ウィーンの森のはずれ・アラント村で1889年1月下旬におきた事件は、ヨーゼフ皇帝と皇妃エリザベスを絶望の淵へ追いやった、といっても過言ではない。皇太子ルドルフの情死である。ルドルフはトルコ系のミッツイ・カスパールなる女(高級娼婦との噂あり)と閨房をともにしていたが、ある日ユダヤ系の小柄で丸顔、黒い瞳のマリー・ヴェツェラを紹介される。
マリーは17歳であった。そしてその後まもなくルドルフはマリーを道連れに自殺する。ふたりともピストルで頭を貫いていた。この奇怪な情死についてさまざまな憶測が乱れ飛んだが、真相は謎のままである。そこで私の推理を。
高級娼婦(ミッツイ・カスパール)が死を免れたのは年齢と経験の相違にすぎない。ミッツイはマリーより年上であったし、職業柄、皇太子が道連れにするにしては男に長けていた。死を免れた女は、別の、あるいは次の男との快楽や新しいドレスに思いをめぐらせていたであろう。マリーはというと、皇太子と寝屋をともにするという心躍る行為に夢中だった。ルドルフの尋常ならざる心模様に不安を感じるよりむしろ、胸のたかまりと心神の麻痺をうながすほどの甘美な陶酔をおぼえていたと思われる。そうした昂奮状態のままマリーは死んだ。
ルドルフの母エリザベートはルートヴィヒ2世の従姉。ルートヴィヒがシュタルンベルク湖で謎の死を遂げたのは1886年のことである。情死事件のおきたマイヤーリンクのこの建物は当時のまま保存され、ふたりの死んだ部屋には入れない。
|