過去地球上では、少なくとも4回の大きな氷河期がありました。
24億年前から21億年前頃の原生代初期に、最も古い氷河期(ヒューロニアン氷期)があった可能性があります。
証拠が残っているもので一番古いものは、(原生代末期の)7億5千万年前からの氷河期(スターティアン氷期(〜7億年前)と、マリノア氷期(〜6.4億年前))です。
これは、過去10億年のなかで最も厳しいものであり、氷が赤道まで覆いつくしたスノーボールアース(全地球凍結)という状態になったとされます。
この氷河期の終了が、引続き起きたカンブリア爆発の原因になった可能性があります。
古生代には、4億6千万年前から4億3千万年前にかけて、小さな氷河期(アンデス−サハラ氷期)があり、
同じく古生代の3億6千万年前から2億6千万年前にも、氷河の拡大期(カルー氷期)があり、この時には生物の大量絶滅が起きています。
現在の氷河期は、4000万年前からの、南極での氷床の成長により始まり、300万年前から起きた北半球での氷床の発達とともに規模が拡大しました。
更新世に向かうにつれて更に激しくなり、その頃から氷床の拡大と後退の繰り返し(氷期と間氷期)による、
4万年と10万年の周期が世界中で見られるようになりました。
最後の氷期(最終氷期)は、約1万年前に終了しました。
現在は、氷河期の間氷期に当たります。
最終氷期とは、約7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期で、いわゆる氷河期は、この時代を指すことが多いです。
最も氷床が拡大した約2.1万年前の時期を、最終氷期の最寒冷期(最終氷期最盛期)と呼びます。
更新世(約258万年前から1万年前)の最後に相当します。
更新世は、ほとんどが氷河期でした。
最終氷期は、長期間続いたのではなく、短い周期で気候が激しく変動していたようです。
最寒冷期の状態が続いたのは、2000年程度と考えられています。
最寒冷期の直前は多くの地域では砂漠も存在せず、現在よりも湿潤だったようです。
特に南オーストラリアでは、4万年前から6万年前の間の湿潤な時期にアボリジニが移住した、と考えられています。
最終氷期が終わった、現在の完新世のことを、後氷期と呼ぶこともあります。
最終氷期が後氷期に移行する時に大きな「寒の戻り」がおこり、一時的に氷期のような寒冷な気候になりました。
この時期は、ヤンガードリアス期と呼ばれます。
最終氷期の最盛期には、海水の水分が蒸発して雲となった後、雨とならずに雪となって振り、陸上の氷となりました。
そのため、地球上の海水量が減少し、世界中で海面が約120mも低下しました。
この時、数十万km3もの大量の氷が、ヨーロッパや北米で氷河や氷床となったようです。
その影響で海岸線は、現在よりも沖に移動していました。
東南アジアでは、現在の浅い海が陸地になっており、「スンダランド」を形成していました。
アジアとアラスカの間には、ベーリング陸橋が形成され、ここを通って北アメリカに人類が移住した、という説があります。(海水準変動)
日本列島とその周辺では、海岸線の低下によって北海道と樺太、ユーラシア大陸は陸続きとなっており、現在の瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地となっていました。
また、東シナ海の大部分も陸地となり、日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡も非常に浅くなり、対馬海流(暖流)の流入が止まったとされます。
この影響もあり、日本列島は現在より寒冷で、冬季の降雪量が少なかったと考えられています。
北海道では永久凍土やツンドラ、標高の高い地域では山岳氷河が発達し、針葉樹林は西日本まで南下していたとされます。
氷河を認めた地域
北半球では、ヨーロッパ北部全域、カナダのほぼ全域と、西シベリア平原の北半分が巨大な氷床に覆われていました。
ヨーロッパでは、ライン川の河口、アイスランド全島、南部を除いたブリテン諸島が、氷床に覆われていました。
北アメリカでは、五大湖周辺まで達していました。
ロシアでは、モスクワからアナバル川河口まで達しており、オビ川、エニセイ川では、氷床でせき止められて巨大な湖が形成されました。
アフリカ、中東、東南アジアでは、小規模な山岳氷河が形成され、
アフリカではアトラス山脈、
東南アジアではニューギニア、に氷河が存在したようです。
一方南半球では、パタゴニア氷床が、チリ南部、南緯41度付近まで達しました。
アンデス山脈のアルティプラーノも、氷床に覆われていたようです。
永久凍土は、
ヨーロッパでは氷床の南から現在のハンガリーまで、
アジアでは北京まで発達していました。
しかし北アメリカでは、標高の高い所以外では氷床の南域に永久凍土は発達しなかったようです。
一方、東アジアやアラスカの一部は、標高の高い所以外は氷河化していなかったようです。
乾燥地域
気候は、非常に乾燥していて、一般に寒冷でした。
南オーストラリアやサハラ砂漠南部では、降水量は9%まで減少し、植物相は氷河に覆われたヨーロッパや北アメリカ地域と同程度まで減少しました。
砂漠地域のほとんどは、その面積を拡大していました。
オーストラリアは、移動する砂丘に大陸の50%が覆われ、
南米のグランチャコやパナマも、同様に乾燥していました。
ただしアメリカ西部では、例外的にジェット気流が変化して現在砂漠である地域にも大量の雨を運んでいたようです。
熱帯雨林
熱帯雨林も、大きく縮小し、
西アフリカの熱帯雨林は、グラスランド(熱帯性の大草原)に囲まれている状態でした。
アマゾンの熱帯雨林は、拡大したサバナによって2つに分割されていました。
東南アジアの熱帯雨林地域も、スンダランドの東西端以外は落葉林が広がっていた、と考えられています。
中央アメリカとコロンビアだけが、熱帯雨林として残っていたようです。
現在の亜熱帯地域である、東部オーストラリアや、ブラジルの大西洋沿岸森林地域、中国南部、
では、乾燥化により森林の大部分が喪失し、ウッドランド(疎開林)が分布していたようです。
ヤンガードリアス(新ドリアス期)
更新世の終わりのヨーロッパの気候区分で、北半球の高緯度で起こった、亜氷期の期間です。
この期間は、暦年代で1.29万年前–1.15万年前、
放射性炭素年代で1.1万年前–1万年前で、
1300 ± 70 年間続いたとされます。
気候変化は急激で、寒冷化は数十年で起こり、約10年の間に気温が約7.7℃以上、下降したとされます。
この頃、グリーンランドの山頂部では、現在よりも15℃も寒冷だったとされます。
イギリスでは、年平均気温が約−5℃に低下し、高地には氷原や氷河が形成され、氷河の先端が低地まで前進していたようです。
更に、終了時も、数年で7℃もの急激な温暖化が起こった、とされます。
これほど規模が大きく、急激な気候の変化は、その後起きていません。
原因として、
北大西洋の熱塩循環(メキシコ湾流による)の著明な減退または停止による、という説や、
北米大陸への彗星の衝突により巻き上げられた塵による寒冷化による、という説が有力です。
ヤンガードリアスは、西アジアでの農耕の開始と関連付けられるようです。
寒冷化と乾燥化により、前期ナトゥーフ時代の住民の生活様式を変化させ、食料を生産する必要性が生じたことが農耕の開始と関係する、という説があります。
一方、この寒冷化が終わったことが農業の開始と関係する、という説もあります。
シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡(紀元前9050年(1.1万年前))では、最古級の農耕の跡(ライムギ)が発見されています。
尚、現在の日本でも、立山連峰に氷河が存在します。