過去ログ―2007年4月2日~4月23日

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一件、削除しました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月23日(月)23時55分12秒   返信・引用  編集済
  IPアドレス:100.60.112.219.ap.yournet.ne.jp(219.112.60.100)、HN Yoong Leeさんの投稿は他所からの長いコピペでしたので、削除し、アクセス禁止とさせて頂きました。

こういう嫌がらせは、当分か、永久にか、続くことは覚悟して、耐えます。

ページが醜い点は、お許し下さい。


最悪の場合、閉鎖に追い込まれるかも知れませんが、覚悟してのことです。その場合は、皆様には、お詫びをし、場所を変えて、再出発する積もりです。申し訳ありませんが、どうかご了承下さい・・・m(_ _)m


前に使ったことがある写真ですね・・・。
 

余談:「漢文を読む」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月22日(日)02時48分40秒   返信・引用  編集済
  朝日新聞の「天声人語」を6年間書いた栗田亘氏の本です。下の写真のように、まず普通の読み方、原文、説明、註解とあって、その後に約二頁、栗田氏の思いを綴られます。そこに時々グイッと引き付けられる文章があります。

例えば「朋有り遠方より来たる」の項では、

▼私の友だちが思いがけない病気になり、入院した。とても心細そうだ。彼に古い友人がいるのを思い出して、私は連絡した。その友人は、列車を乗り継いで五時間かかる町に住んでいる。
▼連絡してから五時間半後、予告もなく、その友人が病院に現れた。ベッドのそばで三十分ほどニコニコして、病人の手に軽く触れてから、また列車に乗って帰っていった。
▼「風のようだったね」と私が言った。「ウン、とてもさわやかな風だった」とベッドの友人が言った。

という、爽やかな話があって、こういう風に、素朴に、そして素直に気持ちを伝えることの出来る人柄を、羨ましいなあと思いました。


「温故知新」の項では、

▼沖縄の優れたジャーナリスト、上間正諭さん(二〇〇〇年一月死去)に、なかなか進まない米軍基地の縮小・撤去問題について、「どうしたらいいんでしょう」と尋ねたことがある。
▼上間さんは穏やかに答えた。「こうあるべきだ、という将来、これから先に自分たちを置き、そこから直線を引いてきて、現在の状況を見てみることです。すると、どんな道筋を通ってその将来に到達したらいいかがわかってきます」

私も、自分が棺桶の底に背中をつける時の、望ましい心境。そこに自分を置いてみて、そこから直線を引いてきて、現在の状況を見てみました。すると、確かにこれまで見えていなかったものが見えて来て、驚きました。

こんな風に、読んで(学んで)、それから「思う」ものだから、これは七五頁を読むのにとても時間が掛かってしまいました。


もう一つ思った、そして思わず、これはニンマリしたことがあります。お気付きかも知れませんが▼印です。六年間毎日、精魂を込めてやってきた仕事の癖は、やはり、おいそれとは抜けないのかなと。



「漢文を読む」の中の一部です。
 

図書検索に「らい」の表記がある問題で・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月22日(日)01時33分59秒   返信・引用  編集済
  これは、昨年の11月、見つけた人がいて、図書館に連絡を入れ訂正をさせ、問題が全国の図書館に及んだ時、三ヶ月後に厚労省が発した通達です。


健疾発0201001号 平成19年2月1日

各(都道府県 全国ハンセン病療養所所在地市町村)衛生主管部(局)長殿

                                                      厚生労働省健康局疾病対策課長

 公共機関、関係団体等における「ハンセン病」の語の取り扱いについて

 表記については、過去、「らい」の語が様々な偏見を伴って用いられ、患者及びその家族の方々の尊厳を傷付けてきたこと等を踏まえ、「ハンセン病」の語を病名として用いることとし、「らい」の語は使用しないよう、「らい予防法の廃止に関する法律の施行について」(平成8年3月31日付け発健医第110号厚生事務次官通知)において配慮をお願いしたところである。
 さらに「ハンセン病入所者等に対する補償金の支給に関する法律」(平成13年法律大63号)等に基づき、国として、ハンセン病に対する偏見・差別の解消、ハンセン病患者であった方々の名誉の回復等のための施策を実施しているところである。

 それにも拘わらず、昨年、一部の地方公共団体の申請書類において「らい」の語を用いる不適切な事案が発生したが、その後もなお、全国各地の図書館において図書分類の項目名に「癩」の語が用いられていたことは、誠に遺憾である。
 ついては、貴所管下の公共機関、関係団体等において不適当・不適切な形で「らい」の語が用いられていないか確認の徹底を求めると共に、万一用いられていた場合には、「ハンセン病」に改めるよう、改めて周知徹底を図られたい。


「志村康さんとキャッチボール」から転載させていただきました。

つまり、ウチとしては11年前にチャント言ってある。にも拘わらず未だ「らい」の語を使用しているとは、けしからんではないか!早々に善処されたし!というお叱りの形を取っています。自分はやることやったのだから、ウチは悪くないのだ、と言っているのです。こういうのを、普通私達は「責任逃れ」と蔑称しています。

少し前のことだし、「官僚叩き」も疲れてきたので、もう止そうと思っていたのですが。白川静氏が「字統」の中で(普及版には見当たりませんが)こう言って居られるのを読んで、やはり書くことにしました。


1946年に発表された「当用漢字表」の中に「誤った漢字」が有ることについて・・・

誤り正当として生きなければならぬという時代を、私は恥ずべきことだと思う。(アンダーラインは筆者)』
 

余談:山笑ふ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月21日(土)02時29分5秒   返信・引用  編集済
  どうも毎年、この時期になるとこの言葉が気になり始めます。私の散歩コースからは六甲山を東南から斜に見る角度なのですが、それも日が傾きかける三時頃に、一番笑って見えるのです。それが、今年は未だです。口元がほころびかけて来ましたが、まだ満面の笑顔には達しません。

「山笑う」で画像検索したら、色々出てきましたが、残念ながら「これだ」と言うのが有りません。私の待っているのは、「笑」という字が大きく山に描かれるイメージなのです。わあ、笑って居るなあ!!と感じます。

「字統」に期待しましたが、「笑」という字は人の笑い顔から来たものではありませんでした。「巫女が手をあげて舞い、『笑ひゑらぐ』形をしている字である」と書いてあります。でも、辞書には「笑ひゑらぐ」は有りません。「えらく」は「笑い楽しむ」と有ります。白川さんの間違いなのでしょうか?
【追記】気が付いて「常用字解」で調べたら、有りました。「巫女(ふじょ)が両手をあげ、身をくねらせて舞いおどる形」とありました。(4.21 17:59)

早く六甲が笑わないかなあ・・・。



中では、これが一番近い感じです。
下のURLのも良いと思ったり・・・

http://m-ceres1801.blog.ocn.ne.jp/by_mirei/images/s-P4254002aa200.jpg

 

(無題)  投稿者:北風   投稿日:2007年 4月20日(金)09時08分22秒   返信・引用
  うちのサーバが不調です。メール下さった方がいらっしゃるかと思いますが、お返事少しお待ちください。

「国立」ハンセン病資料館の図書室の「図書室」の再開は、「静観」です。
ようは「ハンセン病図書館」の存続ですから。
資料館の図書室も「それなり」あったほうがいいと思います。
 
    (リベル) あ、直ったようですね。

「国立ハンセン病資料館」の中の「資料室」は6月以降オープン予定。「ハンセン病図書館」に厚労省がどんな魔の手を伸ばしてくるのか?来ないのか?天下り先に組み込まれて居はしないか?気になるところです。(4.21 01:32)
 

余談:大脳生理学  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月20日(金)02時25分46秒   返信・引用  編集済
  こんな実験があります。被験者にスイッチを持たせて、目の前にある電球が赤く光ったらスイッチを押す。しかしオレンジ色だったら押さない。それだけなのですが、面白いのは、MRIか何かで、大脳の電流を調べていると、赤く光った時(ボタンを押す)は、何も変化がないけれども、オレンジ色が付いた時、前頭葉がはっきり反応を示すのだそうです。

前頭葉は、何かをしたいという本能を抑制する働きを持つことは分かっています。電球がついた。押しそうになる。だが「オレンジ色」だから押してはいけない、という抑制が、前頭葉の反応として出てくるのです。

このように、大脳のどの部位が、どういう場合に反応するかと言うことが、日進月歩というか、時々刻々、分かってきている。大脳生理学が進歩している。

進歩して、例えば「愛している」という状態が、脳のどの部位のどういう変化で現れるかが分かったとします(まだ、分かっていないようですが)。私が妻を「愛している」と思うとき、大脳のAという部位に強い電流が流れたとします。

『そのデータは愛との「相関(対応)」を記述しているだけで、因果関係までは言えない(科学実験で証明できることは、相関だけで、因果関係があることを証明しては居ない)。「これこそが愛の源だ」なんて、科学では永遠に解けない謎だってわけ。だから「愛」は、むしろ哲学の対象になる。』(「進化しすぎた脳」池谷裕二p.370)

私は、一挙に、奈落の底に突き落とされました。我が目を疑った。何を言い出すのか?それは違うでしょう池谷先生!デカルト以来の心身二元論。それを突き崩してきたのが現代医学なのでしょう。心も意識も、生理現象だ。未解明な部分が多い。多いが生理現象だ。脳内の物理的現象だ。スチーブン・ホーキングとの共同研究で有名な、ロジャー・ペンローズも「マイクロチューブル(微小管)」という物質が、「意識」を生むと言っています。

「愛」は哲学の対象だ、というのは心身二元論へ、400年逆戻りです。今まで読んできたのは、何だったのか?

そういえば「クオリア」も解けない謎です。脳内現象として、生理学では解けないことが多すぎます。確かに、『「愛」は「マイクロナントカ」という場所で「γアミノ酪酸」が塩素イオンを大量に流した時に発生する、どうのこうの』と分かったとしても、では何故大量に流したか?その動機は?などと言うことになってくると、ウーン・・・。だいたい、人生が「味気なく」なってしまいます。そんなモンじゃない、むしろそうあって欲しいとお願いしたくなります。

やはり、二元論に戻った方が早いかも知れませんね、池谷先生、茂木健さん。私はそちらに宗旨替えしたくなりました。
 

ハンセン病市民学会IN草津  投稿者:北風   投稿日:2007年 4月19日(木)12時50分48秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病市民学会の草津大会で、図書・資料部会の総会をして、正式に発会することにします。
早々呼びかけながら、参加表明してくださった方には、失礼していました。

「趣旨」については、ここで断片的に書かせていただいた「問題意識」から、資料や作品とどのように関わっていくか、あらためてかかせていただこうと思いますが、ここで、取り急ぎ業務連絡。

予防法闘争を自治会役員として闘い、その後、支援者の女性と結婚、退所して草津町に「だんべい荘」という民宿を開いた横山秀夫(石鳥)さんという方がいらっしゃいます。
残念ながら、横山さんは、先年なくなられてしまいましたが、「だんべい荘」は健在です。

宿泊の決まっていない人で、だんべい荘にご希望の方は北風までメールをください。
ただし、横山さんの息子さんの奥さんが臨月(横山さんの孫)なので素泊まりです。
レセプションでたっぷり食うか、何か持ち込みで鍋でもやろうと思います。もちろん温泉はあるし洋式トイレあります。
宿泊は人数によりますが、3500円から2500円で済むと思います。

せっかくですから、夜、ちょっとした(勉強)会をしたいと思います。
横山さんの奥さんも出席してくれるそうです。
横山さんと奥さんは、

癩吾と健康者君とちぎりあひこの後如何なる生き方をせむ
愛遂げて亡ぶもよしと寄りくれば癩病む吾はまよひこだわる
炎の如く恋告げてくる其の人を思わぬにあらずわが病をおもふ

やがて

さくら貝ほどの小さき吾子の指紋葉書に押して妻送りきぬ

一方

核心に触れぬを神聖の裁きとし易易と藤本松夫に死刑を課す
心優しき一夜あらば小谷裁判長も想へ草津らい監房の無辜の死の数
示威の列はげしき蛇行に移りゆき病める吾等は歩きつづけぬ
散り散りに住まう妻子を呼ぶべしと示威の列の中また歩きだす
                       (横山石鳥)

これ以後の歌は、著者自選で題名まで決まっているが、草稿として残されたまま。
 
    (リベル) こういう草稿を纏め、保存して行く作業も大変です(皓星社さんがその根っ子は作ってくださいましたが)。

タイミング的に、6月に迫っている、図書室のオープンについては、静観ということなのでしょうか?何もしない、知らない奴が、オズオズ、発言しました。

「だんべい荘」の宿泊については、イベント情報にも掲載しておきました。(4.20 00:47)
 

余談:ある教師のこと。  投稿者:あずき  投稿日:2007年 4月19日(木)10時00分10秒   返信・引用  編集済
  我が子を教育機関に預けなければならなかった時期には「いまどきの教師は・・・」と言いたいことがたくさんありました。でも今はもうすでに亡くなった方ですが、たったお一人だけ忘れられない教師がいらっしゃいました。
その教師は生徒に名札を付けさせることに反対だったのです。「教師の第一歩は、生徒の名前を覚えること。それが生徒への礼儀だ。」とおっしゃったのです。
 
    (リベル) この先生やあの生徒たちの生き方は、日本固有の物ではないと思います。「武士道」や「市場原理主義」やと、色々な方向に枝葉を伸ばすけれども、人類の幹は微塵も揺らいではいない、とこの写真は語っているようですね。(そりゃあ、考え過ぎ。ですか???)(4.20 00:36)  

余談:いまどきの若い者は・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月18日(水)04時28分58秒   返信・引用  編集済
  散歩するとき、ヘッドフォンで小堺一機さんの「ごきげんよう」という番組をよく聴きます。昨日は渡辺徹さん(榊原郁恵さんとご夫婦の)がこんな話をしていました。

息子さんが、幼稚園から高校までの一貫校に入っていて、その卒業式というので、ご夫婦で出席されたそうです。各クラスの担任の先生が名前を読み上げ、その生徒が壇上へ上がって校長先生から卒業証書を受け取る、という順序で式が運んでいたのですが。

或るクラスで、先生が名前を読むと、最初の子が壇上に上がる前に、先生の方へ向かったので、渡辺さんがあれっと思っていると、何か篭のような物を手渡して、それから壇上へ向かった。で、注目していたら、次の子がやはり先生の所へ行って、花を一輪、その篭に入れた。次の子も、その次も。そして5人目くらいの時、突然その先生が、感極まって、顔を覆って声を出して、男泣きに泣き出してしまった。それを見ていた渡辺さんも、オイオイ泣き出してしまった。

と言う話を聴いていた私も涙がこみあげてきて、前が見えなくなって・・・、ところが通りかかったマンションの前に、幼稚園児出迎えの若い母親が十数人いて、目に埃が入った振りをして、大急ぎで通り過ぎたのでした。

アメリカのバージニア工科大では乱射事件、日本でも学生の親殺し、成人式での乱暴狼藉など、いまどきの若い者はと、憤懣だらけの昨今ですが、いやいや、こういう若者たちも健在なのだなあ、と、幼稚園児の親子の前を擦り抜けながら、つい足取りが軽くなったのでした。はい、勿論、気持ちだけでした、口惜しいけど・・・。
 

怒り心頭に発する!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月16日(月)17時43分1秒   返信・引用  編集済
  今日、森田隆二氏のBBSを見ていなかったら、お知らせがもっと遅れたのです。

第5回ロードマップ委員会が19日に開催です。「西日本弁護団のメルマガ」がなかったら、分からなかった。厚労省のHPには11日付けで記載されていたのですが、「審議会、研究会等 」というページで、長いスクロールをしないと、誰も気付かない様になっています。

やらねばならない会議です。でも、なるべく傍聴には来てもらいたくない。会議をやったという実績だけは残しておく。そこいらの「こそ泥」以下の発想です。最低・人道に悖る・人間として恥ずかしい・・・もっと、もっと罵りたい。”自分の恥”を承知で、罵りたいと思います。人間、こうは成りたくない!!ですね。(「ヤクザ」以下としていましたが、「ヤクザ」に気の毒なので、「こそ泥」に訂正しました。22:44)


それよりも、「西日本弁護団のメルマガ」を申し込んでいなかった自分が悪い!!!

三菱総合研究所のHPにいつから出ていたのか、分かりません。私は必ず毎日見ています。恐らく私の老眼の、見落としでしょう、と言うことにしておきましょう・・・。
 

余談:高松塚古墳解体  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月16日(月)02時53分10秒   返信・引用  編集済
   上田さんは「発見時の35年前には想像できなかったことが起きた。壁画劣化のあまりのひどさに直面して、当時の感動を忘れるのが怖い」と嘆く。解体が決まってから2年間、苦しい日々を過ごしてきたという。

 会長の関武さん(72)は「解体をしないでもいいように、対策をきちんと講じておけば良かったのに」と語った。

以上は4月5日の朝日新聞からです。


一昨日の夕刊に、

壁画保存に失敗した文化庁の責任は重いし、依然、石室解体には賛否両論がある。だが、解体は進み出した」

とあります。4月7日にもこの話を取り上げたのですが、どうあれ、「文化庁の責任は重い」とマスコミが発言したのを目にするのは初めてなのです。これに驚き、かつ、憤慨しているのです。

日本は、確かにオカシイですね。こんなにしておいて、誰もお咎め無し? 民間会社なら、潰れています、確実に!
 

ギモンに思うこと  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 4月15日(日)23時22分43秒   返信・引用
  まえまえから感じていたことなのですが、不思議なことに、ハンセン病に関る方々が、最初は非常に純な気持ちから入って情熱的とも思える熱心な活動をしながら、いや熱心であればあるほど、いつしかそれが妙な方向にズレていっていると思えることです。

今日の午後から読みはじめた宮川量の遺稿集などをみると、
「神の啓示により、いかなる任地に赴かんとするか、焦燥を鎮めて謙虚に神のみ声を待った。」
という宮川氏は、救らいの情熱に燃え献身的ともいえるような働きをしているのですが、その一方、長島事件については、
「一、大恩人たる光田園長に反逆し心配をかけた。
 二、職員の意志を沮喪せしめた。(以下略)」
というふうに、実に素っ気無い。
「この悲惨なる病者を、この昭和の聖代において救済しつくし、この病菌を絶つことこそわれら国民の責務でなければならぬ。」
と言う、彼の視線は、入所者の側ではなく、もっぱら“光田園長”や“皇室のご仁慈”、そして“神”のほうに向けられている。

そこで、ギモンに思うのです。どうしてこうなるの? と。
 
    (リベル) 新入社員の心意気が、10年もすれば、何処かへ飛んで行っている、そんなようなものかも知れません。

2ヶ月ほど前、志村康さんがBBSに書いて居られた言葉を思い出します。「ハンセン病問題が人権を考えるときにその入り口として問題を提起してまいりましたが、中にはオタクに分類できる方も出来てまいりました…」

これは、鋭い指摘だと思って、忘れないようにしています。(4.16 00:49)
 

下に追記しました Re: どこか似てる、国と中山映画の姿勢  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月15日(日)00時38分1秒   返信・引用
  > それにしても、ムカツク奴等が多いのには呆れ果てますね。
>
> 読み返していたら、またムカツイテ来ました。「ハンセン病にまつわる苦難を被った人々」は止めて頂きたい。兎に角「事なかれ主義」の権化の様な言い回しです。控え目に言っても「ハンセン病を罹患したがために国によって被害を被った人々」でしょう・・・(;`つ´)怒!(4.15 00:33)
 

楽生院の強制移転執行速報  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月14日(土)12時36分0秒   返信・引用  編集済
  楽生院最新情報 2006/4/12

蘇貞昌首相は、4月11日楽生院入所者代表・専門家・NGO・学生代表らと会見し、9日に行われた公共工程委員会主任委員呉沢成によるヒアリングに基づき、楽生院保存を支持する専門家・学識経験者の意見を聞いた結果、90%保存案が技術的には大きな問題がないという立場を理解し、「地下鉄の工期に影響がない範囲」で「90%保存案の実現に向けて最大限の努力をする」と表明しました。しかし、台北市捷運工程局・台北県政府は未だ積極的な対応を行っていません。

今回は、当面の危機を回避したといえますが、まだ状況の推移を見守ってゆく必要があるといえます。こうしたことから4月15日の大規模デモは予定通り開催されます。
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ここにもっとも新しい情報が出ます。ご参考までに。
 

Re: どこか似てる、国と中山映画の姿勢  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月14日(土)12時22分5秒   返信・引用  編集済
  >「中山さんちの映画blog」コメント欄で、製作費に関する情報公開をお願いしましたが、全く無視されちゃいました。今回「検閲制」になってからも2件のコメントを投稿していますが、まだ「反映」されてないようです。(ドン・キショットのような五月蝿い“ノイズ”コメントを排除するための検閲制導入でしょうから、多分、反映されることを期待はできませんが。)
> ぬっ、それにしても、です、国立ハンセン病資料館の展示で、藤本事件の展示資料中の「藤本」が黒く潰されており、説明文中は「F事件」となっていて「冤罪」という語は一切使用されていなかったような。
> このあたり、国側の姿勢と、映画「新・あつい壁」製作の取り組み姿勢と、ぴったしかんかん、みんごと一致しておりますね。


”無視”、”ノーコメント”は失礼極まりないでしょう。映画が見られること、お金が集まることを真剣に望んでいないのかな?と思われては、ご自分の損でしょうに。

厚労省の管轄になったと言うことは、こういう事態が起こることだと思っていました。それにしても「図書館」の方が、とても心配になって来ました。兎に角「道理」が通る相手ではないのですから。こちらの出方次第で、態度を変えます。「巧みに」仕掛けないと、「負け」だと思います。


> 国立ハンセン病資料館は、「2. 理念」にこう掲げています。
> ・ハンセン病に関する知識の普及や理解の促進
> ・ハンセン病にまつわる偏見や差別・排除の解消
> ・ハンセン病に対する古代から隔離政策にわたる偏見や差別の歴史と苦難を被った人々の体験と立ち向かった姿の伝承
> ・ハンセン病にまつわる苦難を被った人々の名誉回復、および人権尊重の精神の涵養
> ・ハンセン病にまつわる苦難を被った人々との社会との共生
>
> 「ハンセン病にまつわる苦難を被った人々」という表現は、加害者側の姿が浮かび上がってこないように選択された言葉であるようにみえる。国がまさに加害者であったこと、国が絶対隔離推進した当の主体であったことが明確に浮び上がってこないような文言になっている。


「まつわる」は考えましたね。「バッカミタイ」とは思いますが。厚労省らしくって面白いですね。「まつわる偏見」は正しいですが「まつわる苦難」は国語をキチンと勉強して来なかった若い官僚の作文でしょう。


それにしても、ムカツク奴等が多いのには呆れ果てますね。

読み返していたら、またムカツイテ来ました。「ハンセン病にまつわる苦難を被った人々」は止めて頂きたい。兎に角「事なかれ主義」の権化の様な言い回しです。控え目に言っても「ハンセン病を罹患したがために国によって被害を被った人々」でしょう・・・(;`つ´)怒!(4.15 00:33)
 

どこか似てる、国と中山映画の姿勢  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 4月14日(土)05時25分6秒   返信・引用  編集済
  「中山さんちの映画blog」コメント欄で、製作費に関する情報公開をお願いしましたが、全く無視されちゃいました。今回「検閲制」になってからも2件のコメントを投稿していますが、まだ「反映」されてないようです。(ドン・キショットのような五月蝿い“ノイズ”コメントを排除するための検閲制導入でしょうから、多分、反映されることを期待はできませんが。)
ぬっ、それにしても、です、国立ハンセン病資料館の展示で、藤本事件の展示資料中の「藤本」が黒く潰されており、説明文中は「F事件」となっていて「冤罪」という語は一切使用されていなかったような。
このあたり、国側の姿勢と、映画「新・あつい壁」製作の取り組み姿勢と、ぴったしかんかん、みんごと一致しておりますね。

国立ハンセン病資料館は、「2. 理念」にこう掲げています。
・ハンセン病に関する知識の普及や理解の促進
・ハンセン病にまつわる偏見や差別・排除の解消
・ハンセン病に対する古代から隔離政策にわたる偏見や差別の歴史と苦難を被った人々の体験と立ち向かった姿の伝承
・ハンセン病にまつわる苦難を被った人々の名誉回復、および人権尊重の精神の涵養
・ハンセン病にまつわる苦難を被った人々との社会との共生

「ハンセン病にまつわる苦難を被った人々」という表現は、加害者側の姿が浮かび上がってこないように選択された言葉であるようにみえる。国がまさに加害者であったこと、国が絶対隔離推進した当の主体であったことが明確に浮び上がってこないような文言になっている。
(リニューアル資料館はまだ一度しか見学しておらず、しかもきちんと見学できていないので、また次回、しっかり見てきたいと思っていますが。)
 

このあざとさが  投稿者:ルリカケス  投稿日:2007年 4月14日(土)01時14分11秒   返信・引用
  〉全国療養所の入所者の方々、退所者や遺家族の方々>2007年4月10日
〉全国療養所の入所者や退所者の方々、そのご家族などの切なる願いを実現>2007年1月17日
〉全国の療養所の入所者の方々や退所者の方々、そのご家族をはじめとする多くの関係者の方々の期待と願いが>2006年8月11日


北風さん&リベルさん今晩はルリカケスです。
今回の「新・あつい壁」映画製作に全療協が全てみたいですね?
中山監督自信の思いが、啓発映画になったのですか?私も当初は賛成でしたが、何時頃かなー余り期待しなくなり、映画のチケットは、1枚も購入していません?
特に奄美和光園では、「新・あつい壁&藤本事件」と言ってもだれ一人協力していないのでは、本部から、各支部に人頭割りで、一人1,000円を集めましたが?会員はだれも出してなく、自治会会計より全額出しました。少ない人数ですので、60名程度ですが。

何故全療協の冠が要るのでしょうか?監督自身は映画製作費をどれだけ工面したのでしょうか?金がないだけで、本当に足りない金額を集められるのでしようか?
先ずは会計の明細&見積もり費等をHP等で流すのが筋ではないでしょうか?私も前回の「あつい壁」映画上映には、苦労しましたが?今回は何かが違うみたいで、何も行動は起こしません。

何故金??金が要るのなら、明細書&チケットを各支部に送るのでは、例え寝たきりの老人でも、チケットの・・・道はあるのでは?ただ金集めだけでは、当初の話と違うのではないでしょうか??
 
    (リベル) そうなのです。当初の話は、下にも書きましたが・・・

「私たちは、今回の映画製作・上映の取り組みをとおして、この忘れ去られた人間の叫びを再び日本全国の人々に喚起し、もってこの取り組みが、私たち一人ひとりの心の中から“ハンセン病”差別をはじめとするあらゆる差別の根を断ち切っていく一助になればと願ってやみません。  2005年8月27日   中山映画株式会社 監督 中 山 節 夫」(製作企画書から)

だったのですから・・・。(4.14 04:53)
 

昨日、全療協支部長会議が終わりました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月14日(土)01時02分27秒   返信・引用
  「志村康さんとキャッチボール」に志村さんが書いて居られます。

「今日午後六時に自治会長の工藤が全療協支部長会議より帰ってまいりました、大きな問題として会費の値上げと基本法に対する全療協の対応でしたが、総意で基本法を闘って行くとの決定を見ました。

何しろ高齢化と仲間の減少で力不足は否めませんが文字通り死力を尽くす以外にありません、将来構想については現在の枠組みでは一歩も前には進めないからです、国が目指す立ち枯れ政策に対してらい予防法がもたらした総ての被害を救済するために、うって出る以外に途はなさそうです。」
 

天は人の上に人を作らず  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月14日(土)00時23分18秒   返信・引用  編集済
  先ほど、変なイメージの膨張に、驚いて目が覚めました。シャーレの中に緑色の円形があって、それが見る見るうちに上へと増殖して、円筒になって揺れているのです。それはゾウリムシの塊であり、同時に人類の塊なのです。

寝る前に読んでいた「漢文を読む」(栗田亘・童話屋)に「一視同仁」という言葉が有って、それが視覚化されたのが、その円筒なのです。「一視同仁」を栗田氏はこう解説しています。「全ての人はもちろん、獣や鳥に至るまでいっさいを差別せず、平等に扱い、同じように愛すること」

円筒を構成しているゾウリムシ同士の間には、対立もなければ競争もない。だから、「自由」や「平等」などという概念も、勿論存在しないのです。

それと同様に、母親と赤ちゃんの関係の中に、自由・平等・市場競争原理などという言葉は、一切必要とされません。

私達大人は、一体いつから「対立」とか「競争」とかいうことを覚えたのでしょう。そうだ、そもそも、幼稚園の運動会がいけない。「○○ちゃん、ガンバッテエ~」。あれから始まったのだ。

いや、違う。もっと前、「もしもし亀よ、亀さんよ」がいけなかったのだ。「世界の内でお前ほど・・・むこうの小山のふもとまで・・・」

この歌を初めて教えられた時、私は幼な心に思ったものです。「ああ、これは、厭なところへ生まれてきたもんだ。」


「情緒」だ「武士道」だと、大声で叫ばなければならない、こんな世の中に生まれてきてしまった以上、歪みは正さなければなりません。「ハンセン病問題基本法」がようやく議論される、その兆しが見えてきました。
 

Re: このあざとさが  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月13日(金)23時55分21秒   返信・引用
  > 資金集めだろうが、進捗状況の報告だろうが、必ず枕に水戸黄門の印籠のように振りかざす
>
> 〉全国療養所の入所者の方々、退所者や遺家族の方々>2007年4月10日
> 〉全国療養所の入所者や退所者の方々、そのご家族などの切なる願いを実現>2007年1月17日
> 〉全国の療養所の入所者の方々や退所者の方々、そのご家族をはじめとする多くの関係者の方々の期待と願いが>2006年8月11日
>
> この、あざとさがどうもたまらない。
> 藤本さんの「遺家族」に対してはどうなんだ?
> しかし、この姿勢がこの映画作りの本質を表しているのかもしれない。
>
> 揚げ足を取りたいわけでなく、最初に見たときからいやな感じがした。
> それが度重なるもんだから、一言申し上げる次第です。



「私たちは、今回の映画製作・上映の取り組みをとおして、この忘れ去られた人間の叫びを再び日本全国の人々に喚起し、もってこの取り組みが、私たち一人ひとりの心の中から“ハンセン病”差別をはじめとするあらゆる差別の根を断ち切っていく一助になればと願ってやみません。  2005年8月27日   中山映画株式会社 監督 中 山 節 夫」(製作企画書から)

「最初に見たときからいやな感じがした」というのに全く同感です。そのうえ、当初の企画書に盛られた熱誠が、いつしか姿を消して、「金が無い」一辺倒になりました。「熱誠」から「世俗」へのこの変節は、「あざとい」程度の言葉では言い尽くせない「やりきれなさ」ですね。
 

このあざとさが  投稿者:北風   投稿日:2007年 4月13日(金)20時47分25秒   返信・引用  編集済
  資金集めだろうが、進捗状況の報告だろうが、必ず枕に水戸黄門の印籠のように振りかざす

〉全国療養所の入所者の方々、退所者や遺家族の方々>2007年4月10日
〉全国療養所の入所者や退所者の方々、そのご家族などの切なる願いを実現>2007年1月17日
〉全国の療養所の入所者の方々や退所者の方々、そのご家族をはじめとする多くの関係者の方々の期待と願いが>2006年8月11日

この、あざとさがどうもたまらない。
藤本さんの「遺家族」に対してはどうなんだ?
しかし、この姿勢がこの映画作りの本質を表しているのかもしれない。

揚げ足を取りたいわけでなく、最初に見たときからいやな感じがした。
それが度重なるもんだから、一言申し上げる次第です。
 

Re: 映画「新・あつい壁」完成  投稿者:北風   投稿日:2007年 4月12日(木)18時24分18秒   返信・引用  編集済
  > >
> > 中山さんちの映画blog
> >
> > 中山監督の「新・あつい壁」映画製作ノート
>
>
> このブログ、今回から「コメント」欄がはずされている。なぜ?

残った「コメント」欄も「検閲制」になっていた。
やれやれ。

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コメントの投稿を受け付けました。
このコメントは、管理者による確認後、ブログに反映されます。

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※5秒後、自動的にlivedoor Blogに移動します。
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>
> 相変わらず言ってることは金の話ばかり。
>
> 「差別は情緒の問題だ。情緒に訴えるのが映画だ」といっていた監督ですから、善男善女の袖をぬらす映画作りはお手の物でしょう。これは想定内で、これは以前そう言ったことがある。
 
    (リベル) いま、行って見てきました。迂闊でした。北風さんも投稿なさっていたのを見落としていました。確かに「検閲制」を宣言していますね。要するに「聞く耳は持ちません」という意味でしょう。

私も投稿してきました。「上の8通に対する答えが有りません。誠意有る対応をお見せ頂かないと、応援する気が失せます」と言うようなことを。さあ、レスが有るか?それより、掲載されるか???「チョット、10万円ほど寄付したいのですが」と投稿してみたら、直ちに丁重な返事が返って来る、そんな気もしますが。

金、金、金、銀行、郵便局、カンパ、お願い、財政的支援、・・・。何ですかこの映画は。(4.13 00:39)
 

Re: 映画「新・あつい壁」完成  投稿者:北風  投稿日:2007年 4月12日(木)17時32分9秒   返信・引用  編集済
  >
> 中山さんちの映画blog
>
> 中山監督の「新・あつい壁」映画製作ノート


このブログ、「コメント」欄がはずされている。なぜ?

相変わらず言ってることは金の話ばかり。

「差別は情緒の問題だ。情緒に訴えるのが映画だ」といっていた監督ですから、善男善女の袖をぬらす映画作りはお手の物でしょう。これは想定内で、これは以前そう言ったことがある。
 

映画「新・あつい壁」完成  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月12日(木)12時22分39秒   返信・引用
  映画「新・あつい壁」の普及を期して

「新・あつい壁」の試写を観る機会をあたえられ、船の進水式に立ちあうようなわくわくする気持ちで出かけた。試写会は調布市の東京現像所内で行われた。中山監督をはじめ、映画制作にかかわったごく内輪の関係者だけが試写室に集まっていた。

約2時間の上映時間は、あっという間に過ぎた。終わってから、時間の観念も、客観的視点も忘れて、映画に引き込まれていた自分に気がついた。涙があふれた。

それは、ふる里の家族とともに、いまなお社会の偏見と差別に苦しみ続けなければならない不条理に、いい知れぬ憤懣を覚えたことと、私たちと家族はそれを社会に向かって訴える術もなく忍耐をしいられている悲しみが、画面をとおして再び胸中によみがえってきたからである。

ハンセン病問題は、まだ多くの課題を残している。しかし、市民からすでに忘れ去られようとしており、社会には新たな差別が横行している。人権や人間の尊厳は、従来になく、けたたましく社会で叫ばれるようになってはいるが、上すべりしているとしか思えない。

この映画は、人の傲慢さを問い、社会の構造的差別の問題を再現して見せ、そして一人ひとりに深く本質的に問いかけている点で、私は深い感銘を受けた。

ぜひ多くの市民に観てほしいと思う。

全国ハンセン病療養所入所者協議会
事務局長  神 美知宏

中山さんちの映画blog

中山監督の「新・あつい壁」映画製作ノート
 

恐れ入りました。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月12日(木)01時19分6秒   返信・引用  編集済
  既報の通り、目下大改訂中なのですが、まあ、色々なことが有って、勉強になります。

徳島新聞に、ご記憶の方もいらっしゃると思いますが、『「いのち」を追って』という良い企画が長い間、連載されていました。先日、熊日、沖タイ、河北、などの掲載中止や、課金制採用に恨み節を呻ったばかりですが、又もう一つ、発見しました。これもなのです。

昨日の末富論文同様「インターネット・アーカイブ(I・A)」でキャッチ。「そして生きる」だけは文字化けを修正したものを、HPB(ホームページビルダー)ソフトに取り込みました。これはご覧頂けます。が他の三つは量が多すぎて、ギブアップ。これですので、一つ一つ、文字化けを修正しながら、お読み下さい。

もう、「インターネット・アーカイブ」宝塚支店でも開業しようかな(笑)


何に一体恐れ入ったのか?書くのを忘れていました。先ほどのHPBに取り込んだものに、1,2,3とかラベルを打って、リンクしようとしたら、どうしても上手く行かない。どうしても「I・A」に繋がるのです。随分何だかんだ試行錯誤して、一時間。ふとソースを見たら、黴菌の山!!!

その山を六つほど削除したら、一挙にトラブルが解消しました。恐るべし「I・A」。転んでもただは起きない。知らぬ間に私のHPBにどっさりと黴菌の卵(?)を生み付けていったのですから、本当に背筋が寒くなりました。ちなみにその黴菌をご披露しておきます。面白くもなんとも無いのですが・・・。「sway back」なんて、なんか胡散臭いでしょう・・・。


<SCRIPT language=Javascript>
<!--

// FILE ARCHIVED ON 20050419133429 AND RETRIEVED FROM THE
// INTERNET ARCHIVE ON 20070411153819.
// JAVASCRIPT APPENDED BY WAYBACK MACHINE, COPYRIGHT INTERNET ARCHIVE.
// ALL OTHER CONTENT MAY ALSO BE PROTECTED BY COPYRIGHT (17 U.S.C.
// SECTION 108(a)(3)).

   var sWayBackCGI = "< HREF="http://web.archive.org/web/20050419133429/">http://web.archive.org/web/20050419133429/">
< HREF="http://web.archive.org/web/20050419133429/">http://web.archive.org/web/20050419133429/";

   function xResolveUrl(url) {
      var image = new Image();
      image.src = url;
      return image.src;
   }
   function xLateUrl(aCollection, sProp) {
      var i = 0;
      for(i = 0; i < aCollection.length; i++) {
         if (typeof(aCollection[i][sProp]) == "string") {
          if (aCollection[i][sProp].indexOf("mailto:") == -1 &&
             aCollection[i][sProp].indexOf("javascript:") == -1) {
            if(aCollection[i][sProp].indexOf("http") == 0) {
                aCollection[i][sProp] = sWayBackCGI + aCollection[i][sProp];
            } else {
                aCollection[i][sProp] = sWayBackCGI + xResolveUrl(aCollection[i][sProp]);
            }
         }
         }
      }
   }

   xLateUrl(document.getElementsByTagName("IMG"),"src");
   xLateUrl(document.getElementsByTagName("A"),"href");
   xLateUrl(document.getElementsByTagName("AREA"),"href");
   xLateUrl(document.getElementsByTagName("OBJECT"),"codebase");
   xLateUrl(document.getElementsByTagName("OBJECT"),"data");
   xLateUrl(document.getElementsByTagName("APPLET"),"codebase");
   xLateUrl(document.getElementsByTagName("APPLET"),"archive");
   xLateUrl(document.getElementsByTagName("EMBED"),"src");
   xLateUrl(document.getElementsByTagName("BODY"),"background");
   var forms = document.getElementsByTagName("FORM");
   if (forms) {
       var j = 0;
       for (j = 0; j < forms.length; j++) {
              f = forms[j];
              if (typeof(f.action)  == "string") {
                 if(typeof(f.method)  == "string") {
                     if(typeof(f.method) != "post") {
                        f.action = sWayBackCGI + f.action;
                     }
                  }
              }
        }
    }


//-->
</SCRIPT>


(リンクを切る為に、一字変更)
 

末富まさ子氏の卒論  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月10日(火)23時24分59秒   返信・引用  編集済
  ご記憶にあるかも知れません。私は、6年前に出会って驚いたことを鮮明に覚えています。現在、ネット上から消えています。但し、「末富まさ子」で検索してみてください。かなりの数がヒットしますが、もう論文本体は見当たりません。

と書いてから、もしやと思って「Internet Archive」を使ってみました、捕まりました。こちらです。文字化けしていたら、「エンコード」で「日本語(自動選択)」にしてください。全部読めます。

但し、これは、本当にここだけの話にしておいてください。まあ、その気になれば、誰でも読めるとは言うものの、私がリンクした時点では、最後の「聞き取り資料」は削除されていたのです。プライバシーに配慮してだと思います。自称「堂々たる確信犯」が言うのですから、本気でご協力下さい。なら、ここに書かなければ良い。ごもっとも、です、が。

京都精華大学の広報課に「最近見当たらないが」とメールしたら、「近年、著作権法や個人情報保護法などが整備されつつあり、その関連もあり、過去に掲載していた論文を再度みなおしている現状にあり…」との返事が、昨日来たばかりなのです。

しかし「Internet Archive」というのは、確かに恐いツールではあります。ここの社長ブルースター・ケイル氏へのインタービュー記事(当然、プライバシーの問題や著作権問題に触れていました)が、1月14日には読めたのですが、もう消えています。残念!

インターネットの世界は、本当に目まぐるしいですね・・・。
 

ご免なさい Re: 何ぼなんでも Re: 宮古の慰安婦問題  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月10日(火)22時36分58秒   返信・引用
  > >
> > 3万人といえば、とても、女性はいきわたらない。
>
> 配給品じゃねえんだから。


大変、申し訳ありませんでした。これは、いけません。

私、実は、ハンセン病に関係がないもの、私への返事でないもの、はサッと見て、素通りするものですから、つい・・・。

Ichiroさん、文章を、修正するか、削除するか、どちらかをお願いします。
 
    (リベル) 修正して頂いたようですね。「04/11 02:23:13」と記録されています。有り難うございました。(4.11 02:51)  

恐妻家さま  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月10日(火)20時17分23秒   返信・引用
  不適切な発言 失礼しました。

 Ichiro
 

何ぼなんでも Re: 宮古の慰安婦問題  投稿者:恐妻家   投稿日:2007年 4月10日(火)19時03分47秒   返信・引用
  >
> 3万人といえば、とても、女性はいきわたらない。

配給品じゃねえんだから。
 

中山監督の「新・あつい壁」 映画製作ノート、更新!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月10日(火)17時39分58秒   返信・引用  編集済
  標記「中山監督の・・・」が更新されました。いろいろ変わっています。何が、どう代わったのか、整理されたのか、よくご覧下さい。

余程、肩身が狭いのでしょうか?
 

Re:宮古の慰安婦問題  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月10日(火)02時18分57秒   返信・引用  編集済
   3万人の将兵が満州やら、南洋から到着したら、慰安婦を連れてくるのは、当然かなと思います。勿論、いけないことですが。(昭和19年5月)

 私が、色々調べていたら、慰安婦に子供が生まれたことがある戸籍に書いてありました。勿論父親の名前は書いてありませんでした。

 私がよく遊びに行くある宮古の古い家は、そこにも慰安婦がいたと別のある人は語っていました。その家の人に確認すべきでしょうが、しませんでした。

 戦争当時、将兵はどういうことをしたか。そこは、戦場ではあったが、将兵は、宮古島の女性と仲良くなったのである。宮古島の男性は戦争にとられたいたという事情もある。

 戦後どうなったか。仲よくなったカップルは、三つのタイプにわかれた。

 1)結婚して宮古にとどまった。成功した人も多い。
 (正式に結婚した人たちは、名前ではっきりわかる。沖縄独特の姓ではないからである)
 2)泣く泣く別れた。引き揚げ船が出て行く時は、張水港(平良港)は 別れる婦人のまた将兵の涙の大合唱であったと伝えられる。
 3)不倫状態となった。元彼は時々贈り物をヤマトから送った。それは周囲の人には内緒にすべきものであった。

 軍人は約1割の方がなくなった。死亡原因は戦火に倒れたというより、マラリアに倒れた人が圧倒的に多い。私が勤務した熊本国立病院は、元陸軍病院で、元軍医殿は宮古島からの引き揚げの将兵を引き受けたら、痩せていることと、疥癬が多かったのでびっくりされたそうである(昭和21年ごろの話)

 宮古の人々で、戦争で亡くなられた方もおられる。戦火に倒れた軍人の碑は多かったが一箇所に纏められた。宮古島では、日本軍軍人にたいする怨嗟の声は沖縄本島や石垣島に比べると少ないのは以上の理由でおわかりと思う。

 以上の情報は、実は、宮古島に留まった軍人のお孫さんの話に基づくのです。そして、その人は、ヤマトの実家を訪れたこともあり、その間の話も聞きました。それは小説にもなりそうな話でした。以上少々訂正追加しました。
 
    (リベル) こちらにも、同文を・・・

修正して頂いたようですね。「04/11 02:23:13」と記録されています。有り難うございました。(4.11 02:51)
 

余談:原爆の件、削除されてしまいました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月10日(火)01時31分21秒   返信・引用
  Wikipediaの「広島市への原子爆弾投下」の項に、腹立ち紛れにこう書いてきました。

「註:このページの記述は、歴史的叙述であるため、原爆被害者に対する配慮に欠ける表現が生じる。「百科事典」に於ける記述であるためであることを、ご理解頂きたい。」

ごく最初の、目立つ場所に。見事に4時間後に削除されていました。「本文に記述するのにふさわしくない内容を削除」という理由で。注意喚起のために、編集戦争を巻き起こすのは容易いことですが、残念ながら、手が回りません。夏休みまでに”大改変”を終了したいので。

しかし、日本人として、あのようなというか、「4月 9日(月)17時32分46秒」に書いたような、無神経な記述が、放擲されているのは、許せません。今現在、原爆症に苦しんでいる方、原爆によって家族を失われた方、そういう方たちがお読みになったときの気持ちに、何らかの配慮は不可欠なはずです。

まだ、おいそれとは、くたばれません・・・。
 

サイパン・テニアン  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 9日(月)20時37分23秒   返信・引用
  さすが リベルさんですね。私は藤野さんと違って、調査できなかったのですが、サイパンに行って、日本系の博物館とアメリカ系の博物館にいって、不思議に思ったのですが。

 サイパンの南の小さな島です。テニアンは。そんなに小さい島からB29が発進できるのか。私はどうしても日本軍が宮古島に3万の将兵を置き、米軍はそこをスキップしサイパンに転じたのは、作戦として不思議に思っていました。時間があったらテニアンを訪れようと思いましたが、娘はサイパンにあるヘンナ人形を欲しがったので、行ったのです。

 5月にはマンゴーが木になるサイパンは もう一度行きたい。

 米系の博物館の女子大生と、腹いっぱい議論してきて満足しました。ははは

 Ichiro
 

Re: 宮古の慰安婦問題  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 9日(月)17時32分46秒   返信・引用  編集済
  > その隣の島のテニアンから、原爆攻撃の飛行機が発進しました。

Wikipediaからの引用です。人類の歴史上、最大の悲劇はこうして、生まれたのですね。

『8月4日、B-29エノラ・ゲイ号は最後の原爆投下訓練を終了して、マリアナ諸島テニアン島北飛行場に帰還した。

8月5日21時20分、第509混成部隊の観測用B-29が広島上空を飛び、翌日の広島の天候が良好であるとテニアン島に報告した。また同時刻、テニアン島のブリーフィングではポール・ティベッツ陸軍大佐がエノラ・ゲイの搭乗員に出撃命令を伝えていた。「今夜の我々の作戦は歴史的なものだ」と。

この日、日本陸軍はグァム島の電波状態が普段と違うことに気づき、翌日「どこか」で空襲があることの示唆であると考えたが、本土決戦のために航空機温存の方針もあり、特別の態勢をとらなかった。

8月6日午前0時37分、まず気象観測機のB-29が3機離陸した。ストレート・フラッシュ号は広島へ、ジャビット3世号は小倉へ、フル・ハウス号は長崎である。午前0時51分には予備機のトップ・シークレット号が硫黄島へ向かった。

そして午前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイがタキシングを開始し、1時45分にA滑走路の端から離陸した。

その離陸2分後の午前1時47分、原子爆弾の威力の記録を行う科学観測機(グレート・アーティスト号)が、更に2分後の午前1時49分には写真撮影機(#91 or ネセサリー・エビル号)の各1機のB-29も飛び立った。

即ちこの日、6機のB-29が原爆投下作戦に参加し、内3機が広島上空へ向かっていた。

テニアン島から目標の広島市までは約7時間の飛行である。』

日本の百科事典に、このように冷静に叙述してあるのを、知って、反吐が出る思いがしました。戦勝国アメリカの記録を、恐らくコピペしただけでしょう。未だ「原爆症」に苦しんでいる方の、惨状を、どう思っているのでしょうか。冗談じゃない、全く!・・・。

Wikipediaに何か書いてきます。
 
    (リベル) ご免なさい、我を忘れて。Ichiroさんに、苦情を言っているのでは全然有りません、「テニアン島」で検索した結果を読んで、頭に血が上りました。(4.9 17:38)  

宮古の慰安婦問題  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 9日(月)12時53分54秒   返信・引用
  宮古島の慰安婦問題がでていました。

http://www.miyakomainichi.co.jp/modules/bulletin/article.php?storyid=59

 宮古島は平らな島で、飛行場を作るのは容易であろうということで、44年5月、満州や南洋から3万人の将兵が宮古島に派遣されました。その時に連れてこられたようです。米軍は海や空から攻撃はしましたが、上陸はせず、サイパンの方に行きました。その隣の島のテニアンから、原爆攻撃の飛行機が発進しました。
 

楽生院の強制移転執行が一週間後に迫っています  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 9日(月)03時05分8秒   返信・引用  編集済
  楽生院最新情報 2007/4/5

 楽生の現状保存と地下鉄車庫の両立を可能とする代替建設案が、国の文化管轄省庁(文化建設委員会)の依頼により英国の地下鉄建設コンサルタント会社によって作成され、2月に内閣に送られました。しかし、旧正月の休暇を挟んで、内閣は適切な検討作業を経ずに地方自治体に対し、取り壊しのゴーサインを出しました。このことが今回の強制移転執行の行政側の根拠となっています。

 その後、与党の大統領選候補者選びに出馬を表明している游民進党主席・前行政院長謝長廷氏が楽生院保存への支持を表明し、その後、陳水扁総統がこの問題に強い関心を示すをと共に遺憾の意を表明し、内閣に対して適切な処理を指示しました。
結果、首相はこの手続きに一部落ち度があったことを認め、3月末より内閣が両案の再検討の余地がないかについて調査を始めました。しかし、正式に工事の一時中断を指示することはありませんでした。また、地方自治体も4月16日に予定通り取り壊すという強硬な態度を崩していません。

 また、こうした政府の態度軟化に対し、地方自治体、また地下鉄開通による開発利権に絡む地元国会議員・地方議会議員らは強く反発し、「地下鉄の早期開通のために楽生院を取り壊せ」というスローガンを打ち立てて、一万人の市民を動員して楽生院を包囲するというデモを行いました。デモの動員にあたっては新荘市長が発起人となり、新荘市役所が積極的に支援しました。

 このデモによって未だ地元で根強いハンセン病への差別が増長され、入所者たちは「経済発展の邪魔者」という汚名を着せられました。こうした、差別・偏見の助長は到底許されるものではありませんが、それ以上に入所者たちの心に再び深い傷を残す結果となったことを記しておかなければなりません。

 また、昨4月4日には、台湾国会にて「ハンセン病人権保障法案」の与野党協議が行われましたが、入所者の在園保障・居住権などを謳ったこの法案に不満を持つ地元新荘市選出の国会議員らは、この協議が行われている会議室に乱入し会議の妨害を行った挙句、協議を中止させるという、民主主義を踏みにじる蛮行に及びました。

 こうした事態に直面した入所者の中には、「身体を張ってでも楽生院を守る」、「楽生院とともに死ぬ」といった決意を表明する者もいます。

 引き続き、ご支援をお願いします。

以上「ハンセン病首都圏市民の会」から転載させて頂きました。その原典はここでした。1日の朝日新聞は勿論、現地での動きの詳報も出ています。

弁護団のホームページでは、ここまでの話しか分かりません。日本には、こんな非道い国会議員は居ないと信じますが、でも昨今は、松岡農水相のような非道いのが罷り通っていますから、油断は出来ません。と言うよりこれは、国際的なというか、人道問題でしょう。

これは、放置しておいてはいけないのですが、さて、何をすれば良いのか? ウロウロ、オロオロ・・・。
 

余談:老人会  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 9日(月)02時40分37秒   返信・引用
  昨日、町内会の老人会がありました。

伊東信子さん(60才)、中尾美禰子さん(61才)、薗部毬子さん(三日後に63才)のお三方が、久し振りに、美声をお聞かせ下さいました。

こう書くと、お気付きになる方も有るか、と思いますが、そうです、町内会ではなく、テレビでの話です。さっき、起き抜けにコーヒーを淹れながら「♪あなたが噛んだ・・・」と口ずさんでいるのに気付いて、何だこれは? と訝ったのは、「三人娘」が原因だったのです。

三人とも、全く年を感じさせない歌唱で、楽しませてくれました。

同じ番組だったか、小椋佳さんがこんな話をしていました。

「人間は、坂道の途中にいる。もう(ここまで来た)という事実を受け止めつつ、未だ(これから)の部分を創造的につくるというか、生きるということが、大切だと思います」

()内は声の抑揚を聴いていないと、分かり難いので。「もう」以降は、テレビ局に電話して、お願いして、確認したので、この通りです。

まさに、私に対して、言われたような、という老人の述懐です。仕方ないか、あの三人娘が、還暦を過ぎているのですから・・・(微苦笑)
 
    (リベル) 余談の余談:そういえば、あの頃は、よし、俺も一度は女性の小指を噛もうと思っていましたが。結局は、はい、噛まずに、棺桶に入ることになりそうです。女房に頼んでみようかな・・・ヒッパタカレル・・・でしょうね・・・。  

余談:絶対に取り返しのつかないこと・完結編  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 8日(日)00時24分57秒   返信・引用  編集済
  畦道を歩きながらこう考え、ました。「同じ穴の狢」か?と。どうも自分で導き出した結論なのに、腑に落ちない。笈を負って上京した時、「我が人生」プロジェクトの最終目的は何だったのか?一言で言えば「立身出世」でした。

ただ、漠然とそう思っているだけで、その為の具体的方針を、全く立てなかった。身体を鍛え、こういう本を読み、こういう資格を取り、黴が入り込まないように十分に気を付けて、などと言うことを、一切計画しませんでした。それが出発時点で犯した基本的誤謬です。だから、今の私には、名誉も富も地位も無い。黴と汚辱にまみれた人生を歩んできて、泥縄を綯っている。

そう考えて、ハタと思い当たりました。パスカルの言う「三つの秩序」です(「パンセ」中公文庫、p.524~)。私には「肉的な偉大」も「精神的な偉大」も無い。その通りなのです。しかし、この世には「第三の秩序」が存在すると、パスカルさんは言ってくれています。

今私が綯っている縄は、幸福の光沢を放っています。そうだ、そこが官僚の齎らした結論とは、決定的に違うところなののだ、と、路傍のスミレの花が、ようやく視野に入って来ました。


いかがですか、こういう完結編は?このあたりの言い逃れの巧みさは、我ながら大したものですね。その辺の官僚も尻尾を巻いて逃げ出すのではないか?

あれっ、やはり官僚と「同じア・・・(言葉に詰まる)


全生園のヒメスミレ(ガラクタ箱さんとこから無断で)
 

F事件資料集が消えた!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 7日(土)02時49分39秒   返信・引用
  「お探しのページは見つかりませんでした。」となります。

どうしたのかな?気になる存在では有りましたが、単なる「人騒がせ」だったのでしょう。

http://72.14.253.104/search?q=cache:p0TDOuew9wIJ:cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html+F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E8%B3%87%E6%9

 

余談:絶対に取り返しのつかないこと  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 7日(土)01時47分55秒   返信・引用  編集済
  一昨日の朝日新聞の夕刊の一面トップに「高松塚石室を解体―まず天井石1枚成功」とデカデカと出ていました。私は「またかっ!」と苦虫を噛み潰した気持ちに陥るのです。

この壁画が発見されたのは、1972年なのです。記事はこう続きます。「奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)で劣化が著しい国宝壁画を修理するため、文化庁は5日午前石室解体に取りかかった。(中略)35年続いた壁画の現地保存策を転換する、日本の文化財保存史上例のない難事業が最初のヤマを越えた。」

「成功」?「史上例のない難事業」?「ヤマを越えた」?チョット待ってくれよ、朝日新聞さん、いや文化庁さん、と言いたくなるのです。そもそも発見されたときの飛鳥美人は、下の画像のように美しいものだった。それを美しいまま、後世に残すのが、文化庁のプロジェクトの至上命題だった筈です。

「04年にカビ汚染などによる劣化が表面化。翌05年6月に文化庁の恒久保存対策検討会が、石室の解体方針を決めた」そうです。1972年から2004年までの32年間、文化庁は何をしていたのか?と、言いたいのです。

劣化が表面化してから、検討会が動き始めても、何にもならない。既に手遅れなのです。35年前発見された時、後世にそのままの姿を残すべくキチンと対策が取られていれば、今のような「泥縄的」対応も要らなかったのです。35年前のプロジェクトの発足時から、全てが間違っていたのではないでしょうか。

今頃、何を血迷って「成功」とか「ヤマを越えた」とか言っているのか?大新聞までが自分を見失っていると、私は思うのです。

何かに似ているなこれは、と考えてみました。第二次世界大戦? 原子力発電の採用? 環境汚染対策? どれもプロジェクトの出発時点から誤謬を犯しているようだが、何かシックリ来ない。と考えていて、気が付いて愕然としました。地の底へ吸い込まれるような、驚きでした。

自分の人生、我が人生です。35年かどうかは兎も角、何十年も前に、我が人生というプロジェクトの出発点で基本的な誤謬を犯していた。今頃になって「天井石1枚」つりあげたとか何とか言って喜んだり、騒いだりしている。(何をどう間違ったのか?今、何を喜んだり騒いだりしているのか、これは、お話ししても、何も面白くないので、省略しますが)

何だこれは? 私も官僚も、同じ穴の狢であったとは・・・。


現在の飛鳥美人です。
発掘当時の写真(読売新聞より)と比較するとこうです。
 

Re: リベルさんへ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 7日(土)00時17分45秒   返信・引用
  > わたくしが余計なリンクをはったために、けっきょく、リベルさんのお仕事が遅れてしまったとのこと、誠に申し訳ございません。
> 一つだけ訂正しておきます。「吸殻山灰皿町383」ではなくて「灰皿町吸殻山383」です。
> この「灰皿町」はネット上の詩人たちの町になっています。町長のR・S氏の自宅サーバーから提供されているのです。副町長のS・K氏とともに、まったくのボランティアで、運営してくださっています。わたくしの2つのブログ、BBS、作品欄などの枠組みはすべて町長のオリジナルなのです。この町の名前の由来は町長お二人がヘビースモーカーだからなのです(^^)。


いえいえ、「仕事(?)」と自分でもクェスチョンマークを付けています。お伺いしてサイトや作品やご活動を拝見する方が、自分にとっては大事なことだったと、今は思っています。

「灰皿町吸殻山383」。これは大失敗でした。チャント地図も拝見していたのに、何と言うことでしょう、肝心のことを間違えては失礼この上ない。ご免なさい。やはり、灰皿の上に吸殻を置かなければいけません、それも山のように・・・m(_ _)m
 

宮古南静園の明日を  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 6日(金)21時29分13秒   返信・引用
  別の新聞のニュースはでていましたが、宮古毎日新聞です。この下の方にでています。

小生の在職中から、同じようなのが何度も立ち上がりました。今度こそは。

 Ichiro

http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/news.htm#3
 
    (リベル) 10年前から始動していた、と書いてありますね。本当に、今度こそは、です。

私は、沖縄タイムスを「ニュース速報」に取り上げていましたが、宮古毎日の方が詳しいですね。有り難うございました。(4.7 00:21)
 

リベルさんへ  投稿者:あずき  投稿日:2007年 4月 6日(金)12時45分22秒   返信・引用  編集済
  わたくしが余計なリンクをはったために、けっきょく、リベルさんのお仕事が遅れてしまったとのこと、誠に申し訳ございません。
一つだけ訂正しておきます。「吸殻山灰皿町383」ではなくて「灰皿町吸殻山383」です。
この「灰皿町」はネット上の詩人たちの町になっています。町長のR・S氏の自宅サーバーから提供されているのです。副町長のS・K氏とともに、まったくのボランティアで、運営してくださっています。わたくしの2つのブログ、BBS、作品欄などの枠組みはすべて町長のオリジナルなのです。この町の名前の由来は町長お二人がヘビースモーカーだからなのです(^^)。
架空の町ですのに「Google map」で検索されたとは。クスクス。。。。。お邪魔いたしました。

北風さん、メッ!←(おまけ)
 

有難うございました  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 6日(金)12時33分26秒   返信・引用
  リベル様 有難うございました。

 BBSは慣れていませんが、勉強をしたいと存じます。

 Ichiro
 

反省しました。  投稿者:北風   投稿日:2007年 4月 6日(金)10時03分46秒   返信・引用
  >【追記】純粋ななエリカさんところを、荒らしてはいけないではないですか。(4.6 06:08)

ハイ。つい悪い癖が。
 

小学校記念誌  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 6日(金)05時48分50秒   返信・引用
  学校創立の記念誌には歴史が見られる。

 菊池恵楓園の社会交流会館に黒髪小学校百年記念誌が展示してあった。係りの方の私物であるが、私が、これを県立図書館で読んだといったら、すごくびっくりされた。黒髪校事件(龍田寮事件)の関係者の思い出が書いてあるからである。この事件はハンセン病にかんするスチグマの露呈した事件であるが、私は通学賛成派の存在を心強く思っている。
 終戦当時、私は福岡の西新国民学校に通学し、空襲にも会った。最近学校へいったら、その学校の百年記念誌をいただいた。(発行はずいぶん前である)全国でも一番古いクラスの学校で、創立時は、寺子屋の先生が教えていたと書いてあった。

 リベルさんへ:すみません。ちょっと使い方がわかりません。
 
    (リベル) ここへ書き込むのと同じです。同じ「teacup」のBBSを選んであるのですよ。Ichiroさんなら出来ます、大丈夫です。(4.6 06:03)

私が、コピペして差し上げました、ご覧になって下さい。

皆様、実はIchiroさんの「Ichiroの研究メモ」(仮題)というBBSが出来たのです。テスト走行中ですが、皆様もご訪問下さい。楽しい研究が有るのです。(4.6 11:15)
 

北風さんへ Re: 追悼。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 6日(金)01時10分57秒   返信・引用  編集済
  > せっかく教えていただいたのに、葬儀にも行かなかった。
> メールをうっかり削除してしまったのはいいわけだけれど、葬儀もともかくもう一度お会いしておきたかった。
>
> 子どものころのはなし、若い頃のヤクザな話、結局クリスチャンになった話、僕にとっては一番嘘のない共感しながら、徳さん面白いねと話せる人だった。
> 言っておこうと思うけれど、徳さんは今の患者運動が「弁護団」主導であることにも疑義を呈していた。患者運動は患者が主体であるべきだという言う至極全うな話だった。
>
> 徳山さんにもう一度会いに行かなかった、自分の怠慢を悔しい思いをしながら今夜は一杯のんでいます。


恥ずかしいことに、徳山さんという方を、全く存じ上げなくて、御免なさい。

「今の患者運動」というのは、裁判の立ち上げのことを指しているのではないのですね、「今の」なのですね(確認)。であれば、至極真っ当な話だと思いました。

リルケもこう言っています。

『記念の石は建てないほうがいい
ただ年毎に 薔薇の花を彼のために咲かせるがいい』

静かに、飲みながら、故人に思いを馳せ、時に涙するほうが、余程本当の供養なのかも知れません。

【追記】純粋ななエリカさんところを、荒らしてはいけないではないですか。(4.6 06:08)
 

あずきさんへ Re: 余談:国家の品格  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 6日(金)00時49分32秒   返信・引用  編集済
  > > しかし、参ったのは、終始一貫ビシーッと論旨を貫いていて(これ当たり前ですが)、しかも、その論旨の、程良い繰り返し表出で、読み手を説得し切った、テクニックです。親父譲りか、努力の賜か、数学者の頭脳のせいか?やられたあーっ、という感じは否めません。
>
> この本はベストセラーのトップだったそうですが、文体そのものは過去に藤原が書いたものの方をわたしは評価したいです。同じ本の感想をかきましたので、お邪魔でしょうが、
> ここにリンクしておきます。
>
> http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/book/20060517164031.htm


「blosxom」というものを、初めて知りました。それから何かの拍子で「吸殻山灰皿町383」に行き着きました。兎に角、凄いお方なのだと知って、尻尾を巻いて退散してきました。

「世にも美しい日本語」がビッシリで、壮観でした。時々ご紹介頂いた絵にも、再会してきました。お気に入りに入れましたので、またお伺いしてゆっくり読ませて頂きます。お父上の日記には、引き付けられてしまって、今夜は仕事(?)にならなくなりそうなので、退散してきました。

「Google Map」に「吸殻山灰皿町383」とマジで入力して、気が付いて大笑いしてしまいましたが、でも日本で三件ヒットしたのも驚きでした(苦笑)

昨日の朝日新聞の夕刊に、元ケンタッキー・フライド・チキンの社長、大河原さんの話が出ています。

「30年間、アメリカ流の効率経営をしてきて、それは達成できた。しかし、何か自分の中ですごくもの足りないものを感じてきた。…お茶を始めて、季節の茶懐石にひかれ、日本にはすごい食文化があると気づいた」

この方なども「国家の品格」を読むと、膝を叩かれる事でしょう。或いは、お読みになった上での発言かもしれませんが。

【追記】お見それしました、と言うより、見事な日本語は、当然だったのですね。詩人でいらっしゃる。北風さんとこからも「砂嵐―高田昭子詩集」をお出しになって居られるのですね。ほかにも「河辺の家」、「空白期」。結局は、仕事(?)にならなかった、と、ばれてしまいました。(4.6 03:38)
 

追悼。  投稿者:北風   投稿日:2007年 4月 5日(木)22時40分58秒   返信・引用
  せっかく教えていただいたのに、葬儀にも行かなかった。
メールをうっかり削除してしまったのはいいわけだけれど、葬儀もともかくもう一度お会いしておきたかった。

子どものころのはなし、若い頃のヤクザな話、結局クリスチャンになった話、僕にとっては一番嘘のない共感しながら、徳さん面白いねと話せる人だった。
言っておこうと思うけれど、徳さんは今の患者運動が「弁護団」主導であることにも疑義を呈していた。患者運動は患者が主体であるべきだという言う至極全うな話だった。

徳山さんにもう一度会いに行かなかった、自分の怠慢を悔しい思いをしながら今夜は一杯のんでいます。
 

また園券  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 5日(木)20時24分38秒   返信・引用
  リベル様 こんばんは

 2時間半ばかり菊池恵楓園の社会交流会館にいって、係りの方と説明を聞いてきました。たいへんよく勉強された方でした。副園長さんも一緒です。菊池恵楓園は初代から園長が医師であるといわれ、たとえば園券を早期に廃止したことも、誉めていました。特に新しい証拠がみつかってわけではありませんが、初代園長の性格などを考えておられました。
 私の意見は ふらふらしています。
 
    (リベル) ご意見というのは、菊池恵楓園で「園券」の作られた年のことでしょうか?ご研究の成果を期待しています。

それはそうと、新しくBBSを立ち上げられたのですか?(4.6 01:19)
 

Re: 余談:国家の品格  投稿者:あずき  投稿日:2007年 4月 5日(木)13時08分12秒   返信・引用
  > しかし、参ったのは、終始一貫ビシーッと論旨を貫いていて(これ当たり前ですが)、しかも、その論旨の、程良い繰り返し表出で、読み手を説得し切った、テクニックです。親父譲りか、努力の賜か、数学者の頭脳のせいか?やられたあーっ、という感じは否めません。

この本はベストセラーのトップだったそうですが、文体そのものは過去に藤原が書いたものの方をわたしは評価したいです。同じ本の感想をかきましたので、お邪魔でしょうが、
ここにリンクしておきます。

http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/book/20060517164031.htm
 

余談:国家の品格  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 5日(木)02時42分40秒   返信・引用  編集済
  やはり書くことになりました。

最近、これほど一気に読まされて、しかもドーパミン(達成感に伴って分泌される。高い快感を伴う)が噴出したことは、有りませんでした。

「論理」、「自由」、「平等」、「市場原理主義」を一切排除して、「情緒」と「形」を尊重すれば「品格有る国家」が実現する。と藤原氏は説かれます。前に書いたのはやはり間違いで、帯に書かれている通り「誇りと自信を与え」られました。

三つ、気になる事がありました。

1)ユーモアについて、全く触れていない。これは、テーマから逸れると意識してのことと、自分を納得させました。

2)「天皇の万世一系」を守る。(p.171)

3)「自分の国は自分で守る」。(p.187)

後の二つは、サラリと一言触れるに留めてありますが、私は実は引っかかりました。愛子さんが天皇になっても良い。戦争はするべきでないから、軍隊は要らない、と言うのが持論だからです。そこへ藤原さんは、大きな卵を産み付けて去っていきました。

総論賛成、各論反対というのか、これから、この自家撞着を解決していかなければなりません。楽しい作業ではありますが、体力・気力が必要になるので、うーん、と。

しかし、参ったのは、終始一貫ビシーッと論旨を貫いていて(これ当たり前ですが)、しかも、その論旨の、程良い繰り返し表出で、読み手を説得し切った、テクニックです。親父譲りか、努力の賜か、数学者の頭脳のせいか?やられたあーっ、という感じは否めません。

私がいま進めている、「ハンセン病のリンク集」の大改変に際して、ページから「人権」の香りが匂い立つような、そういう一貫性が保てるかどうか?これは極めて困難なテーゼです。”やるっきゃない”のですが。
 

何故これがNEWか?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 4日(水)17時32分28秒   返信・引用  編集済
  厚労省の「情報ページ」の怪。何故これ(国内ハンセン病療養所非入所者給与金支給規程(平成17年厚労省告示第214号) (PDF:180KB))が「NEW」なのか、私には分かりません。お分かりの方は、どうぞお教え下さい・・・m(_ _)m  

余談:徒然草第九十七段  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 4日(水)00時45分8秒   返信・引用  編集済
  その物に付きて、その物をつひやし(消耗させ)損なう物、数を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。国に官僚あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。

後の三つは、至上の目的や使命感で、逆に身を滅ぼしたり、死を早めたりすることを言うのだと思います。たとえば、ホリエモン。浅野内匠頭。ソクラテスというように。勿論、岩波文庫の註によるものでは有りません。内匠頭もソクラテスも、ホリエモンと一緒にされてはタマランと逃げ出されるかも知れませんが。

高校では、「全編を貫くシニカルな皮肉の一種」というように教わった気がしますが、それは違いますね、北山巌先生。ガンさんご免なさい。愛称をガンさんという素晴らしい先生でした。黙祷。

虱や鼠も、官僚と一緒にされてはタマランと・・・いやそれはチョット言い過ぎだろう。だいたい、原文に「官僚」って書いてあったか?
 

リベル様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 3日(火)02時31分4秒   返信・引用  編集済
  Re:ファジェット博士

 リベル様編集の第七回国際らい会議(昭和三三年、東京)でです。勿論、没後です。根拠としては、回数と場所が合っており、また、この投稿資料は場所的に、極めて正しいだろうと思うからです。しかし、書き方がちょっと不足していますね。

蛇足ですが、この会議には光田健輔や、Joplingも出席しています。まだ有名でない時代のJoplingは光田健輔の観察をして私に知らせています。2本の松葉杖をもち、すごく権威があった、と述べています。

 Faget博士について質問すればよかったのでしょうが、Joplingはもう亡くなられました。なお、生年は1891年、没年は、1947年です。死因は書いてありませんでした。

http://www.leprosyhistory.org/english/search_person.html

ここからpersonを選び、Fagetを検索してください。

光田先生も、宮崎先生も出てきます。ここは訂正できるのかな。

追加:今度恵楓園に行った時にレプロあたり調べてみよう。そういう小さいことまで記録があるかどうか。
 
    (リベル) 有り難うございます。このサイトをすっかり忘れて居ました。早速お気に入りに確保しました。感謝です。(4.3 07:23)  

Re: なんかtommy君に代弁してもらっているような  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 3日(火)02時15分16秒   返信・引用
  > 矢村天民という愛知県岡崎市の牧師は拘置所や少年院、刑務所などで教誨師としての活動をしている中、昭和30(1950)年5月に恵楓園内の教会に行った折に職員から事件のことを聞き、その翌日に初めて松夫さんと面会している。

> 昭和31年5月には最高裁の口頭弁論を傍聴。
> 昭和32年には全生園で全患協役員から松夫さんに会って欲しいと言われ、福岡から熊本に足を伸ばして面会したという。刑務所でもなく地元教区とも離れた全生園にも行っているところから、「ハンセン病患者の支援」というスタンスにも立っていたのだろう。そこも某教誨師とは全く異なる。
> そして昭和33(1958)年3月、東京神楽坂の日本出版クラブで行なわれた「救う会」の発足式に出席し、坂本泰良、杉浦明平、鹿地亘、永丘智郎(関東学院大助教授)、吉田秀夫(法大講師)などと共に挨拶。その時の録音記録が『菊池野』誌にある。


ここに書かれている事実を、「藤本事件関連年表」に追加記入しました。

その時気付いたのですが、昭和30年(1950)は昭和30年(1955)の間違いですね。
 

Re: 坂本泰良  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 3日(火)01時39分41秒   返信・引用
  異なった二つの世界ですが、奥深いところで同じように生きていることを思います。

しかし、じっさいの生活の中であなた方の体験を追体験できないため(たとえ作家であろうと詩人であろうと、科学者であろうと宗教家であろうと)、あなた方の体験を追うという行為は、いったいどのような精神の高さと深さを要するものであろうか、このことをこれからさき考えすすめていかなければなりません。


ここですね。北風さんの「原点」を垣間見た気がします。

私自身は、正直言って、その努力を放擲しています。良いことか、まあ良いことではないのでしょうけど、許されることか、否かは別として、事実です。

チョットややこしいことを言えば、「放擲したことから湧いてくるエネルギー」を、活用している、とも感じます。「諦めた事に対する、自責の念」というと、近いかも知れません。


それは兎も角、恩師村松武司氏の文章、美しくて、良いですね。
 

Faget追加  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 2日(月)20時56分46秒   返信・引用  編集済
  リベル様

 どうもFaget先生は没後、東京で表彰されたようです。

 熊本に住んでいた小生は坂本泰良さん(社会党左派)松前重義さん(右派、東海大学総長)がよく当選されていたのを知っている。F事件と関係あるとは知りませんでした。
 
    (リベル) ということは、1947年11月の第20回日本癩学会で、と言うことでしょうか?Fagetの亡くなった年を調べてみたのですが、分からなくて・・・(>_<)(4.3 01:52)  

Re: 三題噺  投稿者:北風   投稿日:2007年 4月 2日(月)18時55分5秒   返信・引用  編集済
    藤野⇔滝尾
>  徳田⇔関原
>  坂本⇔矢村
>
> さあ、これは、何と解くか? 三題噺と言うより「謎々」でしょう。
>
> 【例解】
> にせもの⇔ほんもの



そんな、刺激的な。

新世代⇔旧世代

じゃないですか。ははははは。
「ハンセン病市民学会」は、それをつなぐ橋であってほしいですね。心からそう思います。
しかし、そうあるためには、会員はこういう現実があることをきちんと認識すべきでしょうね。
そこから始まる。
 
    (リベル) 矢印が、双方向になっているから、です(笑)。

こういう世代交代ということではなく、両者の存在を認識して、それを見据えた上で、会員は行動すべきだ、と仰有っているのでしょう。心強い、お言葉です。双手をあげて賛成です。(4.3 01:48)
 

坂本泰良  投稿者:北風   投稿日:2007年 4月 2日(月)18時28分51秒   返信・引用  編集済
  この人は、熊本県選出の代議士です。もうひとり坂本久夫という熊本県の国民救援会の事務局長がいます。この人たちは某教戒師とは別人です。念のため。

ところで、この「藤本松夫を救う会」の役員の中に(正しくは幹事)関原さんらとならんで村松武司の名前があった。村松は、当時20代後半だったおいらを栗生楽泉園に導いた(正しくは巻き込んだ)ひと。終生の師でありおいらは不肖の弟子だ。
村松は大江満雄井出則雄の後を受けて栗生楽泉園の詩の選者になったときこう書いた。


追体験のための自己紹介

(略)わたしは皆さんと会ったことはありませんが、十年以上前から知っています。さらに私の四十年の歴史がはじまる以前から、同じ族としてのつながりを強く意識します。あなた方は草津の高原に住んでおられる。私は都会のビルの中で科学雑誌の編集をしている。異なった二つの世界ですが、奥深いところで同じように生きていることを思います。

しかし、じっさいの生活の中であなた方の体験を追体験できないため(たとえ作家であろうと詩人であろうと、科学者であろうと宗教家であろうと)、あなた方の体験を追うという行為は、いったいどのような精神の高さと深さを要するものであろうか、このことをこれからさき考えすすめていかなければなりません。

ひとは自分を加害者に列には加えたがらぬものです。悲劇が生ずれば、被害者の立場を錯覚します。しかし被害者は同時に、したの部分に対し加害者の面をもつのが普通です。

悲劇は二重三重に構成されています。私の貧しい体験が、あなた方の追体験をなしえず、あなた方の悲劇に及ばないとき、私とあなた方の間には、いぜんとして深い淵が横たわっている証拠となるでしょう。

正直に告げて、今も私は加害者です。自己紹介ですから申したいのですが、かつて軍人であり、かつて植民者であり、いまはビルに住む都会生活者です。

ハンセン氏病の歴史は、私が申すまでもなく、アフリカからアジアにわたる屈辱が示すとおりです。いまわたしが、あなた方との間に横たわる河と崖を越えるとするならば、植民者、軍人、その他もろもろの自分の現代史の中のふるき勝利、新しき受益と戦うこと以外にありますまい。それはあなた方の作品から学ぶことからはじめられるでしょう。

社会の悲劇構造は下へ下へと向かっていますが、わたしはそこをのぞきおろし、ハンセン氏病者の詩が、地底から垂直的な高さを指してゆこうとすることを、これから学ぶことでしょう。

『高原』1965年1月号
 

Re: 三題噺  投稿者:リベル  投稿日:2007年 4月 2日(月)17時42分53秒   返信・引用  編集済
  藤野⇔滝尾
徳田⇔関原
坂本⇔矢村


さあ、これは、何と解くか? 三題噺と言うより「謎々」でしょう。

【例解】
にせもの⇔ほんもの


皆さんも、ご参加頂けませんか・・・m(_ _)m
 

三題噺  投稿者:   投稿日:2007年 4月 2日(月)15時26分8秒   返信・引用  編集済
  藤野⇔滝尾
徳田⇔関原
坂本⇔矢村
 

なんかtommy君に代弁してもらっているような  投稿者: 北風  投稿日:2007年 4月 2日(月)14時08分1秒   返信・引用  編集済
  投稿者名:tommy
Eメール:
URL  :
タイトル:山村天民(*正しくは矢村天民)
投稿記事:

矢村天民という愛知県岡崎市の牧師は拘置所や少年院、刑務所などで教誨師としての活動をしている中、昭和30(1950)年5月に恵楓園内の教会に行った折に職員から事件のことを聞き、その翌日に初めて松夫さんと面会している。

某教誨師と全く違うのは、その後、一個人として、牧師として、松夫さん救援のための活動を始めていたことだ。

昭和31年5月には最高裁の口頭弁論を傍聴。
昭和32年には全生園で全患協役員から松夫さんに会って欲しいと言われ、福岡から熊本に足を伸ばして面会したという。刑務所でもなく地元教区とも離れた全生園にも行っているところから、「ハンセン病患者の支援」というスタンスにも立っていたのだろう。そこも某教誨師とは全く異なる。
そして昭和33(1958)年3月、東京神楽坂の日本出版クラブで行なわれた「救う会」の発足式に出席し、坂本泰良、杉浦明平、鹿地亘、永丘智郎(関東学院大助教授)、吉田秀夫(法大講師)などと共に挨拶。その時の録音記録が『菊池野』誌にある。


某教誨師は昭和36年6月から37年8月まで毎月1回藤本松夫さんに面接していたと言っているが、誰もが違和感を持つのは、その発することばのどこにも、松夫さんという生身の人間を感じることがないからだろう。通り一遍のオシゴトだったのか、松夫さんに会って何を話したかの記憶もろくにないのではないかと思ってしまう。
さらには、刑が執行される前の月まで面接を重ねていたというのに、その死に対する悔しさ、たとえようのない悲しみはどこにも見えない。むしろしばらく経って社会情勢の中から、自分はえらい重大な事件に教誨師として関わっていたのだと気づき始める。人として見ていなかったのはアンタだろう、と言いたくなる。

--------------------------------------------------------
 
    (リベル) こういう歴史的な事実の宝庫ですね、「菊池野」は。「藤本事件関連年表」の1958年に、「救う会」発足。1961年6月13日に「坂本泰良」の名が有ります。事実を知りたいです、ね。(参考)(4.2 17:38)  

地図ありがとうございました。  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 4月 2日(月)12時28分34秒   返信・引用  編集済
  地図ありがとうございました。凄い迫力ですね。

 中央が資料館。
その下は、たしか駐車場がありましたが、新しい建物はこちらに出来たのでしょうか。武蔵野を思わせる林が続きます。散歩すると気持ちがいい。
 上はハンセン病研究センター。
 右一帯は住宅地帯。その間があまり広くないバス道路です。(清瀬からの)。時間によっては車椅子が乗るバスも運行します。急ぐ時はタクシーを使いましたが、バスも使いました。下方次の停留所は出ていませんが、全生園の正面ですね。
 左は納骨堂、その間は テニスコートでしょうか。左下は寮ですね。懐かしく拝見しました。
 上方、ちょっと離れた所に農場がありました。神社はこの写真にはないか。左方に各県の木があった。望郷の丘など。

 注:色々の機会に全生園や資料館は訪れました。一番長期は、夏季大学です。

蛇足:寄付金について。
 一番熱心だったのは全生園の入園者でした。平均10万円。なかには100万円出された方もおられました。ちょっと異常に感じたのですが、全療協の人が知っているのでしょう。聞いてみようかな。

 もちろん企業も寄付しました。(高松の宮の名前を利用した。実際は高松宮妃が働かれた)
 菊池恵楓園を初め各園からも寄付しましたが、生憎、凄く大きい台風が熊本に来たので、熊本からは少なかったと思う。各園の職員も寄付しました。
 檜の森もなくなってしまいました。お寺も公会堂も学校も、すごい被害を受けました。

 蛇足2:そういえば新しい資料館のポスターが送られてきました。休みは月曜です。

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