ワトソン・ブレイク
(B.C.3400~2800年)
 H O M E
世界の歴史:鳥瞰図
北アメリカの先住民






「ワトソン・ブレイク」というのは北アメリカのルイジアナ州北部にあるモンローの近くで、わずか約30年ほど前(1980年頃)に発見されたアメリカ先住民の遺跡です。この遺跡は下の図のように小高いマウンド(最も高いので約6メートル)が11個集まって差し渡し約250メートルの楕円形を形作っています。化学的算定によるとこれらのマウンドは前3400年頃に作られていますから、これまで北アメリカで最古とされていた遺跡「ポヴァティ・ポイント」よりさらに約1900年前にさかのぼります。どういう目的で作られたかは不明ですが、発掘された石片焼かれた土塊貝殻魚の骨植物の種子ビーズ石製の錐などから、移動性の狩猟採集民が夏から秋にかけて居住し近くの河川から魚や貝を採集し火で熱した石や土塊で調理して食べていたと想像されています。約600年その状態は続きますが前2800年頃、アーカンサス川がウォシタ川へと流れを変えたのが原因で放棄されました。


             地形図など
                                                                                                     戻る

Ancientmuses
から(右図と同じく南から。俯瞰したものです)           参考
Science誌から(地形図:四角形は観測設備、等高線は50cm間隔) ReddingNewsReview.comから (衛星写真です)
Elizabeth Moore他著"Ancient Mounds of Watson Brake"の表紙から Wikipediaから 参考図=広域図) 焼かれた土塊(用途が不明です)Rätsel der Vergangenheitから

                    現地写真集ReddingNewsReview.comから;クリックで拡大写真が出ます)                                                              戻る



                                                
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(編者の"超訳"です、誤訳はお許しください)                                                           

最初に発表された「Science」誌(1997年9月19日)私家版                  戻る

 "5400~5000年前のルイジアナのマウンド複合"
Joe W. Saunders他

要約

11個のマウンドからなるルイジアナの遺跡は、北アメリカでこれまで知られていた土の囲いのあるマウンド複合(mound complexes、ここではポヴァティ・ポイントのことです。【注】参照)より1900年前のものであることが明らかになった。放射年代、ルミネセンス、人工遺物、地形学及び土壌生成の調査データによってこの遺跡が5000年以上前のものだと判明した。残された痕跡はこの遺跡には狩猟採集民が住んでいたことを示している。彼等は季節的に水産物を採取しまた後に東部北アメリカで最初の栽培植物になった植物種を集めていた。

始期について

これらの日付けはワトソン・ブレイクのマウンド建設が5400~5300年前に始まったことを示している。

終期について

これらの状態は約4800年前まで続いた。その頃アーカンサス川が今のウォシタ川(the Ouachita River)へと流れを変えたためワトソン・ブレイクの付近に急速な土砂の堆積が起こり湿地帯や小川が作る生息地を減少させた。これが遺跡の放棄を引き起こしたようである。  (原文

【注】考古学では「complex」という言葉が特殊な意味で使われることがあります。上の「マウンド複合」は二つまたはそれ以上の種類の遺物が含まれている場合ですが、それ以外に、二つまたはそれ以上の時代の文化や二つまたはそれ以上の地域の文化が、一つの遺跡に併存している場合にもその遺跡の文化を「○○複合」と呼びます(例えば「アデナ文化」を「Adena Complex」)。「complex」を「複雑な」と「複合的」の両方の意味で用いていると言った方が分かり易いかも知れません。(
参照
                                                       


ニューヨーク・タイムズ(1997年9月19日)                                 戻る

 "古代インディアンの遺跡が初期アメリカ人生活の概念を変えた"
By JOHN NOBLE WILFORD

 ルイジアナ州にある古代アメリカ先住民の土製のマウンド(mounds)は、新大陸の人工建造物としては最古のものであることが分かった。この発見は初期のアメリカ文化についての従来の考え方を覆し、農耕以前土器製作以前狩猟生活社会そのものがこれまで考えられていたより遙かに複雑(complex)な社会だったことを訴えている。

 約5400年前に出来たこのマウンドは他のアメリカ先住民遺跡に見られる同様の公共建造物に先立つこと約2000年ということになる、と今日刊行されたサイエンス誌の記事で考古学者は述べている。

 この新発見は古代社会に於ける経済的・社会的発達の過程についての従来の想定、特にかつてミシシッピやオハイオ河谷に住んでいた狩猟採集民の一団の性質や能力についての想定を一変させるものである。またこの発見は農耕定住や交易による富の蓄積が、必ずしも壮大な建造計画のために労働力を動員する際の必須条件では無いということも示している。

 「これはたった一つの調査結果が初期のアメリカ人の生活の全体像を根本から書き換えてしまった稀なそして驚くべき事例だ」とアメリカ考古学協会の会長でありアメリカ先住民のマウンドの権威でもある、チャペルヒルのノースカロライナ大のヴィンカス・ステポネイティス博士( Vincas P Steponaitis)は述べている。 (原文


                                                                  
ジャパンタイムズ(1997年9月20日)                                      戻る

 "人工のマウンドは北米で最古である"

 現在のルイジアナ州がある川沿いの平野に5400年前に作られた低いマウンドの一群(mounds)は北アメリカでは最も古い人工建造物であると研究者が確認した。

 モンローから約32キロのワトソン・ブレイクと呼ばれる場所にあるこの一群のマウンドは、近くの川や森で食料を得てこの遺跡に数百年間住んでいた人びとによって作られたと、北西ルイジアナ大のジョー・W・ソーンダーズ(Joe W. Saunders)は言う。昨日発行されたサイエンス誌の記事の責任者であるソーンダーズは、これらの人びとは季節的狩猟採集民で、一度に数ヶ月だけ河畔に住んで大量の魚を食べていると言って居る。ナマズ(Ictaluridae)やニベ科の魚(Sciaenidae)やサッカー(Catostomidae)など今でも川でお馴染みの魚たちの骨がマウンドから掘り出されている。また人びとは亀やカラスガイ(Unionidae)やタニシ(Campeloma)や小動物を楽しんでいたという形跡も残っている。

 ソーンダーズは次のように語っている。このような狩猟採集民は大量の土を掘り起こして運ばなければ作れない巨大なマウンドを建造するだけの組織的作業能力を持ち合わせてはいないと長い間信じられてきた。「これらのマウンドは数百トンの土砂や砂利で出来ている」のだ、そして11個のマウンドが差し渡し254メートルの円形に並べられており、それらのマウンドの一つは高さ6メートルにも及び他のは高さ1~3メートルであり多くは尾根でつながっている。全ての材料を手だけで動かさねばならなかった人びとにとってそれは大事業であったろう。

 材料の化学的年代算定によればそれらのマウンドの建造は約5400年前に始まっており、それはフロリダ州やルイジアナ州の他の地域で発見されたマウンドより約1900年も昔である。古代の人びとがそれらのマウンドを一体何のために使っていたのかは未だ分からない。外敵を防ぐのに重要だったとは考えにくいし、洪水を避けるためにしては川から離れすぎているからだ。

 「ワトソン・ブレイクのマウンドは先土器時代のものである」、これはそこに住んでいた人びとが料理に使う器を持っていなかったことを意味している。その代わりに彼等はどうやら岩石を熱して水に投げ入れて蒸気を作ったらしい。調査チームは熱でひび割れた砂利の巨大な堆積を発見したが、それは察するに人びとが食べ物を焼くか蒸気で蒸すために赤熱した岩石を用いたからだろう。また大量のカタツムリの殻が完全な形で発見されたが、これは人びとがカタツムリを蒸してカラを壊さずに身だけを取り出したと推察できる。
  (原文


                                                                  
Archaeology(1998年1/2月合併号)                                       戻る

"最古のマウンド遺跡"By Amélie A. Walker

北東ルイジアナ州、モンローの近くウォシタ川の氾濫原にあるワトソン・ブレイクは恐らくアメリカ最古の大規模なマウンド遺跡だろう。これは今から5400年前のものでポヴァティ・ポイントより1900年古いということになる。これはルイジアナ州にある祭礼や交易の中心地で3500年前のものとされ、この種の遺跡の中では最古であると長年言われていたのである。

3フィートから25フィートの高さのマウンドが少なくとも11個有り、尾根でつながって直径853フィート楕円形を形作っているワトソン・ブレイクは30年以上も前に土地が伐採されて露出したところを、そこに住むレカ・バンバーグ・ジョーンズ(Reca Bamburg Jones )によって発見された。放射性炭素年代測定の他にオースティンのテキサス大やワシントン大が土中の有機酸と砂粒からマウンドの年代を割り出した。

北東ルイジアナ大のジョー・W・ソーンダーズが指導する新しい調査によればワトソン・ブレイクは移動性狩猟採集民が夏から秋にかけて基地として使っていた可能性が高い。この遺跡は湿地帯を見下ろす場所にあったので季節によっては莫大な水産資源を手に入れるのが容易だったかもしれない。ニベ科の魚たちや春から初夏にかけて産卵する種の魚の骨や、夏から秋に熟する植物の焦げた種子が遺跡から発見された。これらの発見は、巨大な建造作業は農耕か交易による定住村落を構えた複合社会でしかなしえないという一般的な通念に矛盾するものである。移動性狩猟採集民はこのような作業に着手することは有り得ない、そう考えられてきたのだから。

ポヴァティ・ポイントの住人は未だ農耕民ではなかったが複合的な社会組織を持ち広い交易網に参加し、そして一年を通じて居住し得たと思われる。ワトソン・ブレイクでは定住の証拠は無く、数個のビーズ石製の道具焼かれた土塊(上図参照)などは現地のものであって、それは交易に参加していなかったことを示している。

尾根やマウンドの表面から定住の証拠は見当たらないので考古学者はワトソン・ブレイクは主としてマウンドの建設中かその前に人が居ただけだろうと信じ始めている。この遺跡は約4800年前には放棄されたと考えられている。それはアーカンソー川が流れを変えたため湿地帯や支流の生息地が乾燥しそのために遺跡が狩猟採集民の季節的居住に適さなくなったからである。マウンドの目的は知り得ないのだが、ただ人間の残骸も祭礼用の道具も見当たらないので、埋葬や宗教的な目的で使われたのでないとだけは言えそうである。

遺跡の南半分は考古学管理委員会の所有である、残りは個人所有のままである。


ワトソン・ブレイクのマウンド。挿入写真は用途不明の焼かれた土製品(fired earthen objects (function unknown) )。(ジョー・W・ソーンダーズの好意による)      (原文 


                                                                     
Arcaeology(1999年,9/10月号,Volume 52 Number 5, )                         戻る

 "狩猟採集民の神話"
by Kenneth M. Ames 

 1997年9月19日のニューヨークタイムスはルイジアナ州の北西地域で一群のマウンドが発見されたと報じている。ワトソン・ブレイクとして知られているこの遺跡は11個のマウンドからなっており、高さ7.8メートルにおよぶマウンドが低い尾根でつながって直径約270メートルの楕円形をなしている。驚くべきことにこの巨大な複合体(complex)は北米の東部に農耕集団が生まれるより3000年以上も前の紀元前3400年頃に狩猟採集民によって作られた。彼等は部分的にではあるけれど移動生活を行い、この遺跡には春夏にやってきて釣りや狩りやカラスガイの採集をしていた。
 ニューヨークタイムスは驚きをこのように表現している。「ワトソン・ブレイクは初期のアメリカ文化についての従来の考え方を覆し、農耕以前、土器製作以前の狩猟生活社会そのものがこれまで考えられていたより遙かに複雑(complex)な社会だったことを訴えている」。大抵の人は狩猟採集民は食べ物を求めて大地を放浪する家族的集団であって、このような大がかりな作業は出来ないと思っているが、実は多くの狩猟採集民が農耕民社会にしか不可能だと思われていたことを同じようにやってのけていたということを、この20年の間に考古学者達は思い知らされたのだ。彼等は大きな建物を建て、首長のいる広い居住地を持ち、芸術的・技術的に洗練された伝統を育て、戦争をし、自分達の土地から出来る限り多くの食料を得るようにした。一言で言えば、彼等は社会的な複合体(complex)を形成していたのだ。
 今や事実上消滅したこのような社会・経済組織「複合狩猟採集民(complex hunter-gatherers)」の発見は、過去20年の間に生じた非常に大きな考古学上の進歩の一つである。一つの発見としてはそう広く評価をされてはいないが、この発見は過去の人間の社会的・経済的な組織力が、我々がかつて想定していたより遙かに大きかったということを教えてくれる。そしてそれは我々に基本的な問題を再考するように告げるのだ、例えば何故動物や植物が栽培され飼育されたのか、そして何故人間社会に不平等が生じたのかを。
  (原文


                                                                   
ジャパンタイムズ(1999年12月14日)                                       戻る

 "アマチュアがアメリカ最古のインディアンのマウンドを発見"By JANET McCONNAUGHEY

ルイジアナ州の北東の人里離れた一隅にあるインディアンのマウンド(mounds)は一見なんの変哲もないものである。二人の男が掘削機とブルドーザーを使えばこのマウンドと尾根に囲まれた楕円形を土砂で埋めるのに一日かかるかどうかだろう。1981年に材木会社がワトソン・ブレイクの木や雑木林を切り倒してしまうまでは、これらのマウンドや尾根が大きな図形を描くように作られていたとは誰ひとり気付くことさえなかった。その上、それらが西半球で最古のマウンド群であると分かるまでには、さらに20年近くかかるのである。元国勢調査員とレカ・ジョーンズ(Reca Jones)というアマチュア考古学者の断固たる反対運動が無かったら、それらは姿を消していたかも知れないのだ。

マウンド自身もその目的も謎なのだが、B.C.6000~B.C.3000年の古期の中頃の考古学的研究にとっては真価を試される一つの試金石となった。マウンドが作り始められたのはツタンカーメンが生まれる1000年前である。100キロ離れたポヴァティ・ポイントに同心円状のはるかに巨大な土製建造物が出来るのはそれから1500年~2000年後である。中米のマヤのピラミッドやアメリカ西部のアナサジの岩窟住居はそれより更に後のことである。「古期の中頃というのは人びとが3000年もの間狩猟採集のために駆け回っていた時期だとたいていの人が考えていました」と国立公園局の考古学者マーク・バーンズ(Mark Barnes)は語っている。「ところが彼等は我々が考えていたよりはるかに複雑だったのです」

レカ・ジョーンズは子供の時からそこに二つのインデイアンのマウンドがあるのを知っていた。考古学保護委員会が1996年に買い取るまでその遺跡の半分を所有していたウィラメット産業(Willamette Industries Inc.)がそこの木を切った。そこで突然ジョーンズはこれまで気付いていたより多くのマウンドがあって、それらは尾根でつながれて巨大な卵形になっているのを見たのだ。それは端から端まで約300メートルあり、向こうまで200メートルあった。「ウィラメットが居るときはずっと私も居て”マウンドに上らないで!”、”マウンドに上らないで!”と言い続けていました」とジョーンズは語る。ウィルメットはその言葉に従ったのだった。

そこで彼女はハーヴァード大の考古学者に遺跡の共同調査を頼んだが彼は約3000年前に始まった土器時代に引かれてしまっていた。ルイジアナ地域担当の政府の考古学者ジョー・ソーンダーズ(Joe Saunders)が初めて穴を穿ったのはなんと1993年のことだった。一つ、また一つ証拠品は増えていった。そしてこの発見は昨年「サイエンス誌」に掲載されたのである。ジョーンズの発見と、発掘の専門家たろうとした長年の作業と、発掘と再現の際の働きは彼女にアメリカ考古学協会のクラブトゥリー賞(Crabtree award)をもたらした。

科学者達はこの遺跡は5400年前と算定した。しかし多くの問題が未解決のままである。例えば、何故マウンドが作られたのか?いくつかのマウンドは土に覆われたゴミの山に思える。ところが時には建造者達は住んで働いていた場所を一旦覆ってしまって、新しい地面で寝起きする、そしてまた覆ってしまう。しかし他のマウンドはただ土の上に土があるだけである。しかもそのいずれもが同時期になされていると分かってきた。

楕円の約60%は自然の尾根でかつてはアーカンサス川の湿地や支流を見下ろしていた。しかし何故そこだけ高くしたのだろう?そして他の土地を囲い込んだのだろう?洪水を防ぐためではなかっただろう、そこは既に洪水時の水位より高い位置にあったのだから。楕円形は9ヘクタール近くを囲い込んでいる。しかし三つの小さな自然の隆起を除けば、その殆どに人が住んでいた形跡が見られない。また土作業が防塁だったという様子もない。

ポヴァティ・ポイントは交易の中心地だったとも思われる、しかしニューオリンズのわずか300キロ北西のワトソン・ブレイクの何もかもが局地的である。交易を思わせるものは何もない。

ゴミには少量の焦げた穀類が含まれているがそれは栽培されたものではない。マウンドや尾根は耕されていなかった。

「恐らく私達の疑問は的外れだったのだ。恐らくマウンドを作る事自身が目的だったのだ」とソーンダーズは言っている。

一体何が立証されただろう?貝殻はマウンドの建設者達が大量の魚やカラスガイ(Unionidae)やタニシ(Campeloma)や亀などの小動物を食べていたいうことを示している。また彼等は春に来て秋に去ったという痕跡もある。

発掘者達はビーズを作るのに使われた約5ミリほどの燧石の錐を大量に見付けている。

ソーンダーズやジョーンズが仕事に取り掛かるまでは、ポヴァティ・ポイントの複雑な土木工事が北米で最古のマウンド複合であった。この建設は大体B.C.1500年頃に始まっている。ワトソン・ブレイクの建設者達はその数千年も前に生きていたのだ。彼等が残していったものの95パーセントが石片である。それらは熱でひび割れていたから多分料理に用いられたのだろう。

発見された人骨は少しの欠片だけだが、他の場所からの骨から察すると建設者達の身長は恐らく約160センチだろう。一番小さなマウンドは彼等の胸ほどの高さであり、最も大きいもので二階建てくらいである。

発掘と再構築がここでの仕事の終点ではない。州は遺跡の北半分を買い取って州立公園にしたいと思っている。考古学保護委員会は1996年に南側の32ヘクタールを買い取り、去年それを州に売却した。

長年期待されているのはそれぞれの時代に存在した、一連の遺跡達である―それこそが先史時代のルイジアナを解く手掛かりとなるだろう。 

ワトソン・ブレイクのマウンド群の研究でアメリカ考古学協会から賞を受賞し、この春ルイジアナ州・モンローの近くのマウンドの麓を散歩しているレカ・ジョーンズ。5400年前のマウンド達がなんのために作られたかは依然謎ではあるが、しかしこれらのマウンドは考古学者にとってその真価を問われる一つの試金石となっている。   (原文


Ancient Monnds of Watson Brake(2010年3月刊)                          戻る

 Elizabeth Moore, Alice Couvillon, Rick Anderson著

 著者の覚え書き

 生涯を通じて、レカ・ジョーンズは、ワトソンの小さな集落にある自宅近くのマウンド群を歩き回っていました。それはルイジアナ州北東のモンローの近くにあります。彼女はそれらのマウンドは何か普通のものでは無いと気付いていて、長い時間歩き回り色々なものを拾い集めていました。粘土の固まりもあれば丸いビーズや熱でひび割れた石もありました。結婚後彼女は小さな子供達を連れて行ってそれらの正体を突き止めようとしたりしていました。

 ワトソン近くのその茂み(低いところは雨期には水で覆われ、乾燥期には大抵乾いていました)には楕円形に作り上げられたマウンド群がありそれらは尾根でつながれていました。楕円形はサッカーグラウンド3個分の面積を囲い込んでいました。一番高いマウンドは約30フィートで二階建てほどあり、一番低いのは僅か3フィートでした。レカはこれらの土の建造物は人間が造ったものだと確信していましたが、誰も彼女を信じようとはしませんでした。

 或る日材木会社が現れて木を切ろうとしましたが、レカはマウンド達にはブルドーザーをかけないでくれと頼み込みました。それは聞き入れられたのですが、木を切り倒していく内に卵形のマウンド達が現れたのです。そこで誰もがそれらは人間の手で意図的に作られたものだと気付きました。

 レカは先史時代の文化についてもっと勉強しようと決め学位を取るために大学へ入りました。そして遂に専門的な考古学者の助けを得る事が出来ました。彼は11個の小丘の円陣は正に北米最古の土製建造物であると立証することが出来たのです。5400年という年月は、エジプトのピラミッドやメキシコのマヤの階段状ピラミッドや北東ルイジアナのポヴァティ・ポイントのマウンド群やアメリカ西部のアナサジの断崖住居よりももっと古かったのです。それらはストーンヘンジで有名な西ヨーロッパのストーン・サークルたちを思い起こさせてくれます。

 粘り強くワトソン・ブレイクのマウンド群を守り通しそして研究したとして、レカ・ジョーンズはアメリカ考古学協会のアマチュアのためのクラブトゥリー賞を受賞しました。彼女は今も時々マウンド群を訪ね大昔そこに住んでいた古代人の生活に夢を馳せています。   (原文

参考Wikipedia[Watson Brake]

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