが出来上がります。あとは、ご存じのやり方ですから、存分にお書き下さい。

Ichiroさん、それから、ここはゴルフ場ではないのですよ。キャッチボールをしたり、独り言を言ったり、ジャムセッションをやったり、わいわい、ガヤガヤ集まる広場なのです。他人様の存在を無視することは自由ですが、委細構わず、独り大太鼓を打ち鳴らし続けたり、ゴルフの練習場よろしく、ティーショットをぶっ放したりするのは、他人様に迷惑になるから、だから、止めましょうよ、ということなのです。

わあっ、言いたいことを、ハッキリ言ってしまいました。言わさないで欲しかったのですよ、Ichiroさん ... o_ _)o パタッ(3.30 23:15)
 

国立ハンセン病資料館  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月30日(金)02時00分43秒   返信・引用
  江田五月活動日誌を見ていて驚きました。「高松宮記念ハンセン病資料館」というのはもう無くなって「国立ハンセン病資料館」のHPしかないのですね。

当然と言えばそうなのですが、少し慌てました。「リンク集」の方も修正するべきところが沢山あるので、では、行って参ります。
 

究極の不親切がここにもあった  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月28日(水)23時10分11秒   返信・引用  編集済
  去る3月8日「第4回ロードマップ委員会」が開かれました。12日にその議事次第と資料が、厚労省の天下り先「WAM NET」のHPの片隅で公表されたことは「ニュース速報」でご紹介したとおりですが、今日、その中身を読もうとして、これは、仰天しました。

なるべく、人目に触れないように、ここいらにこっそり出しておいて、という根性も大したものですが、このまた、中身が非道い。非道すぎます。何がなんだか分からないように、色々な工夫をした、としか思えない、乱雑さ、無茶苦茶さです。

前回の「第3回ロードマップ委員会」から「提言」に対する「現在の取り組み状況」が「資料」として付いています。余り読みにくいので、テキスト化しようとしたら、コピーが出来ません。PDFのツールが悪いのか調べましたが、他のは出来るのです。だから読みやすいものを提供するのは諦めました。

ゆっくり、ご一読ください。書いてあることを、判読したら、なお腹が立ってきます。要するに、「提言」を「無」に帰そうと一生懸命の努力をしている。あちらこちらから、法律やら、規定やら引っ張り出してきて、まあこういう仕事をさせられる若手官僚も気の毒ですが、その給料を払っているこちとらも可哀想ではありませんか。

提言がなされた、その「本来の精神」を全く顧みず、「取り敢えず目の前にあるこの文章」に反論することに、そしてそれを無意味なものにすることに、全精力を注いでいる。まあ、腹が立ちます。


そうそう、健康に自信のないお方は、読まないようになさってください。精神衛生上、ダメージが相当なものです。
 

Re: あそこに投稿しても無頼ばかりですから  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月28日(水)12時03分52秒   返信・引用
  > --------------------------------------------------------------------------------
> [47192] 無題 投稿者:tommy 投稿日:2007/03/27(Tue) 02:34
>
>
> 菊池には藤本松夫さんの遺品がたくさん残されている。検証会議では、それらは品物として「展示」はされたものの、何ひとつ検証が加えられたわけではない。松夫さんは面会者の詳細な記録もつけていたと聞いたけれど・・・
> 菊池の元自治会長だったOさんはどちらかと言うと収集癖があって資料の保存整備や公開にも理解があるとか。先の見通しはどうなのだろう。いつの日か、ひとつひとつが丁寧に紐解かれ、ご遺族の手に戻るものは戻り、保存されるものは未来永劫保存され望む人には資料として提供される日があるのだろうか。将来構想にはそんなことはカケラも出てこないのだろうな・・・
>
>
>
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> [47191] 弄ばれたのは、松夫さんの死であり、事件そのものであり、ご遺族たちではなかったのか 投稿者:tommy 投稿日:2007/03/27(Tue) 02:33
>
>
> 2006年05月14日
>
> ・5月13・14日の両日、富山市で開催されたハンセン病市民学会総会/交流集会において、「映画「新・あつい壁」の製作・上映への協力」を含む本年度活動方針が承認・決定されました。
>
> ・それに先立つ5月2日、ハンセン病市民学会から、正式に組織委員会として、賛同団体となることを決定したとのご連絡をいただきました。
>
> ・徳田靖之弁護士によるご報告「ハンセン病問題の現状と課題」の中では、F事件に関する再審の取り組みの重要性についてもふれられ、その中で、映画「新・あつい壁」の成否がF事件に関する今後の取り組みの重要な鍵になると強調されました。
>
> (中山さんちの映画blog
> http://blog.livedoor.jp/nakayama_movie2005/archives/50471456.html )
>
>
>
> 「映画『新・あつい壁』の成否がF事件に関する今後の取り組みの重要な鍵になる」
>
> これをどう説明するのだろう。
>
> 遺族の意向でやむを得なかったのだと信じている人たちがいるが、映画化の差し止め訴訟は2005年に起こされていた(2006年3月調停成立)。誰より「遺族の意向」を思い知っていたはずの人物が公言したことだ。


ご存じない方のために、付け加えますと「あそこ」というのは「ANNEX-Ω」というBBSのことです。tommyさんは、そこで一人、こつこつと「ハンセン病」に関する発言をしておられます。

「映画『新・あつい壁』の成否がF事件に関する今後の取り組みの重要な鍵になる」

これには、正直言って、悩んでいます。私の認識と食い違っているからです。私は、徳田弁護士はこれまでの再審へ向けての取り組みは、一旦幕にして、仕切直しをしようと策を練っておられるように、思っていましたので。その辺の正確なことをご存じの方がいらっしゃったら、お教え下さい。


私事ですが、31年前の今日、ここへ引っ越してきました。毎年今日、引っ越し記念日と称して、大酒を飲む日にしています。今年は一日ずらして、昨夜をその日にしました。約12時間寝て、細胞を一新しました。今から、歩いて一汗掻いて、一風呂浴びて、また昨日残しておいた焼き肉で焼酎をと・・・結構な毎日ではあります。いやはや。
 

提案  投稿者: 北風  投稿日:2007年 3月28日(水)09時38分5秒   返信・引用
  ここはIchiro先生のゴルフ練習場になってきたので、キャッチボールの広場をもうひとつ作りませんか。おいらが作りましょうか?
事故の前に。
 
    (リベル) 私が考えているのは、Ichiroさんに「blog」の作り方をご伝授申し上げることなのですが、実は。Wikipediaのケースからも、かなりテクニカルなこともこなされると判断しましたし、発言したいことが無限にお有りになるようなので「blog」をご案内しようかな、と。それをまとめると一冊の本が出来ますから、茂木健さんの「やわらか脳」のように随筆集が出版できますし。Ichiroさん、如何でしょうか、このアイディアは?(3.28 11:39)  

盲導鈴  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月27日(火)23時57分39秒   返信・引用  編集済
  盲導鈴(もうどうれい)  前に書いたかもしれない。

 ハンセン病療養所の専売特許というわけではないが、療養所にいくと目立ったものである。皆様ご存知でしょうか。
 インターネットで検索すると極めて新しい装置もあり、駅などに備え付けられている。
 盲人のための音声ガイドである。今検索したら大島の盲導鈴がでてきた。青松園のである。

 先日、菊池恵楓園に犬が入らないようにという立て札を見つけに行った際に、野球場の近くの入り口に立て札と一緒に盲導鈴があったのに気づいた。近づいたら音楽が聞こえる。菊池恵楓園のは 一つおきに 童謡と 民謡であった。他の盲導鈴は気がつかなかったが、まだあるのだろう。

 園によって音楽だったり放送だったり、いろいろある。面白いのは宮古南静園で、入れ物はあるが中の音楽だか音声発生装置がない。入れ物は大きなコンクリート製で、台風対策であろう。これについては、予算措置はされていたようであるが、中身がないのもヘンである。盲人会の会長さんが、いろいろ言っていた。予算流用しているらしい。

 注:色々の園でも、盲人会の会長さんはステータスが高く尊敬されていた。流用云々はいまでは 文句もいえないが、らい予防法廃止後の話である。

 菊池恵楓園やその他にも生活区域の寮などの低い天井に針金があり、これも盲人のためのものである。(盲人はこれを触りながら 進む)
 盲人、盲導鈴などは 使える日本語でいいですね。啓蒙というのも、啓発に変えさせられた。ご存知の通り、蒙はよくないということで、私の関心のある蒙古斑も いろいろ議論があった。
 

続:時には発表を  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月27日(火)17時22分3秒   返信・引用
  続:時には発表を

 ●その私の投稿を読んだ人がいた。Marrさんである。私は彼の手紙で療養所には所内通用票とか園券というのがあることを知った。実際は彼のStarに書いたペーパーは日本のことは触れてなかった。彼は情報を集めようとして私に手紙を書いたのである。
 ●次に菊池恵楓園のことをたくさん写真をつけて、The Starに掲載した。これは大ヒット。というのは分類で有名な権威者Jopling先生から手紙をもらったのである。私は終生先生のペンパルとなった。ハンセン病に関してありとあらゆる質問をぶつけた。私は曲がりなりにも、ハンセン病学にある程度自信があるのは、この先生の薫陶の賜物である。
 ●菊池恵楓園で、コフキヒメイトトンボを愛護されていた入江信さんと仲良しになった。私は彼の話(ソ連のイルクーツクらい療養所などでの話を菊池野で発表)を要約してThe Starに発表した。題はThe Irkutsuk Leprosariumである。写真がないので、スケッチを入れた。これも大ヒット。イギリスからその療養所を建てた看護婦さんの話の発表が1年後にあったからである。

 私はその療養所に行きたかったが、その後、ソ連がごたごたしたので行かなかった。(誰かいったら報告してください。バイカル湖の近くのアンガラ川に沿ったイルクーツク療養所は、すくなくとも建物は今もあるに違いない。)建てた時代はハンナリデルの時代である。「ロシアにおけるハンナリデル」をある療養所の雑誌に書いたが、正確には ハンナリデルと同じ仕事をした人は同時代たくさんおられた、という意味のハンナリデルである。

 蛇足ですが The Starの記事を読んで感激され、私に話しかけた先生がいた。あれは私が書いたといったらその先生はゲッというような顔をされた。和泉先生である。(先生ごめんなさい)

 ●結論:時には発表すると反応があって面白い。
(注:一部は前に書いたことがある。)
 

あそこに投稿しても無頼ばかりですから  投稿者: 北風  投稿日:2007年 3月27日(火)10時32分56秒   返信・引用  編集済
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[47192] 無題 投稿者:tommy 投稿日:2007/03/27(Tue) 02:34


菊池には藤本松夫さんの遺品がたくさん残されている。検証会議では、それらは品物として「展示」はされたものの、何ひとつ検証が加えられたわけではない。松夫さんは面会者の詳細な記録もつけていたと聞いたけれど・・・
菊池の元自治会長だったOさんはどちらかと言うと収集癖があって資料の保存整備や公開にも理解があるとか。先の見通しはどうなのだろう。いつの日か、ひとつひとつが丁寧に紐解かれ、ご遺族の手に戻るものは戻り、保存されるものは未来永劫保存され望む人には資料として提供される日があるのだろうか。将来構想にはそんなことはカケラも出てこないのだろうな・・・



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[47191] 弄ばれたのは、松夫さんの死であり、事件そのものであり、ご遺族たちではなかったのか 投稿者:tommy 投稿日:2007/03/27(Tue) 02:33


2006年05月14日

・5月13・14日の両日、富山市で開催されたハンセン病市民学会総会/交流集会において、「映画「新・あつい壁」の製作・上映への協力」を含む本年度活動方針が承認・決定されました。

・それに先立つ5月2日、ハンセン病市民学会から、正式に組織委員会として、賛同団体となることを決定したとのご連絡をいただきました。

・徳田靖之弁護士によるご報告「ハンセン病問題の現状と課題」の中では、F事件に関する再審の取り組みの重要性についてもふれられ、その中で、映画「新・あつい壁」の成否がF事件に関する今後の取り組みの重要な鍵になると強調されました。

(中山さんちの映画blog
http://blog.livedoor.jp/nakayama_movie2005/archives/50471456.html )



「映画 『新・あつい壁』の成否がF事件に関する今後の取り組みの重要な鍵になる」

これをどう説明するのだろう。

遺族の意向でやむを得なかったのだと信じている人たちがいるが、映画化の差し止め訴訟は2005年に起こされていた(2006年3月調停成立)。誰より「遺族の意向」を思い知っていたはずの人物が公言したことだ。
 

作戦開始!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月27日(火)03時01分38秒   返信・引用  編集済
  改訂大作戦を開始しました。全店改装です。「逐一」ここで報告すると言っていた前言を翻して、「適宜」とさせて頂きます。「そんなことお前さんの勝手だ、好きにやれよ」と言うことなのですが、一応は、お断りしておかないと、と言うことで。

全館、青いシートで覆って、工事します。一階部分が完了したら、そこだけオープン、というのが「適宜」という意味です。二階、三階・・・全館完了するのは、夏休み前くらいの予定です。

こんなものを設えました。保存用です。昔はまあ、こんなに読み難い、不親切なものを開陳していたのだという証拠保全にと。赤っ恥を・・・。


スレを借りて、北風さんから頂戴した『聖書の中の「らい」』のことを。これは、犀川さんは勿論、ネットで読める外国のサイトでも、多く原典として使われている、いわばバイブル的な書物だと思います。「起源と歴史」に使っていたカーヴィル研究所のトラウトマン氏の論文(これの方が後で書かれているのですが)と、違うところが出てきてしまって、さあ大変、でした。

結局、両論併記の形で納めましたが、やはりブラウン(S.G.Browne)という人は凄いです。何もかもご存じで、神経が行き届いていて、正に惚れ込んでしまいました。

一階の改装の他に、二階の一部の増築も平行して進めます。しばらく騒音が絶えず、迷惑をおかけしますが、どうかお許し下さい。
 

時には発表を  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月27日(火)00時32分35秒   返信・引用
  Fagetの写真を探そうとしてThe Star誌をひっくりかえして調べていたら

 20年前の小生の文章(letter)を再発見した。穴があったら入りそうなものである。そしてそれは私のハンセン病に関する発言の最初であった。(論文はその前に2編ある)

 私の尊敬する人にイギリスのCalnan CDという皮膚科の教授がいる。先生は1968年にEczema for meという きわめて普遍的な疾患にたいする自分の考えを記録し発表した。現在の教科書でも引用される。医学は進歩するので、その内容が永久不変というわけではないが、後から非常に参考になるものである。
 自分が発表したものが永久不変の真理と考えたことはない。色々の人の批判などを通じ変化していってもいい、と思っている。すぐ、批判を受け付けるので軽い人と思われているふしもある。実は議論、批判、発表を通じ、ある症候群をMedlineから追放した前歴もある。
 

余談:角さんの「愛」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月27日(火)00時11分6秒   返信・引用  編集済
  関西で夕方「ちちんぷいぷい」という変な名の番組があります。それを何気なく耳にしながら一杯やっている時、「愛する」ってどういうことか?というような、わけの分からない話題をガヤガヤ話していて、突然角淳一さん(総合司会/62歳)が「それはあれでしょう、”相手を認める”と言うことでしょう。私はそう思っています」と発言して、少し場がシーンとしました。

私も、箸が止まってしまいました。

丁度そのころ、ホリエモン騒動の真っ最中で、ニッポン放送、フジテレビなどとチャンチャンバラバラやっていましたが、キャニオンという会社の社長さんがこんな事を言ったのが、耳に残っていました。「要するに彼は、リスペクトに欠けている。そこがいけないのだ」。

堀江氏は、例えば「ザ・ワイド」の草野氏と対談しているのを聞いていても、何か、ふと、見下したような発言をするのです。草野さんは年長者であり、大学の先輩でもある筈なのに、と私は不愉快を感じていました。だから、「リスペクト」云々がスルリと飲み込めたのです。

「相手を認める」「リスペクト」どちらも相手の人の尊厳(dignity)を、ドンと受け止めるということだと思います。人権の基本もここにあると思います。

相手を認め、リスペクトを欠かさないのが「愛」。何故、日本の辞書は、「愛」の項目でこのことに触れないのでしょう、これが不思議です。


【付記】「日本の辞書」と書いてはいけませんでした。広辞苑、大辞林などは、ダメですが「新明解」に、見事な説明が有りました。だからこの辞書は、角に置けません。

「個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情。」
 

くすくす Re: ようやくわかりました  投稿者:   投稿日:2007年 3月26日(月)13時56分53秒   返信・引用
  > カービルの奇蹟でもいくつも出てきました。しかしカーヴィルでも検索しなくてはいけませんでしたね。
>
センセイ、「どなたか 情報をご存知の方は知らせてください」っときながら負け惜しみ言っちゃ駄目だよ。
でも、なんか可愛い。
 
    (リベル) >でも、なんか可愛い。

それです。全ての基本は、人を愛することだと思います。また、一番出来ないことでもありますね。私も出来ません、お分かりの通り。そのまんまです。

『「・・・らせてください」っときながら』っていうのは、喋り言葉に限られるんじゃないでしょうか。あら探し好きのリベルでした。(3.26 17:29)
 

ようやくわかりました  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月26日(月)13時04分55秒   返信・引用  編集済
  カービルの奇蹟でもいくつも出てきました。しかしカーヴィルでも検索しなくてはいけませんでしたね。

 ところでようやく解決しました。
 やはりリベルさんが正しいようです。私はSulfanilamideがらいに有効という論文
 Public Health Report 67:Dec.11,1942 を発見し、これが、画期的な論文であるという
 Public Health Report を信用したのです。実際その雑誌は 2回に亙り public health に歴史的意義(historic significance) があると発表されています。

 (古い特に歴史的に重要な論文を同じ雑誌に再出させている)


 さすが、ハンセン病の専門家は 騙されませんね。有効率を比較してみましょう。しかしこの様なことは歴史にとどめておくべきでしょう。

 有効率:20例のうちL型6例に有効、別に2例も改善したが(これはもともと改善しつつあった)1例は前と同じ(stationary),後の10例は病気は進行したが、2次感染は改善した。

 これは、この種の薬が有効であることを力づけるものでしょうね。シャッポを脱ぎました。プロミンは1943年です。
 
    (リベル) 身構えていましたが、ご納得頂けて、ホットしました。これに懲りず、疑問はどしどしぶつけてください。私も勉強になりますから。(3.26 17:34)  

うーむ。  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月26日(月)12時23分26秒   返信・引用
  訂正しました。  

国会図書館  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月26日(月)11時16分44秒   返信・引用  編集済
  さすがに国会図書館は「カービルの奇跡」と入力しても「カーヴィルの奇跡」がヒットします。
「ビ=ヴィ」という「辞書」ができているんですね。ちなみに「満州」と入力しても「満洲」も引っ掛けます。「ドイツ」と入力すると「独逸」も引っ掛けますが、逆は出来ないようです。平かな、カタカナも区別しない機能もあるようで「どどいつ」もヒットしました。
遊んでいる場合じゃありません。
 
    (リベル) ちなみに「満洲」と入力しても「満洲」も引っ掛けます。・・・〆(。。 )メモメモ (3.26 11:38)(笑)(3.26 12:28)  

カーヴィルの奇蹟  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月26日(月)09時31分11秒   返信・引用
  古本関係のサイトは完全一致なので「カービル」では出ません。
ちなみに関係サイトをざっと当たりましたが、在庫はないようです。
WEBCATで見ても、ほんの少数の大学しか所蔵していないようです。
所蔵図書館 4
 愛知看大 139827
 滋県大 5020091
 茶女大 図 C40/239 100404000018
 琉大 289.3||Ma53 AA016396

『カーヴィルの奇蹟』
ベテイ・マーティン著
尾高京子訳
文芸春秋新社
1951年刊
288p ; 19cm
 
    (リベル) なるほど、そうでした。迂闊、うかつ、恥ずかしい。Ichiroさんも、ご一緒に、はい、「恥ずかしい、恥ずかしい」、ですね。「Carville」は「カーヴィル」ですよね。・・・... o_ _)o パタッ (3.26 11:23)  

大変です、これは・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月26日(月)08時02分9秒   返信・引用
  大改訂の第一歩として、「情報コーナー」を最初に持ってくる構想なのですが、「トピクス」の「胎児標本問題」をチョット見ただけで、最近の星塚敬愛園の出来事などを「胎児標本問題の変遷」に追加記入していなかったことに気付きました。他にも最近の動きが抜けています。

「これはしたり」とやり始めましたが、3時間半掛かって、ようやく後の運びが見えてきて、今日は終わり。出鼻を挫かれた感じですが、まあ、こんなものです。やがて佳境に入ってくれば、グングン・・・おいおい、おんまり大口は叩かない方が、賢いんじゃないの、と言う声が聞こえてきそうで、もう終わります。今に見ていろ、なんて呟きながら・・・。
 

求:カービルの奇跡  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月25日(日)21時12分59秒   返信・引用
  「カービルの奇跡」(単行本)または その抄録、Reader's Digestに掲載された「カービルの奇跡」
 を読みたいと存じます。どなたか 情報をご存知の方は知らせてください。

 Ichiro
 
    (リベル) 日本語の著書でしょうか?著者とか出版社は分かりませんか?「本・書籍通販検索」というサイトが有ります。ここで探すのが今のところ一番探しやすいのですが、有りませんでした。

ほかに、
「日本の古本屋」というサイトの「探求書コーナー」で申し込むと、古書店のネットワークで探してくれます。私は、かなり特異なものも、これで入手しました。筑摩書房の「尾崎一雄全集」の第15巻だけ、と言うのが見つかったのには、驚きました。最近ではBrowneの「聖書の中の『らい』」を何度も申し込みますがダメでした。犀川さんの「聖書のらい」はこれで何回目かに見つけたのです。これは使えます。凄いと思っています。(3.26 00:30)
 

なるほど  投稿者:きょうこ  投稿日:2007年 3月25日(日)20時00分21秒   返信・引用
  リベルさんが、なぜハンセン病のリンク集を作ったのかなぞでしたが、やっとわかりました。  
    (リベル) ちょっとした、カミングアウトでしたね(笑)

「早わかりコーナー」を始め、「もりのどうぶつたち」の存在にどんなに大きな教えを頂いていることか、本当に感謝しています。(3.26 00:11)
 

再度リベル様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月25日(日)15時09分3秒   返信・引用
  リベル様

 有難うございました。私は原本を入手しましたが、1942年とあります。コピーは勤務先にありますので、あとで報告します。
 

Re: 究極の不親切への反省からドラスティックな改変へ  投稿者:あずき  投稿日:2007年 3月25日(日)11時27分16秒   返信・引用
  >さあ、忙しくなるぞ。まあ、世の中もボツボツ新学期ですし。歩調を合わせて参りますか、あ、それなら春休みも取らなければ。コラコラ・・・。

ではリベルさんの新学期はもう始まりました。夏休みまで頑張ってくださいませ。この大きなお仕事がお嬢様へのプレゼントから始まったとのこと、とても素敵です。
父から高校時代に将来の希望を聞かれた時、登校拒否寸前に陥っていたわたしは、「もう勉強はいや。働くなんてもっといや。」と反抗しました。その時の父は全くわたしを叱らずに、「ではそうしなさい。」と一言。……その後のわたしの人生はフツウでしたけど(^^)。
 
    (リベル) 有り難うございます。老骨に鞭打つと致します。成果(?)は逐一、こちらで報告致します。さあ、うかうかしてはおられません・・・(>_<)(3.25 12:43)  

リベルさんへ  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月25日(日)10時14分16秒   返信・引用  編集済
  勿論忘れていません。

 原著が1942年なので、そのdiscrepancyに納得いきません。色々調べてみます。
 恐らくリベルさんの言われるのは正解かもしれません。雑誌を色々検討すると 特に
 Starなどは ひどいのですが かなり 発行が遅れます。したがって 次の年に起ったことが 前の年号の雑誌に 発表することがありえます。(笑)

 私の経験ですが、遅れていて、雑誌発行の月に診察したことが その月の号に採用されていました。これは編集長も悪いのですが (普通ではあり得ない。)、もう1月遅れると発行の月より後の月に観察したことが載ります。きわめておかしな現象ですが、発行が遅れていると成る程と思います。

 英文の方のWikipediaのHansen's diseaseは 文献を載せていましたが、これもいいことと思います。現在は自宅の方のパソコン使用中で、私の名前が載る方の(勤務地)パソコンでないので、Wikipediaにはつながらないので、ここで失礼します。
 
    (リベル) 書いてある部分と、その注を、引用しておきます。きちんと断言されていますが、私の読解能力はいい加減なので・・・?長くてご免なさい。お暇な方だけ、どうぞ。「誰もが認める四つの里程標がある」として・・・

「The first of these was the discovery by Do G Armoire Hansen of Norway in 1873 of the bacillus which causes leprosy. This microorganism was later to be classified as Mycobacterium leprae.Next was the initial use in 1941 of sulfone therapy in the form of promin by Do Guy Faget, of Carville, and the report in 1943 of its dramatic beneficial effects (11).」

「(11) Faget GH, Pogge RCC, Johansen FA, et al: The promin treatment of leprosya progress report. Pub Health Rep 58:1729-41, 1943. 」(3.25 12:17)
 

究極の不親切への反省からドラスティックな改変へ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月24日(土)23時16分18秒   返信・引用  編集済
  2000年の秋頃だったと思います。私の次女が、ハンセン病の裁判と関係の深い仕事をしていました。もう6年半前のことです。彼女の誕生日は5月11日です。そうです、熊本地裁判決の日と偶然にも同じであることに気付いた私は、ハタと膝をたたいて、誕生日のプレゼントを決めました。

Yahoo!で「ハンセン病」の検索を行ってみると、何万件という結果が出ます(今では846,000件ですが)。それを分類して、分かり易くしてプレゼントにしようと決めたわけです。「テレホーダイ」の時代だったので、私は彼女にも、妻にも知られないように、夜中に必死で作りました。

お気に入りに「総合的サイト」、「基礎知識」、「療養所」、「キリスト教」、「医学的資料」、「海外関係」等々というフォルダを作ってそこへ次々と放り込んでいったのです。

「年表 日本のハンセン病」と名付けた年表に、思わぬ時間を取られて、結局は誕生日には間に合わず、一応形をなしたのが、2001年の9月でした。そして2002年の元旦に「お年玉」としてポンと差し出しました。


その後、新しく支援する人々がHPを作られました。「市民学会」「首都圏市民の会」など新しい機関や団体も出来ました。しかし私は、ポイ、ポイとそれらを「基礎知識」のページに放り込んで、恬としていたのです。

最近、用もあって、
Wikipediaのページをよく訪問します。先日中学生の孫に「ねえ、ハンセン病のことって何見れば良いの?」と聞かれて、サッと頭に浮かんだのは残念ながら、そうなのです、Wikipediaだったのです。これは自分でも恐くなりました。

Wikipediaは未完成もいいとこです。「療養所」が変な位置に取り上げられていたり。にもかかわらずそこが頭に浮かんだのは、自分のサイトの不親切さを、十分承知していたからなのです。無意識に、自己批判をしていたのです。

Yahoo!やGoogleで検索すると、Wikipediaが一位か二位に来ます。私のは三位から五位のあたりをウロチョロしています。宜なるかな、なのです。

いや、私にも頑張って、良くやったと言えるものも有ります。有りますが、ダメです。究極の不親切がそこここに見えます。見る人、読む人、知りたい人の立場に立っていない。これを肝に銘じて、只今から、大改訂に入ります。それが終わるまでは、バイバイ出来ない。そう思って頑張ることを、ここに申し上げておきます。

「起源と歴史」これも大切です。これも平行して進めますが。さあ、忙しくなるぞ。まあ、世の中もボツボツ新学期ですし。歩調を合わせて参りますか、あ、それなら春休みも取らなければ。コラコラ・・・。
 

Dr. Faget追加事項  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月24日(土)22時20分36秒   返信・引用  編集済
  Dr. Fagetについて検索しました。

方法:global project on the history of leprosy(検索).......person

 1891年ー1947年。
  アメリカ生まれ。25年間彼はUS Public Health Service の distinguished officerであった。1940年にカービルのmedical officerとなる。sulphanilamideを9名のボランテイアに試し、潰瘍がすばやく改善することを発見。1941年3月、プロミン使用開始。1943年にProminがハンセン病に著効と発表。1943年diasone,promizole使用開始する。
 1947年の国際らい学会(東京)でpioneer sulfone therapistとして公的に表彰さる。


 Ichiroの質問:the 7th International Congress of Leprology が東京で1947年にありましたか ?

 リベルさんの年表より推測すると(勝手な推測)1946年の第2回パンアメリカンらい会議(リオデジャネイロ)でプロミン、プロミゾール、ダイアゾンが高く評価されたとあるので、この会議で表彰された可能性は如何でしょう(Ichiro)

 この資料でもプロミンの有効性は1943年に発表とありますが、はて?(42年ではない)
 
    (リベル) 国際らい会議はこの判決文を参考にして頂いても、1947年には開かれていないことが明らかです。1947年には東京かどうかは分かりませんが「第20回日本らい会議」が開かれて、石館さんなどからプロミンの薬効の報告があったとされています。そこに混同が有りそうですね。可能性は有るかも知れませんが、それ以上の資料は、私は持ち合わせていません。有効性が発表されたのは1943年です。先日 「A brief history ofHansen's disease」に書いてあると申し上げたでしょう。お忘れですか?(3.25 00:45)  

あれっ!Re:「意気込み」の変遷  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月24日(土)14時22分3秒   返信・引用  編集済
  事件が冤罪かどうかを描くのではなく、市民の中に潜む差別感をえぐり出したい。死刑に追いやったのは直接的には裁判官や検察官だが、彼らを後押ししたのは「ハンセン病になるくらいなら死んだ方がまし」と忌み嫌ってきた国民一人ひとりの差別意識。ハンセン病を正しく理解していれば、こうした事件は起きなかったはずだ。

映画一本で差別が消えてなくなるとは思わないが、いろんな人がいろんな立場からアプローチすることは必要だと思う。
(差別が生んだ悲劇 ハンセン病「藤本事件」を映画化の中山節夫監督に聞く 無関心の時代こそ… ズーム 2004.12.19 熊本日日 朝刊)


tommyさんの抄録の中にこういうのが有りました。その翌年の8月27日「製作上映実行委員」がスタートしています。それを取り上げた熊本日日新聞2005年8月26日朝刊の記事に曰く

「ハンセン病の元患者が無実を訴えながら死刑になった「藤本事件」をモチーフにした映画製作が動き出す。二十七日には製作上映実行委員会が設立されることになっており、関係者は「ハンセン病差別の根を断ち切る一助にしたい」と広く支援を呼び掛けている。」

その日発表された「製作企画書」は、こう結ばれています。

「私たちは、今回の映画製作・上映の取り組みをとおして、この忘れ去られた人間の叫びを再び日本全国の人々に喚起し、もってこの取り組みが、私たち一人ひとりの心の中から“ハンセン病”差別をはじめとするあらゆる差別の根を断ち切っていく一助になればと願ってやみません。」

ちょっとニュアンスが違うのは、これ一つだけ。

「「たった四回の公判で死刑を執行された、藤本松夫氏の名誉を回復したい。このまま事件を眠らせないためにも、映画を作り上げたい」と意気込みを語った。
(「藤本事件」 映画化支援しよう 熊本市で実行委設立 恵楓園など関係有志ら2005.08.28 熊本日日 朝刊)」

しかし、その一ヶ月後には

この映画は「無罪」や「有罪」を問うものではありません。藤本さんをはじめとするハンセン病の元患者が「ぼろぞうきん」のように扱われてきた歴史と事実を知ってほしいのです。事実を見つめることが、人々の心の中に潜む差別や偏見の解消へつながると信じています。
(熊本県/聞く語る=「藤本事件」映画製作上映実行委員長 坂本克明さん 差別の歴史、事実知って 映画化目指し実行委設立 2005.09.26 西日本 朝刊 24頁)」


私自身が、エッ!意外!と思っています。「冤罪」を追求するとは、一言も言っていない。当初から、この辺をそういう意識で、良く読んでいなかった自分が恥ずかしいですが。瓢箪から駒あっ?という心境です。想定外の進展ではないですか、北風さん???

いえ、決して「面白がって」はいないですよ。正直言って。
 

坂本牧師。  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月24日(土)09時48分35秒   返信・引用
  菊池野8(3~4)、1958にのる「藤本松夫氏を救う会発会式」の記録によれば、牧師では矢村天民という人が参加し、医療刑務所の教戒師として藤本氏に何回も面会したことを報告しているが、検証会議に忽然と登場し今回の制作実行委員長をつとめる坂本牧師の名前はどこにも見えない。
ちなみに検証会議報告書には関原弁護士の証言すらない。
 
    (リベル) 調べることが好きな私奴が調べたところ、坂本克明氏は1961年6月から、菊池医療刑務所へ行き始めたと、第18回検証会議(10ページ~)で話していますから、それは確かなのでしょう。関原弁護士は報告書に名前は出てきますが、証言は無いですね。(3.24 14:01)  

「意気込み」の変遷  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月24日(土)09時37分20秒   返信・引用
  [47142] 映画のテーマ 投稿者:tommy 投稿日:2007/03/24(Sat) 02:58


らい予防法廃止10周年の2006年に向けて、狭山事件に似たハンセン病にまつわる冤罪事件「藤本事件」を扱って作品をつくりたい、と抱負を語った。
(2003.12.11 公明新聞 ハンセン病の正しい理解へ 次もいい映画を/坂口厚労相 中山節夫監督と和やかに懇談)

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県内の元患者が無実を訴えながら死刑となった「藤本事件」についても触れ、「予断と偏見に満ちた事件でぜひ映画化したい」と決意を披露。
(2003.09.08 熊本日日新聞 ハンセン病問題で講演 「あつい壁」の中山監督 熊本市 らい予防法)

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「それでも映像が勝ってしまう」という中山監督は今、元患者が無実を訴えながら死刑となった藤本事件の映画化を考えている。「市民の差別感をえぐり出す作品にしたい」。映像の持つ力も、怖さも知り尽くした監督は力を込める。
(2003.06.21 熊本日日新聞 検証・ハンセン病史 [連載] )

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殺人罪に問われた元患者が無実を訴えながら死刑となった「藤本事件」(一九五一-六二年)にも触れ、「警察も裁判官も弁護士も、予断と偏見に満ちていた。ハンセン病への差別が凝縮されたこの事件を、ぜひ映画化したい」と述べた。
映画に込めた思い語る 「あつい壁」の中山監督、ハンセン病講座で講演 らい予防法
(2004.07.04 熊本日日 朝刊)

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今回の作品は、自分では気付かずに差別する加害者を描き、人間の本能的な差別を告発したい」
(差別を告発したい 合志出身中山監督、映画「藤本事件」企画/熊本
2004.09.06 朝日 地方版/熊本 28頁)

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今回の作品で、中山監督は「一人の人間を死刑に追いやったのが、市民の中に潜む差別だという点にスポットを当てたい」と話す。
(「市民に潜む差別意識問う」 合志町出身の中山節夫監督 「藤本事件」を映画化 無実訴えたハンセン病元患者が死刑に-
2004.11.26 熊本日日 夕刊)

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熊本出身の中山監督は、事件を通し人の心にある差別を考えてもらいたいと映画化を目指していた。
(ハンセン病患者無実叫ぶも死刑、「藤本事件」映画化支援を/市民団体が制作実行委員会立ち上げ=鹿児島市
2004.11.27 南日本 朝刊)

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寺本是精(ぜしょう)さん 「映画が、いまだに根強いハンセン病への偏見をなくすきっかけになれば」。
寺本是精さん 事件の勉強会を計画(人ぴーぷる) /鹿児島
(2004.12.10 朝日 西部地方版/鹿児島)

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事件が冤罪かどうかを描くのではなく、市民の中に潜む差別感をえぐり出したい。死刑に追いやったのは直接的には裁判官や検察官だが、彼らを後押ししたのは「ハンセン病になるくらいなら死んだ方がまし」と忌み嫌ってきた国民一人ひとりの差別意識。ハンセン病を正しく理解していれば、こうした事件は起きなかったはずだ。

映画一本で差別が消えてなくなるとは思わないが、いろんな人がいろんな立場からアプローチすることは必要だと思う。
(差別が生んだ悲劇 ハンセン病「藤本事件」を映画化の中山節夫監督に聞く 無関心の時代こそ… ズーム
2004.12.19 熊本日日 朝刊)

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中山節夫監督はこの程念願である藤本事件の劇映画化「父ちゃん何処行くと?」(仮題)を企画。企画書によると、藤本松夫の教誨師坂本克明牧師、元曹洞宗人権啓発相談員・藤本慶峰法泉寺住職、中山監督らが世話人とあり・・・・
(人権を問う藤本事件 中山プロで映画化企画
高松宮ハンセン病資料館・資料館だより第46号 2005年1月1日号)

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「一人の人間を死刑に追いやったのが、市民に潜む差別だという点にスポットを当てたい」と話す。
(ハンセン病問題検証会議最終報告書 隔離政策の被害えぐる 藤本事件、黒髪校事件、宿泊拒否事件
2005.03.02 熊本日日 朝刊)

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 「藤本事件は闇から闇に葬り去られた。市民が死刑台に押し上げたのではないか。個の差別を告発したい」。制作費は1億5千万円を見込み、千円の制作協力券を売って賄う。9月に撮影を始め、来年完成の予定だ。
(2005.03.18 朝日 西部朝刊 33頁)

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映画は、殺人事件の容疑者として逮捕され、無実を訴えたが、病気を理由にまともな裁判を受けられず死刑になった男性の人生を通して、ハンセン病問題の深部を見つめ直す。患者の子供の入学拒否の実話をもとにして作られた「あつい壁」の中山節夫監督がメガホンを取る。
(企画[GOWASS-人きずな]あの人を語る/真宗大谷派(東本願寺)本覚寺住職・寺本是精さん(54)
2005.03.23 南日本 夕刊)

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「藤本さんは、法の名の下に命を奪われたハンセン病史最大の犠牲者。司法関係者の責任だけでなく、らいになるなら死んだ方がましと思っていた市民一人一人にこそ、責任がある。その責任を問いたい」と、映画化に向けた取材や、製作資金集めを続けている。
(藤本事件:熊本出身の監督、映画化へ 「ハンセン病差別、市民にこそ責任」
2005.04.19 毎日 西部朝刊 25頁)

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冤罪(えんざい)を訴えながら死刑執行されたハンセン病元患者、藤本松夫・元死刑囚の「藤本事件」をドキュメンタリー映画にすることを計画している。「藤本さんは、法の名の下に命を奪われたハンセン病史最大の犠牲者。司法関係者の責任だけでなく、らいになるなら死んだ方がましと思っていた市民一人一人にこそ責任がある。その責任を問いたい」と、映画化に向けた取材や、製作資金集めを続けている。
(藤本事件:熊本出身の中山監督、映画に--「冤罪」届かず死刑の元ハンセン病患者
2005.04.23 毎日 東京夕刊 13頁)

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ハンセン病者への偏見を背景にした冤罪(えんざい)を疑われている藤本事件(殺人罪で死刑執行)の映画化企画について、協議会の資金支援が提案され、検討することとなった。
(偏見や福祉問題 支援強化を決議/全国ハンセン病療養所所在地市町村連絡協2005.07.10 琉球新報朝刊)

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今回の映画タイトルは「父ちゃん何処行くと」(仮題)。

製作上映実行委員会準備会代表で、藤本元死刑囚の教戒師を務めた坂本克明さん(73)=熊本市=は「一人の人間を死刑に追いやった市民の差別意識を鋭く問う作品になると思う。実現に向け、力を貸してほしい」と話している。
(無実訴えたハンセン病元患者に死刑 「藤本事件」映画化へ始動
2005.08.26 熊本日日 朝刊)

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「たった四回の公判で死刑を執行された、藤本松夫氏の名誉を回復したい。このまま事件を眠らせないためにも、映画を作り上げたい」と意気込みを語った。
(「藤本事件」 映画化支援しよう 熊本市で実行委設立 恵楓園など関係有志ら
2005.08.28 熊本日日 朝刊)

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事件を風化させず、差別、偏見解消の一助へと藤本死刑囚の教戒師を務めた坂本克明さん(73)=熊本市=らを中心に映画製作を企画。監督は、ハンセン病をテーマにした映画を手掛けた合志町出身の中山節夫さん(68)=埼玉県=に決まった。
(熊本県/実行委設立 「藤本事件」を映画化へ
2005.09.16 西日本 朝刊)

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私は「このような差別は許せない」と聞き取りなどを実施し、結果を会合などで発表。昨年、恵楓園で開かれた「ハンセン病問題に関する検証会議」で事件のことを講演したことがきっかけで「藤本事件を世間に知らせよう」という機運が高まり、有志で映画化へ向けた準備を進めました。

この映画は「無罪」や「有罪」を問うものではありません。藤本さんをはじめとするハンセン病の元患者が「ぼろぞうきん」のように扱われてきた歴史と事実を知ってほしいのです。事実を見つめることが、人々の心の中に潜む差別や偏見の解消へつながると信じています。
(熊本県/聞く語る=「藤本事件」映画製作上映実行委員長 坂本克明さん
 差別の歴史、事実知って 映画化目指し実行委設立
2005.09.26 西日本 朝刊 24頁)

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「藤本事件」をモチーフにした映画の製作上映実行委員会の第三回会合が十八日・・・・・
中山監督は「親族のプライバシーに配慮しながら、現代に問う作品にしたい」と話している。
(題名「新・あつい壁」に “藤本事件”モチーフの映画 「現代に問う」と中山監督
2006.03.19 熊本日日 朝刊)

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死刑執行から20年以上たってから裁判を担当した当時の書記官に会い、「はしで証拠品をつかんで裁判長に見せた。裁判官も検察官も弁護士も皆、ぼろぞうきんのように松夫さんを捨てた」と涙ながらに打ち明けられました。この映画を撮る中山節夫監督も事件を疑問視し、長年映画化を考えていたが機運がなかった。しかし、厚生労働省の第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」は、昨年3月の最終報告で療養所内の特設法廷で行われた裁判を「(公正な裁判を受けるという)憲法の要求を満たしたとはいえない」と指摘、状況が変わりました。

シナリオは事件をモチーフにしたフィクション。差別された1人の人間の「人間回復」のための映画です。
(会いたい・聞きたい:「藤本事件」映画製作・上映実行委員長、坂本克明さん /熊本
2006.04.09 毎日 地方版/熊本 27頁)


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子供たちを苦しめた“あつい壁”は依然、人々の心の中に存在している。このタイトルが、今回も違和感なく使えてしまう現実を、みんなで考えてほしい。過去の事件をモチーフにしてはいるが、現代につながる作品になるはずだ。
(Newsインタビュー=製作・上映実行委員長の坂本克明氏 映画「新・あつい壁」10月完成へ
2006.04.20 熊本日日 朝刊)

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「この映画は若いころから作りたかった。ハンセン病への差別、偏見がいまだ残るだけに、やり遂げたい」と映画化への意気込みを語った。
(ハンセン病見つめ直す 差別事件映画化へ集い 熊本市
2006.04.23 熊本日日 朝刊)

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志村副会長は、無実を訴えた元ハンセン病患者が殺人罪で死刑執行(六二年)された通称「藤本事件」の映画化が進んでいると紹介し、「(差別を助長した)らい予防法がなければ事件は起こらなかったはずで、藤本さんは今でも生きていただろう。らい予防法とは何かを今後も問い続けたい」と決意を語った。
(らい予防法廃止10年/国賠訴訟判決5年 熊本・菊池恵楓園
2006.04.23 西日本 朝刊 1頁)
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中山監督は「無関心な国民こそが裁判を後押ししてしまったのではないか。病気に対する差別を社会の私たち個人が許したり、関与してきてしまったということを、映画を見て知ってほしい。その社会側の責任を追及しないと、ハンセン病患者は一生解放されない」と訴えている。
(ハンセン病:映画「新・厚い壁」中山監督が来県、製作・公開に協力を呼び掛け /青森
2006.08.08 毎日 地方版/青森)
 
    (リベル) 何というタイミングでしょう。私が「最初の意気込み」と書いた約2時間後に、これがアップされていたのですね。しょっちゅうそちらへも伺わないといけません。読む前に、取り敢えず、謝辞を。(3.24 13:25)  

ついに中世に着手しました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月24日(土)03時29分7秒   返信・引用  編集済
  思えば、昨年の夏、Scienceの記事が切っ掛けで、「起源と歴史」を作ろうと思い立ち、暮れ頃から中世の文献探しで難航していました。ウッカリすると一年経ってしまいます。

今日、7世紀に「ラザレット」が存在した、と久し振りに記入しました。「筆おろし」という感じです。チョット違うか。これからは、堰を切った水のように、一気呵成に・・・と行くかどうか・・・自分で自分の尻に鞭を入れなければいけません。
 

余談:芝居を美味しくする  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月24日(土)01時30分31秒   返信・引用  編集済
  「ごきげんよう」と言う番組で拾いました。俳優田山涼成さん(56歳)の話。

「芝居を終えて楽屋へ帰ってくる途中、私より大分年上の松本幸四郎さん(65歳)が、「しみじみ」という感じで仰有いました。

『田山さんは、芝居を美味しくする役者さんですねえ』

これは、嬉しかった。最高の褒め言葉と、受け取りました。」


「芝居を美味しくする役者」という褒め言葉、何となく分かるところが、そしてまた、そういうことを言う幸四郎さんの気持ちが、嬉しいではありませんか・・・?(同意を求めて)


田山涼成さん
 

聖なる魂  投稿者:あずき  投稿日:2007年 3月24日(土)00時28分57秒   返信・引用
  >この物語は、全く知りませんでした。ビシッと背筋が伸びました。何という本に書いてあるのか、教えて頂けると嬉しいです。(リベルさん)

ここに紹介されています。もう文庫になっているようですね。

http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/SaintSoul.htm
 
    (リベル) あずきさん、早速ご紹介頂きまして、有り難うございました。読んでみます。(3.24 00:56)  

増葦雄さん。  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月23日(金)19時39分28秒   返信・引用  編集済
  私が刑務所に藤本さんを訪ねるたびに思うのは、藤本さんのためというだけでなく、私自身をあたらしい人間に脱皮させているということだ。>菊池野10(12),1961

僕らは、藤本事件に対しこういう向き合い方をしているだろうか。
「事実ではなく真実を描きます」などという、上滑りの修辞のうらにこのような真摯な向き合い方があるとは思えない。
自分自身の内包する差別や偏見を凝視しようとしないで、安全地帯から啓発、啓蒙をしようとする姿勢からは「真実」にたどり着けるとは思えない。

【追記】
「真摯」はいかにも大げさかもしれない。しかし、決定的に違うのはその「まなざし」ですかな。
 
    (リベル) 「真摯」は決して大袈裟ではないと思います。「まなざし」は「違う」というより「変わってしまった」のではないでしょうか。最近どこかで、「最初の意気込み」を読んだのですが、今見当たりません。いきなり「商業主義」から出発したのではなかったと書いてあった、確か、ような記憶が・・・。(3.24 01:02)  

白人嘘つくインデアン嘘つかない  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月23日(金)17時40分56秒   返信・引用  編集済
  ジェロニモ(ゴヤスレイ)をアメリカは、降伏の条件としてアリゾナのアパッチ居住区に住まわせると約束したが、結局、1886年9月4日降伏した彼をフロリダに送って、生涯収容所からださなかった。「白人嘘つくインデアン嘘つかない」は、ただの軽口ではなく、アメリカと先住民の歴史そのものだね。

イラクやアフガニスタンの捕虜もフロリダの収容所に収容された。
エルビスの「フロリダ万歳」とは裏腹に、あそこは胡散臭い怖いところらしい。
 

Re: 余談:殺し文句  投稿者:あずき  投稿日:2007年 3月23日(金)14時46分16秒   返信・引用  編集済
  > 言い換えれば、「奴隷解放宣言」から、100年経っても、まだこのことを「夢」だと言わなければならない、この現実を見なければいけないと思うのです。その後38年経って2001年、ハリー・ベリーがアフリカン・アメリカン初のアカデミー主演女優賞を受賞した事実からも、この差別の根強さが分かります。アメリカでの人種差別は現在の問題なのです。

ちょっと思い出したメモがありますので、長いのですが、ここに書かせてください。話題がずれるかもしれませんが、ごめんなさい。でもステキな「殺し文句」でしょ?

1968年頃から行動を起こしたAIM(アメリカ・インディアン運動)の活動家デニス・バンクス(1936年・ミネソタ州北部の森林地帯リーチ・レイク・インディアン居留地生まれ)は誇り高き「アニシナベ=最初の人間」の子として生まれる。「アニシナベ」とは合衆国軍騎兵隊の軍事侵略から土地を守りぬいた民族である。
このAIMの活動によって、デニス・バンクスは「騒乱罪」「暴行罪」の罪を負い、追われる身となったが、FBIも保安官も手が出せない強い自治区「オノンダガ」によって守られることになった。しかしそこでの10年間、彼は愛する家族と共に暮らすこともままならず、行動範囲の制約が当然あったわけです。そしてデニス・バンクスは再びの「自由」を手にするために、サウス・ダコタ州への投降を決意する。その時彼はこう公言した。

『何が起ころうとも、私たち家族が望む所に住み、望むように子供たちを育てられる自由を求めるのみだ。』

そして幼い娘のトカラにはこう伝えた。

『ダディはね、白人とインディアンが仲良く暮らせるようにしようとしたんだけれど、そうするのが嫌な人たちが、ダディを刑務所に入れるんだ。でもこわがることはないよ。ダディは必ずトカラの所に帰ってくるから。そしてその時はもう二度とこんなふうにバイバイしなくてもいいようになってるさ。だから強い子でいるんだぞ。マミと一緒にダディに会いに来てくれるね。』
 
    (リベル) この物語は、全く知りませんでした。ビシッと背筋が伸びました。何という本に書いてあるのか、教えて頂けると嬉しいです。先に紹介した本の目次は(1)ワシントン大行進(2)自由(3)キング牧師・・・となっています。(3.23 23:52)  

100年!  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月23日(金)06時53分56秒   返信・引用  編集済
  リベル様 おはようございます。

>[癩予防ニ関スル件」が公布されてから、100年と5日経ちました。

 あと2年すると5つの療養所も100年ということになる。
 記念式典をする準備を開始いたしましょう。

 回春病院創立100周年記念の行事に出席した。記念の切手を出させようと調べたのであるが、その時に計画したのは遅すぎで、2,3年前から計画し、関係の省を動かさねばならないという事が判った。色々条件があるが、100周年ときりがいいのは採用される可能性は多い。ちなみに、100周年でなく日本で開かれる国際学会であると 出席者は5000人だそうである。(当時の条件)

  増田勇が[癩予防ニ関スル件」を批判した本を発行して100年になる。

 100周年を予め知り、エッセイを書いたことがある。ハジチ禁止令 100年 宮古におけるハジチの特徴 上 下 宮古毎日 1992
 その療養所の中に、宮古古来の風習である、ハジチ(刺青)をされておられた方がいたのである。ご自慢のハジチであった。
 

余談:殺し文句  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月23日(金)01時44分19秒   返信・引用  編集済
  下の写真は文庫本です。変わっているのは、タイトルの両側に、帯封に書くべき事を書いているところです。これは上手いやり方だと思います。

「わたしは、この言葉を声に出して読むことができない。読もうとすると声がふるえてしまう。」

私はアマゾンで他の本を買おうとしていて、この殺し文句に捕まって、この本を買わされてしまいました。

本文の中の、キング牧師の文の前には次の一節が有ります。

「私には夢がある。いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが、皮膚の色によってではなく、人となりそのものによって人間的評価がされる国に生きるときがくるであろう。」

これは、1963年の「ワシントン大行進」でマーティン・ルーサー・キング・Jrが行った「I have a dream」という有名な演説の一節です。1963年といえば、私達夫婦が結婚した年ですから、最近です(?)。その100年前の1863年にリンカーンが「奴隷解放宣言」をしているのです。

言い換えれば、「奴隷解放宣言」から、100年経っても、まだこのことを「夢」だと言わなければならない、この現実を見なければいけないと思うのです。その後38年経って2001年、ハリー・ベリーがアフリカン・アメリカン初のアカデミー主演女優賞を受賞した事実からも、この差別の根強さが分かります。アメリカでの人種差別は現在の問題なのです。

「天は人の上に人をつくらず」は人権の問題を、子ども向けに、しかし、実にしっかりと解説した本です。300円。一時間で読めます。

福沢諭吉が亡くなってから106年と48日経ちます。

「癩予防ニ関スル件」が公布されてから、100年と5日経ちました。
 

例の画像  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月23日(金)00時35分7秒   返信・引用  編集済
  リベル様

 例の画像はどうも小生には違和感がありました。
 その理由がわかりました。
 理由が不明なのですが、日本の重症のL型は、比較的高頻度に、らい性禿頭症を呈します。例の症例は髪がふさふさしています。
 それは私が菊池恵楓園に勤務してすぐ、熊丸園長に教わりました。日本のL型のらい性禿頭症はタイヘン特長的であり、当時ジョップリング先生にも質問したことがあります。結局理由はよくわかりませんでした。その特徴として血管に沿って、毛が残存することがあります。
 沖縄をはじめ、外国には、らい性禿頭症はみられません。断定していいか、一般的な話としてです。

 話は変わりますが、沖縄をはじめ流行地のハンセン病の症状は日本内地のそれより、軽いと言われ、私もそう思います。これも、一般的な話ですが。
 

汗、汗・・・のWikipedia、画像投稿!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月23日(金)00時02分23秒   返信・引用
  Wikipediaの画像、著作権の管理が厳しくて、いやそれは良いことなのですが、英語でややこしいことをさせられるので、参りました。何かタグを埋めないと、一週間以内に削除する、と警告されて、もうオタオタしまくり・・・。そうでもないか・・・。

一応、こんな風に納まりました。例の「患者さん」の写真は「差別の原因」の項目に残っていますが、このことは、「司法取引」と考えて、その内に、取っ払ってやろうと思っています。
 

『聖書の中の「らい」』  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月22日(木)10時31分50秒   返信・引用
  まだ入用ですか?コピーでよろしければ。  
    (リベル) 思わずカッと、寝惚け眼がマンマルに、見開いてしまいました。「日本の古本屋」「スーパー源氏」「古本屋散策の栞」「本・書籍通販検索」など、一再ならず申し込んだり、検索したり、まるで釣り人の心境の毎日なのです。

有り難うございます。是非、是非、お願いいたします。感謝、感謝で、言葉が有りません・・・m(_ _)m(3.22 12:14)
 

(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 3月21日(水)19時48分10秒   返信・引用
  >私は、逆に現在の説明文も外そうかと思ったのですが。これ以上精密な写真説明が、百科事典として必要かな?と思うのですが、如何でしょう?(3.21 00:21)

はい,すたこらさっちゃんで,ささっとひっこめます.
本文と写真解説文とのバランスのほうが大切ですね.
 
    (リベル) はい、そう感じます。すたこらさっちゃんは、懐かしいです・・・(笑)  

Re: 念のため  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月21日(水)12時40分54秒   返信・引用  編集済
  > 北風は、市民学会の意義と可能性を信じているので、市民学会の存在そのものを批判しているわけでも、まして否定しているわけではありません。

> また、事務局・運営委員の日ごろの「労」に関し感謝し敬意を表します。しかし、だからといってその方向や方法について批判すべきことは批判せざるを得ないのは、光田健輔や小川正子のの「献身」は大いに認めるが、その行為と結果に対しては批判せざるを得ないのと同じく、必要なことだと思っています。


北風さんが市民学会の存在そのものを批判・否定しておられるとは、どこからも感じられませんから、どうかご安心下さい。「次期委員選出手続き」や、「『新・あつい壁』への立場」や批判するべき点は、多いと私も思います。それはキチント質していかなければいけないと思っています。

「これは問題提起の一文だと思います」と私は書きました。言い換えれば、自己批判の提示と感じているのです。自家撞着に悩み苦しむ、設立直後の組織のきしみ、悲鳴を聞く思いがします。育ち盛りの子供の骨が伸びるときに、伴う痛みとキシミ音とも受け取れるでしょう。「可能性」を暖かく包み込んで育てる眼差しも、私達には必要なのではないかな、と思います。

ただいま、いささかならず、「愛」モードのリベルであります。
 

念のため  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月21日(水)11時07分35秒   返信・引用  編集済
  北風は、市民学会の意義と可能性を信じているので、市民学会の存在そのものを批判しているわけでも、まして否定しているわけではありません。

また、事務局・運営委員の日ごろの「労」に関し感謝し敬意を表します。しかし、だからといってその方向や方法について批判すべきことは批判せざるを得ないのは、光田健輔や小川正子のの「献身」は大いに認めるが、その行為と結果に対しては批判せざるを得ないのと同じく、必要なことだと思っています。
 

Re: ハンセン病市民学会から  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月21日(水)11時05分32秒   返信・引用
  > 私は、「中山監督と遺族の間で……正式な合意云々」は事実だと「曲解」しています。恥ずかしいことですが、この点、不勉強です。裁判での和解を「正式な合意が成立」と言う意味だと、理解しているのですが。

和解の「合意」の条件を実行していない。
S弁護士は上映差し止めの仮処分申請を考えていると聞いている。(伝聞です)
これはたぶん認められないだろうし、S弁護士も承知でしょう。
しかし、ここまで老弁護士を頑なにさせたものは何か。
ここにも、ボタンのかけ違いを直そうとしないで、しゃにむに自己の都合を通そうとする姿勢が垣間見える。

昨日から少し「怒」モードの北風であります。

【追加】
映画に関しては、たぶん一般の人に「いい映画だった」「なけた」「感動した」というような「情緒的な評価」は得られるようなものになるでしょう。
それくらいは手練れの映画人にはお手の物でしょう。

しかし、それゆえにこそ、批判されなければならない問題を内包しているといえるだろう。
 

市民学会とシナリオの奇妙な符合。Re: ハンセン病市民学会から  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月21日(水)10時44分11秒   返信・引用
  【市民学会】
> 書面には「なお、今回の役員選出手続きは、市民学会の組織によりふさわしい選出手続きを模索するための試行錯誤の過程とご理解下さい。

【新・あつい壁】
今回の映画のシナリオは、まだまだ検討作業の途上にあり、完全無謬と考えているものではありません。

つまり「批判」を予め封じようとしたり、回避するための「手法」。
 

Re: (無題)  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月21日(水)10時39分57秒   返信・引用
  > >>この感傷主義からの決別を

http://homepage2.nifty.com/dream-dream/yamashita_5.html

やまねさんより。


>     ↑
> という言葉から、太田正雄署名で昭和15年に発表された木下杢太郎の「動画『小島の春』」評が思い出されます。
> ――「小島の春」及び其動画は此感傷主義が世に貽つた最上の芸術である。(…中略…)「小島の春」をして早く此「感傷時代」の最終の記念作品たらしめなければならない。――
> [『木下杢太郎全集』第十七巻、岩波書店、1982年より、旧字体を新字体に変えて引用]
>
> 「新・あつい壁」試写会の声チラホラ。しかし、(東京では)まだ上映会の声が聞こえてこない。
> 何故だろう?
 
    (リベル) このことは、「ニュース速報」にも掲載しております。たまにはそちらにも顔をお見せ下さいな。(3.21 17:31)  

Re: ハンセン病市民学会から  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月21日(水)10時35分53秒   返信・引用  編集済
  >
> 唐突な言い方ですが、怒らないでください、この文章は「名文」だと、そう思います。正直に言うとそうなのです。内容についての疑義は有る。それは質さなければならない。質しましょう。それは別として、この文章からは、苦渋と含羞に満ちた肉声が聞こえてくるのです。悩みの後の、迷いに満ちた、苦しい決断、というようなものが心に突き刺さってしまうのです。
>


その通り。いかにも苦しい、「苦渋」の表現だと思います。
しかし、なぜ「苦渋」しなければならないのか、という点を小生は「批判」しています。

ボタンのかけ違いを直さず、そのまま着続けようとするとそれを覆い隠すためにさらに重ね着をしなくてはならなくなる。
 

Wikipedia、兎に角汗だくで・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月21日(水)03時14分25秒   返信・引用
  Wikipediaの「ハンセン病」のページの画像の件で、初めての画像投稿をしてきました。と言っても、他の投稿者の方に助けてもらって、汗だくで・・・。

今、皆さんのご意見を確かめています・・・(;´д`)ハァハァ
 

Re:ハンセン病資料紹介  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月21日(水)03時08分14秒   返信・引用
  リベル様

 らいの種類ではありません。昔のらい腫らい、などの分類でしょうか。平成10年頃、入手した、写本ですから、面白半分に読んでください。どの時代の筆者かもわかりません。他に、筆写された本があるようです。医史学会の先生に読んでもらおうとしたこともあるのですが、ご存知の通り江戸時代の文献は当て字、読めない字の連続で、私の研究は完成していません。この本が売りにでていますよ、と知らせてくれた方がいました。高く買いすぎた、私の宝物です。
 

Re: ハンセン病市民学会から  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月21日(水)01時17分50秒   返信・引用  編集済
  >少なくとも「共同代表」と「事務局」「運営委員」別々に信任投票をするべきだろう。

その通りですね。「子犬のワルツ」は微笑ましいですね。

書面には「なお、今回の役員選出手続きは、市民学会の組織によりふさわしい選出手続きを模索するための試行錯誤の過程とご理解下さい。したがって、事務局の仕事量の負担が増えない条件の下で、より良い方法がありましたら、次々期の任期更新の際の参考にさせて頂きますので、事務局までご提案をお寄せ下さい」と有ります。

「事務局の仕事量の負担が増えない条件の下で」という断り書きが、また微笑ましく、その条件下での提案は無理としても、「変ではないですか?」という意見は述べてみようかと思っています。だから私は、[endoh@kumagaku.ac.jp]宛に、メールを出そうと考えています。


> これは、自らの判断を避け「全療協の判断」と責任転嫁するとともに、全療協への「もうじゅう」という二つの点で誠実な態度とはいえない。市民学会の「主体性」はないのであろうか。

「ない」と私は思っています。そして、「ない」とこの文章は、訴えている、と私は読み取りました。どうすれば、具体的には市民学会のどこが、どの組織が、誰が、主体性を持ち得るのか?これは問題提起の一文だと思います。

> 加えて、「中山監督と遺族の間で……正式な合意云々」と事実を曲解している点、「ご意見・ご提言を……中山監督に伝達」したいので事務局に寄せろという。

私は、「中山監督と遺族の間で……正式な合意云々」は事実だと「曲解」しています。恥ずかしいことですが、この点、不勉強です。裁判での和解を「正式な合意が成立」と言う意味だと、理解しているのですが。

ただ、その一事(プライバシーの面での合意)を以てして、「クランクイン以前からのY氏、S弁護士などの意見を握りつぶし」たことの説明も、「問題ないと判断」されては困りますよ、という意味では、私も北風さんと同意見です。


> ここまでとは思わなかった、というのが印象である。
> この場を借りて、旗幟を明らかにしておくことにしました。


私の、受け取り方を、つまり、やはり旗幟ですか、を記しますと・・・。

唐突な言い方ですが、怒らないでください、この文章は「名文」だと、そう思います。正直に言うとそうなのです。内容についての疑義は有る。それは質さなければならない。質しましょう。それは別として、この文章からは、苦渋と含羞に満ちた肉声が聞こえてくるのです。悩みの後の、迷いに満ちた、苦しい決断、というようなものが心に突き刺さってしまうのです。

これは「旗幟」と言うよりやはり「受け取り方」ですね・・・。

私は、やはり、「汗の匂い」に弱い、のでしょう。
 

ハンセン病資料紹介  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月20日(火)21時37分25秒   返信・引用  編集済
  南蛮流ライ(漢字)疾秘方

 江戸時代か明治初期かわからないが、おそらく江戸時代であろう。著者名は不明である。色々の資料からの筆写だろうと思われる。当時の考えがわかって面白い。杉並区高円寺北3-4-10の竹岡書店から入手した。持ち主かもしれない名前がある。赤痢病 避業病院 主治町?(医か) 和一と書かれている。
 最初は 先らい疾をなおせんと思い3年の間かたく房事をいましむへし。(カタカナで書かれている)中略 こういう本を書く研究の仕事をするには、房事を慎むべきらしい。次に婦人は 汚わいだから禁ずとあるのは当時の思想か。(生理の血を不潔と考えたらしい)治療法が主で 漢方の処方がずらずらでてくる。大風子が出てくるのは当然であるが、油ではない。使い方も具体的に書かれている。漢方に興味がある人は面白いであろう。眉毛はとれたのにも治療法がある。
 私はらいの種類に興味をもった。
 1.赤らい瘡
 2.白らい瘡
 3.蜂熟瘡 (蜂の刺された如くに瘡でる)
 4.紫どう(石ヘンに同)瘡 紫色にして瘡出る。眉間紫色は不治定業病なり。
 私は1例であるがこれに相当するのを見た。顔面の急性増悪である。
 5.血虫瘡
 6.白丹虫瘡
 7.刀切瘡 これは見た事がない。あと色々ある。合計11種類あるという。
つらつら思うに昔の症状は今と違うと思う。それは2次感染が合併している印象がある。ジョップリングはいみじくも言ったが、らいが治らない時代であっても、傷を綺麗に処置すれば2次感染がなくなり、いいと言った。それは、匂いが悪いのがなくなるのであろう。実は回春病院創立100年に記念式典で寄せた言葉である。私は、その場で発表したのだが、生憎主催者に渡すのを忘れて記録されていない。
 
    (リベル) 専門家のお話に、口出ししてはいけないかも知れませんが、「11種類」は「らい」の種類ではないでしょう。「症状」なのではないですか。正確には「症状」に準じた分類なのだと思います。だから「Mycobacterium leprae」による「ハンセン病」ではない症状を加えているのではないか、和一さんは、と思うのですが如何でしょうか?(3.21 01:28)  

Re:ハンセン病市民学会から  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月20日(火)21時07分50秒   返信・引用
  確かに北風さんが言われるように 変な信任投票である。気に入らない人が一人でもいたら、全員信任とならないので 一蓮托生ということか。
 最高裁判所の裁判官のことを考えると、これは、制度がぶっつぶれることになりかねない。皆さんは潰れることを希望しないであろうから、知恵者が考えたことであろう。しかし、これは変なルールを考えたことが 逆に 不満を醸し出すのではないか。鼻白むといわれても仕方が無い。
 

ハンセン病市民学会から  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月20日(火)16時43分11秒   返信・引用  編集済
  大会に向けて、もろもろの書類が届いた。

中で問題なのは、「委員の任期満了に伴う時期委員選出手続きについて」と「映画『新・あつい壁』の制作・上映協力へのハンセン病市民学会の立場について」という「ハンセン病市民学会組織委員会」の文書だ。

選出手続きは簡単に言えば葉書によって「共同代表」の信任を問い、信任された共同代表が総会の当日事務局を指名するというもの。そして一括で総会で「決定」するという。
共同代表が「不信任」だったらどうするの、という茶々は抜きにしてあまり真面目な選出手続きとはいえない。
つまり総会において任期満了の共同代表が自らの信任と、事務局・運営委員の推薦をするのは、いかにもまずいということで考え出した「奇手」である。しかし、これでは「組織委員」(共同代表・運営委員・事務局で構成)が「共同代表」を推薦し「共同代表」が「組織委員」を推薦するという子犬のワルツというか、尻尾をかじる蛇というか、卵がニワトリを生むのにも似た「魔法」を見るような手続きである。
まともな選挙は望めないにしても、少なくとも「共同代表」と「事務局」「運営委員」別々に信任投票をするべきだろう。
ここにおいて「会員の皆様には貴重な一票を行使してくださるよう」といわれても鼻が白くなるのである。

市民学会の「新・あつい壁」への立場は「全療協が組織として、ハンセン病問題を理解し偏見と差別をなくすことを目的とするこの映画の意義を認め、その制作と上映に対する協力要請を行ったことに賛同し、積極的に協力する」立場だという。

これは、自らの判断を避け「全療協の判断」と責任転嫁するとともに、全療協への「もうじゅう」という二つの点で誠実な態度とはいえない。市民学会の「主体性」はないのであろうか。

加えて、「中山監督と遺族の間で……正式な合意云々」と事実を曲解している点、「ご意見・ご提言を……中山監督に伝達」したいので事務局に寄せろという。
クランクイン以前からのY氏、S弁護士などの意見を握りつぶしておきながら、(Y氏は「批判文」を市民学会事務局に送ったと聞いている)ほとんど映画が完成したのちにこの言葉を聞いて、さらにおいらの鼻は蒼白となったのである。

ここまでとは思わなかった、というのが印象である。
この場を借りて、旗幟を明らかにしておくことにしました。
 

(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 3月20日(火)15時17分23秒   返信・引用
  >>この感傷主義からの決別を
    ↑
という言葉から、太田正雄署名で昭和15年に発表された木下杢太郎の「動画『小島の春』」評が思い出されます。
――「小島の春」及び其動画は此感傷主義が世に貽つた最上の芸術である。(…中略…)「小島の春」をして早く此「感傷時代」の最終の記念作品たらしめなければならない。――
[『木下杢太郎全集』第十七巻、岩波書店、1982年より、旧字体を新字体に変えて引用]

「新・あつい壁」試写会の声チラホラ。しかし、(東京では)まだ上映会の声が聞こえてこない。
何故だろう?
 

(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 3月20日(火)14時02分8秒   返信・引用  編集済
  *リベルさんへ:レスが遅くなって,ごめんなさい.
①らい菌塗抹標本写真使用に賛成します.
②現在の写真説明文は「らい菌(赤く棒状のもの.皮膚スメア検査,1000倍拡大)」となっています.掲載使用の許諾はすでにいただいているとのことですが,お問い合わせして説明文を追加することは可能でしょうか?

塗抹標本説明例:
Ziehl-Neelsen(チール-ネールゼン)染色.Ziehl溶液で抗酸性桿菌であるらい菌が赤く染色されている.らい菌が毬状に集合しているのはらい球(グロビー).メチレンブルーで対比染色されているのは他の細胞成分.

説明文の追加にあたっての確認事項:
①染色法
②この塗抹標本中のらい菌の集合部分が「らい球(グロビー)」にあたるかどうか?
③淡いブルーに染色されているのはマクロファージか?
④標本採取部位皮膚病変のタイプとグレード
などが確認できればベターと思います.
専門家向けのページではないので,もう少し説明があったほうがわかりやすいと思いました.
 
    (リベル) 有り難うございました。専門的なことを、ドン・キショットさんは良く理解なさるので、でもお医者さんじゃないと仰有るので、脱帽です。

私は、逆に現在の説明文も外そうかと思ったのですが。これ以上精密な写真説明が、百科事典として必要かな?と思うのですが、如何でしょう?(3.21 00:21)
 

Re: Yさんの「新・あつい壁」批判  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月20日(火)11時51分3秒   返信・引用
  > この感傷主義からの決別を
>   ―「新・あつい壁」シナリオ完成稿批判
> 「らい予防法国賠請求訴訟を支援する市民の会ニュース」NO55
>
> が出た。「余分に刷ったので、討議資料として活用してほしい」と編集後記にあります。


寒き日の吾を励ます人も囚徒

鉄窓の凍てつきて夜の白みけり

春遠し故郷遠し獄の夜

山国の母を冬夜の夢に見し

春を待ち面会の日を待ちにけり

鉛筆を固くにぎりて受刑者

われ世の人の如歌よまんとす


     藤本松夫
 

続 写真論争  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月20日(火)06時40分46秒   返信・引用  編集済
  リベル様 有難うございました。早速意見を書いてきました。内容はこの欄で前に書きましたので繰り返しません。

 ハンセン病患者の写真といえば思い出すことがあります。もう10年以上になると思いますが当時駐日英国大使Sir John Boydの奥様 Lady Julia Boydがハンナリデルに関するいい本を出版されました。皆さん読まれたと思います。Lady Boydは それ以前もいい仕事をされ、最近もいい著書を書かれています。邦文版は専門家により翻訳され日本経済新聞社から出版されました。英文版は有名なタツル商会です。勿論内容はidenticalと思います。
 ただし、写真の数はタイヘン違っていまして、英文の方は倍ぐらいありました。問題はその1枚です。鞍鼻のある、息をのむ患者の顔でした。その写真は増田勇がリデルに贈ったものの1枚です。当然邦文版には掲載されていません。
 リデルライト両女史記念館前館長の藤本先生によると、もう完売したようです。邦文版はいろいろの所にあるでしょうが、英文の方を見たいという方はリデルライト両女史記念館にあります。Lady Boydの最近の本ですが:

http://search.nifty.com/webapp/imagesearch?cflg=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&imgurl=http://www.andrewlownie.co.uk/books/boyd.julia/book.jpg&imgrefurl=http%3A%2F%2Fwww.andrewlownie.co.uk%2Fbooks%2Fboyd.julia%2Fblackwell.shtml&h=228&w=150&sz=13&tbnid=_SRY3dbbc-oDyM&tbnh=108&tbnw=71&start=8&prev=%2Fwebapp%2Fimagesearch%3Fcflg%3D%25E6%25A4%259C%25E7%25B4%25A2%26select%3D1%26chartype%3D%26q%3Djulia%2Bboyd%26ie%3DUTF-8%26start%3D0%26hl%3Dja%26output%3Dxml_no_dtd%26client%3Dnifty-image%26num%3D20%26oe%3DUTF-8%26safe%3Doff&chartype=

追加説明:鞍鼻(あんび):骨軟骨炎がおこり、鼻が落ち込むこと。鞍状になる。酷くなれば組織欠損を起こし、鼻が欠ける。従来ハンセン病と梅毒にみられた。他に重症感染症がおこれば、例えばリーシュマニア症でもみられた。1例みたことがある。
 2つのことが言いたい。梅毒にもありハンセン病にもあるというので昔混同されたことがある。ダミアン神父が女たらしだという悪口である。実際は神父は鞍鼻ではなかったが。
 もう一つは、明治初期にきた外国人学者が日本人はらいとして梅毒を入れていたというが、これは、もっと検証しないとわからないことである。「私の意見」

 昔の資料をみると欠け鼻が梅毒というのは一般的な知識であった。沖縄の琉歌にある。「沖縄では梅毒が大流行した」
 古血わじらてど、欠きて居(う)やびぬむ
 命(ぬち)ぬある間(うえだ)や 使(ちか)てたぼり。
 鳥刺小橋川
 小橋川が納税のために城内にいったが 銭のなかに欠け銭がありとがめられた際に作った琉歌。古血は梅毒のこと。「古い人はみんな梅毒になったから」
 欠け銭と欠けた鼻をひっかけた琉歌。役人は笑って彼を放したという。
  翻訳:梅毒を患って欠けてはいますが、どうぞ命のあるうちは 私を「銭を」使っていただきとうございます。
 
    (リベル) 恐れ入りました。こんなにあっという間に、書き込んでこられるとは、実は予想していませんでした。完全に脱帽です。まだまだ頭がお若くて元気でいらっしゃる。

ドシドシ、トライしてみてください。(3.20 07:49)
 

余談:国語教育  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月20日(火)01時47分40秒   返信・引用  編集済
  安野光雅と藤原正彦の「世にも美しい日本語」で小学四年生の国語の時間を調べると、大正7年に週14時間だったのが、今は4~5時間になってしまった、と藤原さんが慨嘆しておられます。

「いまは二十年前の一九八〇年に比べても半分です。それに伴って思考力も落ちていく。情緒力も落ちていく。そのうちに人を深く愛すことすらもできなくなってしまうのではないでしょうか」

これを読んで、ドキッとしました。トイレに二冊置いてある、もう一冊の「進化しすぎた脳」(池谷裕二著講談社ブルーバックス)p.196で読んで、へえ成る程なあ、と思っていたところだったので、衝撃が強かったのです。流石は数学者。その辺の基礎勉強は、ビシッと出来ているのですね。動物は人間の様な複雑な言語を持たないから、「愛する」ことが出来ない。カマラとアマラの様なケースでも、「愛する」ことは出来なかったようです。

中・高生の孫に、ドシドシ本を送りたいのですが、外孫なので、チョット気兼ねをしなければならず、マゴマゴしています・・・(笑)
 

写真論争  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月20日(火)01時44分20秒   返信・引用  編集済
  リベルさんのご活躍を拝見しました。

 どうも投稿の方法がよくわからないので小生の意見を書いてみます。
 ショッキングな写真に反対します。正しいイメージを与えるとは思えません。
 これを参照される人は 勉強家で 正しいイメージを求めていると思います。
 1枚では 無理です。
 L型のそうひどくない写真。盛り上がって所をみせる。「顔面は避ける」
 T型の写真。
 I群の写真。入手が難しいかもしれない。南の国の写真が入手できないか。
 足裏の傷「裏傷」
 合意ができたら専門家を説得して入手する方法があると存じます。うまくいくかどうか知りませんが。(個人情報とかいって反対されることもあるでしょうが)

 いろいろ考えた背景には小生の最近のローカル学会発表「高校生ぐらいの女性、梅毒第2期」があります。参考として、私の所にこられる前、患者さんやその家族はインターネットで勉強していたようで、そこでみられる画像を検討したわけです。色々あり、これで正しい情報を得るのは素人では とても難しいという感じを受け、まあそういう議論もしました。しかし、インターネットに出すのは元々自由であるべきで その点は 文句はありませんが。
 
    (リベル) 私は実は、感染症情報センターの石井則久氏にメールして、このページの「図1:らい菌」を使わせて頂くようお願いをし、ご快諾頂きました。ですから論争に片が付けば、それを使用する予定にしているのですが如何でしょうか?

なおあのページに書き込む方法は、「ノート」の画面で「4 患者さんの写真のこと」をクリック。その画面の右端の「編集」をクリックすると、書き込み画面が出ます。そこで最後のところに書き込んで 「プレビューを実行」をクリックして、確かめて、上手く行っていれば「・・・投稿する」をクリック。修正は何度でも出来ます。お試しください。

でも、患者さんの写真の問題は、Wikipediaの管理者の裁定に任せようと、私は提案していますが。(3.20 04:47)
 

Wikipedia報告  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月20日(火)00時38分41秒   返信・引用
  所謂、「編集戦争」の様相を呈してきました。

Wikipediaの「ハンセン病」の項目の写真をめぐって、ちょっと論争になりかけています。

ご意見を頂ければ、嬉しいのですが、まあ、もう、期待するのは、止しにしますか・・・。はい、はい・・・。
 

Yさんの「新・あつい壁」批判  投稿者:北風  投稿日:2007年 3月19日(月)12時51分33秒   返信・引用
  この感傷主義からの決別を
  ―「新・あつい壁」シナリオ完成稿批判
「らい予防法国賠請求訴訟を支援する市民の会ニュース」NO55

が出た。「余分に刷ったので、討議資料として活用してほしい」と編集後記にあります。
1部100円ですが、42ページにわたる「特集」です。
申し込み先をここに書くのはためらわれるので、「北風」あてメールくだされば、お知らせします。
 
    (リベル) どなたかのバランス感覚を「垂涎もの」と評しましたが、北風さんも流石です。

申込先は以下の通りです。

〒665-0823 宝塚市安倉南1-17-14
      キートン宝塚作業所方 山下峰幸様

ここにも書いていますが・・・。(3.19 17:10)
 

資料紹介  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月19日(月)12時33分32秒   返信・引用  編集済
  資料紹介

 韓国の情報はりベルさんの紹介するHPが参考になります。少々古いですが参考になる本を紹介します。

 ●A Korean Model for the Healing of Leprosy
-The Resettlement Village Movement by Spiritual, Physical & Socio-Economic Rehabilitation for persons with Leprosy.

by Joon Lew M.D. 1993. Lew Institute for Biomedical Research.


戦前、戦後の韓国のハンセン病の歴史から論じられている。日本占領時代を含め、多数の写真が載っている。1942年の日本らい学会の記念写真も掲載されている。戦後の自立運動については先生は 指導的役割を演じられた。

 なお柳博士は九州大学や米国でも学ばれた大先生で、数々の表彰に輝くが、特にダミアンダットン賞も受賞。韓国においては、最もカリスマ性のある大人物で毎年日本ハンセン病学会に出席されている。そして日本語で演説される。

 歴史で私が注目を払った点は、韓国のハンセン病は 明らかに日本より新しいとされていることである。1400 A.D.ごろCheju Islandが歴史上一番古い記録とされる。

 私と文通をしたこともある。英語と漢字ミックスの面白い手紙であった。研究資料をとりに、菊池恵楓園にもこられたことがあるとか。


●Resettlement Village Movement for the Victims of Hansen's Disease in Korea

S.K.Jung,
The Star, 52,5,6-7, 16, 1993.
 日本と韓国の事情の違いがあるが、歴史上のこもとあり、いたし方ないか。この雑誌の表紙にも柳博士と若い時代のゴパールさんが出ている。

ドン・キショット様

  Pagetに関する情報ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
 
    (リベル) Nice Shot!!!!!(3.19 12:35)  

Wikipediaについて  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月19日(月)12時16分5秒   返信・引用  編集済
  Wikipediaには「ノート」というページがあります。そこで編集上の意見交換などをするのです。ここに大きく「警告」とあるのは、私に向けてのものです。そいうページがあることを知らなかったものですから、こんな事になりました。

その下の方に、写真の問題を書いたところ、早速レスがありました。ご一読ください。24時間経ちますので、独断決行しようとしています。どなたか「殿中ですぞ」と羽交い締めにしてくださらないと。

国立感染症研究所ハンセン病研究センターの石井則久氏にメールして、
このページの写真使用の許可は得ました。後は、蜂谷氏の返事次第では、写真を差し替える予定にしています。


この写真を使おうと思います。
 

すみませんでした!  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 3月19日(月)03時05分32秒   返信・引用
  *リベルさんへ:
先に挙げた“Faget sign”のFagetは,Guy Fagetではなく,Jean C. Faget由来語です.手許の医学辞典で同じスペリングのフランス人医師の片仮名表記がどうなっていたか,という例でした.(まぎらわしいことを書いてしまって申し訳ないです.すみませんでした!)
Rudolf Ludwig Karl Virchowについてもそうですが,辞典記載の片仮名表記にもばらつきがみられます.そして,辞典記載の表記と臨床現場での使用も必ずしも一致しているとは限らず,したがって,邦文の医学論文であっても日本人以外の人名表記は(原則的に)欧文表記が一般的になっていると思います.
医学では取り扱う範囲が多岐にわたるため,各学会が独自の“用語集”を作成していますが,こうした“用語集”では通常,欧文に対応する訳語の決定と表現に終始しているのがほとんどです.基礎であれ臨床であれ,研究現場では常に新たな解釈や知見が生まれつつあるわけで,新たな用語の使用は,その語義が一定のコンセンサスを得て定着するまでに多少の混乱を生じることがあります.そうした交絡を避けるため,また,時代の要求を反映させるためにも,各学会は“用語集”を作成し,その見直作業をしていると思います.ですから,各学会で作成している“用語集”の記載内容や表記は,医学辞典のそれと必ずしも一致しているとは限りません.現在集積中の研究知見とエビデンスにより,最新の医学知識や技術が次々に生み出され,そうして生み出された知識/技術が,推定的にであれ一般化可能なものとなったときに初めて医学辞典等にエントリーされるわけで,辞典類の記載内容や表記はたとえ最新の辞典であっても,研究現場での使用とのズレを多少なりとも含んでいます.(これは常にイタチごっこ.そして,当然のことながら,先端的・最新の考え方や解釈は辞典には含まれないこと大いにありです.例えば,日本ハンセン病学会用語委員会が「望ましい表現」として推奨している表現――(注)「らい性」とつくものはなるべく削除し,「ハンセン病性」あるいは「ハンセン病に伴う」などとする――という考え方はまだ学会内コンセンサスにとどまっていて,実際に医学界全体には敷衍されていないといっていいでしょう.)
人名表記に関しても,辞典類では改訂のたびに見直しがなされていると思います.より新しく刊行されたものの表記に従うのがベターであることは間違いないのでしょうが,結局のところ,外国人名の表記は当該国語表記がベストかもしれません.(でも,それじゃあ読めない,やっぱり片仮名表記でなきゃ,ということになると,うーん,と唸ってしまいますね.)例えば“virus”は「ウイルス」と片仮名表記するのが一般的だと思いますが,「ビールス」を間違いとはいえない.(でも,もし私が編集なり校正なりをする立場だったら,やっぱり「ウイルス」にしちゃいます.)

*Ichiroさんへ:
先生が挙げられたSir James Pagetについては,パジェット/ページェット併記からパジェットへと移行しているようです.

*Wikipedia編集のご相談中に,長々とお邪魔してすみませんでした.
 
    (リベル) ドン・キショットさん、ご免なさい。こんなことでジタバタしていますので、歩きながら、ゆっくり拝読して、レスします。上のWikipediaの「ノート」の中でも「ファジェット」が話題になっています。ご一読ください。

「ご相談中」と仰有られて、愕然! ドン・キショットさんもあのWikipediaの写真については、ご意見がお有りかと思うのですが・・・(3.19 12:33)
 

Re:これは、いかがなものか?  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月19日(月)00時59分46秒   返信・引用  編集済
  確かにあの写真には問題があります。

 らい菌の写真では イメージがわきません。結核菌を並べたら面白いとおもいますが、それも変でしょう。

 いっそのこと写真はなくしたらいかがでしょうか。顔のない背部の皮疹も考えられますがそれもイメージがいまいちで 関心のある人は別のサイトで探すでしょうが。

 蛇足ですが、一般読者が色々勉強するのにインターネットで探すでしょうね。最近梅毒の発表をした際に、インターネットで患者さんや家族が探すであろう梅毒の画像をみて(ハンセン病も同様ですが)正確なイメージを得るのかどうか 問題だと思いました。
それで どうすればいいかという問題ですが 私にはいい考えはありません。インターネットはインターネットです。すべてのHPが文句を受け付けるわけではないでしょうから。
 

発音の話  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月19日(月)00時49分58秒   返信・引用  編集済
  リベル様

 医学界では 通常 ウイルヒョウと読んでいます。古い人ですから、当時の読み方がそうなのか、小生も自信がありません。耳から聞いたイメージが強いわけです。
 因みに彼はcellular pathologyの大家で、細胞から細胞へ、という学説を説き起こし、humoral pathologyとは対立しています。古い話ですが。

 若い先生はVirchow's Archivesという医学雑誌名を知っているでしょう。ですから現代的な問題なのですが。

 小生の感じからすれば、広辞苑の編集者(または編集協力者)に医師がいるのではないかと思います。それでウイルヒョウになったのでしょう。

 ドイツにいって独逸語を勉強した娘に聞いたら”ドイツ人に聞いてよ”との話でした。
 

Re: ドン・キショットさんへ Re: (無題)  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月18日(日)18時11分19秒   返信・引用
  > で、調べました。私はなにしろ「人名歴史年表」の編者なのですから・・・(笑)
>
> 「解説・科学文化史年表」湯浅光朝著・中央公論社:ウィルヒョウ→フィルヒョー
> 「コンサイス外国人名事典」三省堂:ウィルヒョー→フィルヒョー
> 「岩波・ケンブリッジ世界人名辞典」岩波書店:フィルヒョーのみ立項
> 「新版 世界人名辞典 西洋編」東京堂出版:フィルヒョーのみ立項
>
> となっています。犀川一夫「聖書のらい」では「ウィルヒョウ」と書いておられますが、これは犀川氏の間違いだと思います。間違いと言うのは失礼です。こういう慣用がなされている、または、なされていたのでしょう、ドン・キショットさんの仰有るとおり・・・。

【追記】広辞苑と大辞林を漏らしていました。

「広辞苑」(1998.11.11 第五版第一刷):ウィルヒョウ だけで フィルヒョー は無し。
「大辞林」(2006.10.27 第三版第一刷):フィルヒョー だけ

となっています。


でも、時代の流れだけとは言えません。1927(昭和2)年の今田逸之助氏は「フィルヒョウ」と書いておられますから。「ウ」ですけど。
 

デンマークの皮膚病病理学のサイトかな?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月18日(日)15時09分9秒   返信・引用  編集済
  「Dermatopathologie」にも三枚有りますが・・・

fig.1、3、4 です。
 

こういう写真もあります  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月18日(日)13時42分16秒   返信・引用  編集済
  いかがでしょうか・・・?

スタンフォード大のHPからです。

どちらも、未だ了解は取り付けていません。
 

これは、いかがなものか?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月18日(日)13時28分12秒   返信・引用  編集済
  Wikipediaの「ハンセン病」のページに患者さんの顔の写真が出ています。昨日からのようです。これは削除するべきだと思います。削除し始めたのですが、代りの写真で、迷っています。

感染症情報センターのサイトから下のらい菌の写真を見つけたのですが、もう少し良質のを見た気がします。お心当たりの方がいらっしゃいましたら、是非お知らせください。よろしくお願いします。

あの写真は、出しておいてはいけません。反論があれば、お願いします。
 

あれから百年!!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月18日(日)12時41分39秒   返信・引用  編集済
  今日、「癩予防ニ関スル件」が公布されてから、丁度百年経ちました。  

ドン・キショットさんへ Re: (無題)  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月18日(日)01時50分56秒   返信・引用
  > *Faget, Jean C. (1818-1884, フランス,医師):ファジェ.
> [Faget sign:ファジェ徴候]
> *Virchow, Rudolf Ladwing Karl (1821-1902, ドイツ,病理):フィルヒョー/ウィルヒョウ/ウィルヒョー.
>
> 人名の発音は確認できないことがあると思います.例えば,フランス人名で,自称はフランス語発音であっても,(職場や居住地などの要因によって)英語風の発音が通用している場合とか.
> ドイツ人名でも,英語風の発音が一般に通用している場合もあるようです.
> Virchowに関していえば,おそらく日本のDrのほとんどが「ウィルヒョウ」or「ウィルヒョー」と発声しているのではないかと思います.いくつかの癌種で,Virchowリンパ節転移がアウトカム指標になるのでよく使用されています.Drがそう言っているので,患者サイドでも「ウィルヒョウ」「ウィルヒョー」で定着している感じで,「フィルヒョー」は聞きませんです.


核心を突いたご意見を、ありがとうございました。「ファジェット」については[Faget sign:ファジェ徴候]が「Guy Faget」由来のものかどうかで、結論が変わってきますが、記憶に留めておかないといけないと、思います。

「フランス人名で,自称はフランス語発音であっても,(職場や居住地などの要因によって)英語風の発音が通用している場合とか」これを言い始めると、結論を出す根拠を失うので、「アメリカ大使館」殿の言うとおり、「自称」が判明すれば、それに従いたいと思います。これは、彼の子孫に聞くほか有りません。あるいはIchiroさんにお願いして「Star誌」を通じて「カービル研究所」に訊くとか。

Virchowは私が知ったのは、去年英語のサイトで初めてお目に掛かって、読み方が分からず困っていました。「こばこさん」にお送りいただいた、今谷逸之助「世界癩病史物語」(楓誌のゼロックス)にさりげなく「フィルヒョウ」と出てきて、有名な人だと知りました。お恥ずかしい次第です。

で、調べました。私はなにしろ「人名歴史年表」の編者なのですから・・・(笑)

「解説・科学文化史年表」湯浅光朝著・中央公論社:ウィルヒョウ→フィルヒョー
「コンサイス外国人名事典」三省堂:ウィルヒョー→フィルヒョー
「岩波・ケンブリッジ世界人名辞典」岩波書店:フィルヒョーのみ立項
「新版 世界人名辞典 西洋編」東京堂出版:フィルヒョーのみ立項

となっています。犀川一夫「聖書のらい」では「ウィルヒョウ」と書いておられますが、これは犀川氏の間違いだと思います。間違いと言うのは失礼です。こういう慣用がなされている、または、なされていたのでしょう、ドン・キショットさんの仰有るとおり・・・。
 

外国人名の発音について  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月17日(土)23時36分57秒   返信・引用  編集済
  リベル様

 アメリカ大使館に聞くという徹底さには感心いたします。
 医学の方でもPaget をパージェットか、ペイジェットと発音するのかが議論になりましたが、結論は知りません。
 Haber(皮膚病理学者)症候群も ハーバーなのかヘイバーなのか 色々調べていますが この人のことを書いた某名誉教授に聞いても”知りません”でした。
 この人はチェコの人で、ナチに追われてイギリスに亡命、試験を受けて軍医となり、皮膚科病理学者として巨匠になったのですが、親戚などが ナチによる迫害を受けて何人も殺されたことを思い出しで うつ状態になり自殺された先生です。
 

(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 3月17日(土)20時15分41秒   返信・引用
  *Faget, Jean C. (1818-1884, フランス,医師):ファジェ.
[Faget sign:ファジェ徴候]
*Virchow, Rudolf Ladwing Karl (1821-1902, ドイツ,病理):フィルヒョー/ウィルヒョウ/ウィルヒョー.

人名の発音は確認できないことがあると思います.例えば,フランス人名で,自称はフランス語発音であっても,(職場や居住地などの要因によって)英語風の発音が通用している場合とか.
ドイツ人名でも,英語風の発音が一般に通用している場合もあるようです.
Virchowに関していえば,おそらく日本のDrのほとんどが「ウィルヒョウ」or「ウィルヒョー」と発声しているのではないかと思います.いくつかの癌種で,Virchowリンパ節転移がアウトカム指標になるのでよく使用されています.Drがそう言っているので,患者サイドでも「ウィルヒョウ」「ウィルヒョー」で定着している感じで,「フィルヒョー」は聞きませんです.
 

Re: 床屋さんへ Re: 二つの和訳  投稿者:床屋  投稿日:2007年 3月17日(土)19時17分19秒   返信・引用
  >
> 中野孝次さんが74歳の時に書いているのですが・・・
>

おいらも74歳になったら、そんな風に思えるのかしら。
 
    (リベル) ご免なさい。私の書き方は、失礼でした。誤解を生みます。

床屋さんは、「そうするのがむしろ若さの純粋性の発揮で、正義だとさえ思っていた」ようなお方では有りません。そういう点でのバランス感覚は、垂涎ものだと思っています。私が正にこの通りだったので(いや今も名残は消えていませんが)、引用したのです。(3.18 01:58)
 

床屋さんへ Re: 二つの和訳  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月17日(土)17時41分57秒   返信・引用  編集済
  > > 「誰の得にもならないことは、言ったりしたりしない」、という私の自作の処世訓は、正しいのかも知れません。
>
> 腹膨れませんか?


中野孝次さんが74歳の時に書いているのですが・・・

「若い時はしかしそれにもかかわらず、旺盛な攻撃欲にまかせて、他人をこてんぱんにやっつけることに無上の情熱を覚えるものだ。わたしなぞもそうであった。口を極めて悪口を言い、徹底的にやっつけることが、正しいことだと感じていた。そうするのがむしろ若さの純粋性の発揮で、正義だとさえ思っていた。」


私も、最近までは、むしろ言わないのが自分の恥だ、言うのが正義だ、と思っていました。

が、今の私は違っています。言いません。

でも例外もあるのです。例えば、バスの列に割り込んでくる人には、たとえやくざであっても、(殺されても、言わねばならぬと)意を決して言います。

それは後ろに並んでいる人の得になるから、そして、こんな爺さんもやってるではないかと、若い人を元気づけるからなのでしょうか?。いいえ、そういう方々の「得」になるからなどと意識して言うのでは有りません。

でもこういう場合は言います・・・。


だから、腹は膨れません。
 

Re: Faget  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月17日(土)17時22分10秒   返信・引用
  > アメリカ大使館がそんないい加減なことでは困りますね

アメリカ大使館って、そんなに完璧だとは、思っていませんけど、でも2時間調べて、誠に誠意の籠もった答え方でしたので・・・その上、その方が声の綺麗な女性でしたから・・・(>_<)
 

Re: 二つの和訳  投稿者:床屋  投稿日:2007年 3月17日(土)14時50分6秒   返信・引用
  > 「誰の得にもならないことは、言ったりしたりしない」、という私の自作の処世訓は、正しいのかも知れません。

腹膨れませんか?
 

Re: Faget  投稿者:ついでに  投稿日:2007年 3月17日(土)13時16分36秒   返信・引用
  > これは、実はWikipediaで議論になりました。結局私は、アメリカ大使館のレファランス部に問い合わせました。「2時間くれ」と言って、返事が来ました。『アメリカでは「ファジェット」と読みます。人名辞典には、発音まで書いてありません。しかし、「Faget」はフランスの姓なので「ファジェ」かも知れません。移民してきた時に、その人がどの発音を選んだかに依るのです。ですから正確に知るには、彼の子孫に聞くほか有りません』との答えでした。

アメリカ大使館がそんないい加減なことでは困りますね
 

二つの和訳  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月17日(土)04時18分39秒   返信・引用  編集済
  Adam Lindsay Gordonの詩の一節を訳したものを、下で二つ拝見しました。

二つと言えば、先日「しゃっとした」でご紹介した、中野孝次さんの本(「人生の実りの言葉」)にこんな二つの和訳が有ったのを思い出しました。エッカーマンの「ゲーテとの対話」からです。

「否定的(ネガティーフ)なものは何者でもない。悪いものを悪いと言ったところで、それがいったい何の役に立つか?」中野孝次訳

「いい影響を与えようと思うなら、決して非難してはならぬ。誤ったことにもまるで無頓着で、たえず善をこととしなければならぬ。何故なら、要(大切なこと)は破壊することでなく、人類が純粋な歓びを感ずるようなものを作り上げることだからだ。」亀尾英四郎訳(岩波文庫)

原文が見当たらない(有ってもわけが分からないでしょうけど)ので、何故こんなに長さが違うのか分からないのですが。二つ合わせると、意味は良く分かります。


「誰の得にもならないことは、言ったりしたりしない」、という私の自作の処世訓は、正しいのかも知れません。

Re: ラストサービスRe: Fagetの文章(完)  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月17日(土)03時11分46秒   返信・引用  編集済
  > AdambLindsay Gordon(1833-70年)は、オーストラリアの代表的な詩人だそうです。(詩は愛読されたようですが、いろいろな苦労の末自殺したという)
>
> Ye Weary Wayfarer--Finis Exoptatusはタイトル。後半はラテン語らしくよくわからない。

こちらに、原詩があります。難しくて、読む気がしませんが。アガサさんの仰有るとおり、一行おきに韻を踏んでいるのが、よく分かりますね。

「Ye Weary Wayfarer」 は、英語で「汝、疲れた旅人よ」みたいです。

「Finis Exoptatus」 は仰有るとおりラテン語で、「finish expected」=「望まれた結末」のようですが、詩を全文読んでみなければ、分かりません。くやしいっ・・・。
 


Re: Faget  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月17日(土)02時56分50秒   返信・引用
  > アメリカでは<fah-ZHAY>と発音されているから
> 日本語のカタカナ表記も見直されるといいな

これは、実はWikipediaで議論になりました。結局私は、アメリカ大使館のレファランス部に問い合わせました。「2時間くれ」と言って、返事が来ました。『アメリカでは「ファジェット」と読みます。人名辞典には、発音まで書いてありません。しかし、「Faget」はフランスの姓なので「ファジェ」かも知れません。移民してきた時に、その人がどの発音を選んだかに依るのです。ですから正確に知るには、彼の子孫に聞くほか有りません』との答えでした。

そのご、「ハンセン病のリンク集」では、「ファジェット」にしています。でも「Guy Faget」が果たしてどう発音されていたかは、結局知らないのです。正確なことをご存じの方、是非教えてください・・・m(_ _)m
 


Faget  投稿者:ついでに  投稿日:2007年 3月17日(土)00時09分34秒   返信・引用
  アメリカでは<fah-ZHAY>と発音されているから
日本語のカタカナ表記も見直されるといいな
英語読みするとファゲット=侮蔑語
 


アガサさん ぴよさん 有難う  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月16日(金)21時40分36秒   返信・引用  編集済
  アガサさん びよさん 情報とコメント有難うございます。

 写真ありがとうございました。お孫さんの写真は先生の感じに似ていました。
 慣れないことは うまくいきません。英文を翻訳するのもそうですが、詩をみて四苦八苦しました。翻訳を教えていただいて、ああそうかと思った次第です。
 


パソコンが壊れて・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月16日(金)19時10分49秒   返信・引用  編集済
  昨日の昼頃、突然オカシクなり始めて、それから何をやってもダメで、ついに昨日の深夜から朝までかけて、この世の中で一番嫌いな「リカバリ」。ところが、今度はインターネットが繋がらなくて、これが普通ならしなくてよい四苦八苦。朝9時を待って、プロバイダーに電話すること、なんと三回。で、やっと繋がりました。電話でなく、インターネットがです。

泳ぎは、覚え立てが一番危ないと聞きましたが、まさにそれで、生兵法大怪我の元と言うやつですか、変にこねくり回してしまって、単純に繋いで、「ハイデキマシタ」としていれば、何と言うことは無かったのです。結局、昨夜10時半からちょうど12時間掛かりました。まだお気に入りやOutlookExpressなどが、元に戻らず、今夜またそれなどに時間を費やさなければなりません。

歩いて30分ばかりのところに、ネットカフェが有るので、それで取り敢えずここに一言お知らせとお詫びをしておこうと、思いながら、今日は月に一回の病院行きの日で、なかなか思うに任せず、ご心配をおかけしました。

大体、この時間はもう白河夜船のころなのですが、お詫びもかねて、兎に角一報をと、書きました。

また一寝入りして、お目に掛かります。ご免なさい・・・m(_ _)m
 


ラストサービスRe: Fagetの文章(完)  投稿者:アガサ  投稿日:2007年 3月16日(金)18時34分53秒   返信・引用  編集済
  >
>  いのちは 主に泡であり あぶくである。
>  二つのことが 石のように そそり立っている。
>  親切は 一つのトラブルとなり
>  勇気は 貴方自身持たねばならぬ。
>
>     Lionel Gordon
>
>  (終了)
>
> この詩はよく引用されるようであるが、インターネットでも 見つけた。意味がよくわからぬ。
> 従って自信もない。どなたか教えて下さい。
>
> Life is mostly froth and bubble;
> Two things stand like stone:
> Kindness in another’s trouble,
> Courage in our own.
> Ye weary Wayfarer. Finis Exoptatus.


AdambLindsay Gordon(1833-70年)は、オーストラリアの代表的な詩人だそうです。(詩は愛読されたようですが、いろいろな苦労の末自殺したという)

Ye Weary Wayfarer--Finis Exoptatusはタイトル。後半はラテン語らしくよくわからない。

人の命は、泡のようにはかなく消えるものだが、
二つのことだけが岩のように確かで消えることはない。
それは、困っている人への親切と
自らが困難に直面したときの勇気だ。(拙)

英詩の技巧は知らないけれど、こりゃ、泡と石(はかないものと確かなもの)、他人と自分(親切と勇気)の対なのですね。また、一行おきに韻をふんでいるのかな。
 


Re: 求:Fagetの写真  投稿者:ぴよ  投稿日:2007年 3月16日(金)16時33分15秒   返信・引用
  Ichiro先生

リベルさんへの情報提供という趣旨で、コメントをされているのだと思いますが、
先生の投稿はいささか唐突で、常連の方々の不評を買っているようです。
(下のドン・キショットさん、アガサさん、日本ゴルフ協会さんのコメントをご覧下さい)

Fagetの写真、見つけましたので、上げておきます。
BPHC(http://bphc.hrsa.gov/nhdp/HISTORY_MAIN_PAGE.htm

何分よろしくお願いいたします。
 


(無題)  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 3月16日(金)12時19分12秒   返信・引用
  And therefore we fell sound asleep.  


ついに  投稿者:アガサ  投稿日:2007年 3月16日(金)10時18分38秒   返信・引用
  And Then There Were None  


求:Fagetの写真  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月16日(金)04時37分52秒   返信・引用  編集済
  Fagetの写真を探しています。

 写真を残す先生ではなかったのか、ちょっと探せません。「カービルの奇蹟」は読んでいませんが、色々資料には ありませんかね。

 1994年11・12月号のThe Starはカービルの100年祭記念号ですが、Blaze Faget, grandson of Dr. Faget と題し、孫が賞状みたいなものを手にした写真があります。関係者として記念の賞状をもらったのでしょう。

 孫は20代?の青年で、口ひげを生やし白シャツ、ずぼん姿です。ちょっと緊張している美青年です。背景には多数の写真が展示してありますが、カービルの空中撮影写真があり、その横に病院長みたいに貫禄ある先生が制服姿で写っていますが、感じとしてはDr. Fagetの写真とは違いますね。

 賞状も面白く、薬の瓶?の形の大きい枠のに中にたくさん字が書いたものと、下に顔写真がある:ひょっとしてこれはDr.Faget ? (謎)

 雑誌には、患者さんの思い出が書かれていました。入所する時、家族と別れる悲しみは、日本と同じです。名前を変えることも同じですね。The first thing we did was to change our names to protect our family. とあります。

訂正:Fagetのシリーズの最初の所ですが

  >その後、医学は長足の進歩を遂げた。無知は一掃された。野蛮人時代の不潔も近代的な衛生と文明に取って代わった。ぺスト、コレラ、チフス、黄熱病と結核はもはや恐ろしい病気ではない。人類はそれらの疾患を制服したのである。どうしてHDのみが恐ろしい病気に留まる理由があるのであろうか。

 制服は 征服でした。失礼しました。
 


Fagetの論文2編  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月15日(木)17時40分51秒   返信・引用
  Fagetの論文2編

 メドラインも初期であるので、4編ありましたが、3編入手しました。正確な文献名をお知らせします。2006年と1975年の論文は単なる1942年の発表のコピーでした。(下の方をご覧下さい)

 1966年の論文は入手していませんが、ハンセン病研究センターにある雑誌ですので、入手をお願いしよう。

 之ではっきりしたことはFagetの発表は1942年であったことです。

 Symposium on tropical medicine
4. The story of leprosy in the United States
by Faget GH
Presented at the 44th Annual Meeting of the Medical Library Association, New Orleans, May 7-9,1942
Medline:Bull Med Libr Assoc. 1942 Jul:30(4):349-60.
カービルの色々な写真を出して興ある論文である。図書館の学会に招かれたようだ。質疑応答で次の文章は注意を惹く。Dr. Faget: It is the same in leprosy as with every other disease. .....The great majority of patients at Carville are under some definite treatment; some are taking new experimental treatment.勿論スルフォン剤を投与しているとは言っていない。


 Sulfanilamide in the treatment of leprosy
Public Health Report Vol.57 December 11, 1942, No.50

G.H.Faget, Surgeon, and F.A. Johansen, Surgeon
United States Public Health Service and Sister Hilary Ross, B.S., Medical Technician, United States Marine Hospital (National Leprosarium), Carville, Louisiana

副作用には非常に注意しているが幸い血液のシンクラジーはなかった。サルファ剤はらい菌に対しては静菌的に働く(殺菌的でなく)と書かれている。(コメント:このことは、現在も言われている)20例に投与、6例にはleprous lesionが改善、2例も改善(だが、もともと改善中の患者であった)(そのまま読めば8例改善)1例は不変(stationary),10例には 病勢の進行(ということは悪化)を認めるも、2例においては、はっきりと、2次感染を完治させた。(clear up)。
 このグループに入らない12例で偽エリジペラス(小生にはわからないが、紅斑を呈し、エリジペラスではないものであろう)を直ちに改善したのは興味深い。治療群の1例は治癒せず、卵巣癌で死亡した。

 非常に冷静に記述している。増田勇は100例中34例治癒した(3割)が、満足せず彼の開発した治療薬を発表していないが、ファジェットは3割の有効性を 注目したのである。2例はもともと改善中であったが、それを入れると4割か。
 


Ichiroさん  投稿者:あや  投稿日:2007年 3月15日(木)14時59分38秒   返信・引用
  Dr Fagetのことと文章
ありがとうございました
 


Fagetの文章(完)  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月15日(木)12時30分14秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病研究家の文章(4)

 Courage  By Dr. G.H.Faget
 The Star 42,6,1 and 16, July-August 1983 (初出は同じ雑誌であるが、記載なし)

 >カービルの海軍病院のスタッフはHDのために、自分自身を犠牲にしたとは思っていない。外の海軍病院と同様、義務で勤務している。彼らは仕事が好きで、すべての患者さんの病勢を抑える手伝いをしたいのである。これは我々の仕事であり、それをうまく果たそうとしている。患者さんについては、すべて考慮されているのである。彼らは自由な国家のアメリカ市民や外国人としての権利としてここにいる。合衆国政府は、無料でその治療にあたっているが、しかし、慈善患者とは考えていない。患者さんは正当にその待遇を受けているのである。

 注:説明しにくいがcharity patientでない、といいたいのであろう。外国人の職員は考えにくいので、これは外国人患者(米国近郊の)と考えるべきであろう。

 >結論を出そう。私達はあなた方に自立のお手伝いをするのである。これを覚えておこう。協力すれば、我々は病気を征服するのであり、協力しなければ、我々は失敗する。正しい光が照り輝くまで続けよう:らい恐怖症がその明かりで消え去るまでに。

 >結核に関する偏見が消し去ったのは一般の人々の教育の後であり、遂に、consumptive(消耗性の、肺病病みの)という単語が聞かれなくなったのである。必要な知識を広く知らしめ(broadcast),正当性のないHDのヒステリカルな恐怖症は消え去り、’らい者’はその悪い意味を失い、あいまいになるだろう。HDは単なる疾患の名前となるだろう。

 >雑誌 The Starは 闇の中のスパークである。それは燃やしつづけられ、全世界が真理で明るくなるまで ビーコン(灯台の明かり)として照らしつづけることを希望する。

 いのちは 主に泡であり あぶくである。
 二つのことが 石のように そそり立っている。
 親切は 一つのトラブルとなり
 勇気は 貴方自身持たねばならぬ。

    Lionel Gordon

 (終了)

この詩はよく引用されるようであるが、インターネットでも 見つけた。意味がよくわからぬ。
従って自信もない。どなたか教えて下さい。

Life is mostly froth and bubble;
Two things stand like stone:
Kindness in another’s trouble,
Courage in our own.
Ye weary Wayfarer. Finis Exoptatus.
文献:
http://www.bartleby.com/100/564.html


 「勇気」を翻訳して Ichiro

 ファジェットの文章は初めて接した。これだけで、色々論じるわけはいけないので、色々調べてから、何か書こうと思う。さしより、インターネットのメドラインにあった、Fagetの4つの論文を発注した。

 実は私は英文和訳は下手糞である。だいぶ前にやったのを覚えている。それは、なんと、私の英文の翻訳であった。ローカルの新聞に出した”We change"というエッセイである。当時細川首相が提唱していた”変革”(小泉さんもいっていたな)について、日本人の性格とからめたエッセイである。
 Kyushu Time Out No.22  1994  "We Change"

 翻訳については、さっぱり判らなかった詩を含めて、色々ご指摘願いたい。

 この文章を書いた時期はよくわからなかったが、カービルからどんどん退院者が出た時期であろう。彼の偉大な業績に対して、自負とか、自信とかは、あまり感じられない。謙虚な性格である。しかし実際家であろう。彼の言っていることは当然ではあるが、色々な考えで固まっている入所者を説得して、プロミンの使い方を色々試してみる、という時期ではないかと思うのである。そうであると、次の文章の意味がよくわかる。

 >そういうわけだから、我々、即ち 患者と病院スタッフは協力し、連帯しようではないか。我々が一致協力すれば成功し、ばらばらだと失敗する。HDの怖さが黄熱病、コレラ、結核と同様に消える日が来るのである。勇気を持とう。我々は前進し、高く登ろう。暗黒の谷から這い上がり、困難という山々を越え、明日(あす)の光り輝く平原に出よう。
 


Fagetの文章(続)  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 3月15日(木)08時22分45秒   返信・引用
  ハンセン病研究家の文章(3)

 Courage   By Dr. G.H.Faget
 The Star 42,6,1 and 16, July-August 1983 (初出は同じ雑誌)

 >HD(Hansen' diseaseのこと、以下同じ)は結核同様、慢性疾患である。この2つの疾患においては、患者の防衛能力と菌の侵襲力の戦いがある。この戦いは長期間、ひきづるような慢性の戦いであって、時々、急性の戦闘がある。この戦いは肺炎とかチフスとかと異なる。後者では、戦闘は激烈であるが、完治と死という両極端が通常の戦闘の結果なのである。

 >HDにおいては、結核もだが、防衛能力と侵襲力の間の戦争はマッチしているので、バランスを崩し、どちらかへ傾くというのは容易である。
無知と怠慢は第5番目のコラムニストであり、患者には不利益をもたらす。

 注:意味がよくわからない。第5のコラムニストは何らか小生のわからない意味があるのかもしれない。

 >結核の患者はそれを感知し、多くの生命が救われた。HDの患者さんはこの教訓を学ぶべきである。個人衛生の無視(注:不潔などか)体力を回復するための、休み過ぎや過多の睡眠は有害である。暴飲暴食放蕩(dissipation)は自殺的でさえある。思慮分別ある運動と筋肉の運動、心身を休めることはどんな治療にも補助的に働く。栄養のあるバランスとれた食事は身体を作り上げ、修復するのには必須である。カービル海軍病院で注意深く作られた食事は、貴方の身体が必要としているものであり、信頼に足るものである。入浴も、排泄の習慣も貴方の身体をいい状態に保ち、この疾患の毒素を排出するものである。

 >知識と経験は身体の防衛能力の総論といえる。結核、糖尿病、HDのような慢性疾患においては、病気に対する患者の知能、洞察力が主治医にたいする協力と共に治癒するのにタイヘン役に立つ。カービルの医学スタッフは患者さんの事に関し、あらゆる質問に答えるようにしている。HD自身を知り、その作用の作戦とモードを知るということは、敵(HD)に打ち勝つのに大変な助けになる。この知識はできるだけたくさん、患者さんは知っておくべきである。

>無知は失敗につながるでしょう。患者の健康に悪い事はたくさんあり、それは避けねばならない。経験深い医師はアルコールはHDに悪い事を知っている。それはHDに対する爆弾である。アルコールを飲みふければ、疾患は再発する。怪しげな広告の品も危険である。沃素など、一部の品々は結核同様、HDにおいて、毒としては働く。

 注:ヨードカリは、皮膚科で、一部の真菌症や、原因不明の疾患に用いることがある。以前に感染症に使われ、感作(過敏反応)を起すことがあると教科書にある。

 >沃素は自然が備えた菌に対する防護壁を壊すことがある。この防護壁が壊されると、菌はますます入ってくる。多くの特許のある薬物に含まれるので注意が必要である。外の(インチキ)広告の品々も使用禁止である。(直訳:適応がない)もし有効であれば、医学界は認めるであろう。秘密に効く、というのは、医学にはありえない。なにか試したいなら、あなたの病棟の主治医(外科医:直訳)に相談なさい。彼は、正しく貴方にアドバイスするでしょう。
(続く:次回で終了)

 コメント:日本でも色々怪しい薬物、漢方薬が使われた歴史があり、それはまた 米国でもそうであろう。
 


Ichiroさん、堂々の登場  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月15日(木)00時48分55秒   返信・引用  編集済
  Wikipediaの専門的チェックを署名入りでなさって欲しい、とお願いしていました。早速の登場です。これには、正直舌を巻きました。Ichiroさん、感服です。

これは修正履歴のページですが、このように専門的修正が入っています。右側に、赤い文字で「Ichiro Kikuchi」とあるでしょう。それに刺激されて、前にお話ししたことのある「蜂谷」氏が、いろいろ修正を再開されました。

Ichiroさんのご健闘は、みものです。フレー、フレー・・・ヽ(´ー`)ノ



tamaさんへ Re: トリーア(Trier)の規則  投稿者:リベル  投稿日:2007年 3月15日(木)00時34分23秒   返信・引用  編集済
  > ごく簡単には、岡田晴恵『感染症は世界史を動かす』(ちくま新書、2006年)の20~21ページに記載があります。
> ドイツのハンセン病について、約40ページ記されており、参考になります。


昨日、本が来ました。早速手にしましたが、あれっ!これはっ!

と、パソコンを開くと、やはりそうでした。私の見落としで、その長い文章は、初め(前ページ目次)から『参考:「感染症は世界史を動かす」』と書いてあったのです。それを見逃していました。お粗末と言うほか有りません。耄碌プラス初期認知症・・・(笑)

でも「聖エリザベート」や「ラザレット」の始りについての、依拠すべき文献として、使用できますので、今の私には、とても貴重なものです。今夜早速作業に取りかかれます。

本当に有り難うございました。また、何かお気付きのことが有りましたら、お教えください。宜しく、お願い致します・・・。
 

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